付き添い
新学期が始まって間もないある日、ロブはベアンハルトから電話を受ける。
学校終わりに店に寄ってほしいという彼から、ロブはある頼み事をされて……。
その電話を受けたのは、新学期が始まって間もないある日のことだった。
「ロブ、鳴ってるよ」
学食でランチ中、俺の鞄の中でスマホが鳴ってるのにフローリアンが気付いた。
取り出して画面を見ると、エレンからだった。
休み中にチャドとフローリアンと飲んだ時、俺はエレンに恋をしている自分に気付いてしまった。
今はその自覚があるから、彼女と話をするのが照れ臭い。
「出ないの? 切れちゃうよ?」
「あー、うん」
俺は席を立つと、誰もいないスペースで電話を取った。
ごくりと、喉が鳴ってしまう。
『あー、ロブくん?』
『私です、ベアンハルト』
俺は一瞬混乱した。
エレンの携帯から電話を掛けてきたのは、フラワー・ベアンハルトのオーナーだったのだ。
『突然ごめんねぇ、びっくりしたよね』
『いきなりで何なんだけど、今日、学校の後で時間あるかい?』
「あっ、えーと、はい」
俺は頭の中で、今日の時間割を思い浮かべた。
午後の授業は2コマだから、そんなに遅くはならないはずだ。
『終わってからでいいから、悪いけどうちに寄ってくれないかな?』
「はい、分かりました」
『ありがとう、じゃあ後でね』
それで電話は切れた。
結局、なぜベアンハルトさんが電話を掛けてきたのかは聞きそびれてしまった。
*
「エレンが?」
この日の授業を終えた俺は、言われたとおりにフラワー・ベアンハルトに寄った。
そこで、なぜ彼が俺に電話を掛けてきたのかを知ったのだった。
「うん、今朝からなんだ」
「どうも調子がよくなさそうだったんだけど、だんだん熱が上がってね」
2階にある事務所に案内されると、そこにあったソファの上でエレンが寝ていた。
赤い顔をしていて、熱が高いらしい。
ベアンハルトさんが俺に電話してきたのは、エレンを自宅まで連れ帰ってほしいからだった。
彼女の携帯を使ったのは、俺の番号を知らなかったから。
「本当は私が車で送ってやりたいところなんだけど……」
「今日はどうしても外せない用事があってね」
「妻も不在だし」
「以前きみを部屋に入れたことがあると彼女から聞いたことがあって、それで……と思ったんだ」
「どうだい、頼めそうかな?」
もちろん、俺は了承した。
ソファの傍らで俺たちが話し合っていると、エレンがうっすらと目を開けた。
「エレン、調子はどうだい?」
「実はね、ロブくんがきみと一緒に帰ってくれることになったんだよ」
「このまま店にいるより、早く帰って寝た方がいいと思うんだ」
大きなグリズリーは、ソファの傍らにしゃがみ込んで静かに語り掛けた。
横になったままのエレンが、彼の顔を見てゆっくりと頷いた。
こうして俺は、体調不良のエレンを部屋まで送り届ける役目を仰せつかった。
しかし彼女の様子を見ていると、果たして無事に連れて帰れるか不安にもなってくる。
それほどまでに、エレンは具合が悪そうだった。
「病院はどうする?」
彼女の帰り支度を手伝いながら、俺は聞いてみた。
かかりつけ医でもあるなら、帰る前に寄った方がいいだろう。
「……行かない」
「でも、一度診てもらった方が」
「いいの、行かない」
熱のせいで、彼女はいつもよりイライラしているように見えた。
やっとソファから体を起こすも、とても辛そうにしている。
「やっぱり、行こうよ」
「どこかきっと診てくれる所が……」
「いいったら、いいの!」
珍しく、エレンは声を荒げた。
荒げたといっても、出たのはかすれたか細い声だけだったけど。
「獣に、体を見られるのが嫌なの」
「触られるのもごめんだわ」
「分かるでしょ……?」
ソファに突いた手に力を込めて、エレンは立ち上がった。
事務所のドアを開け、手摺りに体を預けながら階段を下りていく。
彼女の鞄を手に、俺はそれを見守る。
今のエレンは、俺に近付いてほしくないのかもしれないと思った。
彼女は、本当に俺に送ってほしいと思っているだろうかとも。
店から駅は、そんなに遠くない。
最寄りの地下鉄の駅まで、エレンはふらつきながらも何とかたどり着いた。
ちょうど来た電車に乗せて、座らせることも出来た。
電車に揺られながら、彼女はずっと目をつぶってじっとしている。
その目頭には、涙が滲んでいた。
熱が高いと目が潤んでしまうのは、俺も同じだった。
「大丈夫?」
「……うん……」
そうは言ったけど、降りた駅でエレンはとうとう力尽きてしまったみたいだった。
これから地上に上がり、アパートまで帰らないといけない。
待合の椅子に倒れ込むように座っている彼女を見ると、それは不可能だと思えてくる。
獣に体を見られたくない。
絞り出すように言った、あの言葉が気になった。
それでも、そうも言ってはいられない。
「エレン」
俺は、彼女に背を向けてしゃがんでみせた。
薄く目を開けたエレンは意味が分からないのか、なおもぼんやりとして座っている。
「負ぶっていくよ」
「あの、もしかしたら嫌かもしれないけど」
俺は背中を向けたまま、彼女の反応を見守った。
もし嫌がるようなら、別の方法を考えないといけない。
幸い、それは取り越し苦労だった。
ややあって、俺は背中に温かさが広がるのを感じた。
彼女を部屋に連れ帰った頃には、背中はかなり暑くなってしまっていた。
熱は、相変わらず高いらしい。
ベッドに寝かせると、彼女は安心したのか表情を緩ませた。
それを見て、俺もほっと息を吐く。
「……ありがとう」
「気にしないで」
「どうする?」
「何か手伝おうか?」
エレンは力なく、首を横に振った。
そして沈み込むように、ベッドで眠ってしまったのだった。
彼女を1人きりにするのに、もちろん迷いはあった。
ただ、今は深入りをしない方がいいのかもしれないとも考えた。
勝手ではあったけど冷蔵庫を探り、ちょうど入っていた水のボトルをベッドサイドに置いた。
これで、後から目が覚めても大丈夫だろう。
何かあったら連絡してと書き置きを残し、その傍らに彼女の携帯を置いた。
最後にもう一度、エレンの顔を見る。
店にいた時よりは、少しよくなったような気がする。
持ち出した鍵でドアを閉め、それを郵便受けに入れておく。
何だか複雑な思いを抱えたまま、俺は自分のアパートに帰った。
背中には、まだ彼女の温もりが残っている気がした。




