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愛を形どれば


 カトレアが風呂から上がって来て、二人に入浴出来る事を伝える。ゆったりとした緑のバスドレスを身に纏い、今だけは騎士でなく可愛らしい女の子だった。ティマエラにどうする? と聞けば、先に入ってこいと微笑み言われた。




 浴室はやはりとても広い。三十人が一斉に入っても問題無く寛げそうだ。メイドが「失礼します」と唐突に入って来て背中を流そうとしたが、流石に遠慮しておいた。何時もなら遠慮などしなかっただろうが、今はそんな気分にはなれない。


 設置されたシャワーから出る冷たい水を浴びてあまり掻いては居ない汗を流し、石鹸を泡立て体を洗う。この世界はやはり中世程度の文明を持っているようだが、石鹸の価値はどうなんだろう? そう思いつつもモコモコとした白い泡を体に滑らせていった。


 湯はごく普通の温水だ。少し熱い。匂いも、ぬめりもない。暫く肩まで浸かり、足のみを浸して思案に耽った、これからの事について。

 冒険者としてやって行くのは、およそ問題は無いだろう。いざとなったらヴァンズやカトレア達などを頼ればいい。なるべくそんな事にはしないが。

 戦い方や武器についてはどうしようか。武器は、今のところ小さな短剣程度しか持っていない。それで問題は無いのだが、盗賊でも無いのに武器がそれのみとは端から見れば少々不自然だ。魔術のみを使うのも考えたが、トーゴの魔術は殺傷力に特化しすぎていて取り回しが悪い。いっそ不便な程だ。頑丈な迷宮の魔物達はそれに耐え、食える部分を残して死んでくれたが、素材回収依頼ではきちんと死体を残し、剥ぎ取りを行わねばならない。

 よし、武器を買おう。オーガの素材から作ってもらうか、売って金にして新しいものを買うか。作ってもらうとしたら、ティマエラにか、職人にか……


 そこでティマエラの事を思い出す。


 曲がりなりにも神の力を持って鍛冶の力を手に入れたティマエラには、本当に良く助けてもらった。自身の力で歪な金床と金槌を作り、それでなんとか義足を作ってもらい、短剣や、ライター兼用のシガーカッターを作ってもらい、生活に使う様々な道具と来て、今度は武器か。金床は持ってきていないから、何処かで工房を借りるか……。


 いや、と思い留まる。

 暫くティマエラから距離を置いてみるか。つまりティマエラにどこかの工房で働いてもらおうと思い立った。


 オーガの素材は売ろう。どっちにせよこの素材から武器を作るなら時間が掛かるだろう。すぐにでも武器を手に入れ、その上での戦い方にも慣れねばならない。ギルドマスター、ヴァンデンドルデとの手合わせもある事だ。

 ティマエラと距離を置き、冷静に自身の事、ティマエラの事を考えるべきだ。ねじ曲がった愛し合いを丸く収める方法なんて、知らない。ならば単純に時間を置いて考えよう。


 明日やるのはオーガの素材売却、その資金で武器購入、そしてリンムーの森にて複数の依頼遂行。それと出来ればヴァンズの情報を集めたい。ティマエラにはのんびりさせておこう。金もなしにとは思うが、まず金の価値がわからないから前提として必要無い。地球の中世ヨーロッパの店なんて、下手すれば定価の数十倍の値段で吹っかけられることもあったらしい。少ない金を持たせる方が危うい。


 明日の方針を決め、トーゴは風呂から上がる。用意されていたバスローブを着てティマエラに交代を伝えれば、ティマエラもすぐに駆けていった。


 部屋は少しのティマエラの匂いがする。涼やかに甘いそれを消したくて、上開きの窓を開けた。風は吹いておらず、あまり換気にならなかった。その香りは未だ部屋に残ったままだ。仕方無くトーゴは顔を窓の外に出し、火照った身体を涼ませる。

 季節のせいか気候のせいか、外気は肌寒いが、のぼせかけの風呂上りには快適な温度をしている。雲は多いが薄く、あまり湿気は多くないようだ。今更ながら、本当に今更ながら、不思議な事もあったもんだと独りごちる。雲の隙間で瞬く星はまばらで、手慰みに星座など作れそうにない。まず星座があるのだろうか。この世界について学びたく、色々と本が読みたくなって来た。


 部屋の小さな本棚に目を移す。騎士道だとか世界の歴史だとか、堅苦しいハードカバーの背表紙が並んでいた。手に取り開いて読めば目が滑る、滑る。これはだめだ。疲れているのか集中出来ない。世界史らしき何かの本にあったアンラ・マンユとスプンタ・マンユの文字が目に入る。アンラ・マンユはスプンタ・マンユの創った世界を壊したそうだ。自分達は、どういう関係なんだろう?


 暫くまんじりともせず過ごしていると、ティマエラががちゃりと音を立て部屋に帰ってきた。カトレアと同じデザインの、青色のバスドレス。肌が赤らみ、頬が上気している。髪を今はバレッタでなくフェイスタオルできちんと纏めている。そのため白いうなじがはっきりと認識出来た。


「ふぅー、良い湯じゃの」


「そうだな、広くて驚いた」


「メイドが身体を洗ってくれてのう、トーゴもされたか?」


「断ったよ」


「くく、じゃろーの」


 笑うティマエラの方を見るのが怖い。一種心地良いような胸の締付けが、怖い。


「あぁ~、溶ける……」


 どさりと大きなベッドに体を沈ませ、ティマエラは全身の力を抜いていた。投げ打つようにスプリングクッションに倒れ込んだせいで衣服がはだけ、胸元や太腿が顕になっている。だがトーゴの目が惹かれる先は首筋だ。甘苦いティマエラの血を飲みたかった。飲血趣味は無いのだが、あれはいっそ麻薬のような甘露だと思う。もしくは善と悪の関係が何か影響しているのか。


「ぬ、やはり血が足りてないのかの?」


「あぁいや、違う」


 違わない。確かに足りてないが、それ以上に見つめすぎた。


「今日一日で色々あったのう……主にお主が」


「そうだな……」


 カトレア達と出会い、迷宮を出て、うまい飯を食い、故郷を同じくするものと出会い、冒険者になり、愛を自覚した。

 濃すぎる一日を過ごしたが、二人共持ち前の再生能力、身体能力のお陰であまり疲労はない。


 貸された部屋に、明かりはランタンだけだ。ベッド脇にあるそれのみが、ティマエラの肢体を照らしている。大きさに反して部屋全体を照らすそれは、近くでは眩しいのではと思ったが、特殊な魔力光なのだろう、均一な明かりを齎していた。


 トーゴは冷えた紅茶を淹れ直し、ゆっくりと啜る。失敗だ、渋い。だが嫌いじゃない。

 ティマエラがふと口を開いた。


「のう、トーゴ」


「どうした」


「抱いておくれ」


「……何だいきなり」


 トーゴは狼狽する。これまでにティマエラが迫ってくることは何度かあったが、そのどれもがからかうような、冗談を多分に含んだものであった。そのどれもが本音ではあったのだろうが、ここまでストレートに言われると適当にあしらう事ができない。なによりこのタイミングだった。


「今日一日で色々あったじゃろう。わしは初めて迷宮から出て、楽しかったよ」


「あぁ」


「あの時、不死を終わらせに行こうと言ってくれた事、はっきりと覚えておるよ。本当に嬉しかった。」


 胸が痛い。この痛みは恋慕のそれじゃない。罪悪感だ。


「お主がわしを頑なに抱かない理由は何となくわかっておる。が、わしは……」


「……お前は?」


「……わしは……わしは、不死じゃから。お主が居なくなってしまう前に、傷の一つでもつけておくれ。消えない、傷を。」


「それは、今でなくても」


「今でないとダメなんじゃ」


「なんでだ」


「お主、わしと離れるつもりじゃろう。」


 離れる、という曖昧な言葉だけでは程度が測れない。一生か、数日か。物理的にか、心理的にか。だがトーゴは、確かにティマエラと距離を置こうとしていた。何故バレたかは分からない。しかしティマエラはある程度の確信と疑惑を以て、こちらを問い詰めているのは確かだった。


「……そんな事は」


「カマかけてみたが、やはりか。なにか思い詰めたような顔をしておった。バレてないと思ったか? マヌケ」


「……」


「わしでは、お前の女になれんか。何を考えているのかすら、話せんか。それとも、わしだから話したくないのか」


「……意地の悪い聞き方だ」


「女とは得てしてそういうものじゃ」


 にかりといつもの様に笑うティマエラに、苦しさがこみ上げる。


 こんなに愛してくれているのに。俺はお前を利用するだけして、お前の事を見なかった。それを今更、愛だと自覚してしまったんだ、自分勝手にも。罪悪感と後悔は何時も手を繋いでやってくる。心に、自業自得を刻み込むために。


「……俺は、お前を愛せない」


「何故」


「俺は――お前を利用した。今も、そうだ」


「それがどうした」


「お前を抱く資格なんて、俺には」


「それを決めるのはわしじゃ。その理由をまず、聞かせろ」


 正論。ぐうの音も出ない。抱く資格なんて無いと宣った時点で愛を告白したようなものだが、トーゴは気づかない。

 

 トーゴは希望的観測と、客観視を同時に行う。それは自らの心を守るための癖だった。

 この女ならば受け入れてくれるのだろうか。俺の醜い独善を。もし受け入れてくれたのなら、それに甘んじて、俺は生きていくのだろうか。ティマエラの優しさを、また利用して。

 そんな生き方はしないと決意した。話さなければ分からないとはよく言うが、今それを自分の口から打ち明けても、自覚と決意をしたばかりでは、その生き方の辛さを背負う覚悟を出来ない気がした。なにより今は冷静で無い。だから距離を置こうとした。だからまだ今は。


「言えな――」


 い、と言い切る前に、いつの間にか迫って来ていたティマエラの唇が、口を塞いだ。乾いた自分のものとは全く違う、柔らかい女のそれ。トーゴはその感触に囚われティマエラを跳ね除けられず、十秒程そうしていた。細い糸を引いて、唇が離れていく。はぁっ、と震える短い吐息がティマエラの口から漏れる。ティマエラはふるふると肩を揺らしていた。それが爪先立ちだったからか、緊張からか、怒りからか、それとも寂しさ、悲しさと言う一種の喘ぐ様な胸の痛みからか、トーゴには分からない。


「言えないとは言わさんぞ」


 ぐい、と椅子からベッドへ腕を引かれる。というより投げ込まれた。躱すことや抵抗する事は造作もなかったが、今の自分は、この女の行動を観察することが最重要事項だった。何をするつもりなのか、知らなければいけない。見なければ、聞かなければいけない。今まで見てこなかったことだから、この女の気持ちを、分かってやらねばいけない。


 そして案の定だが押し倒され、バスローブを脱がされる。下着までも脱がされそうになり、止める。なれば今度はティマエラが脱ごうとする。流石にそこまでされてはまずい。今の自分には刺激が強すぎるのだ。しかし無理に止めてやるのも、ティマエラの覚悟を踏みにじっているようで。だからトーゴは、震える腕でティマエラを抱きしめる。肉付きは乏しくとも柔らかい肌の感触が、バスローブ越しに伝わる。


「止めろ……ティマエラ」


 抱きしめられ、酷く優しい声色で囁かれ、ティマエラの動きがピタリと止まる。トーゴの上に跨り、乱れた服装で深い悲しみを湛えた目をしている。

 

「……何故じゃ……」


 ティマエラの瞳から大粒の涙が溢れ出す。また、泣かせてしまった。今度は体ではなく、心に深く傷をつけてしまったのだろう。


「……何故じゃ……わしは、お主を愛しておる……だから、傍に置いておくれ……頼む……頼むぅ……」


「な、んで……そこまで」


 その時、この女があまりにも痛々しげで、小さく見えた。

 まさか、こんな痛々しく懇願されるとは思っても居なかった。何がそうさせてしまったのかと、トーゴは必死に原因を探る。


「お主は……お主はっ、置いていこうと思えばわしを置いていけるじゃろうが! いくらわしを気遣って、あの日、部屋から逃げたあの時に、不死を終わらせる事を誓ったとしても!! それは年月の中で薄れるじゃろう!? 迷宮を出た暁には、もう、もうわしの果てない不死など見捨てられるのではとっ」


「もういい!!」


「っ、」


「もういい、止めろ……」


 あぁそうか、とトーゴは思う。ティマエラの、拙い言葉で紡がれた、今まで抱えてきたもの。それを、ぽつぽつとティマエラは語った。


 あの迷宮の更に奥においてティマエラの過去を明かされ、そこに同情したトーゴが交わした約束、「不死を終わらせる旅」。それは特殊な状況下で交わされたものであって、冷静に思案した結果のものではない。その誓いは数十年を暮らす中で薄れ、ティマエラは、トーゴがそんな口約束を交わした事を忘れてしまうのでは、と思った。更にそれならばともかく、あわや後悔しているのではないかという疑念を抱く。そしてティマエラは、その事に恐怖していた。

 不死を殺す、それは宛の無い、果ての無い旅路になる。神の不死であるティマエラは、もはや身体を粉微塵にされようと死ぬことは無い。加えてティマエラは不死の苦しみを記憶として知っていた。置いていかれる恐怖を、人一倍意識していた。

 

 だからこそトーゴのあの約束は身を焦がし、そして何より心に響いた。そして、いつ、どんな形で訪れるとも知れない別れを、少しでも遅らせようと思った。そして行き着いたのが愛人だ。恋人ではない。ティマエラもまた、不死という苦しみから目を逸らす為に、トーゴを自らの為だけに利用した。

 それは、結局はその場しのぎなのだ。遅らせようとも別れは必ずやって来る。しかしそれでもティマエラにとって、アフラ・マズダにとって、不死の絶対の苦しみは、神の身であってもトラウマと化していた。だからいつか迷宮から出る日には、自ら愛のない愛人になって、トーゴを繋ぎ止めようと思っていた。幸いにも優れた美貌を持っていた。気も合った。上手くやれていた。だから、都合の良い女として位ならば、自分にも価値はあるだろうと。


 しかしその思いは共に暮らす日々の中で変化していった。鋭く、優しく、強く、儚いトーゴを、何時しか心の底から愛するようになって行った。ティマエラはトーゴがそうしたように、愛する資格は無いという苦悩に耐えることを決意した。

 だが少しだけその苦悩を紛らわせたのが、おどけた様に関係を迫るというスキンシップだった。トーゴはいつもそれを断ってくれる。それで、ティマエラは自身の気持ちに諦めを着けていた。恋心が湧き上がる度に、振られ続けた。


 そんな自傷行為にも、自慰行為にも似た習慣は、遂に終わりを告げた。いよいよ迷宮から出るという節目を持って。

 死に別れずとも置いていかれるかもしれない恐怖を、わざとらしく、地上の景色への高揚で誤魔化した。しかし昼食や歓談で取り戻した落ち着きも、トーゴに血を与える行為によってかき消され。カトレアの祝いの席でまた気を紛らわせれば、トーゴは思い詰めたような顔をする。

 カトレアに夢は無いかと問われ、「不死を終わらせる事だ」と言ってくれた。天にも昇るほど嬉しかったが、同時にトーゴの顔に浮かぶ辛そうな表情に、どうしようもなく不安が沸き上がる。やはり、あの約束を後悔しているのではと。


 もう、ダメだ。耐えられない。この人と一緒に居たい。一人は怖いから、寂しいから。――この人が好きだから。


 トーゴと違い、数十年耐えてきたティマエラは、限界だった。

 例え醜く利己的に相手を使おうとも、酷く歪んだ経緯で、ティマエラはトーゴを愛してしまった。


 数十年掲げ続けた想いはちゃちな理由では折れない。愛せないだなんて、理由があるなら話してほしい。もしトーゴが自分を嫌っていたとしても、愛してもらえるよう努力する。何か都合が悪いことがあれば、全力で改善する。だから、どうか、どうか。


「トーゴ、わしは――」


 整理し切れない気持ちをどうにか言葉に紡ごうと口を開き、ティマエラは目を瞠った。


 何故ならトーゴもまた、泣いていた。呆然とした表情で、一筋だけ涙を流している。


 ティマエラは涙を拭い見直すが、やはり見間違いではない。

 あぁ、気持ちを利用された事がそれ程ショックだったのかと、心が砕ける音がする。心の底からの自棄に見舞われ、いっそこのまま何処か、誰もいない場所へと思いかけたその時、トーゴが口を開く。


「ティマエラ……ッ」


 絞り出すように自分の名前を呼び、ゆっくりとティマエラの顔に手を伸ばす。また溢れて来ていた涙を拭い取った、大きな手。感じてはいけないと思っていた温もりがそこにある。何のつもりかと思えば、見た事の無い悲痛な表情で、トーゴも自身の気持ちを語り始めた。


 ――アフラ・マズダは、不死の力を厭っていたよ。家族や友人が次々に死んでゆき、世界に取り残される感覚。わしも、同じ苦しみを味わうのじゃろうか?――


 あの時言っていた言葉を噛み締める。

 トーゴとは違うが、トーゴと似た苦しみ。転生を繰り返し、絆が何度もゼロに戻る事と、永遠を生き、絆に取り残されて生きていく事。ずっと一人でいる感覚。世界に取り残される感覚。


 そんな苦しみを味わわせたくない。絶対に。


 ティマエラを、愛しているから。


 共に暮らす中でティマエラは、少しずつ淡い気持ちが育っていった。

 トーゴは、ずっと気付かなかっただけで、とっくにティマエラを愛していた。


 それだけの違い、すれ違い。三十四年をかけ、二人の熱が溶け合う。涙となって溢れ出す。


「……お主は……」


「すまない……俺はずっと、見ないようにして来たんだ……お前の事も、自分の事も……」


「トーゴ…」


「もう目を逸らさない、俺は、お前を見ていたい」


「……う……あぁ……!」


 互いの心に澱んでいたのは、同じ罪悪感と、同じ恐怖。そして同じ依存心の片隅にある恋心が、ようやく通じ合う。


「ティマエラ……お前を、愛させてくれ」


「トーゴ……わしを、傍に居させてくれ」


 贖罪を孕んだ愛の告白。きっとそれは幸福だった。何年も続いた孤独が、遂に終わりを告げた。互いを利用しつつ、だがそれすら飲み込み抱え合う、心を蕩けさせる共依存。胸を灼熱させ、焦げるほどに甘い求め合い。


 突き動かされるままに唇を重ねる。愛と存在を確かめ合う、深い、深い口付け――

 

「……ん……」


 ――と、なるはずだった。


 きゅ、と真一文字に結ばれた唇は、あまり柔らかさを感じさせてくれない。何秒そうしていたか。


「おい……恥ずかしがり過ぎだろう」


「だ、だって!」


「だってってお前……何歳だよ」


「へぁ、んぅ!?」


 我慢できそうもないトーゴは埒が開かないので、ティマエラの顎を軽く掴み、口を開かせる。そこに、混ぜ込むように舌を侵入させた。トーゴの舌先でティマエラの同じ箇所ををくるりと刺激し、顎から手を離す。離した手は相手を安心させる様に、耳の後ろから後頭部を包むように添える。少しだけ相手を味わった後は一旦舌を引っ込め、様子を伺った。

 半ば無理矢理な手段を取ったが、顎から手がどけられた今もティマエラは口を閉じなかった。おず、と舌を差し伸べ、「いいよ」と吐息にも似たささやきで伝えてくる。

 トーゴの理性が弾けた音がした。貪るという言葉がぴったりなほどに、荒々しく攻め立てる。


「ふ…………は、ぁ……トーゴ、トー、っ……」


 聞いたことない。こんな声は今まで一度も。その声をもっと聞きたくて、ティマエラの口腔内を蹂躙する。舌を無理矢理に絡め取り、喉を開かせ唾液を送り込む。柔らかくぬめるティマエラの舌ならば、逃げようとすれば簡単だったろうに。こくりと喉が鳴るのを感じとれば、次は上顎、歯茎、舌の裏、付け根まで、全て丹念に舐り尽くす。


「……ん、はっ、…………っ、や、トーゴ……、ん、んんっ!? ふ、うっ……」


 数分程もそれは続いた。ティマエラは自らの体を支えるように、トーゴの首に両手を回している。快感と羞恥に悶え、両の手はぎゅう、とトーゴの着ているバスローブの襟を握り締めている。時たまトーゴが思い掛けない部分をいじめてやれば、肩はびくりと震え、かりかりと何かを探るように指が背中を引っ掻いた。それが愛おしくて、トーゴは益々深くティマエラを貪った。


 くちゅくちゅと妄りがましい液体音が響く。ティマエラの耳の後ろを親指で撫でながら、今度はティマエラの唾液をトーゴが飲み込む。まだ、涙の味がする。やっと唇を離せば、ティマエラは汗で髪を額に張り付け、別の涙で目を潤ませていた。

 ピアスに触れ、耳朶ごとちゃりちゃりと愛でる。


「はぁっ、は、よ、容赦ないの……もしや慣れとるな? ちょ、ちょっと肩を貸しとくれ」


 息切れを起こし、肩も腕も脚も震わせて寄りかかってくる。


「多分この体じゃ、お前が初めてだ」


「っっ、ふ、うぁ」


 また泣き出した。幸い悲しくて泣いているようでは無いようだが、あまりティマエラの泣いている顔は好きじゃない。


「ティマエラ、ずっと一緒にいよう。お前が死ねなくとも、俺が不死になってでも、一緒にいよう。」


「うん……っ、いる、ずっと一緒にいるぅ……っ」


 ぎゅう、と肩を掴む手が落ち着くまで、トーゴは静かにティマエラを抱き締めていた。泣き止んだティマエラに、大丈夫かと声をかける。こくりと頷く仕草を確認すれば、未だにトーゴに跨がるティマエラの右手を引き、とさりとベッドへ落とし込む。くるりと位置を交換したトーゴは右手を掴んだまま、ティマエラの足の間へ左膝を入れ込んだ。ティマエラの作った義足だ。


「ふぇ」


 不測の事態にきょとんとした顔をし、途端に顔を赤くさせるティマエラ。


「あっ、えっと」


 とす、とティマエラの両脚の付け根へ膝を当て、耳元で寄せ囁く。余裕の無い顔を、見せたく無かった。


「貰うぞ」


「ッッッ、ひぇ、え、あの」


 聞こえないフリだ。自分から抱いてくれと言い出して、挙句の果こんなにも深く通じ合えたのに、恥じらって一時停戦とは行かせない。耳元へそのまま軽くキスを落とし、脱がせる。右胸の下で留まっているボタンを外し、袖に通る腕を撫で上げつつ、ゆっくりと。


「……っ、……」


 くすぐったいのか恥ずかしいのか、声を堪えている。その選択は男を昂らせるだけだと知らなかったのがティマエラの失敗だ。


 服を脱がすのを一旦辞めたトーゴは左手をティマエラの頭の下へ潜り込ませ、軽く頭を掴んで首を右へ傾けさせる。顕になった白い首筋へキスをし、ちろりと舐めた。


「の、のう、何を……」


 ぢ、と荒々しい音を立てて首筋を吸う、と言うか軽く噛み付いた。勿論痛くはないように。


「ひぃっ!?」


 断続的に肌が震える音がする。傍から見たら吸血鬼のように映っているのだろうか、確かにこの肌の下を流れる血は美味いが。トーゴが肌を吸えば、その度淫靡な音が静かな部屋中に響く。


「これ、音が恥ずかし……んぅっ」


 暫くそれを続ければ、確実に分かる位置に内出血が起こっていた。


「……血が欲しいならそう言えっ」


「これ、治すなよ」


「ふぇっ!? なんで!?」


「せっかくだから」


 横暴である。悪徳の神はやはり悪徳であった。


「でもこれ……その、見えちゃわないかの? 髪も後ろで纏めてるし」


「だからだろう?」


「う……意地悪」


「満更でもなさそうじゃないか」


「そりゃその……念願叶ったからの」


「あぁ。今夜は寝かさない……というか寝られる気がしない……」


「あの、その、お、御手柔らかにの?」


 そして今夜、善悪は漸く互いを愛した。自分の事も、相手の事も。それは人の心の姿であり、二人の幸せな神の姿だった。

 善悪どちらかしか無い心など、不完全だ。だからこの二人は混じり合い、遂にこの世界に、完全なる神の形が生まれたのかもしれない。


 世界を創り、壊す神共は、触れ合い、わらった。

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