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こぐまのウーフー①

とある金曜日、仕事を早上がりして来たロブは、エレンが連れ帰った子グマと出くわす。

その子はベアンハルトの知り合いの子で、週末いっぱい預かることになっていて……。

鍵を開けて、部屋に入る。

金曜日の午後3時過ぎ。

エレンはもちろん帰って来ていない。


ラフな部屋着に着替えて、湯を沸かしてコーヒーを淹れた。

ソファに深々と座り込むと、はあーっと大きな溜息が出た。


何か気掛かりなことがあってってわけじゃない。

これは、安堵の溜息だ。


休める時に休むというのが、ドミニクの信条だった。

特に立て込んでいる仕事もないウィークエンド、彼は珍しく俺を早上がりさせてくれた。


珍しいことに輪をかけて、土日も休み。

ここ最近はずっと忙しく、エレンともろくに週末を過ごせていなかった。


一緒に住んでいるので、顔を合わせないなんてことはない。

だけど予定を入れようにも入れられずで、ずいぶんとつまらない思いをさせてしまったはずだ。


コーヒーを一口飲むと、俺は考えた。


金曜日の晩からフリーなんて、まるで学生時代に戻ったみたいだ。

何をしよう。

やりたいことは、山ほどある。


週末はずっと天気がいいらしいから、ランチでも持ってどこかにピクニックに行ってもいい。

この週末には、ベアンハルトさんたちも旅行に行くらしい。

なので、エレンも確実に休みなのだ。


土曜の前に、まずは今日だよな。


まず夕食を食べて、それから一緒にシャワーを浴びる。

久しぶりにバスタブに湯を張って、その中でイチャイチャするのも捨てがたい。


リラックスした気分で、彼女とベッドに潜り込む。

エレンの体からは、湯上りの温かくいい匂いがして……。

それで、俺は……。


日頃の疲れが出たのか、俺はうとうとし始めた。

もう、またこんなところで居眠りしてたの?

帰って来たエレンが、そう優しく声を掛けてくれるのを期待して。



どれくらい寝てたんだろう。

まだはっきりとしない意識の中で、誰かが部屋の鍵を開けた音を聞いた。

誰かというか、間違いなくエレンだ。


次いで、バタバタッという足音。

それが一度は止んで、今度はこちらに近付いて来る気配がする。


俺は思った。

きっとエレンは、ソファで寝ている俺を見つけてちょっと驚いたに違いない。


それで今度は俺を驚かせようと、こっちに来るつもりなんだ。

もう帰って来たの? とか言いながら。


彼女が近付いたのを見計らって、俺はガバッと跳ね起きる。

それで、逆に彼女をびっくりさせよう。


もう、起きてたのね!

オオカミなのに、タヌキ寝入りするなんて……。


エレンはそんな風に怒ったふりをして、それで笑うんだ。

考えるだけで、幸せな気持ちになれる。


「ふ、ぐおっ!!」


俺の幸せな妄想は、突然腹の上に生じた衝撃によって木っ端みじんになった。

まるで、ドミニクから不意のパンチを食らったような感じだった。


「な、ちょ」

「エレ」


エレン、いくら何でもやり過ぎだよ。

腹に重い痛みを抱えて、俺はやっと目を開けた。


「おじさん、誰?」

「は?」


そこにいたのは果たして、エレンじゃなかった。

真っ黒いコロンとした小さな塊が、腹の上に乗っかっている。

俺は、夢でも見てるのか?


「ウーフー!」

「ロブ、大丈夫?」


エレンの声に、その塊は俺から飛び降りた。

トテトテッとエレンに走り寄ると、その足元にぴたっとくっ付いた。

よくよく見れば、それはクマの子だった。


「帰ってたの? 今日は早いのね」

「え、あー、うん」

「てか……誰?」


クマとエレン。

よく見る、組み合わせではある。


「紹介するわね」

「彼、ウーフーっていうの」


「ウーフー、彼はロブっていうのよ」

「仲良くしてね」


エレンを介して、俺とそのクマの子は対面した。

ウーフーとやらはエレンの脚にしがみつき、警戒するような目でこちらを見ている。


その頭を撫でながら、怖くないよとエレンが言う。

誰かに怖がられるのも、何だか懐かしいな……。


「えっと……その小さなお客さんはどういうわけ?」

「全然飲み込めないんだけど」

「ごめん、そうよね」


「彼はね、ベアンハルトさんのお友達の子なの」

「この子の両親が病気になって……何でも、クマだけが罹るインフルエンザっていうのがあるらしくて」


俺はふんふんと話を聞いていた。

その間も、クマの子は俺を凝視している。


「それでベアンハルトさんちにこの子の世話を頼みたかったらしいんだけど、ほら、明日から旅行でしょ?」

「彼らもずっと楽しみにしてたから、キャンセルさせたくなくて……」


「週末だけ、うちで預かることにしたの」

「……ダメだった?」


エレンは、上目遣いに俺を見た。

ダメだったかダメじゃなかったかと言えば、気持ち的にはダメだ。


ただ、俺は大人なので、ゴネるような真似はしない。

心の中では、そんなの嫌だとワアワア言いながら転げ回っていたとしてもだ。


「あ、そうなんだ」

「まあ、仕方ないよな」


あからさまな作り笑いを浮かべ、俺はソファから立ち上がった。

何となく足元がふらつく気がするのは、こんなところでうたた寝をしたせいに違いない。


「ウーフー、よろしくな」


エレンにぴったりとくっ付く塊に、俺は屈んで手を差し出した。

俺の手を握り返す代わりに、彼はべえっと舌を出して見せた。

前途多難とは、まさにこのことだろ……。



最初の難関は、まず夕食の時に訪れた。


キッチンのテーブルには、ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、フェイクミートのパックがある。

これで出来るものといえば、あれしかない。


「オレ、カレーきらい」

「だって、辛いんだもん」


カレーライスでいい? 

エレンのその案を、クマっ子は即座に却下したのだ。


カレーが辛いって……。

じゃあ、甘口を食べたらいいじゃないのさ。


「じゃあ、ウーフーは何がいい?」

「シチュー!」

「白いのがいい!」


こうして、夕食のメニューはシチューになってしまった。

俺はというと、けっこう大きなショックを受けていた。

嫌いではないけど、俺はカレーの方が圧倒的に好きなんだ。


もちろん、そんなことで俺はゴネたりはしない。

やっぱり心の中では、カレーがよかったあ~なんて、ワアワア言いながら駄々をこねていたとしてもだ。


「おいしい!」


クマの子ウーフーは口の周りを白く汚し、シチューをかき込んでいる。

要望が聞き入れられたんだ、そりゃシチューは旨いだろう。

俺はむしったパンを口に押し込みながら、エレンの隣に座るクマの子を眺めていた。


俺の災難は、カレーがシチューになっただけでは終わらなかった。


「え、俺が風呂入れるの?」

「よく考えたら……その方がいんじゃないかって思ったのよ」

「ほら、むやみにわたしの体を見せて、怖がらせてもよくないでしょ?」


それはそうかもしれない。

ウーフーは、5歳そこらの子どもだ。

エレンの体に残る傷跡は、彼に見せるには刺激が強過ぎるかもしれない。


そういうわけで俺は、今日会ったばかりのクマの子と風呂に入ることになった。

バスタブに溜まっていく湯と同じように、エレンと入浴するという俺の儚い夢も弾けて散ったのだった。


何、クマっていっても、相手はまだ小さな子どもだ。

子どもを風呂に入れた経験はないけど、どうってことないだろ。


泡風呂にして、その中で揉みくちゃにして洗ってやればいい。

最後に石鹸を流して、後はタオルで拭くだけだ。

何も、難しいことはない。


俺は、自分自身にそう言い聞かせた。

しかし、事態は思ったより深刻だったのだ。

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