7 こおりのひとみ
赤いひとみが僕をとらえる。
ハチミツのように甘ったるいアリス・ソワレの目じゃなくて。
かなしみをたたえた、まことのルビーが僕を射る。
『その子を無視して!』
アリス・ソワレが金切り声をあげた。
今すぐ王妃さまのもとへ帰れと叫ぶ。
『くれないのひかりは、あたしのよ。あたしのよ。あたしのよ!』
僕は隠すように、くちびるにそっと指を当てた。
このひかりこそ、目の前の女の子が探してるものだとばれないように。
「君……知ってる?」
僕はその子の腕をつかんで、立たせて聞いた。
「ちまたでは、罪かぶりのシンデレラがすごく有名になったらしいけど。その子が口紅の本当の持ち主だよ?」
「ええ、都の通りという通りでかわら版が配られてましたから知ってます。でも本当は違うんです。あの口紅は、おじさんがわたしから盗んで商人に売りつけて……」
女の子は盗まれたものを追って都へきた。北の果てのへき地から、なんとかやりくりして、何ヶ月もかけて。そうしたら、嘘つき狐がすべてを横取りしてたというわけだ。
母さんの形見も。公爵令嬢の地位も。
「どちらが本物かは、すぐに判明します。わたしは、口紅の持ち主だった母親のことを語れますから」
そうだ。僕らは、「お母さま」の顔すら知らない。「お父さま」にはいままで適当に相槌を打ってごまかしてたけど。真偽を問われて根掘り葉掘り聞かれたら、一巻の終わり。
どうにかしないと僕らはお先まっくらだ。
『嘘つき! 口紅はあたしのよ!』
アリス・ソワレはもう半狂乱。敗北を予感して泣きじゃくってる。
せっかくお姫様になれたのに。これから王妃様のお気に入りになれば、晩餐に招かれた異国の王子に見初められたかもしれないのに。
けれども。
救いの糸が、僕らの前に垂れてきた。奇跡としか思えないことが。
まことのルビーが、深い哀しみで暗く陰ったのだ。
「わたしは公爵家に行きました。でも公爵さまはわたしは偽物だと言って、耳を貸してくださいませんでした。その弟君も……わたしを認めてくださらず、お父さまに会わせてくださいませんでした……」
なんだって?
それじゃ、公爵さまやエドワードは、すでにこの子のことを知っている?!
「だからわたしは、王様に訴えたいのです。お父さまに、会わせてくださいと」
「わかった……なんとかしてあげる」
するりと、僕の口からやけに明るい声が出た。
「大丈夫。任せて。わたしは王妃さまと直に話せる。だからしばらく、このことは誰にも話さないで待っていて」
「王妃さまと? ああ! どうか! どうかお願いします、お嬢様!」
どうやら。僕らの首の皮は、すでに繋がれていたらしい。
アリス・ソワレが泣きじゃくる声を聞きながら、僕は一所懸命、事の真相を考えた。
公爵さまは、宿敵を破滅させたかった。
そうするためには誤認逮捕された僕らが必要だった。
もし、実は公爵令嬢だったと公式発表した娘がにせものだったと知られたら?
かわら版とかちらしとか、ゴシップを作る連中は大喜び。
娘がにせものならば、世間の同情を集めた冤罪事件もにせもの。公爵さまがでっちあげたんだと、書きたてるだろう。
だから僕らを、公爵令嬢で押し通すことにしたんだろうか?
「うん、それで大体合ってるよ、アリス」
白い歯がきらりと光る。僕らにむかってにっこりうなずくのは、ソファにうずまる金髪王子。
女の子と会って数日後、エドワードは大陸から戻ってきた。
大きな帝国の皇子だっていう少年を連れて。その少年は今、王様の宮殿に保護されている。
夜になって宮廷から下がった僕らは、公爵さまの家で従兄弟の君と久しぶりに会った。
そこで僕は思い切って聞いてみたんだ。
泣きじゃくるアリス・ソワレを押し切って。たぶん、大丈夫だからと何度も宥めて。
「ふふ、今回の皇子もでっちあげのにせものだよ。うちの宮廷から王位継承権を主張させて、いろいろやる予定なんだ。まあ、ようするに。やんごとなき人の保護は、僕らの家の家業のようなものなんだ」
肩をすくめて金髪王子はふくみ笑う。
「ああでも、君のお父さまは、君のことをまだ本当の娘だと信じてるよ。平民に手をだすような落ちこぼれには、お家のための仕事など与えない。兄さまは常日頃からそう言ってる」
あわれな「お父さま」。たぶんあの人は本当に、「お母さま」を愛していたんだろう。
僕らを見るまなざしの優しいことといったら……
「それにしてもあの娘、しつこいな。田舎へ帰れと、兄さまは金貨を握らせたのに」
あの子はそれが納得できなくて。もらったお金を使って、王宮の馬丁に頼み込んだんだろう。
『あたしのこと、これからもここに置いてくれるの?』
アリス・ソワレは泣いている。
不安からか恐怖からか。それともこれからの予感ゆえか。ぶるぶるふるえて慄いている。
「ねえアリス。君は、ずっと僕らの家にいたいよね?」
きらめくふたつのサファイアが僕らを凍らせる。
「僕はいてほしいな。あの娘より、君の方がきれいだもの。性格だって我が家向きだ」
金髪王子の声は甘いのに。僕らを閉じ込める青いひかりは、どうしてこんなにこわいんだろう。
白くて大きな手が、固まる僕らの顎をつかむ。
まるで恋人にキスをするときのようにくいと上向けて、金髪王子は囁いた。
甘い甘い、悪魔のことばを。
「これからどうするべきか。分かってるよね? かわいいアリス」