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可哀想な人間

シシーの個展で、残念な出来事に巻き込まれたエレン。

無理して明るく振舞おうとする彼女に、ロブはいたたまれなくなって……。

個展とはいえ、フロアにあった全てがシシー自身の作品というわけではないらしい。

エレンのように、声を掛けられて作品を提供している獣もいるみたいだった。


いくつかの作品には、その作者のネームプレートが付いている。

シシーの作品には、作品名が添えられていた。


順路のほぼ終わりに、そのアレンジメントはあった。

エレンが作ったという、小さな作品。


俺が名前を知らない赤い花をメインに、小さな花々が周りを彩っている。

決して豪華じゃないんだけど、彼女らしい、優しい素朴さが漂ってくる。


そのぼんやりとした違和感の正体に気付いたのは、作品にエレンの名前がなかったからだった。

うっかり付け忘れたわけじゃない。

ネームプレートの代わりに、そこには作品名のプレートが付けられていたのだ。


【純朴】


そんなタイトルだった。


これがどういうことなのか、俺にはすぐ分かった。

何か行き違いがあったんだと信じたかったけど、おそらくは。

フェアリー・シシーは、()()()()()()を個展に出すつもりはなかったってことになる。


「……」


言葉もなく、エレンはただ花を見つめていた。

彼女が喜びと共に苦心して生み出したまるで子どものような作品は、彼女ではない誰かのものになってしまっている。

ざわめく会場で、ここだけ時間が止まったみたいだった。


「あら、いらしてたのね」


声の方を振り返ると、そこには数匹の獣を従えるシシーがいた。

きらきらと輝く深い紫色のドレスに身を包み、気高い雰囲気を漂わせるマンドリル。

しかしそれも今は、どこか見せかけのように思えてならない。


「好評ですのよ、このアレンジメント」

「まるで、初心を思わせるようだと……」


事も無げに言い放ったシシーに、エレンはようやく視線を向けた。

その表情に、怒りはない。


シシーの傍にいたマネージャーらしきキツネザルが、神経質に太い尾を揺らせて彼女を急かす。

これから、TVか雑誌の取材でも受けるのだろうか。


「では、ごゆっくりとお楽しみくださいね」


ほほほと笑って、彼女は俺たちのすぐ傍を通り過ぎようとしていた。

すれ違いざまに、シシーはエレンに囁く。


「……あなたご自身の作品を出させてほしいとは、言いませんでしたわよね、私」


俺の耳にも、その声ははっきりと聞こえた。

シシーが行ってしまうより早く、エレンはその場から駆け出していった。



客の群れを縫いながらようやく追いつくと、彼女はフロアの外にあるバルコニーにいた。

そこでは、何匹かの獣が煙草を吸ったり、夜風に当たりながらシャンパンを楽しんでいる。


地上5階にあるフロアに接するバルコニーからは、眼下を行く車のライトがイルミネーションのように見えた。

小さくちらちらと瞬く光の群れに目を向け、エレンは両手で手摺りを握っていた。


「何だか、恥ずかしいことになっちゃった」

「あんなにはしゃいだのが、バカみたいね」


俺がその隣に立った時、彼女は笑った。

本当におかしくて笑っているんじゃないことくらい、俺にだって分かる。


「そうよね、そう」

「有名なデザイナーの彼女が、わたしの作品をなんて」

「あー、やだやだ! ほんとわたし……」


俺が何も言わないのに、彼女は一人で話し続けている。

落ちてきた髪をかき上げるエレンの顔は火照ったように赤く、しかしその表情は穏やかだった。


「慣れない格好で、何だか疲れちゃった」

「今夜は一緒に来てくれて、ありがとう」

「じゃあ、もう行きましょうか」


エレンはぱっと顔を明るくして、俺に笑いかけた。

無理をしてそうしている気がして、俺の胸は締めつけられる。


俺の言葉を待たずに、エレンはもう歩き出していた。

真夜中の名の色をしたワンピースに包まれた背中はとても小さく、ひどく儚げに見えた。


その時、俺は一体どんな顔をしてたんだろう。


無意識に伸ばした手で、俺は彼女の腕を取った。

背後から触れた俺を、彼女の青い瞳が見つめる。


真冬の池に張った氷を思わせるような、美しくも冷たい色。

そこに何の感情も浮かべずに、彼女は俺を見ている。


何か、気の利いたことを言えればよかった。

だけど俺に、そんな器用なことは出来なかった。


その代わりに、掴んだ腕を引き寄せてぎゅっと抱き締めた。

力の加減なんか考えないで、強く。


あんな酷いことをされたのに、笑わなくたっていいんだ。


言えなかった言葉を、抱き締める力の中に込めた。

腕の中でじっとしている彼女が、そう感じてくれるのを願った。


「……そんなことされたら、気付いちゃうじゃない」

「わたし、可哀想なんだって」

「もしわたしが獣なら、あんなことはされなかったんじゃないかって……」


俺の中でだらんと垂れたままになっていた彼女の腕が、やがてゆっくりと俺に巻きつく。

小さな手が背中をぎゅっと掴んだのを、スーツ越しに感じた。


少し緩めた腕の中で、エレンはふるふると震え出した。

まるで、肉食獣に食われる獲物が、その牙の下で恐怖に震えるように。

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