#3 鈴/年齢不明/異形の者(祟り神種)
……あら、お兄さん。こんにちは。いつもありがとうねぇ。
お仕事とはいえ、こんなお婆ちゃんのところに毎日通うのは面倒くさいでしょう? うふふ、何かおもてなしでもできればいいんだけど……。もう体が言うことを聞かなくてね……。ごめんなさい。
まぁまぁ、優しいのねぇ。でも私が若く見えるのは、これが借り物の顔と体だからで……。中身はあなたよりうーんと年上なんだから。もう自分が何歳なのかわからないくらい長く生きててね……。あなたも知っているでしょう?
うふふふ、そんな必死になって謝らなくてもいいわ。あなたに悪気が無いことはわかるもの。
――でもそうねぇ、私は気にしないけど、他の人には言わないほうがいいと思うわよ。外側の見た目が変わらないことに、劣等感を持つ異形もいるからね。
――ええ、そうしたほうがいいわ。あなたがこれからも|《機関》《ここ》で働いていくつもりなら。
……それにしてもいいお天気ね。あなたが来るまですっかり熟睡してたわ。
気づいたら寝てしまっていたの。……最近どうも眠たくて。なるべく起きていようとは思うんだけど……。抗えないのよ…………。
…………。
ねぇ、お仕事をしているあいだだけでいいの。少しの時間、お婆ちゃんの昔話を聞いてくれないかしら?
次にいつ眠り……、いつ起きられるのかわからない……。もしかしたら、もう起きることは無いかもしれない……。
だから話ができるうちに、誰かに思い出話を聞いてもらいたいのよ。
――……ありがとう。それじゃあ早速聞いてちょうだい。
二十年ほど昔の話よ。
当時私はまだ外にある、東京からだいぶ離れた山里で暮らしていたの。
里――とはいっても、もうほとんど山だったわ。周りに民家は一軒も無かった。三十分くらい歩かないと他の家には辿り着けないくらいの僻地だったわ。
うふふ、驚いた? たった二十年前でも、そんな場所はまだあったのよ?
まぁでも、これには理由があって――……。私を拾った男は、里の人から嫌われていたから。離れた場所に暮らすしかなかったの。
――ええ、そうよ。私は昔、人間と暮らしていたの。
きっとひとりで暮らすのが寂しかったんでしょうねぇ。あの当時に異形の者を受け入れるだなんて……。相当変人よ。
しかも私の本性は……。あなたはきっと見たことあるわよね? 資料が作られているはずだから。
――うふふ、恐ろしかったでしょう? あんなのと暮らそうと思うなんて……。あの男、相当限界が近かったのね。
――男と暮らす前?
さぁ……、忘れちゃったわ。ひとりで生きていたのは確かだけど……。何をしていたかまではもう、ね。
とりあえず私は、人間に嫌われた人間と暮らしていた。
だけどね、それもすぐに終わったわ。
男に流れる時間は私にとってはあっという間……。
――そう。男は老いた。気づけば、死はもう目前に迫っていた。
困っちゃったわぁ、私。これまでは男と私の利害が一致していたからなんとかなっていただけに……ねぇ。
――あのね、私は人間を食べることはもちろん、襲うことも嫌なの。
そんな私が男と出会う前、この人の世で……どうやって生きていたと思う?
ふふふ……。答えは人が死んだばかりの家に忍び込んで……遺体からちょっと、ね。
まぁでも、周りに山しかなくて、人より獣のほうが多いような土地だったから。そうそう食事はできなかったわ。
だから、私はいつも飢えていた。
でも男はね――それを解消してくれたのよ。
寂しさをごまかすためなら、多少の血を化け物に捧げるくらいは平気だったみたい。男と暮らすようになってから、私は定期的に食事にありつけるようになったの。
私は男の寂しさを埋め、男は私の渇きを癒す――。
そうやって上手くやっていたの。
だけど、それはどちらかが死ねば崩れてしまう危ういものだった。――私は男が死にそうになって初めて気がついたのだけれど。
『この生活ももうすぐ終わる――』
『私はこの男が死んだら、どうやって暮らしていけばいいんだろう』
『人間なんて襲いたくないし、食べたくもない』
『だけどこのまま男が死ねば、いずれは人を襲わねばならない』
『そうしなければ、私が死んでしまう――』
焦ったわ。だけど人の世の仕組みなんて何ひとつわからない私ができることなんて何もなかったのよ。
そしてついに、ある日男は病院に行くと出て行き――帰ってくることはなかった。
男は家を出る直前、いつもより多く血をくれたわ。だけど当時の私は常に本性の姿のまま過ごしていたから。燃費が悪くてねぇ……。
すぐに渇いて渇いて仕方なくなって……。
嫌だなんて言っていられない、人のいるところに向かわなければと――覚悟したわ。
――そんな時だったの。
『君が鈴くんかい?』
あの人が、男の代わりに私と男の住む小屋を訪ねてきたのは。
男はねぇ、自分の死期が近いことを悟ってから、いろいろと手を回していたみたいなのよ。ひとり残される私がこれからも生きていけるように……ってね。
そうしてやってきたのがね……あの人なの。
あの人は、自分は探偵だと言った。
『探偵って……なに?』
人の世のことは男との生活しか知らなかった私は、退魔の者が探偵などと呼ばれている今の世のことを知らなかったの。そうしたらね、あの人は――。
『探偵は、人間と異形が一緒に暮らしていけるよう手助けをする者だよ』
『君のこれからのことを頼まれたんだ。――鈴くん、一緒に東京に行かないかい? そこで君が生きていくためのすべてを教えよう』
そう言って、私に手を差し伸べてくれた――。
私は彼の手を素直に取ったわ。今思えば……一目惚れしてしまったのよ、きっと。
昔の私は人の美醜がよくわからなかったけど、それでもあの人の逞しさや、溢れ出る生命力は……とても、とても魅力的だったの。いつも一緒にいた男はみすぼらしくて、生気が無くて……、恩知らずなことをいうけど、血も不味かった。
ああ、あの人と男を比べるのはかわいそうだわ。だけど、勝負にならないくらいあの人が素敵なんだから仕方ないかしらね。
――あら、ごめんなさい。話が脱線したわ。
つまりそういう経緯で、私は東京に――|《機関》《ここ》を訪ねることになったの。
あの人は約束通り、私にたくさんのことを教え――そして与えてくれた。
まずは顔と体。
これがあるだけで、ずっと重苦しく感じていた人の世で息がしやすくなった。――ああ、もちろん善意で異形に姿を貸してくれている方の血を飲んだのよ。《機関》は今も昔も、異形が人の世で生きていくことを支えている……。ありがたいことだわ。
それから次に、人の世で暮らすための約束。
あの人は多忙だったから、ほとんどの知識は《機関》の人間が教えてくれたけど――……。
それでも時々訪ねてきては、人と共に暮らすのに必要なことを教えてくれたの。
しかもね、その時は必ず私を人間のお姫様みたいに大切に扱ってくれて……!
……嬉しかったわ……!
私はね、あの人に優しくされることで人間を知り、人間みたいになっていったのよ。
ふふ……。変な顔してるわねぇ。
いいのよ、わかるわ。あなたが資料で読んだ私の経歴と違うって思っているのでしょう?
――安心して。このあと、あなたが知っていることが起こるから。
そうよぉ、それよぉ。
うふふ……。人間の子供をね……襲っちゃったのよねぇ、私。
本当に馬鹿よねぇ。
でもね? あの時はそうせずにはいられなかったの。
私はあの人にとっても可愛がられていて――。
あら、本当よ。あの人の紹介でここに来た異形は他にもいたけれど、その中でも私が一番目をかけられていたんだから!
――だから、私があの人を特別に思うのも当然よね?
それなのにねぇ……。あの時は参っちゃったわ。
あの人ったら、私と距離を置こうとするんですもの。だから仕方ないわよね。
あの人の大事なものを奪おうとするのは当然のことよね。
うふふふふふふふふ。まぁ、そんな顔をしないで? 今は悪いことをしたってわかっているから……。
ええ、その通り! 私はあの人の子供を殺して、成り代わろうとしたの!
あの人はねぇ、身寄りのない子供を引き取って育てていたのよ。優しいわよねぇ。人格者よねぇ。そんな人に育てられるってなんて素敵なことなんでしょう!
しかもあの人は、その子供を自分の助手に育て上げようとしていたみたいなの。
だからでしょうね、あの人がここに来る時はいつもあの子がくっついて来ていた……。
素晴らしいわ! 最高だわ!
あの人に成長を見守ってもらえる! 頼りにしてもらえる! ずっと側にいられる!
ああ……、文句なしの人生よ……。
あの人に期待され、手取り足取り指導されるなんて……。
……羨ましいったらありゃしないわ。
ええ、私、あの子供がとっても羨ましかったの。
だから私――――。
あの人の隙をついて、こっそり子供に噛みついたの。
うふふふ、馬鹿よねぇ。当然のごとくすぐに気づかれて――私、あの人に殺されかけたわぁ。
一生懸命謝ったから、本当に殺されはしなかったけど……。
代わりにあれから今に至るまで、この隔離部屋に閉じ込められることになっちゃったわね!
うふふ! ほーんと、やらかしちゃったわぁ。なんだか気持ちが昂って、気づいたらやってたのよねぇ。
やるなら上手くやるべきだったわよね? そうねぇ……。今なら多分、もっと上手にやれると思うけど。
――あら、お仕事はもう終わりなの?
そう……。じゃあこのあたりでお話は終わりね。
ええそうよ。あれは私の初恋ってやつだったのよ。
愛していたのよ……。ううん、今も愛してるわ……。
――見て。そこの机の上にお花があるでしょう? あれはあの人が贈ってくれたものなの。
私が事件を起こしてからもう長い時間が経ったわ。だけど今でも四季が変わるたびお花をくれるのよ。
人間って、お花に意味を付けて、好意を持っている相手に贈るものなんでしょう?
うふふ……。あれからあの人は何の言葉もくれないし、顔も見せてくれないわ。だけど……、これだけで私、とっても満たされるの。
ああ……。行っちゃうの?
じゃあ最後にひとつ……お願いがあるの。聞いてくれる?
――ありがとう。お願いっていうのはね、私が死んだら……爪でも髪でも骨でもなんでもいい。
私の一部を、あの人に渡してほしいの。
あの人が誰か……。あなたにはもうわかっているでしょう?
……あの人はこれからもきっと、険しい道を行くでしょうね。できることなら私、あの人の歩みを助けてあげたい……。
だけど私は生きているかぎりこの部屋から出られない……。でも死んだあとなら……。
……私の体が死んだあとも残るかはわからないわ。他の多くの異形のように、煙みたいに消えてしまうかも。
でも……、もし残るのであれば……!!
――……ありがとう。ずっと誰かにお願いしたかったの。あなたに伝えられてよかったわ。
それじゃあ、またね。
さようなら――。
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「おはよう。そういや隔離部屋の女、今朝亡くなったそうだよ」
「え……? そうなんだ……。死因は?」
「んー……。詳しいことはこれからだけど、あの人、ここ数年血液の摂取を拒んでたろ? 多分、それ」
「あー……、やっぱりそうか。目に見えて弱ってたもんな……」
「な……」
「あ、そういえば、ご遺体は……。あの人、体は残って……」
「無かったらしい。初めは脱走かと思って調べたけどそんな形跡はなくてさ、カメラを確認したら蒸発するように消えてたって」
「……そっか……。何も残らなかったか」
「それがどうかしたのか?」
「いや、別に……。ところでこの話、探偵協会の会長さんにはもう?」
「連絡がいってると思うよ。――ああ、確か会長があの女をここに連れてきたんだっけ?」
「うん……」
とある《機関》に務める青年は、同僚から顔を逸らすと、ぽつりと呟いた。
「――可哀そうな人だ」