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どちらに賭ける?


 ギルドマスター、ゲートゲート・ヴァンデンドルデ・アルヴァングリッドという男。

 十一年前にとある危険地帯を発見し、その攻略に失敗。それを以て冒険者を引退した。現在は冒険者ギルド本部総責任者、通称ギルドマスターの地位に就いている。


 冒険者時代には、十四歳のころから相棒の男、ケインテール・ロガンクイッサと共に世界各地を放浪していた。二十七年を冒険者として過ごす中で数々の偉業を為し、三十七歳になり王国に留まる頃には轟くほどの名声を博していた。

 推奨階級:神鉄級の危険地帯をケインテールと共に二つ踏破し、その最奥に眠る魔物を嬲り殺し、先の戦争では豪鎚「アラバン」を振るい、単騎で200人を撃破した。獣の如く暴れ狂い、その槌と手は万の人の血を吸っている。戦いともなると我を忘れたように目を見開き猛り、その理性を感じさせない笑顔に威圧され、歴戦の兵士ですら戦意を失う。だが天性の戦場での勘は研ぎ澄まされ、冷静沈着に、正確無比に、そして何より愉快適悦に相手を砕き伏す狂戦士。

 それは若い頃の話であるが今でもその肉体は健在で、眼光は冴え渡り相手を委縮させる。老いてなお神鉄級に匹敵する実力は持っているとまで噂され――カトレアによれば噂でなく、事実なのだが――、ヴァンデンドルデは成るべくしてギルドマスターと成った男だった。

 そして付いた二つ名が「重王」である。暴力の権化とも言われるヴァンズに、畏怖の念を込めてつけられたこの二つ名を、当の本人はあまり好きではないようだ。ギルドマスターは頭を大いに使う職業だ。そんな脳筋じみた二つ名は辞めて欲しいと何度か酒の席でこぼしている。


 そのヴァンズは今、本日午後から始まるトーゴとの「手合わせ」の為に前日のうちに業務を終わらせ、午前中から体を動かしているところだった。


 ギルドに隣接する小さな練兵場、そこには普段人はほぼおらず、冒険者認定試験の為に稀に新人が立ち入るだけなのだが。


「はぁッ!!」


 ヴァンズの裂帛と共にわっと響く歓声。そして地面に転がる幾人の冒険者達。何をしているのかと言えば、ヴァンズが適当な挑戦者と共に手合いをしているところだった。

 四日前に約束されたヴァンズとトーゴの手合わせの話は、何処からか周囲に漏れ、一気に広まっていった。なにせあの「重王」の戦闘を久しぶりに見られるとあって、街は緩やかに、だが確かに沸き立つ。そこにヴァンズが朝早いうちから練兵場へ入っていったという情報が齎され、火が付いたように見物人が挙って押し掛けたのだ。その多くは冒険者含む戦う者共である。


 一階、二階、三階の外通路のみならず、高く積まれた煉瓦の壁越しに、どうやったのか頭を出して覗いて来る者までいる。最初は一人で素振りや精神統一を繰り返しているだけのヴァンズだったが、いつの間にか集まっていた見物人の一人が手合いを申し出たので、それを受け入れ軽くあしらってやった。鋼級上位に食い込む実力者だったが、何のことはない、拳一つで終わる詰まらないものだった。


 それから絶えない挑戦者の相手をしていく内に、遂には幻石級の者まで挙手をするようになり、今またその一人をのしたところだった。相手は木で模造された槍を持ち、こちらは素手である。


「弱い。リーチと払いに頼り過ぎだ。さて、まだやりたい奴ぁいるか? 火照って仕方ねえよ、誰でもいいからやろうぜ、おい」


「ヴァンズさん」


「ん? おお、お前も居たのか。どうだ、やるか?」


「えぇ。お手柔らかに。それでヴァンズさん、これを」


「おっ……ほぉう、良いだろう。」


 ヴァンズに声をかけた男、ベイ・ナコットはヴァンズに巨大な鉄棒を投げ渡す。見た目だけで数百キロはあるとわかるそれを投げ渡す優男という異常な光景に、熱の入った観衆は驚き、同時にやんやと騒ぎ立てた。素手のヴァンズに本来の武器、アラバンを渡す。それは、本気でやろうじゃないかという合図であった。


 ベイ・ナコットは冒険者としては体つきが細く、背も低い。だが身にまとっているのは軽金の鎧であり、盗賊系の職でもない。

 ではどう言った戦い方なのかというと、彼は援護魔術の天才であった。自身の体に、通常の戦士が掛ける身体強化の実に十倍ともなるそれを施し、見た目からは想像も出来ない素早さと力強さで相手を蹂躙する。見た目に騙される事の無い魔物などを相手取ったとしても、大岩程度ならば片手で投げ飛ばせる膂力でもって薙ぎ払う。自分意外の者への援護が極端に苦手なため彼は一人で活動しているが、しかし僅か八年で神鉄級まで上り詰めた実力者である。


 挑戦者がベイだと気付いた人物がまた囃し立てる。単独で神鉄級となった男と、行ける伝説の対峙。気付けば朝の九時過ぎだというのに近くの酒屋の主人を叩き起こし、酒を飲み食らう者まで出てきていた。


「では、宜しくお願いしますね」


「あぁ、来い」


「……ふっ!」


 ベイの武器は双剣だ。マチェットのような重い刀身を、その強化された腕力で縦横に振るう。飛び上がりヴァンズの頭上から刃を落とすが、それをひらりと躱され、堅い地面に深い渓間が出来る。横に飛び退いたヴァンズへ二本目の剣を斬りつければアラバンに防がれ、それをいなしつつヴァンズは横殴りにアラバンを振り回した。ベイは体を低く屈めることで殴打を回避し、一旦距離を取る。


 アラバンは、重量300kgを超える大鎚だ。二メートル程のミスリルの柄に布が巻かれ、オリハルコンの鎚頭は柄がそのまま一回りほど太くなったように伸びている。つまり遠目で見たら鉄の棍棒のように見える形となる。だがその形状で鎚と呼ばれるのには理由があった。鎚頭の重量が鎚の五割、つまり150㎏を占める為だ。棍棒としては、とても使えそうもない。その鎚を振るった際の遠心力に負けぬ常識外の筋力で、ヴァンズはアラバンを振るっている。


 そんな暴力が、ベイの頭上すれすれを通り過ぎた。冷や汗を搔かずにはいられない。

 しかしその恐怖をかき消すように、ベイは鈍い風切り音を立て双剣を軽く素振りする。あの長い鎚の懐にさえ入れば、あとは此方に利がある。


 勝てる。


「……風よ(ロケロ)

 

 素早さを大きく上げる魔術を小声で詠唱する。

 今度はヴァンズが踏み込んできた。鎚を右下段より斜め上に振り上げる。後方か左へと避けた所を、付くかそのまま鎚を振り下ろすなどして追撃する算段だ。ならば、踏み込めッ。


「ぬ!?」


 自慢ではないが、ヴァンズは自分の威容というのが人を委縮させるのにうってつけだと自負している。それは戦闘中ならば尚更だ。だから驚いた。まだ若いベイが、武器を持った自分に臆さず、寧ろ懐へと飛び込んできた事。油断していたわけではない、思い違っていた。この若者の胆力と実力を。目を細めて、白い歯を見せつつ笑う。


「見事だ」


 ヴァンズは振り上げつつある鎚から右手を放し、その大きな手のひらでベイの頭を掴む。まさかあの重い鎚から片手を放すと思っていなかったベイは、予測しなかった行動に反応できない。ベイが双剣を振る前に掴んだ頭を後方へ投げ飛ばしつつ飛び上がり、最初に向き合っていた位置関係が逆となった。投げられたベイはすぐさま反転し低い位置からヴァンズに迫る。脇腹をえぐるように、左右から双剣を交差させ切り上げる。少し後方に引くヴァンズも、体の方はその速度に反応できていない。鎚でどちらか片方を防いだとしても意味がない。とった。


「はぁっ!!」


「甘ぇ」


「っ!? うあぁっ!!」


 ゴゥン、と地が揺れる。ヴァンズが鎚を地面に叩きつけのだ。それだけで弾け飛ぶ空気の圧が肌を叩き、痛みを伴う程の衝撃波となる。岩をも砕き伏せるヴァンズの剛力、その力を今、垣間見た。

 飛び掛かっていたベイはしかし派手に吹き飛び、壁に打ち付けられる。観客共も同じように吹き飛び、酒をこぼし、つまみを散らかし、塀から転げ落ちてしまう。見ればヴァンズを中心に地面に亀裂が広がり、それは周りを囲む建物まで及んでいた。一階、二階の廊下は断絶され、塀は一部が崩れ外から侵入出来るようになってしまっている。最初のベイの攻撃でつけられた地面の裂け目が、余りにかわいく見えてしまう凄まじいものだった。


「……参りました。いつか、また」


「おう、よくやった! また何時でもかかってこい。……あー、ビエンタに叱られるなこりゃ」


 悔しがるベイに激励の言葉をかけ、ヴァンズはやり過ぎてしまったと頬を掻く。

 あまり使われていない施設とはいえ、ここまで破損してしまえば放っておけば二次災害が起こる。修理費はギルドの予算から出る為、個人の余興でここまでやってしまったとなれば確実に秘書であるビエンタに説教を食らう事になるのだ。多分二時間ほどかかるだろう。


「ま、いいか。他にいるか?」


 流石に居ない。老いた所でヴァンズは怪物だ。目の前でまざまざとそれを見せつけられ、なお挑もうとするものは酔狂か戦闘狂だけである。

 殺し合いする訳じゃねぇってのにとヴァンズは少しがっかりしたが、時計を見ればもう九時を半分まわっている。風呂にでも入り、トーゴとの手合わせに向けて一旦クールダウンをしておこうと練兵場を後にする。そして執務室でのんびりとアラバンの手入れをしていたところに、ビエンタが青筋を立てて説教をしに来た。そのせいで約束に遅れそうになったのだが、自業自得と言えるだろう。




 トーゴは約束の午後より少し早めに訓練場に着いた。コロセウムが四つ組み合わさったような造りでかなり広大な敷地を持つ。中央に広場があり、それを取り囲む観客席が並び、一番高い座席の背後の通路を通れば、隣の広場の観客席まで行き来できるという代物だ。

 その四つに区切られた広場は、いつも二つ以上が冒険者や軍属希望者達の訓練に使われている。国の雇った指導官は良くも悪くも凄まじいスパルタで、途中で心が折れ投げ出してしまう者も多くいるらしい。


 そんな怒号の飛び交う訓練場は、今日は一層賑わっていた。第二広場に人が押し掛け、その中には朝のヴァンズの稽古を見ていたものもいる。闘技大会があるわけでも無いのになんだこの騒ぎは、と思っていたが、比較的街に出ているティマエラが教えてくれた。


「あのヴァンズが久しぶりに暴れるとあって、王都はちょっとした騒ぎじゃぞ。トーゴ、緊張しとるのか?」


「いや、つまりこの人数に見られるんだろう? 初めてだぞ、そんな」


「でもおにーさんならあっさり負ける事もないでしょ?」


「そりゃ、そのつもりだが……」


 訓練広場入口の暗い通路から少しだけ顔を出し、観客席を埋める大勢を眺める。その数三千は下らない。そんなに暇な奴が多いのかと言われれば、多いのである。ただでさえ大陸でも比較できない程発展した王国には、大量の冒険者たちが滞在している。冒険者たちは稼ぎさえ気にしなければ、依頼を受けずにその日を気ままに過ごす事が可能だ。数日前からこの為に日銭を貯め、今日を精一杯楽しもうという輩が多く集まっている。


 勿論目当てはトーゴでなくヴァンズだが、あの「重王」が直々に手合わせを願った相手はどんな奴なのだろう、といったトーゴへの好奇の視線もまた同じ数ある。なんせヴァンズが、このように自分から打ち合いを頼む相手など今まで殆ど居なかったからだ。現れた相手をちぎっては投げていただけの荒くれが、「戦ってみたい」と思った相手。観客席には「何分持つか」で賭けを行う者までいた。これは闘技観戦の常であった。


 開戦前に適当に駄弁りリラックスするトーゴ達の背後から、暗闇をかき分けヴァンズが現れる。豪鎚「アラバン」を背負い、蛮族じみたファーをあしらった革と鉄の鎧。縦にいくつかスリットの入った兜をかぶり、その巨体はまるで熊の如く。ドシドシと足音を鳴らし、手を上げトーゴ達に近づいてくる。その目はどうしようもなく昂っていることがミューの目にすら丸わかりで、少し怯えたミューは無意識にトーゴのマントの裾を掴んだ。


「よう、トーゴ。昼飯は食ったか?」


「あぁ、美味かった。」


「……えへ」


 横に立つミューの頭を撫でつつ言う。まだ昼を少し過ぎただけと時刻は早いが、またミューに作ってもらった弁当を既に食べている。今日は鶏肉のホットサンドだった。ボリューミーな鳥をサクサクとしたパンで包み、甘辛い照り焼きに似たソースが掛かっていた。食い過ぎたお陰で夜まで腹は減りそうにない。


「はは、なんだぁ? 羨ましいな。腑抜けちゃいないだろうな?」


「むしろ力が入り過ぎてなぁ」


「はっはっは! カミサマがそんなんでどうする!」


 ばしばしと背中を叩く丸太のような、いや、丸太をへし折れそうな腕。スキンシップのつもりだろうがミューがやられたら骨折しそうだ。


「ん? なんだ、双剣使いか?」


 ヴァンズがトーゴの背負う二本の剣を見て、問う。余りにも様相の違う大剣が二つ、どういう意図なのだろうと思わせるには難くない。


「いや、こっちだけだ」


「……なんだ? 舐められてんのか?」


「まさか」


 舐めているのではない、不安なのだ。「夕号」は自身の手にこれ以上ない程馴染むが、血の大剣程にその力を制御しきれる訳でも無い。観客席には結界が張ってあるらしいが、それでも万が一というものがある。

 ――つまり、死人が出てしまう可能性。それは絶対にあってはならない。


 なので、使いたくは無かったが、用意していた言い訳を口にする。


「片手がこれでな。少し小さいこっちの方が扱いやすい。」


 包帯を巻いた左手、ミューにやられてしまったものだ。それを見せつつ、ミューに目線で口実にして済まないと謝る。ミューは少し申し訳なさげに笑い、こちらこそ、と唇だけ動かした。


「はぁん……まぁいい、負けても文句は言わないってんならそれで仕舞いよ。ほんじゃ、そろそろ行くか」


「あぁ」


 トーゴとヴァンデンドルデは通路を抜け、日差しの下へ繰り出す。吹きすさぶ秋風は広場にまで届き、少し肌が粟立つ。だがそれも一瞬で、周りを囲む熱気に鳥肌は消え去った。

 眺めれば、一番前の客席にカニス・ルプスとイツキ達がいる。その横には二つ席が空いていて、もう少ししたらティマエラとミューが座るだろう。姿を見せたトーゴとヴァンズに、ただでさえ騒めいていた観客は一気に沸き、歓声まで飛んでくる。困ったような笑みをカトレア達知り合いに向け、中央へと進んだトーゴはヴァンズと向かい合う。彼我の距離約十メートル程。


 ヴァンズと相対する相手が珍しい大剣を背負った、しかし明らかに装備の整っていない新人冒険者という恰好だったので観客たちは大いにどよめいた。あの武器はなんだ、実は物凄い熟練なんじゃないか、などの声。物凄い熟練、というのは半分当たっているが、残念ながら対人戦においてはトーゴはその限りではない。

 

 そして振り上げるように背中から抜いた大剣も、透き通る黒と銀の芸術品のようなそれではなく、珍しくもないだんびらである事が殊更面白かったのか、さらにざわめきが広がった。


「トーゴさんあっちで戦うんすね?」


「後ろの剣、すごい業物だと思うんだけど……何でだろうね?」


「あれ、刀身全部アダマンタイトよ。しかも三百万ケインズ、信じられる?」


「はぁっ!? あんちゃん何したんだ!?」


「悪いことはしてないらしいわよ? あ、来たわね」


 カニス・ルプスの面々が語らっているところに、ティマエラとミューが合流する。ティスタの隣にミューが座り、そのもう一つ隣にティマエラだ。


「……ティスタ、昨日はごめんね」


「ううん、大丈夫だよ! ほら座って!」


「いやぁ楽しみじゃのう、トーゴの戦うところなんて久しぶり……いや、この前見たか。じゃがそれより遥かに気合を入れておったからのう」


「ねーちゃん、あんちゃん勝てると思うか?」


「もちろんじゃ!」


「おっし信じるぜ、大穴だな!? 手持ち全部――」


「アデンバリー?」


「……すまねぇ」


 アデンバリーが手持ちの金を全てベットしに行こうとしているところをカトレアが止める。勿論全額は冗談なのだが、あわよくば少しは儲けにならないものかと画策していたアデンバリーは、カトレアの本気の目線にたじろぎ、しぶしぶ腰を下ろす。

 そんなやりとりをしている中、イツキはパーティーの三人にトーゴの過去や正体について話していた。


「じゃあ葉巻のお兄さん、きっといい勝負をするわね」


「いやいや、信じてんのかお前ら? 滅茶苦茶怪しいじゃねーかよ。」


「まーまー、見てりゃ分かるでしょーよディステルぅ。それよりどっちに賭けるー?」


「お前一番年下の癖に、やけに遊び上手だよな……」


「一番はイツキじゃん。……一緒に遊ぼ?」


「……なんか、アレだ。その言い方止めろ」


「顔赤いよ?」


「うっせ!」


 クレバールは少々奔放であり、たまにイツキをからかって遊んでいる。一つしか年上ではない彼女にいいようにされるイツキはそれを悔しく思っているが、戦闘以外で彼女には敵いそうもないと最近思い始めていた。


 時刻は昼時。11時57分。観客席では歩き売りされている串肉や飲み物を皆が食らい、騒ぎに拍車がかかる。酒は売られていないと言うのに、顔が赤い者まで居るのは不思議であるが、つまりそれだけ楽しんでいる、そう言う事だろう。だらりと構えたトーゴとヴァンズが、そんな連中の囲む中央で睨み合っている。

 

 一分経った。ピクリとも動かなかったトーゴとヴァンズが、肩を回し、指を鳴らす。バカ騒ぎにまで発展しそうだった一種異様なテンションは張り詰めた空気にあてられ、少しずつ収まっていく。


 二分。観客が照術鏡――小規模の魔術を見て取ることが出来る眼鏡。魔力をうまく感じ取れない戦士等が良く使い、魔導士は必要としない事が多い――を通して見れば、ヴァンズが自身の体にうっすらと魔力を纏わせるのがわかる。それは身体強化魔術の前段階だ。魔力を均一に張ったベストな状態で強化を施す事によって、少しだが確実にその効果は上昇する。

 柑子色の魔力がヴァンズをゆっくりと覆っていくのに伴って、観戦者は音を発生させない歓声を胸の内に弾けさせる。肌寒い日の空の下だと言うのに、額にじわりと汗の湿りが感じられる。


 二分三十秒。ヴァンズが自身の強化を終えるが、トーゴは何もしていない。それにヴァンズがピクリと表情を歪ませるが、トーゴが何か喋りかけ、それで納得している様子だった。二人の醸し出す不敵な雰囲気に、今にも爆発しそうな高揚を湛え、観客席が完全に静まり返る。


 二分四十五秒。二人が剣を、鎚を構える。トーゴが片手で構えた事に驚愕の声がちらほらと上がったが、それも直ぐに収まり、今か今かと皆息を飲んでその時を待つ。


 そして、特に決められていたわけではないが。

 時計の長針が一直線に上を指す。正午になった。


 その瞬間、轟音。訓練場の地が割れる。


 「手合わせ」が始まった。



もう一つ、夜に投稿します。

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