罪と償い
トムはロブに復讐するため、爆弾を起動する。
そこで彼は、ロブにあることを告げて……。
俺たちだけしかいないフロアに、ピーッという妙に安っぽい音が響き渡る。
「ロブ」
トムが椅子を足で横にどかすと、そこには黒いプラスチックのボックスがあった。
ドラマや映画で見るようないかにも爆弾といういで立ちで、赤と青の配線が飛び出している。
「今、この爆弾を起動させた」
「こいつはオレの最高傑作でね」
プラスチックの箱には小さな赤いランプが2つ灯っていて、それがまるで、不気味な生き物の目のようにこっちを見ている。
「こいつは起動と同時に半径5m圏内をスキャンして、そこにいる生き物の存在をインプットする」
「それが爆弾のセンサー圏内から出ようもんなら、1分で爆発するよう設定してある」
「つまりオレとおまえの両方は、もうスキャンされちまってるってことだ」
俺の背中を、つつっと汗が静かに流れていく。
ただ爆弾を目の前にしても、不思議と恐怖は湧いてこなかった。
「何もしない状態で起動から1時間経つと、それでもカウントダウン1分で爆発」
「ちなみに、別の何者かが圏内に入って来てもそうなるからな」
「爆弾処理班を呼んでどうこうさせるなんて、考えない方がいいってことだよ」
「じゃあ、おまえはどうするんだ?」
「爆弾処理班を呼べないなら、トム、おまえだってここで爆死することになるぞ」
俺はトムを見つめた。
彼の意図がどこにあるのか、それを探りたかった。
トムの言うことが本当なら、俺はあと1時間、正確にはどんどん減っていくそれ以下の時間の中で、自分と彼とを救う術を見つけなくてはならない。
そんなこと、できるだろうか?
「ロブ、オレはここに来てから、生きて帰ろうなんて思っちゃいないぜ」
「何て言うかさ、オレはおまえに分からせたかったんだよ」
「積年の恨み? とかいうやつをさ」
「だからって、自分まで巻き添えにするのは頭のいいやり方じゃないと俺は思うけど」
「カカカッ、仕方ねーよ……オレ、学校行ってないし」
「ろくでもない奴らから、爆弾作りを覚える脳味噌くらいはあったみたいだけどな」
トムは自嘲して笑うと、また先ほどの椅子に腰掛けた。
彼のすぐ隣の床に、黒い爆弾が無造作に置かれている。
まるで誰かが置き忘れた、何の変哲もない荷物のようだった。
「さっきおまえ、恋人に手を出すなって言ったよな?」
「それって、オレがおまえ憎さに、おまえの大切な物を壊そうとしてるって考えたんだろ?」
「実際、そうやって復讐を果たす奴は多いだろうけど……」
「……何が言いたい?」
「いや、勘違いさせとくのは申し訳ないなって思っただけだよ」
「結果はどうあれ、昔は仲良くやってたしな」
「オレは、おまえの大切な物に興味はない」
「今後、あの女に何かするなんてことは絶対にない」
「オレが望むのは、ただおまえが、ここで死んでくれることなんだ」
「ここで死んで、もう彼女のために何もしてやれなくなることを望んでる」
「そんでその現実を突き付けられたおまえが、その真意に気付いて苦しむ様を見たい」
トムはゆっくりとした口調でそう言うと、急に口をつぐんだ。
俺の顔をじっと見て、俺に言葉の意味を考えさせようとしている気がした。
彼が俺を殺したがっているのはよく分かる。
ただそれは、憎さからくるシンプルな思いじゃない。
彼は俺が死に、エレンの傍から永遠にいなくなってしまうことが望みなのだ。
そのことを俺が自覚し、それに苦しむ様子を見たがっている。
「……あの女にもいろいろあったんじゃないか?」
「人間の女ってだけで、生きやすくも生きにくくもある世の中だからな」
「あんないい女だったら、なおさらそうだろ」
トムの目が、俺の心の中を探っているように思えた。
俺が思い浮かべたエレンの過去を、見透かされているようにも。
「オレの母さんもそうだったよ」
「あの人は女だからオレを食わせることも出来たけど、結局女だったから死ぬことになったんだ」
「ゴミの臭いが充満する路地裏で、ボロボロの体を隠すことすら出来ずに」
「オレは思うんだよ」
「死ぬ間際、母さんは何を考えたんだろうって」
「死への恐怖だったかもしれないし、クソッたれな人生へのいら立ちだったかもしれない」
「でももしかしたら、残していくオレのことだったかもしれない」
「自分が死んだその一瞬後からオレがどうなっていくのか、そのことへの心配だったんじゃないか?」
「そういう気がしてならないんだよ」
「だからオレは、おまえにも同じ気持ちを味わわせてやりたいと思うようになったんだ」
「大切な誰かを残して死んでいく気持ち」
「その誰かのためにもう何も出来なくなってしまうことを、心の底から無念に思う気持ちをな」
「なあロブ、苦しいか?」
「おまえはもう、あの女を守ってやれなくなる」
「愛してやることもな」
「おまえが死んだ後、彼女にどんなことが起きても、それはもう、どうすることも出来ない」
「死んだら何も分からなくなるよな」
「だけど、その瞬間までの苦しみは、永遠にもなる」
トムの抱えていた思いを知り、俺は愕然とした。
彼が俺に味わわせたいと思う恐怖は、彼の望み通りに俺を支配し始めていた。
憎しみがそのまま俺に向かって来て、殺されるのは嫌だった。
今までの俺なら、それでも仕方ないと思ったかもしれない。
でも、今の俺にはエレンがいる。
守っていきたい、大切な人がいる。
自分が誰かに憎まれるような獣だったにしても、彼女の元を離れるわけにはいかないんだ。
だからこそ、トムが俺に求める償いは、俺をこれ以上ないくらいに苦しめる。
自分の犯した罪で、俺は結局、エレンのことまで不幸せにしてしまう。
彼女がまた、昔のような境遇に陥るとは考えられない。
今の彼女には味方も多いし、俺がいなくなってしまっても、きっと大丈夫だと思っている。
でもその未来に、保証はないんだ。
何がどうなって、彼女がまた、体の大きな獣に囚われ、死ぬより辛い目に遭わないって保証はない。
人間はそれほどまでに、生きるだけで危うい橋の上を渡っている。
保証があるとすればそれは、俺が生きて、彼女の傍にい続けることしかない……。
その思いに至った時、身を裂くような絶望に襲われた。
心は生きたい、生きなければと叫ぶのに、頭は考えることを早くも放棄してしまっている。
俺は今、静かな動揺に飲まれていた。
「昔の友達のよしみで、最後に教えてやるよ」
「爆弾の解除方法が、たったひとつある」
「な……!?」
「箱から、赤い線と青い線が出てるだろ?」
「時間内に、そのどちらか正しい方を切ればいい」
「よくある、簡単な解除方法さ」
「ただし、どちらを切ればいいのかは、誰にも分からない」
「赤か青か、答えは爆発の瞬間まで常に変動する仕掛けになってる」
「専門知識はいらないが、驚異的な運が必要ってことだ」
トムは椅子から立ち上がり、ズボンに付いていた皺を伸ばした。
しばらく黙っていたけど、やがて顔を上げる。
「最後に、ゲームしようぜ」
「子どもの時、よく一緒に遊んだよな」
「あれからもうずいぶん経っちまったから、今度はちょっと頭を使う、大人のゲームってとこだな」
スーツの胸に手を入れ、トムはそこから拳銃を取り出した。
それを真っ直ぐ、俺に向ける。
俺の喉が、ごくっと無意識に音を立てた。
「ロブ」
「オレ、おまえのこと好きだったよ」
「好きだから、許せなかったんだ」
「じゃあな、頑張れよ」
そう言うや否や、トムは引き金を引いた。
銃口を、自分のこめかみに当てて。