#1 宮前優花里/19歳/人間
私の好きな人は、アイドルだ。
冗談じゃない。本気で言っている。私はいわゆる、『ガチ恋勢』というやつなのだ。
私の恋のお相手は、今を時めくアイドル――KEIくん。
アイドルと言っても、アイドルらしい活動をしていたのはデビュー直後の話で、今では俳優として活動している姿のほうが有名だ。
彼が歌って踊っていたのはデビューから一年ちょっとのあいだだけだし――その時は全然売れていなかった。
実は私も、彼がアイドルグループに所属していた当時は、彼のことを知らなかった。私がKEIくんの存在を知ったのは、彼が俳優活動を主にしてからなのだ。
今でもあの時の――……。彼との出会いは、はっきりと思い出せる。
私は朝ご飯を食べながら、つけっぱなしになっていたテレビをぼーっと眺めていた。
流れている朝の情報番組では、芸能ゴシップだとか野球の試合の結果だとか、興味は無いけれどBGMにはなるかな程度のことをやっていた。それらは右の耳から左の耳にすぐに抜けていって、内容は何ひとつ頭に残らない。
だけど――。
『それじゃあ、今回の収録で何か印象に残ったエピソードはありますか?』
『えーっと、そうですね――』
あるドラマの番宣が始まった途端、私の目はテレビに釘付けになってしまった。
な……! なんて綺麗な顔の男の子だろう――!
まず最初に目に飛び込んできたのは、彼の白に近い金色の髪だった。ひとつ間違えるととんでもないことになりそうな髪色だ……。それなのに、彼には当たり前のように似合っている。
(サラサラで、とっても手触りが良さそう……)
あれは地毛なんだろうか。ブリーチによる傷みなどまったく感じられないけれども。
それにああ――何よりも。
彼の瞳は、この世のものとは思えない美しさだった。
透き通った金色の瞳――時折光を受けて輝くそれは、まるで宝石のようだった。
馬鹿みたいだが、私はその時「この子は呪いの人形だ」と思った。
何らかの執念を持って、完璧な体を作った人形師。その人が、すべての人間を魅了してしまえと怨念を込めて一番最後に宝石を瞳としてはめ込んだ――みたいな。
「綺麗……」
私は朝ご飯を食べる手を止め、憑りつかれたようにテレビを見た。
気づけばインタビューは終わりに差し掛かっていて――ちなみに彼の顔を見るのに忙しくて、話の内容は一切頭に入っていなかった――、インタビュアーは話をまとめ始めていた。
『なるほどぉ、それは放送が楽しみですね! では最後に一言よろしいですか?』
『はい。実は、せっかくの機会ですし、言っておきたいことがあって……』
『それは?』
男の子はカメラに向かって微笑むと、静かに瞼を伏せた。私はそれを見て「わぁ、睫毛長ーい!」なんてことを考えていた。
『…………」
彼は一呼吸置くと、再び顔を上げる。そして。
『――実は僕、異形の者なんです』
はっきりとした口調でそう言った。――その瞬間、彼の右目から雫が一滴ほろりと落ちた。
『え? え? それは……ドラマの役どころの話……でしたよね?』
インタビュアーである新人の女子アナは明らかに動揺していた。
――当然だ。
人ではない、異形の存在が認知され始めたとはいえ、いまだ彼らは拒絶され、好奇の目で見られることも少なくはない。
だからはっきりと外見に特徴が表れていない異形の者は、大体が自身の種族について隠している。
まぁそれでも、海外の著名人とかはカミングアウトする人はいたりするけれど……。この国でそれを選択する人は、ほとんどいない。
でも彼は――インタビュアーの言葉にはっきりと首を振り、『僕自身のことです』と言ってのける。
『ドラマの主人公は、ありがたいことに僕がモデルなんです。今回監督から、そのことについては僕の口から言ってほしいと仰っていただけて。そのほうが僕のためにも作品のためにもなると……。僕も、僕が異形の血を引いていることをずっと黙っているわけにはいかないと思っていたので……。いい機会を頂けました』
『そう……なんですね。ええっと、つまり主人公のモデルということはお父様が……?』
『詳しいことは今後話す席を頂けるとのことですので……。ドラマと合わせて、そちらもぜひ楽しみにしていてください』
『なるほど……、それは楽しみですね……! それでは本日はKEIさんにお話を伺わせていただきました。どうもありがとうございました~!』
『こちらこそ。ありがとうございました』
インタビューはそこで終了し、スタジオにいるMCやゲスト達がインタビューについて一言二言話したあと、話題は別のものに移った。
だけど、そこからテレビの中の人達が何を話していたかは私の記憶には一切ない。
だってだって! それどころじゃなかったのだ!
「KEIくん……! かぁ……!!」
私の頭には涙で魔性の瞳を煌めかせている彼がずっと残っていて、そんなどうでもいいことに気を割く暇はなかった。
「ちょっと、優花里。ご飯まだ食べてたの? 遅刻するよ」
母に声かけられようやく私は我に返ったけれど、我に返って一番にしたことはKEIくんについての情報をスマホで調べること。
何歳で、どこの事務所所属で、これまでの出演作はなんなのか。何か記事はないか血眼で探した。
その日から私は、白狼の血を引いたアイドル――KEIくんに恋をしている。
◇◆◇
KEIくんは異形の血を引く――とはいえ、見た目はほとんど普通の人と変わらない。確かに髪の色や目の色は印象的だし、よーく見てみれば瞳孔の形も私達とは少し違う気もするが、「異形の血を引いています」と言われた時にぱっと思い浮かべる――例えばツノが生えてるだとか、鱗があるとか――そういう外見の特徴はない。
……まぁ、だからこそカミングアウト後はいろいろ言われていた。
一般的に、純粋な異形の者は見た目には人間と違いはない。
それは彼らの特異な体質のせいで――異形の者は自分の本当の姿で長時間過ごすことができず、体内に摂取した人間の姿を真似るという特徴がある――だからこそ、純粋な異形を見分けるのは、それ専門の人間じゃなければ難しい。
またそのことが――異形の者への偏見へと繋がっている。
彼らは人の姿に化けるために、人間を襲うことがあるのだ。(彼らが変化するには、人間の血肉が必要だそうだ)
そうして襲った人間に、何食わぬ顔で成り代わる。
このせいで、KEIくんはカミングアウトしてから心無い言葉をたくさん浴びせられた。
異形の血を引く人の多くは、その異形の外見的な特徴を引き継ぐことがよくあって――……。一目でそうだとわかる。
――でも、KEIくんは違った。
例えば普通に同じクラスにいたって――彼がとんでもない美形で目立つ、ということはこの場合除く――、何も言われなければきっと気づかない。
だからこそ、「KEIはミックスじゃなくて、異形の者じゃない?」とか、「誰かの顔を盗ったんでしょ」とか散々言われていた。
『異形の者は美形の顔を盗ればいいから、芸能界とか楽勝だよな』
なんて書き込みをネットで見た時は、怒りで全身の血液が湧きたった。
コノヤロー……、顔がいいだけで売れっ子になれるんなら、デビューしてすぐ売れてたわバカヤロー!! だいたい異形の者だったとしてそれだけで適当なこと言うんじゃねぇ!とスマホを見ながら悪態をついたものだ。
KEIくんのデビュー時をリアルタイムでは知らなかったとはいえ、ネットで収集した情報によって、彼のデビュー直後の苦労話に涙した私だ。そこは強く否定せねばならないと思った。
まぁ実際言い返したりしたわけではなかったが――そんなことをすればKEIファンの品格が落ちてしまう――、私はKEIくんのことを知ってからたった数日で、長年のファン並の熱量を持って彼を応援していた。
絶対絶対、KEIくんはもっと上に行く人。こんな一過性の話題に負けるわけがないって思っていた。
だから、KEIくん主演のドラマが大ブレイクして、お茶の間の皆さんにその存在を知らしめた時はもう……狂喜乱舞した。
ヒットしたドラマは、悪事を働く異形の者による事件を探偵――そう呼ばれる退魔師達がいるのだ――の高校生が解決していくというものだ。
そして、その主人公がKEIくん――。
きっとその役を演じるにあたり、たくさんの葛藤があっただろう。
だって探偵は、時に異形の者を消してしまわなければいけない職業。ドラマとはいえ、同族を手にかけることもある役どころには、思うところもあったんじゃないか。
それだけど、KEIくんは立派に芝居をやり切った。
さらにはこのドラマの第二シーズン決定に合わせ、専門職である探偵の資格まで実際に取得してきたのだ。
ああ、なんというプロ意識。
ただ顔がいいだけじゃない。きっと私は、彼がそんな風に真摯だからこそ、くらくらするほど入れ込んでいるのだ。
(KEIくん……、大好き……!!)
KEIくんが破竹の勢いで芸能界を駆け上っていくのと同時に、私のKEIくんへの想いもどんどんボルテージが上がっていった。
だが――想いが高まっていくたび、私は周りの人達との熱の違いにも戸惑うことになった。
「KEIくんのことはまじで大好きなんだけどさ、ファンじゃない子に『ああいう子がタイプなんだ~』って言われると、いや、そうじゃないってなるよね~」
――まったくなりませんけど。KEIくんみたいな男の子、どタイプですけど。
「もし付き合ってくださいって言われたらどうする?って聞かれることあるけどさ、付き合いたいわけじゃないんだよ~。むしろあの綺麗な顔の隣に並ぶのが私ですみませんってなるし」
――ならないけど。もしKEIくんに告白されたら間髪入れずにOKするけど。
「ファンになったばっかりの頃はさ、偶然が重なってKEIくんと付き合えたら……とか妄想してたんだよ。でもファン歴が長くなるともう、お母さんみたいな感じ? 『今日も頑張ってて凄い!』とか、『大御所さんとも上手く絡んで偉いわ~』みたいな見守る目線になってくるよね」
――全然。恋に落ちた時から今に至るまで、KEIくんのことは恋愛対象として変わりないけど。
ネットで繋がったファン仲間は皆こんな感じで、私と意見が合うことはなかった。
だけど今思えば――それだからこそ、彼女達と仲良くできたんだろう。彼女ら全員がKEIくんに恋をしていたら、私はきっと、敵だと見なしていたはずだ。
私がKEIくんを想う熱量は他の人とベクトルが違った。
それでも毎日楽しく彼の情報を追いかけていた。――あの日までは。
◇◆◇
『ファファファンミーティングううう!!!!!!!?????』
『嘘……。わざとかってくらいKEIくんにファンを近づかせなかったのに……。事務所、どういう心変わり??』
『ぜっっっったいチケット取る。この命に代えても』
ある日、ファン界隈に激震が走った。
なんとKEIくんが、ファンミーティングを開催することになったのだ。
これまでKEIくんは――というか事務所の意向だろうが――、ファン向けのイベントを一切行ってはこなかった。
アイドルグループに所属していたころはまだ接近戦のイベントもあったそうだが、俳優業に重きを置くようになってからは、一度もその手のイベントは開催されていない。
だから私達ファンが生身の彼に会うには、ロケ地に行くとか、バラエティーに出る時の観覧に応募するだとか、それくらいしかチャンスがなかった。――ちなみに私は出待ちなどはしない。良識のあるファンなので。
「こんなの……、絶対行くしかないでしょ……!!」
私は興奮した。このイベントでは握手会も催されるらしい。これまで数メートルは離れた場所からでしか見られなかったKEIくんを間近で見られるなんて……。神イベでしかない。
だから私は当然のようにチケットを取って――その際の苦労や紆余曲折は省略する――、当日に向けてダイエットを始め、エステに通い、バイトを詰め込み稼いだお金で、頭のてっぺんから爪先まで整えた。もちろん服と靴も新たに買い揃えた。
KEIくんは「清潔感がある人」が好みだといつだか雑誌のインタビューで答えていたから、そう見えるよう、何から何まで準備をした。
だって、もしかしたら握手会でKEIくんが私を見初めてくれて、イベント後にスタッフからちょっと残ってくださいって耳打ちされる可能性が無きにしも非ずなのだ。
いつも手紙をくれるYUKARIさんが、こんなに可愛い人だなんて!って思ってくれる可能性が一ミリでもあるのなら、準備しておくに越したことはない。
(KEIくん、私のこと、ちょっとでも可愛いって思ってくれるかな……。思ってくれたら……嬉しいな……)
◇◆◇
そして、ついにイベント当日――。私は人生最良の日を過ごしていた。
イベントはKEIくんの優しさとかサービス精神が感じられる素晴らしい内容で、会場にいる全員が笑顔になれるものだった。
さらに随所に感じられる彼の気配りや思いやりに、「ああ、画面越しではあったけど、これまで感じていた彼の人の好さは間違いじゃなかったのだ」と何度も涙しそうになった。
本当に胸がいっぱいになって……。正直、KEIくんがどんな話をしていたのかは頭に残っていない。ただ、彼がテレビ用に見せる作られた笑顔じゃなくて、さりげない笑みを浮かべていただとか、スタッフに時折送る目線が優しいだとか、そういう細かなところはしっかり覚えている。
それに気づくたび、私は動機息切れ等々の諸症状に襲われ、好きです!!と今すぐ全力で叫びたくなったものだ。
そしてそんなことをしていたら、時間はあっという間に過ぎ――。
気づけば私は、KEIくんの目の前にいた。
――握手会が、始まったのだ。
◇◆◇
「あ、あ、あの、YUKARI……です……! いつもお手紙書いてます……!」
「ああ! YUKARIちゃん! 手紙、いつもありがとう」
もう目と鼻の先にいるKEIくんは、テレビや雑誌越しに見る千倍は美しかった。
雑誌なんかこれでもかと修正されてるはず――きっとKEIくん以外はそうだろう――なのに、実物のほうが綺麗だなんてどういうことだろう。
肌なんか加工されたかのようにつるつるだし――毛穴……どこ?――、髪の毛は私とはまったく違う未知の材質のようで、会場の光をすべて集めて弾いていた。
そして何より一番美しかったのは、やっぱり瞳だ。
初めて彼を見た時に抱いた感想と同じく、宝石のようだ――と思った。
キラキラと光り輝いていて、透明感があって……。これが現実に存在するものだなんて嘘みたい。
ああ、なんて綺麗なんだろう――。
(だけど…………)
なぜだかKEIくんの瞳を見ていると、胸がざわついた。いつも感じるときめきとは違う、不安感が滲んだものだった。
「初めまして……だけど全然そんな気しないなぁ、いつもお手紙くれるから、なんだか身近な人のような気がして。……あれ? 大丈夫?」
「…………あ……」
どうやら私は、彼の瞳を見つめたまま放心していたようだった。
KEIくんは美しい形の眉を下げ、そんな私を心配そうに見つめた。
「い、いえ……。え、えへへ……そうですか……? 嬉しいです……」
「そう? ならいいんだけど。これからも応援してくれると嬉しいよ、YUKARIちゃんの手紙って、文章が暖かくてすごく励みになるんだ」
そう言ってKEIくんは、私に向かって右手を差し出した。――そうだ、握手会なんだった。
「…………」
「今日は来てくれてありがとう」
無言で差し出した手を、KEIくんは力強く握ってくれた。そのの手は想像していたよりも――冷たかった。
「楽しんでもらえたかな?」
「……当然です」
その言葉に嘘はない。イベント内容のすべてが楽しかったし、今だって――幸せだ。
ただ、KEIくんの瞳を見つめていると――――。
「お時間でーす」
私が離れがたく思っていると感じたのだろうか。スタッフは大きな声を上げ、ぐいと私の体を押し進めた。
「……」
ちらりと振り返ってみれば、KEIくんと目が合い――彼は軽く手を挙げ微笑んでくれた。
「……………………」
私は小さく礼をした。
そうして会場を後にし――ふと腕を見てみた時だった。
「すご……」
腕にはびっしり鳥肌が立っていた。
◇◆◇
あの日から私は、KEIくんに恋するのをやめた。
変わらずファンではある。彼を応援する気持ちは変わらない。ただ――。
思い知らされてしまったのだ。彼と私が、まったく違う生き物だということを。
こんなことを言ってしまうと、きっと怒る人もいるだろう。異形の者だって、人間と変わりないのよ――と。
それを否定する気はない。間違っているとは思わない。
だけど、私とKEIくんでは生きている世界が全然違ったのだ。
そんなの彼が芸能人である時点でわかりきっていただろうという人もいるかもしれない。――が、そういうことじゃないのだ。
彼の目は綺麗だった。この世の者じゃないほどに。この世の物じゃないほどに。
私はあの目を生で見るまで、そして見つめられるまで、彼が異形の血を引いていることになんの色眼鏡も持っていないつもりだった。
ただの人間に比べると少ないってだけで、そういう人はたくさんいるし、様々な課題はあるかもしれないが、それでもこの世界で生きている。KEIくんのご両親だって仲良くしていらっしゃるそうだ。
だから私もきっと、KEIくんと上手くやっていける――。そう思っていた。
けれど違った。上手くやっていくとかそういう次元の話じゃない。
私と彼のあいだには、明らかに見えない壁があった。
例えるなら二次元と三次元――。
私はこれまで、人間と異形は種は違えど同じ次元に存在していると思っていた。だけど実際は――いや、少なくともKEIくんと私はそうじゃなかった。
それを「目」で思い知らされた。
私も同じものを持っているはずなのに……彼と私のでは全然違う。
今、私は思う。
きっと異形の者と恋に落ちる人はその違いを乗り越えられる人、もしくは気にしない人なのだと。
私は――……。駄目だった。どうしても乗り越えることができないし、気にしてしまう。
(あーあ、ひょっとしたら好きになられちゃうかも、なんてバカな妄想だったな)
◇◆◇
『YUKARIちゃん!! 今月のKEIくん特集見た!?』
『見た!!!!!! ほんと……KEIくんヤバい……。顔も良ければ人も良い……』
私は今もKEIくんを力いっぱい応援している。でもそこにかつての恋心は微塵もない。
圧倒されるほどの「違い」がこの世に存在することを知った私が、今彼に抱いているのは――崇敬の念だ。
こうして私の恋は終わった。