炸薬をあなたへ
また、ぶわりと風が吹き煙が晴れる。あれだけの大爆発を間近で受けたというのに、服すら無傷のトーゴが立っていた。
「倒したぞ、首から上は残してある」
恐ろしい魔物を、それを勝る恐ろしい力で退けたというのに、見る者を温かくさせるような笑みを浮かべてトーゴは戻ってくる。そのアンバランスさが空恐ろしくて、カトレアは少し眉を顰めた。
「あの……!」
ティスタが思わず詰め寄る。
「どうした?」
「今のは……魔術なのですか!?」
ティスタの疑問は余りにも初歩的に思えるが、当たり前のものだった。魔導士でなくとも、剣士や戦士などの近接戦闘に身を置くものであれば、自身の鎧や体、武器に魔力を流しその防御力や攻撃力、身体能力などを強化する基礎魔術を使う。才ある者であれば、結界により身を守るものや、小規模な魔術で攻撃を仕掛けることもある。
しかしやはり剣士は剣士であり、その練度や規模は本職の魔導士に及ぶことはない。あくまで身体能力や戦闘の補助をこなす程度だ。その逆も然り。
だがトーゴは。
サレンの渡したナイフに「血」を纏わせ、剣を作り上げた。まき散らした血の一つ一つに魔力を通わせ、恐ろしい爆撃を起こした。
普通、魔石などを除いて、物質には魔力を纏わせることしか出来ない。それだけで存在としてあるものに魔力という異物を混じらせるというのは、莫大な魔力を要求される。国お抱えの鍛冶師や錬金術師が数か月、数年かけてそれをこなし、特殊な魔剣を仕立てることもあるが、その期間その作業にかかりっきりになってしまう程に消耗は激しい。だが、トーゴはそれを今、この短時間でやってのけた。
剣士として大剣を十全に扱い、魔導士として周囲を巻き込む殲滅魔術を駆使する。冗談のような芸当をこなし、しかし汗は一滴と掻いてはいない。これが、欲望に住まう神の力だと言うのだろうか。
見たことも聞いたことも、夢想したことすらない魔術のような何かを目にし、四人は激しく動揺し、困惑する。
「あれも魔術だ。俺は体の殆どが魔力と同化してるからな。自分の血を操って剣に仕立て上げれば、よく手に馴染むんだ。」
「あの爆発はどうやって!?」
飛び掛からんばかりに疑問を投げかける。
「飛び散った血にも俺の魔力は含まれてる。ただし限界含有量があってな。それを超えた量を流し込んでやればはじけ飛ぶんだ。」
「……」
「……あぁ。これは流石に無茶だろうから、体内での魔力の循環を意識して訓練するといい。そうすれば身体能力が格段に上がるんだ」
「物質に魔力を流し込む」ということの難しさは先ほど述べた通りである。
絶句するティスタに、トーゴは人の身でも出来る様なアドバイスをしてやった。
ティスタの戦い方は少々教本通りが過ぎる。それがトーゴの印象だった。後衛として仲間を適切に援護する技量は流石と言ったところだが、その後衛に徹し過ぎている。仲間を絶対的に信用しているからこそ、そんな戦い方になってしまうとも言えるが。だから少しアドバイスをしてやった。それは悪徳の神の小さな良心である。
「そ……そうですか。」
困惑をありありと表す返事をして、しかしその魔術に対する知識欲により、トーゴのアドバイスは興味深いものとして驚愕の陰に隠れずに済んだ。ティスタはしばし思案に耽る。
非常識な実力のこの男だが、説明ついでに教えてくれた体内魔力の意識とそれによる身体能力向上、これは何とか理解できそうだった。魔力とは全ての生命の体内で生まれるものであり、留まらずに流れる力である。無意識に使っていた力の流れを理解し利用する、ここに納得できるものはある。
しかしこれは容易ではない。体内で巡る魔力を意識するというのは、血液の流れを感じ取れと言うようなものだ。それをさらに操れだなどと……。
だがティスタは思うのだ。これを習得できたならば、ひ弱な自分でももっとみんなの役に立てるだろうか? いつも後ろで守られるだけの存在ではなくなるのだろうか? と。
難しい顔で考え込むティスタにトーゴは優しく微笑む。先ほどの無機質な瞳は、かけらも面影を残してはいない。
「大丈夫だ、ティスタ。お前には才能がある。今まで以上に役に立てるさ。」
「!……はい!」
トーゴはティスタをよく見ていた。迷宮攻略の最前線にありつつ朗らかなパーティーの中で、ティスタはどこか目を伏せるように、仲間に隠れ大人しくしていたから。
トーゴはティスタをよく見ていた。カトレア、アデンバリーが駆け回り、サレンに身を守られつつ魔法陣を構成するティスタが、いつも焦燥と悔いをないまぜにしたような表情でいたから。
ティスタの表情。その理由は、自分はこれでいいのかというもの。
ティスタには、自分はかけがえのない戦力として後衛を担っているという自覚がある。だが足を引っ張っていないかと問われれば、素直に頷けなかった。索敵能力に優れたサレンと、前衛のカトレア、アデンバリーに比べれば、自分の出番はかなり少ない。小規模の魔術を駆使することは造作もないが、万が一のために魔力はなるべく温存しておこうというのが仲間内での決まりごとだった。そして魔術を使い応戦する程の敵が現れた場合でも、自分が攻撃に参加するまでの間は守られっぱなしである。
守られてばかりの自分のままでいいのか。いつか、後悔する時が来るんじゃないか。
そんな悩みを、トーゴは見透かしていた。「役に立つが足手まとい」としての、自身の本心までを見透かされていた。
後悔しないための道筋を教えてくれた、その一言がとても暖かい。
この恐ろしい力を持った男は、この悪徳の化身を宿す男は、なんだ、存外優しい存在だったのだと、ティスタは思う。
トーゴが、内心ティスタの為に行ったこの戦闘は、驚愕と、オーガの首から上だけを残して終わった。
「な、なぁ……あんちゃん。成り行きで任せちまったけど、あんた魔術も使えたんだな……てっきり近接職かと……」
「そうっすよ……聞いてないっす! こんな真似ができるなんて……」
「私は寧ろ、体術も出来ることを知らなかったわ……」
置いてけぼりを食らっていた三人が詰め寄る。
「あぁ、アルカトレアとキャロットティスタにはそれしか言ってなかったな。」
「ティ、ティスタでいいです!」「私も、カトレアでいいわ」
「ん、そうか。ティスタ、カトレア」
昨夜、カトレアとティスタだけはトーゴの力の事を聞いていた。カトレアはリーダーだから、ティスタは体力消耗が少ないからという理由で、夜も起きていた。
トーゴを、というよりトーゴの心を蝕んだ「死の瘴気」を、凡そ20年の月日をかけてトーゴは封じることに成功した。ただし時間がかかりすぎて、250階に魔物はいなくなってしまった。いまでも魔物が生まれないことを考えると、核までもが変質しているかも知れない。
封じられた瘴気は、トーゴの体内で渦巻いている。それは純粋なエネルギーとなり、トーゴの身体能力を大幅に強化した。その結果「最大限健康に体を保つ」という副次効果も生まれ、老化が遅れたことで見た目と実年齢が一致していない。30台半ばに見えるが、年齢的には50前半と言ったところだ。
そして有り余るエネルギーは、魔力として扱うことが可能だった。それによりトーゴは10数年かけて「真っ当な」魔術を習得する。
魔術は、「呼ばれぬ神」どもの力を流用して使われる。
現在ある文明が築かれる前、神は至る所に在り、その力を使い世界の形を保っていた。それぞれの神が、火や水や土や風や、時や空間や生や死を司っていた。だが絶対者アフラ・マズダと悪徳の神アンラ・マンユが戦争を行い、その過程で神どもは、より力を求めた両者に飲み込まれる。神はその司る力のみを残して死に絶え、今世界に漂う力の粒子は「属性」という形で魔術に反映される。
トーゴはアンラ・マンユがかつてそうしたように、かつて神の持っていたその力を引き寄せ、食らい、自身のエネルギーに混ぜ込み、放出する。
使えない属性はない、ただ引き寄せればいいのだから。
集中し、術を構成することもない。この力はもはや手足だ。
自身の本来持つ魔力とは別に核融合の如く生み出されるエネルギーを使い、恐ろしい規模での魔術の使用を可能としていた。トーゴがそのエネルギーを魔力と呼んでいるのは、単に他の使い道を思いつかず、区別をつける必要もないから同一視していると言う理由である。
「体術は、強化された身体能力でのごり押しだ。魔術に関しても、俺はまだまだ使えないものが多すぎる。いつか改めてこの迷宮も攻略したいな。」
「……ちょっと待って、いま改めてって言った?」
「ん……あぁ、その~……なんだ、すまん」
既に一回迷宮を攻略している事がなんとなくいたたまれない気持ちになり、つい謝ってしまう。
「嘘っしょ……はぁ、もう驚くのも疲れたっす。あ、ネタバレはやめてくださいね、楽しみがなくなりますから。」
「あぁ、勿論」
トーゴが苦笑しつつ了解の意を伝える。
カトレアは片手で顔を覆い、天井を仰ぎ見る。あぁ、そういえばこの男は「この迷宮の奥の奥でティマエラと出会った」と言っていた。その時に深く聞いておくんだった……。
カトレアの気苦労は絶えない。
「なあそういえば、貧血にならないのか? 傷も塞がってるみたいだし……」
「いや、現在進行形で死にかけている。」
「「「は?」」」「え?」
普段は凛としているカトレアまでもが素っ頓狂な声を上げてしまったのは仕方ないだろう。
「神の権能だろう、即死しなければ体の時が止まるんだ。ただ完治に必要な栄養を摂取し切るまでは、魔力が全部体の維持に回されてかなり脆弱になるけどな。血を爆発させずにもう一度取り込んでたら大丈夫だったんだが……」
「……なんというか、めちゃくちゃね。」
「俺もそう思うよ。ただこの状態だと、ティマエラと同じ位にまで弱くなって……ティマエラ?」
全員の背後へとトーゴが視線を向ける。トーゴの上げた怪訝な声に、全員がそちらを振り向く。見てみれば、ティマエラは五人の背後でし座り込み、ぐったりと青い顔をしていた。見るからに体調が悪そうである。
「大丈夫か?」
「おぉ……すまんの、自分でも思ったほか体力が無うて……」
「いつから無理してたんだ、遠慮せず言え。疲れただけか?」
「うむ、怪我や体調不良はもう無いぞ」
「んじゃ、ほれ」
「んお?」
トーゴはティマエラの前にしゃがみ込み、背中を差し出す。
「おー、こりゃ助かる」
トーゴはカトレアをひょいと背負う。どうやらティマエラと同じ位弱まると言うには、ティマエラは弱すぎるようだ。トーゴは弱体化しつつもティマエラを軽く担ぎ、平然としている。
カニス・ルプスの四人は転移陣を発動させる前に、素材を剥ぎ取っておこうと首だけのオーガへ近寄っていった。
「あの、そんな捨て身の技を使ってまで、ありがとうございます」
魔術以外はかなり不器用なので剥ぎ取りに参加しないティスタが感謝をおずおずと伝えてきた。冒険者の身にあって、日焼けしていない白い肌は少し生傷が目立つ。だがその頬は傷や血ではない朱色に染められていた。気恥ずかしいのだろう。
「気にするな、好きでやったことだからな」
手をひらひらと振りそう言えば、少し困ったような顔をして、少女はもう一度「ありがとうございます」と言った。
「あの、今はトーゴさん、普通の人くらいに力が弱まってるんですよね? その、何故……」
ティスタが言いたいのは、どうしてそこまでして自分にそれを見せてくれたのか、と言う事だろう。
「転移陣もすぐそこだし、いざとなったら奥の手もあるからな。あとはただのお節介だ」
ティスタはすこしきょとんとした視線を投げかけると、ふと笑った。
「優しいんですね、トーゴさん」
「悪徳の神に優しいとか、面白いことを言うんだな」
「ふふ、そうですね」
目を細めて笑うティスタは、この血溜まりの洞窟において場違いに華やいだ。それは、このか細い少女でさえ、血に塗れ血を流すれっきとした冒険者なのだという証明でもあった。仲間と手を取り合って、ここまで熾烈に駆け抜けてきたのだろう。羨ましいな、とトーゴは思う。
「トーゴ、所でその奥の手ってなんなの?」
オーガの牙、目玉を綺麗にくり抜いてカトレアが戻ってくる。どうやら話を聞かれていたようだ。
「あ、この素材はトーゴにあげるわ。使わなくともお金にはなるわよ」
「いいのか?」
「貴方が倒したんだし、当たり前よ。それより今はその奥の手の話。貴方のこと、もっと教えて頂戴?」
傍から聞けば口説かれているように、トーゴは手の内を明かすことを要求される。別に断る理由もないのだが、口の上手い美少女というのはなんだか相対していて苦笑いさせられる場面が多そうだと思うのは、カトレア相手では仕方が無い。
「それは構わない……が、自分の事ながら割りかし悍ましいぞ?」
「それむしろ気になるっすよ」
「そうか……」
アデンバリーとティスタにまでうんうんと頷かれ、若干どうしたものかと困る。この若者たちは対人関係においての物怖じというものを何処かに置いてきてしまったのではないだろうか?
「二つあるんだが……一つ目は俺の四肢を落とすことだ。特殊な剣を使ってな。」
「これじゃのー」
ティマエラがトーゴの背負った袋から剣を取り出す。胸焼けするほどにゴテゴテと金銀、宝石で彩られたロングソード。刀身にまで輝く宝石が埋め込まれており、その価値は計り知れない。
「四肢を落とすって……そりゃまた物騒な方法だな」
「この剣はスプンタ・マンユの作ったものらしい。これで切り落とされた俺の足や腕は、善の神に対抗するためだろう、意思を持って動き出すんだ」
「えっと……じゃあその足は、その力を使ったから……ですか?」
「あぁ、そうだ。本来は元に戻るはずなんだが、制御しきれずに暴走してしまって……そいつ、まだいると思うから迷宮499階層に挑むときは注意してくれ」
「何してくれてんの……」
「ははは」
カトレアが呆れ返る。先程のような暴力に相対せねば、迷宮攻略に手は届かないのか……。四人はさらなる研鑽を密かに心に刻みこむ。
「で、もう一つは何すか?」
「あまりやりたくない事なんだが、ティマエラの血を飲む。今足りないのは血だ。場合によっちゃ肉に齧り付くことにもなるんだろうが」
「あぁ~、なる程そういう事っすか」
「そう、不死だからな。だがやりたくない理由ってのがだな……」
「まぁ、仲間を傷つけるのは気が進まないわよね」
「それどころか、不死の治癒力で傷が塞がるもんだから、何回も傷をつけなきゃならないんだ。一回やった事はあるが、お互い肉体的にも精神的にも深手を負ったよ……」
酷く疲れた様子で当時を語る。カトレアの思惑通り、少しだけトーゴは自分を語ってしまった。この迷宮で過ごした34年を少しだけ振り返り、しかしあまり思うところもないな、と感じる。この魔窟に転がり込み、ティマエラと出会い、そこから少しだけ波乱。鮮烈に思い出せるのはそれくらいで、あとは一切をただ繰り返してきた毎日。それが終わりを告げ、新たな物語の濫觴となる。
「そんじゃ、そろそろ行くか?」
直径三メートルほどの魔術陣の上に立ち、アデンバリーが魔力を流し込む装置を発動させる。鉄のレバーを引き、歯車がガリガリと回る。魔力が溜まり陣が赤く光れば、次の瞬間には地上の門に現れるという。
「この階層の転移陣は、取り回しが悪くていけねぇや」
「こんなとこにきちんとしたモン置けってのが無理な話っすよ。諦めて待ちましょう」
どうやら上の方の階層ではもっとスマートに転移が発動するらしい。だが設置がその分手間のようで、この危険な奥地にそれを設えるには至らなかったようだ。
「久しぶりの地上でしょ? 何か真っ先にやりたい事ってある?」
「美味い飯が食いたいのう……魔物の肉は固いからの」
「あら、じゃあ美味しいお店を紹介してあげる。今度一緒に行きましょう?」
「おぉ、是非に!」
トーゴはしばし考え込む。やりたい事、と言うよりやらなければいけない事を意識していたせいで、真っ先に、と言われると何も思いつかない。
そう言えば地上には風が吹き、日が照っているのだった。さぞ爽やかで眩しいんだろう。記憶を頼りにそう思う。
「そうだな、太陽が見たい」
「ふふっ、なにそれ」
トーゴならではの答えだろうか、カトレアだけで無く、サレンやアデンバリー、ティスタもくすりと笑う。
「今日は確か晴れですよ、トーゴさん」
ティスタがトーゴの目の前でふわりと体を揺らす。やけに楽しげな動作は、この迷宮であった様々な事が起因しているのだろう。
陣が音もせず光を放ち揺らめく。歯車の音はいつの間にか止まり、不思議な静寂が辺りをこだまする。ティスタやカトレア、カニス・ルプスのメンバーを眺めトーゴは不思議な高揚感と寂寥感に包まれた。
「そうか、そりゃいい。明日も晴れだといいな」
やがてそこには何も無く。かすかな空洞音と、どこからか聞こえてくるからり、からりという音を響かせ、善悪の居なくなった迷宮は今日も鳴動していた。