4 あおいひとみのゆうれい
すぐに修道院に送られるのかと思ったら。僕らはしばらく、教会に留め置かれた。
教会は牢屋よりもさらに天国のよう。
そこと一番近いところだけど、そこそのもののように思えた。
ごはんは一日三回、やわらかいパンとスープ。スープの中には野菜と魚がごろごろ。
午後のお茶の時間に、お茶だけじゃなくてりんごやお菓子ももらえた。
神父さんは僕らを教会のベンチに並んで座らせて、えんえん福音書を朗読した。
毎晩、湯桶にはお湯がたっぷり。これは神父さんが僕らの裸を見たかったからだろう。
さすがに初日のように、同じ部屋の中で眺めてくるなんてことはなかったけど。湯浴みしてる部屋の扉は、いつもほんのりすきまが開いてた。
『神父さまって、まだ若いわよね。顔も、すごくかっこいいわ』
――でもあいつは僕らをのぞいてるよ、アリス・ソワレ。
『きっと心配でたまらないのよ。ほら、背中に傷跡があるし』
――ごめん……一生残るよね
『気にしないで。あんたのおかげで、傷はそれだけで済んだもの。ねえきっと、神父さまもあんたのように、あたしを守ってくれるつもりでいるんだわ。騎士さまのように』
アリス・ソワレはばかで無防備だ。僕がこの体を司ってて、ほんとによかった。
もしこの子が体の主人だったら、いまごろ僕らは神父さんのベッドの中にいるにちがいない。
神父さんの好きにはさせるもんか。
湯浴みの時に僕は意識して扉に背を向けた。あいつには、黒い髪しか見えないように。
守ってやらなきゃ。アリス・ソワレにはだれにも触れさせない。
それが僕の務め。母さんとかわした約束だもの。
どんな手を使っても、守ってやらなきゃ……
何日たってもまったく修道院に行かされる気配がないので、僕はここから逃げ出すことにした。神父さんは、僕らを飼うつもりなんだと思ったから。
もちろんアリス・ソワレは大反対。何不自由ない生活なのにと、ぶうぶうふくれっつら。
――神父さんは王子さまじゃない。だから奥さんになったって、君はお姫様にはなれないよ?
七日目の晩。うるさい妹をなんとか宥めすかしてこっそり厨房に入った。パンをかごにありったけ入れて、出ていこうとしたけど。
「だめだ、いけない」
神父さんに見つかって、通せんぼ。
僕らは腕を掴まれ、お御堂の祭壇に引ったてられた。
「パンを盗んだことを神さまに謝りなさい」
ムチで打たれなくてホッとしたのもつかのま。
「君は聖域に守られている、大事な証人なんだ。外へ出たらまた捕まってしまう」
神父さんは僕らに告げた。その青い瞳に黒い髪の魔女を捉えて、僕らの頭をいとおしげに撫でながら。
また捕まる? それはいったいどういうこと?
いやそれより、撫でるのをやめてくれ。
神父さんの手が僕らの頬に降りてくる。青い瞳をたたえる顔がぐっと近づく。
キスされる――!
思わず両手で押しのけようとしたとき。礼拝堂にだれかが入ってきた。
神父さんは慌てて僕らから離れて直立不動。
来訪者は、きらびやかな絹の服の大貴族。かつりかつり、せわしい足音をたてるその人に、神父さんは深々と頭を下げた。
「この子か、アルフレッド」
「は、はい、公爵様。あの冤罪事件の被害者です」
「身柄の確保と保護をよくぞやってくれた。いろいろ根回しして、くそったれな警視総監を辞職に追い込むめどがついたぞ」
「それは喜ばしいかぎりですね」
「公聴会で、この子の証言が要る。万全を期して、私がこの子を預かろう」
「ですがここは神のご加護あります聖域で……」
――「ここから出してください!」
僕はとっさに、公爵だという人に訴えた。
獣になりそうな神父さんから、一刻も早く離れなければと思ったからだ。
でないと、アリス・ソワレを守れない。
「あの、ここには幽霊がいます。毎晩それに見つめられて、夜も眠れません」
「幽霊? たしかにここは墓所でもあるから、そんなものが出るかもしれないが」
「青い瞳の幽霊なんです。本当にこわくて……」
『何を言ってるのマチネ? 幽霊なんてここには』
――ソワレは黙ってて!
僕はわざと体を震わせた。神父さんをチラチラ見ながら、公爵さまにお願いしますを連発した。目にうっすら涙を浮かべたのは、結構効いたかもしれない。
公爵さまはまじまじと僕らを見つめて。それから青ざめる神父さんに視線を移した。
「どうやらこの教会には、悪魔祓いが必要なようだな」
「は、はい……非常にたちの悪い幽霊かもしれません。よこしまで、欲望にまみれているかも……」
「ふむ。聖域は我が館にもある。そこでこの子を保護しよう。相手にこの子の居所を知られぬようにしておくというのも、得策であろうしな」
神父さんは、ひどく名残惜しげに僕らをみつめてた。追いかけてきて、抱きしめてくるんじゃないかと思うぐらい。その青い瞳の中で、黒い魔女がゆらゆら燃えていた。
「アリス」
神父さんは最後に僕らを呼び止めて。喉をつまらせながら囁いた。
「アリス、どうか、元気で」
公爵だという男はすぐに、僕らを馬車に押し込んだ。なんと、まっ青に塗られた四頭立ての馬車に。
「調書によると君は、紅蓮花の口紅をつけていたそうだが。母の形見だという証言は本当なのだな?」
『ええそうよ。あれは母さんのもの。でももうきっと、なくなっているでしょうね。おかみさんの館では、いなくなった子のものはどこかに売り飛ばされるから』
アリス・ソワレの言う通りに答えたら。きらびやかな人は顔を落として考え込んだ。
「ということは君はもしかしたら……あの人の娘か?」
「あの人?」
「我が叔父が見初め、しばし囲っていた市井の人だ。叔父は長いこと、行方がしれなくなったその人を探している。平民であるにもかかわらず、目玉ほどのルビーよりも価値ある、紅蓮花の口紅を所有している人……叔父の娘を産んだその人を」
『マチネ、聞いた?! まるでシンデレラだわ!』
「もし間違いなければ、君を我が公爵家に引き取るのはしごく妥当なことだな」
今度こそ、アリス・ソワレの大勝利。
嘘がまことになるなんて。ソワレの望みどおりの筋書きになるなんて。
まさかそんな。どうして?
この世はそんなに甘くないもののはずなのに……。
ぎゅるぎゅる、ぎゅるぎゅる。
まっしろな雪道を、馬車はすごい速さで進んでいく。
『ああ、夢みたい! あたしたち、ついにお姫さまになれるんだわ』
アリス・ソワレは狂喜した。公爵家の娘になったら、お城の舞踏会へ行くのも夢じゃない。
馬車は、大きな大きな敷地に入っていった。噴水がいくつもある広い庭園をつっきって。天にそびえる塔がいくつもついてるお城へ向かっていった。