郡上塔梧の一生と半生について
響きもトーンも、確実に「日本」だ、間違えようもない。数舜の驚愕を押し殺し、トーゴは「知っている」とだけ答えた。
「やっぱり。名前がそれっぽいと思ってさ……でもおっさん、見た目日本人じゃないよね? まさか外人の転生者……」
「いや、俺はちょっと……特殊でな。と言うかやっぱり、死んでからこっちに来たのか?」
「あぁうん、そうだよ。俺は親友助けて溺れてさ……自分で言うのもアレだけどちょっとカッコイイ最後だと思ってる」
「何言ってる……まぁわかるけどな」
「だろー? まぁ心残りがありすぎるから帰る方法を探してるんだけどさー。んで、おっさんの方は?」
「話してやってもいいが、言った通り特殊なんだ。イツキの死んでからここまでを詳しく教えてくれないか?」
「ん、まぁいいけど……」
――暮邑久唯月は親友が自殺しようと川へ飛び込むのを見た。級友に日々いじめを受け、体も心も衰弱していく彼を隣で支えてきたつもりが、結局何の意味も持たなかったのだと知ってしまった。だが、彼に染みついた献身と博愛、少年だからこそ持てる純真さが彼の体を動かした。同じように橋の上から川へ飛び込み、必死で親友の体を岸へ押し上げる。しかし普段穏やかな川は、無情にも唯月に牙を剥いた。腰から下を冷たい流れが浚い、唯月は沖へ、下流へと流される。泣き叫びながら自身の名を呼ぶ親友の声を遠くで聞きながら、意識と体は暗く、深く、沈んでいった。
そして神と出会う。アンラ・マンユだ。
トーゴのように落ち着き払った対応が出来るはずもなく、親友を救えた、しかし死んでしまった、ここはどこだというパニックに飲まれ恐慌状態にあった唯月に、悪徳の神は優しく丁寧に成り行きと現状を説明してくれた。
世の中には、運命に介入できる力を持つ人間がある程度存在する。そういった者たちが本来死ぬはずだった者の運命を書き換え、イレギュラーとなってしまうのだと。
そしてそんなイレギュラーを断罪、排除するのが自身の役目だとも言っていた。
特殊な力を持つ人間が、死ぬはずだった人間を救うという確率は天文学的、とまではいかずとも相応に低い。人命を助けたお前は、真の意味で特別な存在なのだと言ってくれた。
そんな極々一部の存在となった唯月に、アンラ・マンユは二つの選択肢を示した。
時を戻し、親友を見殺すか。もしくは他の世界へ行き、その善行を誇って生きるか。
そんな言い方で選択を迫るなど、先代「悪徳の神」はその名とは裏腹に優しすぎる人物だったようだ。
お前は人を救ったが、私はそれを断罪せねばならない、しかし自らの行いを後悔するなと。
唯月はやはり異世界転移を選び、4年前からこの世界で生きているという。旅の途中で聖国マルハリテスで出会った三人と、今も冒険者として帰還の方法を探しているらしい。
「まぁ、神様に飛ばされちゃった以上帰れるとも思ってないんだけどさ……この世界じゃ、なんとなく生きて行くなんて事が出来そうもないし、目標だけでもあればと思って」
現代日本のように、一生のビジョンを漠然とだけ持ってその日を過ごすなどと言うことが許されない世界だ。駆け回り、剣を振り、必死に生きてこその今日。厳しい世界にて挫けないために、遠くとも確固たる目標を掲げて生きてきた。
「……辛いか。」
「ぜーんぜん……んーいや、ちょっと辛いかも知んない。でも、剣の腕はかなりいいらしいんだぜ、俺。それに仲間も出来た。……全員女ってのは、どうかと思うけど。大切な人や物が、こっちにもあるからなぁ。楽しいことも辛いことも、あって当然だと思う」
「……そうか。強いな、お前は」
この世界に生きる者は、皆こうもたくましいのだろうか? あるいはこの少年の本来持つ心の強さなのだろうか。年相応の笑みを見せつつ、だがしっかりと自分の足で立っている。眩しいな、とトーゴは感じた。
「んなことないよ。さ、次はおっさんの番だぜ?」
「あぁ、驚くなよ?」
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「現人神」は、郡上塔梧と言う名でその輪廻を終えた。
一生を終えれば転生し、また一生を終える。その繰り返し。だがそれも8回の老衰と、2回の病と、4回の事故と、そして1回の自死を以て終えた。
――母娘がトラックに轢かれかかっている。咄嗟に手が動き、世界の時を止めた。
止めたはいいが、どうする? 助けるのか? 助ければ俺が死ぬだろう。あぁ、だけど。
――もう、いい加減終わってもいいかも知れない。生き過ぎた。疲れた。いい機会じゃないか。
そうして、酷く疲れた顔に決意を浮かべ、神は自死を選んだ。
本能か、神の権能か、或いは超常の何かか。ここで親子を助ければ、自分はなにかに殺される。やっと、この輪廻を彷徨う神を殺してくれる。何故だかそれは理解していた。
あぁでもやはり、自分から死ぬのは少し気が引ける。だが、ずっと死にたかった。そうだろう? 死にたい、死のう、死んでやろうじゃないか。この必死に子を抱える母親を、そして今にも泣きだしそうなこの少女を救う。華々しく、誰が見ても恥じる事のない、だが誰も知ることのない死に様で、俺の何度も繰り返された孤独な一生に終わりを告げよう。
何回も家族や友人が出来て、何回も家族や友人を作ったが、ずっと一人で生きているような感覚がつき纏っていた。その孤独感や空虚感、諸行無常なんて安っぽい言葉からから今こそ解放されようと、現人神は、人の命を救った。
あぁお前、スマホなんて弄ってんじゃねぇよ。くそ、いつかもう一回一人で事故れ。賠償金を払えるようそれまではきちんと働け。よし、これで大丈夫だな、運転手以外。
最期の時を汚されたような気がして、人として生きてきた神は、人らしく軽い八つ当たりを、神らしく制裁を加える。
もう一度、神は親子を見やる。母を思って、自らを思って、悲痛な表情の少女はあまり見ていられたものではない。泣くな、と伝わらない言葉を、なお伝わらない心の内に秘め、トーゴは優しく、優しく頭を撫でた。ふと笑みがこぼれたが、その感情は自分でも良く分からない。ただ、「死ねて嬉しい」などというものでは無いことだけが確かだった。
なんとなしに元の位置へと戻り左手の指を鳴らせば、時も戻る。彩も戻る。自らの右方から何かが衝突したかのように体が拉げ、骨は砕け、肉が飛び散る。それを見つめあぁ、やはり終わるのだと、満足気にほほ笑んだ。五体を擲った笑顔の死体という奇妙な光景は、誰にも気づかれる事なく灰のように消えて行った。
――『お前は理を捻じ曲げ、人の命を救ってしまった。私は死を冒涜したお前を、見過ごすわけには行かない。』――
そして出会った神と力を交換し、この大陸リンネンファウゲルにて生を受けた。と言っても体は既に18歳を超えていた。服は簡素なシャツとズボンだけ。裸足のまま暗い洞窟に投げ出されていた。遠くに出口の光が見える。背後には暗く続く下り坂。どちらか選べと言われたら言わずもがなだろう。
出口に向かって進めば、まばらに人がいるのが分かった。こちらに向かってくるようで、変わった服装、戦士や狩人のような恰好だ。明らかに日本では無い。状況を把握しようと声をかけた途端に、彼らは崩れ落ちた。すわ何事かと周りの人物に声をかければ、彼らも同じ。脈拍を確認してみれば、彼らは全員死んでいた。
「……嘘だろう?」
そこで、8人殺した。多分、自分が。数百年を生きようと、人を殺したことなど一度もない。目の前で人が死ぬ、人を手にかけるということが恐ろしくて、何もわからないままに背後の道へと逃げだした。青黒い光が照らす洞窟内は灯りなどなくとも進んでいけた。その道すがら見かける見たこともない姿の動物や、まばらに見かけた人。全てが命を失っていく。
「っ、……う、うああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ゛ぁ゛ぁ゛!!」
気を紛らわすためか、気を保つためか。獣じみた咆哮をあげ、少年は奥へ、奥へと進む。行き止まりがあっても立ち止まることはしなかった。すぐさま来た道を引き換えし、奥へ、奥へ。
どこまで潜っただろうか、いつの間にか周りの風景は地下遺跡のようになっていた。だがそんな事はどうでもいいとばかりに少年は目の前の石扉を蹴破る。それ程の力を自分が持つという事さえ、気に止まらなかった。
その部屋には、一つのベッドがあった。天蓋から薄い幕が下り、ベッドの上に何があるかは視認できない。何も考えず勢いのままに幕を引き裂くと、そこには目を閉じうずくまる女の姿があった。
少年はビクリと立ち止まる。あぁ、また殺してしまったのかと崩れ落ちそうになる。自死を選んだあの時のように、体は支えを失い、膝が揺れ、視界はぼやける。しかし心の在り様は余りにも違っていた。
だが、そんな少年の耳に声が届いた。
「誰……?」
「……え……?」
目の前のその事実が、心を激しく波立たせる。
「……邪魔しないでおくれ、せっかく気持ちよく……」
「死な、ない?」
「うん?」
今まで視界に入ってきた生き物は、全て死んでいた。逃げろと叫ぶ暇もなく、こちらが遠ざかる隙も無く、通路を曲がればもう死体があった。視界に入らない生き物も、全て死んでいただろう。微かに背後で聞こえた、何かが倒れ伏すような音は、もう聞き飽きる程に。なのにこの女は死なない。何故だ。
「……なんで、死んでない」
「……なんで、泣いとるんじゃ?」
これがティマエラとの出会いだった。死なない女を殺し続ける共同生活が、始まった。
ティマエラの記憶によれば、その場所が「善神」スプンタ・マンユの寝室として700年前に創られたものだということ、地上へ繋がる迷宮はスプンタ・マンユの本来持つ「創造」の力が暴走、霧散した結果だという。おかげで今ティマエラは神の身なれど、肉体は人間であり、魔力量もそれに準じているらしい。主な権能は不死と、この時点では思い出せていないが「善神の宝剣」だけであるそうだ。
その部屋で殺した魔物を食らって生き延び、死の瘴気を操る訓練を続け10余年を過ごした。
そしてある日、不意にティマエラがその無機質な部屋を出ようとした。その瞬間地響きと轟音が二人に襲いかかり、部屋と同じく無機質な岩の巨人が魔法陣より現れ、ティマエラを阻んだ。命がないのだろう、トーゴの眼前に立ち、しかし頽れる事は無かった。
「ティマエラぁッ!!」
トーゴは咄嗟にティマエラを庇う。彼女は不死だというのに、それでも。
巨大な腕がトーゴとティマエラを殴りつける。トーゴはその体の頑丈さでなんとか右腕と肋骨を折るのみで命は無事に済んだが、ティマエラは腹と胸の肉が避け、上半身は血まみれになった。
「ぐ、あああああぁぁぁ!!?」
不死の力で裂けた傷が再生すると同時に、ティマエラが大きく苦しみだす。後から調べて分かったことだが、不死の傷の再生は凄まじい痛みを伴う。それは「再生」や「治癒」などと言うには余りにも凄惨だった。
「い゛、痛い痛い痛い痛い……!! あぐうぅ、嫌だ、やめとくれ……!」
無理に時を戻すように、骨と肉が蠢き、元の位置へ返ろうとする。ただでさえ滅茶苦茶に傷つけられた体で、露わになった神経を骨や肉が引きずり無理矢理に傷を塞ぐ。最後に脇腹が縫われるように元に戻ったところで、ティマエラはがくりと気を失った。血だまりはそのままになり、ティマエラの白い肌を痛々しく染め上げている。その苦痛は想像を絶するだろう。
そしてティマエラに駆け寄ったトーゴは、血だまりの中に一本の剣を見つける。スプンタ・マンユの宝剣だ。本能的に使い道が分かる、何故ならこれは宿敵の剣だ。
トーゴはその剣を左足にあてがい、岩の巨人の攻撃を待った。巨人の左腕の裏拳に合わせ、トーゴは剣と共に骨盤を差し出す。
「っぐうぅぅ……!! くそッ、ティマエラ!!」
巨人の攻撃の勢いは宝剣に伝わり、トーゴの左足を切り落とした。トーゴは痛みにのたうちまわりそうになるが、今はそれよりティマエラだ。たった一人だけかもしれない、自分と共に居られるひと。そんな存在を断じて失うわけには行かなかった。
落ちた左足は膨れ上がり、黒い暴威となった、とだけ記憶している。その黒い何かは巨人を瞬く間に砕き、なお留まらない衝撃は洞窟全体を揺らす程。眼前の敵を屠りなおも暴れるそれから逃れるように、トーゴはその身体能力でティマエラを抱え片足で脱出を図る。崩れる瓦礫が背中を打つのを気にする余裕も無く。
足の出血がほぼ無かったのは、今にして思うと自身の本来持つ魔力が体の維持に回されていたのだろう。絶句するほどの虚脱感を以てトーゴ達は498階にたどり着いた。
ティマエラの血からスプンタ・マンユの剣が生み出されたのは、彼女が気を失う間際、自身の権能を思い出し、必死に発現させたからだという。どう使うかまでは考えておらず、ただ出来ることをした結果だ。
彼女は半身である「絶対者」アフラ・マズダからその剣と不死の権能、創造の力のみを持って切り離され、力尽き迷宮の奥底で眠っていた。創造の力は人の身には余り溢れ出してしまい、迷宮を形作った。いわば残りカスのティマエラは、出来損ないの神となった。
「アフラ・マズダは、不死の力を厭っていたよ。家族や友人が次々に死んでゆき、世界に取り残される感覚を、どうしても捨てたかったようじゃの。記憶として、そんな経緯があったことを知っておる。それがどうとは思わないが……わしも、同じ苦しみを味わうのじゃろうか?」
トーゴはその言葉に、酷く共感を覚えた。郡上塔梧としても、トーゴ・グンジョーとしても。周りの命は全て、自分より先に終わっていく。その光景に何を思うかはどこの世界であっても同じらしいと。
だから誓う。
「いつか、不死を終わらせる術を探しに行こう。」
その時のティマエラの表情は忘れ難い。諦観と歓喜をごちゃごちゃと混ぜ合わせ、「全くこいつは」と笑うその顔。不死とは、どうしようもないものだ。だがかつての塔梧のように、思いがけず終わりが来ることもある。それを求めて、いつか旅に出かけよう。共に居よう。俺が死ぬまで。君が死ぬまで。
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「そしてティマエラは魔術の訓練を始め、鍛冶を覚えた。金床や金槌を何とか工面して、この義足はグランエレファスからティマエラが作ってくれた。そんでアルボルの木材なんかを使って小屋を建てて、辛うじて人を失わない暮らしをしてたのさ」
グランエレファスは鉱石を主食とする像、アルボルは歩く樹木だ。因みにアルボルが生息しているのは313階であるが、なぜわざわざ250階に小屋を建てたかと言うと、温泉があるのをトーゴが覚えていたからである。
「……正直、信じられない」
「まぁ、そうだろうよ。仲間に話すかは好きにしたらいい」
数奇なんて次元じゃないな、とトーゴはため息をつく。寝物語にしたって出来が悪い、同じ日本人だからとしゃべり過ぎた。
「でもまぁ、スマホとかトラックとか向こうにしかない言葉も出てきたし、半分は信じてやるよ」
「逆に半分も信じてくれるんだな」
「だって、ティマエラさんはあんたの横にいて幸せそうだからな」
「そう、だと良いな。言うじゃないか坊主」
「坊主はヤメロ。」
神だったとか神であるとかは置いておいて、俺と言う人物、ティマエラと言う人物を見て感じたことを信じる。そう言っているのだろう。ありがたい話だ。
「それに、そういうこともあるって思ったほうが面白いからな。」
「……クッ、それもそうだな」
喉の奥でトーゴは笑う。結局そこに行きつくのか、少年であっても快楽主義は人の常らしい。
「でもさぁ」
「ん?」
「それ、先代アンラ・マンユの断罪の役目ってどうなってんだろ?」
「あぁ、多分そこで死んでいった奴の分が、死の瘴気として俺の体から溢れてたんだな」
「あーそういうこと。」
恐らく人を救ってしまった者たちは、二つの選択肢を迫る神のいない現状では無条件に時間を巻き戻され、対象を見殺しにすることを余儀なくされているのだろう。何度も何度も同じ場面を繰り返し、目の前の、救える命を諦めるまでそれは続く。そうして諦めるまでに費やされた命が、トーゴの肉体を介してこちらの世界に溢れているのだろう。世界に生と死がある限り留まることなく。
「お話終わった~?」
「あぁ、すまない。話し込んでしまって」
「俺が引き留めたんだよ、ごめんシャウア、グンジョーさん」
「トーゴでいいさ」
おっさん呼びが唐突に名前に変わっていた。つまり坊主呼びがそこまで嫌なのだろうか? 思えば自分も確かに、中学生位の年齢の時は子ども扱いされることに過剰に反応していた気がする。数百年近く前の話だろうが。
イツキ達の泊まる宿の名前と場所を教えてもらい、思わぬ展開となった昼食は終わった。西区にあるキュアケッロという宿らしい。
会計はパーティーの財布係、カトレアが行った。トーゴには金銭の価値がよくわからないが、銀色の硬貨が幾つか取り出されていたのを見るにそこそこ高級な場所かも知れないと思う。女将キューラルの性格や出入りする冒険者の気質から安い、多い、旨いのようなイメージを持っていたが、店内はそこそこに落ち着いていた。トーゴはカトレアとティスタにもう一度礼を言う。
はい、どうもね。また来ておくれよとキューラルがサレンの背中を叩く。サレンの顰められた顔を見るに、結構痛かったのでは無いだろうか。
思わぬ偶然から出遭った彼らが親睦を深めあい、その腹も満たされたところで、一行は再度、店を出て歩き出す。目指すは冒険者ギルド、アッデンに置かれた本部である。
主要人物の過去や背景をスムーズに描写するのって、難しいですね。