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Part1 大樹-2

「……え?」


 最初にその異常事態を受け入れられたのは誰だっただろうか。

 

 当事者である小山先生?

 委員長を目指す優葉さん?

 小山先生をからかっていた生徒?


 僕、では無いだろう。

 呆然と目の前の光景を眺めていただけの僕は何をするわけでもなく小山先生の頸動脈が食い破られるのを止めることも出来なかった。


「何してるんだ大樹! 小山先生を助けるぞ」

「そうよ大樹君。このままじゃ小山先生が死んでしまうわ!」

「……ッ!?」


 ガジガジと骨にむしゃぶりつく犬のように小山先生の頸部に顔を埋める赤ちゃん。

 小山先生は喰らい付かれた勢いで倒れ、気絶している。 

 抗う力は無く、もはや灯火の命。


「う、おおぉぉぉ!」


 机に引っ掛けてあった鞄を手に取ると小山先生の下へと駆け寄り、その勢いそのままで赤ちゃんの頭部へと振り回した。


 別に僕はハンマーの扱いに長けているわけではない。

 鞄がブラックジャックのように鈍器として機能しているわけではないが、それでも引き剥がすには十分な威力が遠心力と相まって赤ちゃんの頭部へと打ち込まれた。


「ぎゃぁぁぁぁ」


 鳴き声というよりも叫び声をあげて吹っ飛んでいく赤ちゃん。

 小山先生の上体も動いてしまったのは鞄の大きさが赤ちゃんを上回っていたためだろう。鞄のスイングは小山先生の顔面も少しばかり巻き込んでしまい、顔を赤く腫らしてしまった。


「はぁっ……はぁっ……」


 無我夢中の出来事であり、まだクラスの大半が何が起こったか理解出来ていない。


 小山先生が赤ちゃんを連れていた。

 小山先生が赤ちゃんに噛みつかれた。

 クラスメイトの1人が叫びながら赤ちゃんを鞄で弾き飛ばした。


 このうちのどこまでを認識しているのだろうか。

 

 とりあえず現状把握をしなければと、僕は小山先生に噛みついていた赤ちゃんを探す。


「……」


 果たして、教室の壁に激突しぴくぴくと手足を震わせていた赤ちゃんはそれきり動くことは無かった。


 頭部から血を流しそれきり動くことは無い。

 ひとまずそちらは大丈夫と判断していいのかな。


 今は謎の赤ちゃんの生死よりも、小山先生の安否だ。

 ……危ういところで助けられたと思うけど、医者でも無い僕が小山先生は助かったと安易に判断するわけにはいかない。


 保健委員……はそもそもまだ決められていない。

 委員長ですら決めていない新学期初日だ。

 これからホームルームが始まるその時の出来事である。


「そもそも保健委員が治療行為出来るわけないだろ」

「そうよ! 応急手当だって、やるなら保健室で連れていくべきよ」

「たつべー……明日香……そうだね」


 今も尚、首元からどくどくと血を流し続けている先生が果たして何時まで生きていられるかは分からないけど、このままにしておけるはずがない。


「まずは止血して……誰か手伝ってください!」


 ……

 駄目か。まだクラスメイトは固まっている。

 現実を認識しきれずに、あるいは現実から目を背けるように立ち尽くしたり目を覆ったりとまるで動こうとしない。


 と、その時だった。


 椅子を跳ね飛ばすようにして1人の生徒が立ち上がった。


「……恵?」


 隣の女子生徒に恵と呼ばれた彼女は、


「キ……」

「キ?」

「キ――キャハハハハハハハハハハ」


 唾を飛ばしながら笑うとふらふらと覚束ない足取りで教室から出ていった。

 

「……」


 誰も止めようとはしない。

 僕も脳が追い付いていない。

 この状況で発狂してしまったのだろうか……。


「と、とにかく小山先生を保健室へ連れていかないと……」


 鞄からタオルを取り出して小山先生の首に巻く。

 応急処置として正しいか分からないけれど、これで出血の勢いが減る……はず。


「手伝おう」


 1人の男性生徒が名乗りをあげた。


柿頭かきとう一郎いちろうだ。……力がいるだろ?」

「あ、ありがとう」


 柿頭君は小山先生を背負うとそのまま廊下に出る。


「保健室へ運ぶだけなら俺1人で十分だ。兵頭……だったか? 同じ頭を名字に持つ者として託したい。この場で最も早く動いた男と信頼している。このクラスを落ち着けさせろ。そして、校内の様子を伺うんだ」

「校内を……?」


 クラスを落ち着けさせるなら分かる。

 未だ混乱状態の生徒たちを纏めるリーダーが必要なことも。僕がそれに相応しいかは別として。


「……よく耳を澄ませてみろ。聞こえるはずだ。今はまだこの教室内にしか目も、耳も向けていないのだろうが、一旦外に出てみれば分かる」


 柿頭君の言う通り、廊下に出てみれば、その言っていることが分かった。


「っ……これは!?」


 赤ちゃんの泣き声と、恐らくは生徒や教師たちの叫び声。

 隣のクラスだとか、そういった話ではない。

 校内の至る所から聞こえてくるのだ。


「……今みたいな赤子が校内に沸いているとかそんなふざけたことが起きているのなら、保健室は怪我人だらけだろうな。だけど小山先生は放っておけば助からない……」

「この状況で柿頭君1人で保健室まで行くのも危険じゃ……?」


 ……いや、曲がりなりにも何の運動の取柄も無い僕が1人で赤ちゃんを小山先生から引き剥がせたのだ。

 今悲鳴が上がっている場所だって、誰かしらが赤ちゃんを撃退した後かもしれない。


「だからこそ、だ。もし危険地帯がこの先にあるのなら、やっぱりそこに何人も行くわけにはいかないだろ? 大丈夫、足には自信があるんだ」


 一度、小山先生を背負い直すと


「情報を集めろ。大人でも、生徒でも。何なら話せる奴なら誰でもいい。もし襲われている奴がいるんなら助けて徒党を組むんだ」

「え……?」

「俺の予想が正しければ……これから先どんどん増えるぞ」


 そう言って、柿頭君は走り出した。

 小山先生を背負っていることを微塵も感じさせないような速度で。


「増えるってそんな馬鹿な……」


 いや、そもそも馬鹿なというのなら赤ちゃんが小山先生を襲ったことも、鋭い歯が生えていたことも馬鹿なことだ。


「たつべー、明日香……どうすればいいのかな」


 そうだ、リーダーというのなら2人にやってもらえれば……!

 それぞれ男子にも女子にも信頼が厚い。

 あの2人が纏め上げればこの状況も何とかなるはず。


「そんなん決まっているだろ。柿頭も言っていた。情報集めだ。大樹、お前がやるんだ」

「僕には無理だよ……明日香、君がやってよ!」


 優しい明日香のことだ。

 頼めばきっとやってくれるはず。


 縋りつくような目で明日香を見てみれば、


「駄目よ大樹君。これには私もたつべー君に賛成。やるべきなのは大樹君、あなたなの。やりたくないのなら……誰かをリーダーとして立て、あなたが支えるの」


 2人は何故か非協力的だ。

 誰か頼れる人……人を纏める経験がある人……。


「す、優葉さん!」

「私か……?」


 委員長なら……彼女ならば纏めるに相応しい力を持っているはず。


「お願いだよ。今何が起こっているのか、それを把握するためにも皆を纏めて!」


 無茶な頼みだとは自分でも分かっている。

 僕だってやりたくない。


 やりたくないことを人に押し付けていた。


「分かった……先ほど君に委員長を志していることを言った手前、撤回など出来ようものか。それに、君には任せられないしな」

「……あ、ありがとう?」


 最後に少し貶されたような気もしたけれど、これで僕の役目は終了だ。

 あの赤ちゃんの正体だとか、校内の悲鳴だとかは優葉さんが解決してくれることだろう。


「先ずは警察の連絡だが……誰かこの中で電波が通じている者はいるかな?」


 自らの携帯を見ながら生徒たちに尋ねる優葉さん。

 そうだ……何も校内で、クラス内で解決するようなことではない。

 すでに、その閾値は跳び越えてしまっている。


「え……なんで圏外?」

「俺もだ」

「さっきまで使えてたのに」


 皆、首を横に振る。


「連絡手段は無し、か。私のだけ壊れていたという淡い期待はどうやら捨てなければいけないらしい」


 僕の携帯もアンテナは1本も立っていない。

 偶然、では無いのだろう。


「そして、脱出経路のことだ。電波で助けが呼べないのなら物理的に呼ぼうという話なのだけどね……」


 優葉さんが窓まで歩み寄りると校庭を、正門を見る。

 

「……見てごらん」

「……なんだよあれ」


 最初は地面がそうした色をしているのだと思った。

 あまり良い趣味ではないけれど、肌色の塗装をしたレンガか何かを敷き詰めているのだろうと。


 だが、よく見てみればそれは揺らいだ。

 風に吹かれた布のように蠢くそれの正体は……大量の赤ちゃんであった。


「ヒッ!?」


 誰かが息を呑む。

 叫び声を上げなかったのはむしろ褒められたものだったかもしれない。


 ……あれらに気づかれてはいけない。

 それがクラス中の一致した意見だっただろう。


「どうやら私達の知っている赤子と同じだとは考えない方がいいらしいね。この状況も、およそ日常から少し足を踏み外した程度に生易しいものでは無いようだ」


 ……凄いな優葉さんは。

 慌てふためいていた僕とは違い、話をどんどんと進めていく。

 それも、周囲の顔を見ながらだ。


 理解していないような者がいれば一呼吸置く。

 考えすぎて混迷してしまうようであれば話題を転換する。


 この2つの話法を使ってクラスメイトの思考を操作していた。


「チームを作ろうと思う」


 優葉が提案した。

 提案……というよりは強要、強制に連なるものであろうが、しかし混乱した場面では道は示されている方が歩きやすい。

 狭まった視界では広く差し出された選択肢の全てを拾えない。


 優葉さんの半ば強制的な口調は、いざとなった時の責任感の所在の意味も兼ねていた。


「……まだ私はあなた達全員を良く知らない。だからまず、組みたい人達は組んでおいて。クラス40人。5人前後で動くわ」

「動くって……どこへ、何をしに?」

「他のクラス、職員室、各施設等々が機能しているかの確認よ。人数が多すぎても動きにくい。そして悶着が起きる」


 だから少人数での行動か。

 僕も賛成だ。

 人数が多すぎても話せる人間には限りがあるし、ならばいっそ話し合える最低限の人数で組んでしまった方が良いだろう。


 5人前後か……はっきりと定めなかったのは4人グループや6人グループがすでに形成されている可能性を考慮してか。

 すでに出来上がっているグループを瓦解させて新たなチームとして作れば問題が起きると危惧してだろう。


 僕はたつべーと明日香と……あと2人くらいを引き入れればいいのか。


「兵頭君、君は私のチームだ」


 3人組となった優葉さんが僕を呼んでいる。

 たつべーと明日香を入れて6人か……バランスは良いな。


「たつべーと明日香も優葉さんのところでいいかな?」

「おう、構わねえぜ」

「私も大丈夫よ」


 チームに分かれて校内の各所にばらける。

 このまま教室で大人しく待つということは受け身で情報が入ってくるのを待つということで、少なからずのストレスが発生する。

 多少の危険はあれど教室から出ることを僕達は選択したのであった。





 そして……教室から出る瞬間、僕は見てしまった。


 誰も触れることが無かった、僕が弾き飛ばした赤ちゃん。

 動くことのなかった赤ちゃんの生死は結局分からずじまいだった。

 なぜなら、


「消え、た……?」


 赤ちゃんは透過していったのだ。

 まるで空気に溶けるように。何の前触れもなく。

 最初から存在しなかったのではないかと思わせる程に、煙のように消えた赤ちゃんだが、しかし残された小山先生の血液がつい十数分前の出来事を物語っていた。


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