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大切な人の待つ場所に帰りたい

爆発を間近に控えた爆弾を前に、ロブはエレンと無線越しに会話をする。

彼女と過ごした今までとこれからのことを考えると、ロブの心は痛んで……。

それは、あっという間の出来事だった。


トムのこめかみから侵入した銃弾は、知覚の間なく反対側から飛び出した。

彼は傷口から血液と脳味噌の一部らしきものを噴出させ、ぐらっとそのまま仰向けに倒れた。

駆けつけて彼の顔を見たけど、おそらくは即死だっただろう。


永遠に黙り込んでしまったトムを前に、俺は束の間佇んでいた。

そしてやっと思い出したように、無線のスイッチを入れ直したのだった。


『ロブか!?』

「……犯人が……自殺しました」


俺は手短にそう伝え、同時に、今自分が置かれている状況についても説明した。

無線の相手であるドミニクは、ううっと唸ったきり黙り込んでしまった。


トムが死んだことで爆弾のカウントダウンが始まるのではと思ったが、それは取り越し苦労だった。

センサー圏外に出さえしなければ、対象が生きていても死んでいても問題はないらしかった。

ただし爆弾は依然として俺の目の前にあり、起動から1時間を経過した時点で、1分の猶予を残して爆発するのだ。


あれから、何分経ったのか。

俺は時計をはめておらず、時間の感覚もすっかり狂ってしまっていた。

あいにく、今いる場所からは時計が確認出来ない。


つぶらな赤い瞳を持った悪魔が静かに、今は亡きトムの代わりに俺を見つめている。

こいつは、本当に爆発するのだろうか。

最後の最後まで、トムは俺をからかっただけじゃないのか?

そんな希望的な憶測がいくつも頭をかすめたけど、きっとどれも叶ってくれるわけはない。


今俺は、必ず爆発する爆弾を前に、トムにしてしまったことを改めて悔いなければならない。

悔いたところで、償いをする相手はこの世からいなくなってしまった。


ああ、そうか。

トムはもう、俺に謝ってほしかったわけじゃないんだ。


彼はただ、ただ俺が苦しめばいいとだけ思っている。

エレンを残して、彼女を守り切れずに自分もこの世からいなくなってしまうことを。


「ドミニク、聞いてますか?」

『ああ……今みんなして考えてるんだ』

『ロブ、だからそれまでは何とか』

「ひとつ、お願いがあるんですが」


無線機の向こうで、空気が変わった気がした。



『ロブ? 聞こえる?』

「エレン……何だか久しぶりだね」


俺はドミニクに、まだ現場にいると思われるエレンを探してくれるように頼んだ。

探して来て、無線で話させてほしいとも言った。

ただし、俺がこんな状況にいるということは、伏せてもらっての上でだ。


「何ともない?」

『わたしは大丈夫……あたなはどうなの?』

『ねえ、あの犯人ってもしかして』


「そんなことよりさ、いい知らせがあるんだよ」

「もうじき……やっとこの件が片付く」

「俺たち、家に帰れるんだよ」


本当?

エレンの声には、無線越しでも分かる嬉しさが滲み出ていた。

彼女は今、頭にどんな風景を思い浮かべただろう。

その風景の中に決定的に欠けてしまうものがあるかもしれないなんて、彼女は少しでも考えたりしただろうか。


『嬉しい……』

「そうだね」


「いつまでもきみを放っておいちゃ、母さんもうるさくてさ」

「いつ帰ってくるんだって、催促がすごいんだよ」


『ふふふ……そうね』

『わたしも、ロブのご両親とまた会えるのが楽しみよ』


「ねえ、家に帰れたら、何かお祝いでもしないか?」

『いいわね』


『前に行った、あのホテルはどう? ほら、大きなお風呂の』

「ジャグジーのこと? それもいいな」

「でも俺は、それよりも……」

『それよりも?』


「もっと、普通のことがしたい」

「今まできみとずっとやってきたようなこと」

「一緒に食事をしたり、話をしたり、ベッドで抱き合ったり、散歩に行ったり」

「特別じゃない、いつも通りのことがしたいよ」


『ロブ……泣いてるの?』

「何だよ、泣いてなんかないよ」

「ちょっと、疲れただけ……」


「エレン」

「俺はきみのこと、ずっと大切に思ってる」

「これから先も、ずっとだよ」

『ロブ……』


「じゃあ、もう切るよ」

「何にしても、今日中には片付くから」


無線を切った俺は、目の端で爆弾に備え付けられた小さな小窓を見ていた。

そこではデジタル数字が、俺の命の残り時間が60秒以下になったことを知らせていた。

トムが爆弾を起動してから、1時間経ってしまったのだ。


さて、どうしたものか。


頭は、異様なほどに冴えていた。

これから死ぬなんて、実感がまるで湧かない。

30になる前に、こんな形で死ぬなんて思ってなかった。


年末には、エレンが1人であの駅に立つ。

そんな彼女を、両親はどんな風に迎え入れるんだろう。


エレン、きみはどんな風になっていく?

俺以外の誰かをまた好きになって、そいつにも優しく笑いかけるんだろうか。

まるでそよ風が頬を撫でるように、柔らかい声で名前を呼ぶんだろうか。


目の前に、あの日の光景がありありと思い出された。

まだうすら寒い5月のあの日、ぬかるみの中にいる俺に、彼女が手を差し出してくれた。

そこから、全てが始まったんだ。


タイマーは、30秒を切った。

俺はふと、胸元にナイフを忍ばせていたことに気付く。

震える手でそれを取り出し、ケースから抜いた。


会いたい、会いたい、会いたい。

また彼女に会いたい。

声を聞きたい。

髪に触れたい。

思いきり抱き締めて、好きだと言いたい。


残り、15秒。


俺は震える手でナイフを握り、爆弾に向き合った。

赤の線と、青の線。

どっちだ?


俺をエレンの元へと帰してくれる正解は、一体どっちだ?


残り、10秒。


俺を好きだったと言ってくれた、トムの声が耳に甦る。

俺だって、彼のことが好きだった。


だけどトム、俺はまだ、そっちでおまえと遊ぶ気はないんだよ。

俺は帰りたいんだ。

大切なあの人の待つ場所へ。


残り5秒。

4秒。

3秒。

2秒。

1秒。


ナイフの先が、ワイヤーをぷつんと切り裂いた。

青い瞳を細めて、俺の中でエレンが笑っていた。

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