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恋する自覚

展覧会の夜にエレンを抱き締めたロブは、その余韻に浸っていた。

友達と飲んでいると、そのことを指摘されて……。

体の前で、両腕を輪にしてみる。


これくらいだったかな、それとも、これくらい?

輪っかを作ったままそれを大きくしたり小さくしたりしてみて、俺は先日の余韻に浸っていた。


「何だそれ」

「ヨガでも始めたのか?」


背後からチャドに言われ、俺はドキッとした。

今日は、チャドとフローリアンと飲む約束をしていたんだった。

カフェバーで2匹を待っていたことを思い出し、我に返る。


「久しぶりだね、ロブ」

「おめー、相変わらず雰囲気が生っちろいな」

「うるさいよ」


夏休みも残りわずかになった。

ビールと軽食で乾杯をし、近況を話し合う。


わざわざ集まらなくても新学期を待てばいいのに、俺たちは意外に仲がいいらしい。

アルコールも手伝って、話は弾んだ。


「その島なんだけどね、本当におすすめだよ」

「プライベート感が半端なかった」


フローリアンが言うのは、彼女と行ったアイランドリゾートの話だ。

1週間、プードルのあの子と水入らずで過ごしたらしい。


「でよ、そこへ専門学校のメスたちが合流してさ」

「それはもう、盛り上がりましたとも!」


チャドは、海辺でサークル仲間と合コンをしたらしい。

毛の多いユキヒョウが水に濡れたら、さぞかし乾かすのが大変だろうな。

俺はそんなことを考えていた。


「で?」

「チャド、いい加減、で? で振るの止めろよな」


「ロブはどんな夏休みだった?」

「マジでバイト三昧かよ? あの変なジジイの店で?」


フェイクミートの串焼きを頬張りながら、チャドが聞く。

同じものをフォークで突きながら、俺は考えた。


「まあ、そんなとこ」

「後は課題やってた」


エレンとのことは、黙っておこうと思った。

シシーの個展で彼女の身に起こったことを話すのは、この場では相応しくないような気がしたからだ。

彼女を抱き締めたことも、今はまだ自分の中にだけしまっておきたかったのもある。


「カーッ、つまんねー!」

「おまえ、このままじゃ本当にしおれてくぞ!?」


「大きなお世話だよ」

「そんなに文句言うなら、一緒に取ってる授業の課題見せてやらないからな」

「えー、やだぁ」



チャドは、飛ばして飲む癖がある。

俺がトイレから帰って来た時にはすっかり出来上がり、もうテーブルに突っ伏していた。


「あーあ、また潰れちゃったよ」


フローリアンは苦笑いして、追加で頼んだカクテルを口に含んだ。

彼はこう見えて、酒には強い。


「ところでさ」


ゴガァーといびきをかいているチャドをちらりと見て、フローリアンは切り出した。

そっとチャドの隣から立ち上がると、俺の隣に座る。


「進展あったんじゃない? 例の彼女と」

「え?」

「もしかして、ハグしたとか?」


フローリアンは意味深な笑みを浮かべ、両手で輪を作ってみせる。

俺は、返す言葉もない。


「当たり? やった!」

「負けたよ……」

「へへー、伊達に経験積んでませんからね」


チャドのことはもちろん嫌いじゃないけど、こういう話題を振るならフローリアンに限る。

俺は、数日前にエレンとの間に起こったことを彼に話した。

彼女が、シシーに作品を盗られたこともだ。


「へえ、それは残念なことになっちゃったね」

「うん……」


あの時エレンが浮かべた表情、悲しいという感情さえ浮かばないようなあの表情は、今でも目に焼き付いている。


「何ていうか……人間ってやっぱりこんな扱いを受けてるんだって、よく分かった気がした」

「エレンは人間にしては自立してるし、今までそんな風に感じたことなかったから」


「そうだね」

「獣人均等法だなんて言っても、人間が守られてるのは法律の上だけってことか」


【獣人均等法】とは、俺たちが生まれる少し前に施行された、比較的新しい法律のことだ。

その名の通り、獣と人の権利は等しいと定められている。


フローリアンの言う通り、しかしそれはあくまで法律の上だけのこと。

これまで大っぴらに行われてきた人間たちへの差別が、ひっそりと行われるようになったってだけだ。


「彼女がそんなことになったのは可哀想だったけど、ロブとしては役得感みたいのはあったの?」

「うーん、どうだろう」


俺は、エレンを抱き締めた時のことを思い出してみた。

あの時は、頭で考えるより先に体が動いた感じだった。

でなけりゃ、きっとあんなことは出来なかっただろう。


「気付いたら、抱き締めてた」

「何か、どうにかしてあげたくて」


俺の話を聞いたフローリアンは、ふうんと言ってグラスを舐めた。


「何かそれ、羨ましいな」

「何で?」


「もし僕が同じ状況だったとしても、きっと相手を抱き締めたと思う」

「でもそれって敢えてっていうか、そうした方がいいなっていう打算もあると思うんだよね」

「もちろん、第一に相手を思ってのことではあるんだけどさ」


フローリアンは器用に、グラスの中で氷をクルクルと回している。

伏し目がちになると、彼の長い睫毛は殊更に長く見える。


「ロブの場合はさ、もう無意識じゃない?」

「ただ純粋に相手を大切に思うからこそ、咄嗟に体が出たんだと思うよ」

「きみは本当に、そのエレンって人のことが好きなんだね」


さらっと言われてしまった。

俺は、もじもじして俯く。


本当に、エレンのことが好き。

その言葉は何か温かなものになって、心の中にじわじわと染み込んでいく。


「本当に羨ましいよ」

「僕は付き合うどのメスに対しても、誠実に自分の気持ちを向けようと思ってるんだ」

「でも、そういうのに慣れ過ぎちゃって、反射的に動くなんてことはもうないと思う」


「付き合ってる時は、もちろんその子が一番だよ」

「だけど次が来れば、その子が一番になるわけじゃない?」

「僕は僕で一途なんだけど、きみの一途とはちょっと違うよね」


そういうもんだろうか。

恋愛経験皆無の俺には、フローリアンの言うことが完全には理解出来ない。


ただ何となく分かったのは、俺は俺のやり方で、彼女を好きでいればいいんじゃないかってことだ。

そしてそれ以上に分かったのは、自分が本当に彼女を好きなんだということ。

俺はエレンに、恋をしているんだということだった。


19年生きてきて、初めて感じた気持ち。

嬉しい気持ち、悲しい気持ち、期待する気持ち、相手を狂おしいまでに求める気持ち。

恋って、簡単なようで複雑な気もする。


「さ、今夜はそろそろお開きにしようか」

「チャドー、帰るよー!」


「ねえ、ロブ」

「さっきの話、僕たちだけの秘密にしておこうね」


酔い潰れたチャドに肩を貸したフローリアンは、別れ際に片目をつぶった。

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