シローさんの彼女
自分を狙っているらしい相手がトムだという確信を抱き、ロブは追い詰められる。
エレンに会えない日々の中で煮詰まっていく彼を、先輩のシローが外に誘って……。
やっぱり、トムだった。
ムースは俺の出した情報で、見事現在のトムについての情報を引き出してきた。
休み明けに出社した俺は、朝一番で彼からトムについてのファイルを受け取ったのだった。
そこには俺との一件が原因で村を出て、それから今に至るまでのデータが記されていた。
「まあ……データに起こしてはみたんですが……実際、よく分からない部分も多くて……」
「ただ……ロブが言うのに高確率で適合するのは……おそらくこの人物だと思われます……」
出生地、不明。
父親、不明。
12歳(推定)の6月より、田舎町にあるホテル『アム・ホーフ』に母親と住み込む。
同8月、村を出る。
空白、空白、空白。
19歳(推定)、過激犯罪組織に爆弾の提供。
20歳、シティーショッピングセンター爆破未遂事件の重要参考人として浮上。
「爆破未遂?」
「これってもしかして、あの隣町のショッピングセンターに爆発物が仕掛けられたっていうあれ?」
「……そう、です」
あれは確か、俺が大学に行くために町に出るかって時に話題になった事件だった。
今からもう、5年も前になる。
俺が住む予定のウエストシティーの隣だっていうんで、母さんがずいぶんと心配していたのを覚えている。
このムースの情報が確かだとしたら、トムはかなり前から、俺の傍にいたことになる。
俺の存在を知ってのことか知らずのことか、それは分からない。
「この情報から見ると……トム、彼には爆弾を作る技術があるってこと?」
「そうですね……若干19歳で過激派組織のお抱えになったって話もありますし……」
「あのショッピングセンターに仕掛けられたブツも、仮に爆発していたら被害は甚大だろうって言われてましたからね……」
トム。
爆弾。
ホテルのカフェで会った時、俺は彼の顔を見ることが出来なかった。
おそらく今25歳になっている彼は、どんな顔をしていたのか……。
昔一緒に遊んだ時に彼が見せた、人懐っこく屈託のない笑顔を思い出す。
そんな彼が爆弾を作り、オオカミの皮を被ってうろつくような、あんな人間になってしまったとは信じたくなかった。
そういう思いが頭をかすめる度、もう1匹の俺がやかましく言う。
忘れるな、その引き金を引いたのはおまえなのだと。
俺はエレンと出会って、彼女が受け入れてくれたことで救われた気持ちになっていた。
でもそれはただ問題を暗がりに押し込んで見えなくしていただけであって、本当は何も解決してやしなかったんだ。
エレンと過ごした時間を、悔いるつもりはない。
彼女と出会わなければ、きっと今の俺はない。
それでもやっぱり、自分の犯した罪から目を離してしまったのは事実だった。
あれだけ日々苦悩の中に見ていたトムの顔を、俺はいつから見ないようになったのか……。
彼は今も、間違いなく俺を恨んでいる。
カフェで言ったように、あの夏の日を今でも覚えている。
俺は顔にこそ出さなかったけど、とてつもなく追い込まれていた。
こういう時にエレンという心のより所なしに、1匹きりでどうすればいいのかまるで分からなかった。
誰が俺を狙っていても構わない。
ただそれが、トムであってほしくはなかった。
俺はいつしかまた、あの夏の日に引き戻されるのだろうか。
*
『たまには出て来ないか?』
『実はさ、紹介したい子がいるんだよー』
シローさんが馬鹿みたいに明るい声でそう電話してきたのは、憂鬱な休みの前日だった。
俺を狙う相手がトムと分かって以来、俺は前にも増してホテルに引き籠るようになった。
時間があればネットを検索し、何とかトムの足跡をたどろうと躍起になっていた。
そういうわけで、シローさんにそう誘われても、まったく乗り気にはれなかった。
俺はオフィスで平静を装ってはいたけど、実際はめちゃくちゃだった。
そんな俺のことを、彼はきっと心配してくれているに違いない。
街に出れば、もしかしたら何か新しいヒントが見つかるかもしれない。
俺はそう思い直し、気乗りしないままでも、とりあえずOKしたのだった。
『8時半でいいか?』
『場所はセントラルパーク近くの広場ね、よろしく!』
そんな時間に集まるってことは、大方飲みにでも行くんだろう。
シローさんの紹介したい子とやらも、きっと一緒に。
何だか、もやもやした気持ちが収まらなかった。
シローさんの指定した時間と場所に、俺は遅れることなくたどり着いた。
広場にある噴水のへりに腰かけていると、誰かにポンと肩を叩かれる。
振り返ると、シローさんだった。
隣に、黒い巻き毛をしたメスの羊を連れている。
「よ、待たせたな!」
「いえ、今来たとこです」
俺の声に、羊がひくっと体を震わせた。
相手の顔は毛でよく見えないけど、羊とオオカミは正直言って相性がいいとは言えない。
シローさんも、何を思って彼女を連れてきたんだか。
「あ、この子ね、ラムちゃん」
「おまえにも紹介したくてさあ、連れて来たんだよ」
「はあ……」
「あっ、オレ、何か飲み物でも買って来るわ」
「ラムちゃんは、ロブとそこで待ってて」
「じゃ、ロブ、よろしくなー」
ぶんぶんと手を振り回し、シローさんはどこかへ行ってしまった。
おいおいおいおい、一体何だってんだ。
飲み物買って来るとか、ここでビールでも片手に駄弁ろうってこと!?
そもそも、黒羊のラムちゃんはどうするんだよ。
大きなオオカミと2匹きりなんて、絶対怖いに決まってる。
こういう訳の分からないことするから、シローさんはすぐにフラれるんだってば……。
黒い羊の子はしばらく何も言わずに、ただ俺の隣に行儀よく座っていた。
並んで腰かける俺たちの距離は、手の平1枚分くらいしか離れていない。
こんな近距離じゃ彼女も気づまりだろうと思って、俺はそれとなく腰を浮かせ、彼女と距離を取った。
いつもなら、相手に気を遣って何か話しかけたかもしれない。
今は残念だけど、そういうことを考える余裕がない。
やっぱりホテルにいればよかったという思いから、俺は彼女に、反射的に背中を向けてしまっていた。
「……少し、痩せた?」
「え」
黒い羊のその声に、俺は耳を疑った。
いや、でも、聞き間違えるはずはない。
あの雨の日に初めて聞いてから、ずっと俺の傍にあったあの声。
ずっと……。
振り返ろうとした俺の背中に、黒羊がぎゅっと抱きついた。
揺れた毛の中から、かすかに香る彼女の匂い。
「久しぶりだね、ロブ」
俺の背中に顔を擦りつけて、絞るようにエレンはそう言った。