トハンにて、その3 「愛と情」
風邪ッ引きの頭で急遽差し込んだ前回を書き上げ、未だふらつく状態で前回の修正を致しました……。ストックが少なくなっているので、次回投稿が三日ほど遅れる可能性大です。申し訳無い。
多分ボロがまだたくさんあると思うので、また前後の話に修正を入れるかもしれません。その際は最新話投稿時にお知らせ致しますので、どうかご了承下さい。
最近急に冷え込んできました、皆様も風邪にはお気を付けて。
これからもよろしくお願いします。
あれから盗賊達に頭目は死んだと告げ、そうすれば信じられないと涙を流す者までいたのにはトーゴ達二人ともが驚いた。頭目について幾つかの質問をぶつけるがこれといった情報は得られず、あの男が仲間思いの良き首領だということが分かっただけであり、しかし謎の二人組については四年前の話だと言う情報を得られ、それだけでも良しとする。
そしてトハンに来て四日目、山道の巡回の最中に盗賊共の根城だったであろう洞窟を見つけ、そこの中を探索してから戻って来たところを村長ともう一人に出迎えられた。
副依頼発注主、二ゴー。背は少し高め、金の長髪をさらりと靡かせる、美形の男。歳は五十代に至るか分からない。その見た目もあって年齢は少し謎だ。薄く髭を生やしており、ハリウッド映画なんかに出ていそうな出で立ち。こんな村には、と言ってしまうと悪いが、似合わない。
「あなた方が依頼を? 感謝します」
「事情を詳しく聞かせて貰いたい」
「勿論。では私の家に」
一切嫌味を感じさせない振る舞いだ。それ故に人間味に欠けている気もするが。
案内されたのはニゴーの家だった。漆喰塗りが剥がれかけた小さな家で一人暮らし。家具も食器も少なく最低限。狭い居間の二人用のテーブルにつき、明らかに今封を開けた新品のコップに蜂蜜の薫る、しかし甘くない紅茶を淹れて出される。ニゴーとトーゴが椅子に座り、ミューはトーゴの膝の上だ。トーゴはとても紅茶が飲み辛い。ニゴーはそんな二人を全く気にする事なく口を開く。
「申し訳ありません、こんなところで。何せずっと客人など無かったもので」
「普段は何を?」
「家に引きこもってますよ。仕事も辞めてしまって、やることも無いのでね」
「……では、何故暫く留守を?」
「友人に会いに。依頼の説明をしましょうか」
半ば強引に仕事の話へとシフトする。
トハンの端から出る、丘の向こうの寂れた古道。それは腕白な少年ですら立ち入らない暗い林の中へ伸びており、行き先は不明。しかしその途中から別の道が合流し、その元に一つの館があるそうだ。
館は古道よりも尚古ぼけ、今にも崩れそうな廃洋館だそうだ。かなり大きく、これは一人で調べるのは大変そうだと判断したニゴーは、それを手伝ってもらう為に依頼を発注する。つまり、ニゴーもついて来るらしい。廃墟探索、楽しいと思いませんか? などと聞かれたところで、どう答えようともついてくる気だっただろうが。
「面白い発見の一つや二つあると良いですね」
「……そうですね。」
「では、行きましょうか。準備が出来るまで少々お待ちを」
フットワークが軽過ぎる。数日家を開けて帰って来たばかりだというのに、もう出発するのか。まだ昼と夕方の境目だが、帰って来るのは何時になるだろうか。非常食を持って来ておいて良かったとトーゴは思う。
ニゴーはてきぱきと革と板金の鎧を身に着け、サーベルを腰に指す。その動作はやけに手慣れており、サーベルの柄も磨り減っている。
「戦えるので?」
「……えぇ、まぁ。」
初めて、ニゴーの表情らしい表情を見た。
何故、憂愁に目を伏せたのかは、まだ分からない。
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その日の内に、ニゴーと共に館へと向かう。丘から見た雑木林は、端的に言って大きかった。木々の密度こそ低いものの、丘から見渡す程に深い。ニゴーの指差す方を見れば、建物の屋根のような、不自然な朱色が見て取れた。
「あそこで何が行われているのか、それを調べましょう」
「中に人がいたら?」
「襲われたら、倒せますか?」
「……案外、強引な方だ」
ふっと笑う。あんな館に住む者が居るとしたら浮浪の類だろうし、それがもし立ち向かって来るならば結局力で解決してしまえと。単純で悪くない。トーゴならばそれが為せるのだから。
ミューに加速魔術を施してもらい雑木林を駆け抜け、ばしばしと風を切りものの数分も立たずに館へ辿り着く。館もまた、大きかった。カトレア宅、つまりゲートゲート家よりは流石に小さいが、貴族の家が自然に飲み込まれたのだろうか、そう思わせるほど豪奢な造りをしていた。砕けた石膏の裸婦像と水の止まった噴水が中庭にあり、鉄門はボロボロに錆び、館の窓は割れそこに蔦が這い回っているが。
「……“もりのようかん”」
「ん?」
「いえ、なんでも」
錆びた門を遥かに跳躍して越え、館入り口まで一足飛びに移動する。重厚な木製の扉はかつての面影も無く草臥れていた。トーゴは耳を澄ませるが、何も聞こえない。強いて言うなら館全体が軋んでいる、それだけだ。
ゆっくりと扉を開け、埃が舞うのを煩わしく思いつつ中へ入る。積もるほどの床一面の埃には、新しい足跡があった。
「……おいおい」
「……タイミングを損ねましたか、仕方無い」
正面にある階段は二股に分かれて階上へ繋がっており、一階には五つの扉。その全てからずらりと人が出て来た。その数、十人。全員、顔が無い。
顔の上から覆うように縫い付けられた、色の違う、土色の皮膚。それが表情を一切隠している。彼らは一様に使い古して所々破けているフードの付いた濃紺のマントを着ており、殆ど見分けがつかなかった。幽鬼の如く姿を表した彼らは、幽鬼の如く体を揺らめかせ、瞬間トーゴ達へと襲い掛かってくる。
その瞬発力、速度は共に人外。上半身を反らせ、腕だけが標的に伸ばされ、ゾンビのようにも獣のようにも思える。
「お決まりの文句はどうしたっ、クソ!」
今日は11月4日だ、ハッピーハロウィーンには少し遅い。まぁまず、この世界にそんな文化は無いのだが。トーゴはいかにも怪しいですと言った彼らのそんな格好を、まるで秋の収穫祭に見かける仮装のようだと、そんな発想に至ったのだった。暢気な事である。
唐突過ぎる戦闘の幕開けにトーゴは詮無き悪態をつきつつ、最初に飛び掛かってきた三人を回し蹴りで吹き飛ばす。壁に一斉に打ち付けられて、更に止まらずぶち抜き向こう側の部屋に瓦礫ごと突っ込んでいった。走ってくるもう二人は両手で顔面を押し戻す。突っ込んだ勢いを殺せずに、進行方向と逆へ曲がった首がごきりと鈍い音を鳴らし、二人は同時にその場に倒れ伏した。奥の三人は魔術を使おうとしている。両手を突き出し、顔面の皮膚に魔法陣が浮かび上がる。それを、
「【煉赫】!」
空中に現れた炎の剣、斧、槍が弾丸のように飛び交い突き刺し、紅蓮の針山と見紛う程にして止める。彼らはびくびくと痙攣したのちに一様に膝から崩れ落ちた。
それを最後まで見届けることなく、トーゴは残りの二人はどうなったと首を回す。
瞬間、ぞわり。と寒気が背中に走る音がした。両の足首が二人の人物に掴まれている。何時の間にここに、と思ったが、それは目当ての二人では無かった。
首がおかしな方向に折れ曲がり、錆び付いた動きでトーゴの体に腕を這わせるそれら。間違い無くニ撃目に首を折ったはずの顔無しだった。信じられない光景に、これは人では無いという認識が少し遅れてやって来る。
「メリーロウ!」
トーゴの体から、魔術が放たれる。ミューの咄嗟の反射魔術だった。体に魔力を纏わせる援護魔術の応用だ、虫除けに便利である。それを最大出力で発動し、虫どころか大男一人なら弾き飛ばす程の威力として発動する。ミューの才覚と、ハーフエルフの長けた魔力操作あってこそだ。
しかしそれでも、せいぜい人形の腕を剥がす程度の結果に終わる。それにこの分だと他の個体も復活するだろう。早く倒すには。
これしかない。
「……薄々分かっちゃいたがなぁ」
ずどん、と音がする。トーゴは躊躇いがちに、だが一息に人形の首を落とした。切れ味自体は余り良くない震洋が、肉と骨を断つ感覚を手に伝える。それは強烈に三十四年前のあの日を思い出させ、戦意をがりがりと削いで行く凶器だ。迷宮の魔物相手では何も感じなかったのにと苦笑う。なまじ人の形をしているからだろうか? だがこれは命無き人形だ。そう思い直して技を繰り出す。
「【庫蜂】!!」
隣の部屋に吹き飛んでいった人形への攻撃。範囲を絞り、威力を底上げし、彼らの頭を容赦なく砕く。これなら感覚が無い分幾らかマシであった。
一瞬視界に捉えた残りの二人は、一階奥へと移動していった。人間の体で、無理に四足歩行をしていた。まるで人の身体の動かし方を忘れ、その歩き方しか知らないような動き。速度は遅いが、単に気色悪くてトーゴは追おうとしなかった。
「大丈夫か、ミュー。ニゴーさんも」
「えぇ、私は平気です」
「うん。いやーびっくりしたよ、急にだもんねぇ」
「全くだ、予想もしなかったぞ」
血脂でべとりと光沢する震洋を見れば、きちんと手入れする事が億劫になると同時に、胸中に澱むものを感じる。こんな形で人の命を奪う事となろうとは思わなかった。いや、幸いと言っていいのか人では無い様だが。まさかこんな館に首を折られても動く謎の生命体がいるだなんて、一切思いもよらなかった。当たり前である。
ともかくトーゴはこれが生きた、まともな人間では無かったことに安心感を覚えつつ、一気に奇妙さと不気味さを増した「謎の館の探査」の依頼をこなす事に不安を覚えるのだった。
そして一先ずニゴーに何か知っている事はないか尋ねようとするが、それ叶わず、唐突な相手の警告の声で掻き消される。
「ニゴーさ――」
「グンジョーさん!」
「おにーさん!!」
「な――がッ!」
トーゴが頭を落とした、もう死んでいるはずの人形が化物の膂力で殴り付けて来た。脳のストッパーが掛からないその一撃はかなり重い。そこになんらかの強化魔術も相まって、トーゴの肉体相手であってもかなりのダメージとなる。
警戒なんてとてもじゃないがしておらず、トーゴはそれをまともに食らう。右肩が嫌な音を立て、もう一体には義足が拉げられた。ニゴーが持っていたサーベルで応戦し庇ってくれようとするが、意味を成さない。鞭のように薙ぎ払われた腕に容易く右腕と肋を砕かれ、敢え無くニゴーは崩れた壁際に転がった。そこには恐らくまだ動けるのだろう人形が三体いる。あのまま放置していては大怪我の為か人形に攻撃されてか、まぁどちらにせよ死ぬだろう。目の前で人が死ぬのはなるべく見たくない、その為には人形を粉砕せねば。その方法は言わずもがな。
それに一抹の嫌悪感を覚えつつも、自身の持つ力を解き放つ。あまり使いたくなかった技だが、この状況ならば限りなく有効だ。
「【愛鐵】」
震洋を天井に向かって掲げる。すればその空間だけ切り取った様に黒い棒が、トーゴの頭上に数十、数百本も空間を喰らう様に現れた。
それと同時に、人形達の身体がごきごきと固められていく。落とされた頭も、切り刻まれた身体も、砕かれた四肢もぐちゃぐちゃになりつつ元の位置へ押し固められる。足は踵を揃え、手は真っ直ぐ横に。
それを脳天から真っ直ぐに、太く真黒い棒がなんの抵抗も感じさせず貫き、もう一本が右手から肩を通り、心像を潰し左手へ抜ける。同じ様に、大小、長短、細いもの太いもの様々な黒い杭が、串刺しというのも生温い惨憺たる光景を作り出す。黒い針だらけの十字架と化した死体が八つ。斜めに刺さっている杭は無く、上下左右前後の六方向から水平、垂直に滅多刺しにされ、一種芸術的ですらある。そこまでされてもまだビクビクと動き続けるのは、脊髄反射か人形共の生命力か。
「胸糞悪いったら無いな、この技」
「エグい……エグいよこれ……」
「流石に封印かなぁ、便利なんだが見た目が酷い」
夜すら飲み込む漆黒の十字架は、光を反射せず平坦に見える。その為に幾何学的な模様を空間に浮かび上がらせていっそ美しい程なのだが、その隙間から見える肉の色がそれを一切台無しにしてしまっていた。何かが杭の下で蠢いていると認識してしまえば、本能的な気持ち悪さが湧き上がる。
「大丈夫ですか」
そんな黒いオブジェから目を逸らしてニゴーのもとに駆け寄り声を掛ければ、その無表情を崩さずにひゅうひゅうと掠れた呼吸をしていた。
「……少し……待って下さい」
喋るくらいは出来る様だ。痛みに喘ぐような事もせず、ただ乱された息を整えようとしている。
「ミュー、包帯出してくれ」
そう言いつつ、崩れた壁へ向かう。瓦礫の中から当て木にする為の木片を拾い上げる。暗い部屋の奥には三つの十字架になった人形。目を背ければ、まだ微かに呻き声が聞こえた。その声は、聴くだけならば人のものだった。舐める様なべっとりとした声音が、耳に届く。
「……はぁ……」
悪寒を沸き立たせるその声に、トーゴはつい溜息を吐く。
謎の館からお化け屋敷にランクアップだ。きっと透明人間が出て来るんだろう。肝心の“フランケンシュタイン”が既にオチてしまっているのが致命的だが。そんな益体も無いことを考えつつ、適当に木板を見繕った。
そうしている内に戦闘特有の煮え立つような空気も幾許か冷め、平常な思考と言うものが戻ってくる。改めて冷静に考えてみれば、こいつら人形共は人間では無いことは間違いない、けれど。
けれど――最初に、向かって来た彼らを、躊躇なく蹴り飛ばし迎撃した時。首を折った時。突き刺した時。トーゴの認識では、彼らは人だった。人だと思っていた。
畢竟、トーゴは人を殺した事には違いなかった。殺人者の心を拾い上げたのだ。制御出来ない死の瘴気ではなく、今度こそ、自分で殺した。
「はッ、冗談。」
それがなんだ、と言わんばかりに自らを笑う。嗤う。何を今更そんな事と。三十四年前のあの日とは違うのだ。
命を奪う。この世界で生きるには必要な事の一つだ。やらなければやられる。生きたければやるしかない。そんな生命のやり取りが、其処此処に蔓延る。ミューのような少女ですら、それを分かっている。ケセロ平原でミューの過去を知った時から、自分もそれに納得した筈だ。覚悟をした筈だ。カトレア達も、ヴァンズも、もしかしたらイツキ達も人殺しであり、そしてそれを咎められない世界だ。それをトーゴは分かっている。
分かっている、筈だ。
がらんと音を立てて、腕の中から木片が滑り落ちる。拾い上げようとすれば鈍い痛みが腕や背中に走った。人形に殴られた時のものだ。肩からの激痛を遮断するが、しかし握りが弱い。もうこっちの腕は使えないだろうと判断する。ならばそれを利用する方法をトーゴは持っていた。
宝剣を取り出し、袖を捲って折れた肩すら抉る様に斬り落とす。重心がかなり左に傾くがそんな事で戦闘能力を損ねるトーゴでは無い。
右腕から生まれた悪魔は「渇き」。二匹の蜘蛛を上下で逆さまにくっつけたような、気色の悪い姿をしている。十一本の下向きの足は関節が不自然に多く昆虫のよう、六本の上向きの腕は人のもので、それぞれが剣、斧、槌、杭、槍、鞭を持っている。顔はなく、上部分と下部分は褐色の太い円柱で繋がっており、そこにぐるりと幾つも眼球が張り付いている。
こんなにも魔物然とした姿の悪魔を見ても、自分の殺した人形より遥かに可愛く思える。それは造形の問題だろうか。見慣れたものを少しだけ、だが決定的に歪めた姿というものは、嫌悪感をよりまざまざと感じさせるのだ。
因みに商人の護送に向かっていたドゥルジは昨日のうちに戻ってきた。なので左手の人差し指はきちんとここにある。ドゥルジは街へ商人が辿り着いたのを確認した途端に、地面を爆裂させるほどの踏み込みで文字通りすっ飛んで帰って来たらしい。心の無い彼女だが、忠誠なんかを彷彿させる行動だ。そんな彼女の行動の終始を知ったのはドゥルジの行動記録を読んだ結果であった。ドゥルジ含む四肢の悪魔の見た光景は、トーゴが見たいと思えば脳内に投影される。
「おにーさん……」
背後から声がかかる。
「ミュー……大丈夫か? 結構惨い光景だったが」
「うん、あたしはへーきだよ。おにーさんが居てくれるから」
「そうか、良かった。」
そのひどい光景を作ったのは誰だという言葉を持て余しながら、トーゴは少しだけ無理に笑顔を作る。後ろの死体を見せないように立ち、ニゴーの元へ戻ろうと言う。
ミューはあたしは平気だといった。つまりそれは、貴方は違うのだろうと言いたい訳だ。トーゴの内に渦巻く葛藤を見抜かれていたという事で。
ミューは実際、トーゴのぎこちないその笑顔を見て、胸が締め付けられた。
ミューはリンムーの森で熊に襲われたあの時から、死への恐怖、その形が明確になった。つまり、殺意を向けられる事に弱い。殺されるかもしれない、そう言った状況に陥れば、また自分は取り乱すだろう。
逆にトーゴは殺し慣れていないのだ。必要な事だ仕方無い事だと割り切れずに、人の命を奪う事を厭っている。迷宮に産み落とされた時の経験が脳裏に焼き付いて離れないのだろう。死の瘴気は、未だトーゴを蝕んでいた。
殺される恐怖と殺す恐怖、真逆だがとても近い所に自分達はいる。
今は、自分がトーゴを支える番かも知れない。ミューはそう思った。
トーゴは手頃なサイズに木片を割り、ニゴーの元へ戻る。口元の血はミューが拭き取ったようで、綺麗になっていた。肋に木を当て、包帯できつく巻く。腕も同じ様にする。右腕が無いのでザリチュとミューに手伝ってもらう。曲がった箇所をごきりと真っ直ぐに戻したというのに、彼はなんの反応もしなかった。
「痛くは?」
「無いですよ、大丈夫です」
「……貴方は、何を知ってる?」
この男はおかしい。少し前から、幾つか気になる事があった。
ニゴーは、この館で「何が行われているのか」調べようと言った。まるで何かが起こっている事を知っているかの様に。それにまず違和感を覚える。人形共が襲い掛かってきた時にも動揺一つ見せずに、ただ仕方無いとだけ言った。元から表情が乏しいがそういう問題ではない。それに、この痛みへの耐性は明らかにおかしい。折られた腕を弄くられて、しかし平然としている。その様は、まるで人形だ。
そして、その不自然さを隠そうとしない。怯えたり顔を顰める演技すらせず、まるで自分が奇異だと知らしめる様な振る舞い。そんな男への疑問は、本人の口からあらましを語られる事によって、するすると解けていくことになる。
「……私は五年前までこの館に住んでいました。主に、捨てられたのです」
「何……?」
「タイミングを損ねました。やっとお話できる。」
――二号は数十年前にこの館で生まれた。
人造人間の、一人として。
ニゴーの主は、人間の創造と言う禁術の再現に躍起となっていた。人を攫い、殺し、健康優良な部品を組み合わせて人形を作った。しかし出来上がったのは、ただ動く死体を生み出す術だった。出来損ない共は顔を隠され、疚しい館を守る使い捨ての護衛兵となった。心を持たない肉人形はいつしか数十体を超え、一向に成功しない禁術に、主は行き詰まりを感じていた。
そんな折、二人の友人すら失う。流行り病によってこと尽きたのだ。もう既に狂っていた主は、それすら利用して実験を行った。
それは、思わぬ実を結んだ。
一人目は、記憶すらそのままに蘇生が為されたのだ。しかし一旦死んだ彼は、その経験に耐えられなかった。精神が崩壊し、幼児退行を起こして、挙句の果に自決した。彼は失敗作の一号と呼ばれた。
二人目は記憶を失い性格も変わり、別人となっていた。しかしそれは確実に人間の創造だった。彼は成功作の二号と呼ばれた。
主は歓喜する。遂にこの時がと。
そして同時に疑問に思う。何故彼らは例外となったのか? それには一つ思い当たる節があった。
「私と一号は、体をほぼ生前のままにして造られました。私は心臓だけを取り替え、一号は右腕と右目だけを取り替えました。主が友人の身体を切り裂くことに抵抗があったのかは、分からないですが」
そこで主は一つの仮説を立てる。
身体をある程度そのままに人間を創造、つまり蘇生の術に似た過程を経なければ自我を持った人間は造れないのか、と。それを証明する為に、そこからはまた試行錯誤の日々が始まる。人を攫い、あらゆる殺し方を施し、あらゆる実験を繰り返した。
結果、仮説は正しいようだった。
そこで、主は絶望した。何故か。
「主はただの人ではなく、妻を造りたかったそうです。」
そう。全てはこの世に妻を呼び戻す為。
しかし妻の死体は火葬され灰になっている。もうどこにも無い。脳も、心臓も、骨も髪も瞳も何も。
身体はそのままでなければならない。ならば、それが無ければもう駄目だ。妻をこの世に創造する事は、永遠に不可とされたのだった。
その時、主は既に齢八十を超えていた。もう体力も気力も枯れ欠けて、手元にあるのは友人の面影を残した二号と、数十の人造人間のみ。
狂った主は、もう狂い切って、遂に尽きたのだった。
「次が最後だ。そろそろ、疲れてしまったね。」
窓から星を見上げて、独りごちるように言う。夜空に見るのはあの世か、妻か。
彼の妄執の人生の、最後の大実験。何をする気なのかは、分からない。彼は、二号に館から出て行けといった。
「……では、私達はどうなるのでしょう」
二号は産まれた人造人間達に仲間意識を抱いていた。きっと主はもうすぐ死ぬ。寿命かも知れないし自殺かも知れないが、なんにせよそれは確信できる。だから、そうなったあと残された仲間達をどうするつもりなのか、どうしても気になった。
しかし主は二号だけしか見ていなかった。それ以外の人造人間は、仮説証明の為の副産物としてしか見ていなかったのだ。
「君ならば好きなように生きていけるさ。今だから言うが、君だけは、そうあるようにと願ったんだ。」
「何故、私だけ」
何故とは聞いたが本当は分かっていた。造られた仮初の心と魂でも、主の気持ちを察する事が出来た。この悲惨な人生において、彼の唯一と言える喜ばしい出来事。それは二号の創造だ。二号は元は主の友人であり、当然主はそんな二号に情があった。だからこそ主は二号を捨てた。もうこんな所には縛り付けない、好きなところへ行くといいと。
妻の面影を追い求め、狂気の執着を燃料に、たった一度の人生をあっと言う間に燃やし尽くした男。彼は、もうずっと孤独だった。彼が二号に語りかける時には、二号という人造人間では無く、二号になった友人の姿を見ていた。つまり二号もまた、孤独だった。
しかし主はこの瞬間、人造人間二号だけを見て話す。
「それが分からない君じゃないだろう。でも、そうだね。全て終わったら、あれを開けてみなさい……やぁ、もうこんな時間だ。今の内に聞いておくよ。」
あれとは、主の篭っていた研究部屋の机の事だ。がりがりと常にペンを走らせ、机にはへこんだような筆跡が幾つもある。ニスはほぼ剥がれ、極々簡単な造りの鍵で施錠できる引き出し。そこだけは見るなと言われていた。
そして、「全て終わったら」。これが何を意味するのか、ニゴーは理解した。人造人間は、寿命が無い。そして彼には寿命がある。それももう尽きかけている。そう言う事だった。
「……何でしょう?」
聞きたい事とは何だろう。思案を中断し、主の方を向く。
息を呑んだ。星明かりを背景に佇む小さな創造主。彼の相貌は、とても哀しげで、とても申し訳無さそうにしていた。
「死にたいと思った事はあるかい?」
自分の勝手で造っておいて、こんな無為な事に付き合わせてしまって済まないと、謝るような表情。
ただ偽物の魂を持つ人形として生きてきて、死にたいと思った事はあるかい。そう問う表情。
それに、二号は答えられなかった。
ずっと、何故生まれてきたのかを考えてきたから。
ずっと、生まれた意味を見つけられなかったから。
死にたいと、その時初めて思ってしまった。だから、ニゴーはそれに答えられなかった。




