ミート・ザ・ペアレンツ③
母と息子の重苦しい喧嘩に割って入ったのは、意外にもエレンだった。
彼女は喧嘩するロブと母親を見て、ハンナとのことを思い出したと言って……。
「いえ、あの……すみません」
「こういう喧嘩を見るのは初めて?」
「あの、それもあるんですけど……何て言うか、羨ましくて」
「羨ましい?」
突然父さんに話しかけられたエレンは、はにかんだように頬を赤らめながら続けた。
こんな時に何だけど、その様子も大変可愛い。
「わたし、訳あってオオカミに育てられたんです」
「ほお?」
「彼女、ハンナっていうんですけど、わたしもいつか、彼女とこんな喧嘩をしたのかなって」
「ハンナは、病気で亡くなってしまって……もう何十年も前の話ですけど」
「わたしがハンナにロブを紹介したら、彼女はどんな風に言っただろうって想像してたんです」
「喜んでくれたか、それとも、止めておきなさいって、怒ったのかなとか」
「ロブとお母様のやり取りを見ていたら、そんなこと考えてしまって」
「このティータイムもそうです」
「こんなに素敵なカップも、美味しそうなお菓子も、ハンナとの時間にはなかったけど」
「それでも、彼女と過ごしてきた時間は楽しかった」
「もし彼女が生きていたら、わたしがこんな風にお茶の用意をしてあげて」
「テーブルに花を飾ったり、美味しい紅茶を淹れてあげたりして」
「前よりずっと年老いた彼女と、また違った時間を過ごせたのかなって」
「ふと、そんな空想をしたら、何だかすごく幸せな気持ちになりました……」
そこまで話すと、エレンは椅子の上で縮こまった。
俺は思わず椅子から浮かしかけていた腰を再び下ろし、彼女の横顔に見入った。
俺と母さんの間に散った火花は、彼女の話ですっかり消えてしまったみたいだった。
「……このクッキーは、昔からロブのお気に入りなのよ」
「お土産に持って帰れるよう、明日の朝、一緒に作りましょう」
母さんはそれだけ言うと、紅茶をぐっと飲み干した。
次にどんな言葉が続くのか、俺は固唾を飲んで見守る。
「あなたのお母様、ハンナのことは残念だったわね」
「ええ……」
「もしかしたら」
「あなたがハンナとやりたいと思っていたことを、わたしと出来るかもしれないわ」
「え?」
「わたしずっと、女の子が欲しかったのよ」
「テーブルに花を飾ったり、美味しい紅茶を一緒に楽しめるような女の子」
「夫と息子じゃ、物足りなかったのよ」
母さんはそう言うと、ニヤッと笑ってみせた。
それは俺が今までに見たことのない、やけに子どもっぽい表情だった。
「母さん、それって」
「ロブ、わたしは今、エレンさんと話しているのよ」
ぴしゃりと言われ、俺は黙るしかない。
その様子を、父さんがニヤニヤしながら見ているから堪らない。
「エレンさん、さっきは悪かったわね」
「あなたのことは、よく分かりました」
「ロブを、息子をどうぞよろしく」
そう言って頭を下げた母さんに、エレンはにっこりと微笑んだ。
ティータイムのテーブルに新たな絆が生まれ、テーブルの花を愛でたり、美味しい紅茶に興味のない俺と父さんは、外野のようになってしまったのだった。
*
その日は一泊して、翌日の列車で帰ることにしていた。
朝目覚めてキッチンを覗くと、昨日の約束通り、エレンと母さんはクッキー作りに勤しんでいた。
寝起き顔でぼんやりとその様子を見ていた俺を見て、1人と1匹は顔を合わせて笑うのだった。
彼女たちはいつの間にかエレン、アンゲリカと呼び合う仲となり、いつの間にそんなに親睦を深めたのかと驚かされた。
洗面所で顔をバシャバシャと洗っていると、いつしか俺もニヤニヤと笑い出してしまっていたのだった。
エレンと俺の仲は、とうとう両親公認のものとなったのだ。
父も母もエレンのことを気に入ってくれたし、本当によかった。
思い描いたような結果に収まり、俺は嬉しかった。
これでもう、何があっても大丈夫だと思えた。
エレンの居場所は、これでまたひとつ増えたのだ。
一時はどうなるかと思った恋人紹介という試練も、結果は大成功に終わった。
帰りの列車に揺られながら、俺はこの上なく満ち足りていた。
「アンゲリカ、次に帰った時にはハーブティーの作り方を教えてくれるって」
「母さん、そういうの好きだから……一緒にワイワイ出来る相手が見つかって、とにかく嬉しいんだよ」
「ねえ、ロブ」
「ん?」
「何で、急にわたしをご両親に紹介しようと思ったの?」
「何でって……」
俺は、あの病院での朝を思い出していた。
みんなが帰った病室で1匹、今ここに生きていることをものすごくありがたく思ったのだった。
それは自分が生きていたことに対してもであったし、生きて、エレンの傍にいてやれることに対してもだった。
「両親には、俺が心から大切に思うきみって人がいることを知ってほしかったんだよ」
「それに、味方は大いに越したことはないって思ったんだ」
「味方?」
「うん……俺、怪我して考えたんだ」
「今回はこの程度で済んだからよかったけど、いつ、命に関わることになるかもしれない」
「本当に、死ぬことだってあるかもしれない」
「ロブ……」
「分かってる、分かってるよ」
「もちろん、俺だってそんなことになったらやだよ」
「だけどさ、本当にどうしようもないことだってあるわけじゃない?」
「……ハンナの時みたいに」
「そうね……」
「そうなった時、俺に万が一のことがあった時、きみを受け入れてくれる味方を増やしておきたかった」
「きみが食い物なんかにされないように、俺の代わりに守ってくれる誰か」
「そう考えた時、俺の両親ならって思ったんだよ」
ちょっとキザ過ぎたかなと思った時、向かいの座席に座っていたエレンが俺にしがみついた。
何って聞く前に、唇で唇を塞がれる。
俺から離れた彼女は、本当に嬉しそうな顔をしていた。
「ありがとう、ロブ」
「うん……」
「ちょっと待って?」
俺は座席から身を乗り出すと、車両の中を窺った。
幸い、今は他に誰も乗っていない。
見られる心配がないことを確認した俺は、彼女を膝の上に抱き上げた。
他の乗客がいないのをいいことに、堂々とイチャつくことにしたのだった。