化け物
小一時間後、ミューが回復したというのでドゥルジとの打ち合いを止める。ピタリと動きを止めたそれは、黒色のままどろりと液体状となり、人差し指のあった場所へと吸い込まれるように戻っていく。揺らめき動いていた黒い液体は少しずつ流動を止め、肌色に変わっていった。トーゴの浅黒く長い人差し指が元の位置に戻る。
「じゃあまず」
トーゴがミューに特訓の開始を合図する言葉を言いかけたところに、鎧がこすれる金属音、複数の足音が聞こえてくる。凡そ十数人、装備や武器もバラバラだ。魔道士らしき者もいる。そしてその中には。
「カトレア? ティスタも居るじゃないか。あ、サレンも」
「トーゴさん、何してるんすか?」
「ちょっと特訓をだな」
「ふーん……? あぁそうそう。さっきここで魔力爆発っぽいものが観測されたんすよ。なんか知らないっすか?」
「……いや何も? 取り越し苦労の様だぞ、お疲れ様」
目をそらしつつ普遍的な気遣いの言葉を投げる。カトレアのみ鋭い視線を投げつけてくるが気にしたら負けだとミューに向き直った。さぁ、特訓再開だ――
「……あぁトーゴ、あなたね?」
――ダメだ、バレた。
「えっ? ど、どういうこと?」
「ティスタ、トーゴってば案外奔放なのよ。」
「ちょっと待て、お前は何を知ってるんだ」
「ティマエラと何してるか分かってる……というか聞こえてるのよ。声が部屋から漏れてて内容が丸聞こえなんだから! あんな……あんな……ッ」
「いや、お前の部屋とかなり離れてたはずだろう? なんで聞こえてる?」
「え? あ」
「カトレア……盗み聞きはよくないっす」
「あの、カトレア……その話詳しく……」
混沌だ。それにティスタは何を聞こうとしているのか。
事情を説明してもらう。まずここにいる人物は全員が幻石級以上の冒険者であるらしい。そして何故そんな高位の冒険者達が集ってここにやって来たかと言うと、先程この辺りから凄まじい魔力の奔流が観測されたと言う。雲が掻き消える程のそれは、何が起こったのかまず偵察部隊として幻石級以上を向かわせよう、と言う事になった。そこでカトレア達が来たという訳だ。
そして勿論その魔力の奔流はトーゴの起こしたものである。カトレアの下した、八つ当たり気味に大規模魔術を放つトーゴに「奔放」と言う評価と推測は結果としては合っていた。理由が酷いものだが。
「神様って皆あんな激しいの……? 昨日のなんて」
「すまん、そこ結構心に迫るから触れないでくれ」
首を絞めたり血を飲んだりが神の普通であってたまるか。トーゴは内心悲鳴をあげる。やはりそれも見られていたのか、年頃故に覗く気持ちは分からないでもないが割とショックだ。そこも含めて強くなろうと誓ったトーゴだった。
「――と言う訳でそれは俺がやった。お騒がせして申し訳ない」
「えーっと、んじゃ帰ります? これ報酬どうなるんすかね……」
「貰えるとしたら幾らぐらいが普通なんだ?」
「偵察だけなら大体三万ケインズくらいかしら? やむを得ず戦闘になれば負傷や損壊、結果次第だけど」
「んじゃ、ティスタ」
トーゴは何かを思い付いた顔をしてティスタに声をかける。朝に弱いのか、眠そうに眼をこすっていたティスタは急に声をかけられ少し体を跳ねさせる。今日のティスタは随分カジュアルだ。肩に穴が空いて肌を出したニットと、スカート。肌寒いこの日には少し肩が冷えそうだが、ニットの暖かさでバランスを取っている。私服なのだろう。
「ひゃいっ? なんでしょう?」
「五万払う、こいつの魔術を少し見てやってくれないか?」
「えっ?」「えっ?」
こいつとはミューの事だ。ミューは突如現れた上位パーティーの面々に驚いていたが、すぐにトーゴの傍に寄ってきて裾を掴みつつ観察を始めていた。胆力が有るのか無いのかわからない行動だ。そのミューもトーゴの突然の提案につい声を上げて反応してしまう。有名な魔道士直々の指導だ、まぁ目も丸くなろう。
「あ、この子がミュアレイトちゃん?」
「カトレア、知ってるんすか?」
「えぇ、お話だけね。トーゴと一緒にパーティーを組んでる子よ」
「正式にじゃないけどな」
「へー、なんか事情が?」
「後で話してあげるわ。ところでティスタ、どうするの?」
「あっ、勿論それくらいなら! 今日は依頼も無いし」
王国上位の冒険者には、指名で大きな依頼が来る。それがあまり忙しいと自分で選んで仕事をする事ができないので、そこは窮屈かもねとカトレアは言っていた。
ただティスタにはあまり依頼が来ない。ティスタは神鉄級の中ではあまり目立たない位置にいるらしい。それは知名度とは別に、依頼を頼む相手としての評価である。なので自分から依頼をこなす事が多く、その可愛さや健気さから大きなファンクラブが出来ている事を本人は知らない。
この辺りがティスタが仲間に気後れを感じている原因の一つなのだが、今はトーゴのおかげで前向きな気持ちを持続させ頑張れていると言う。朗らかな笑顔が、殺伐とした冒険者という職業に似つかわしく無い無垢さだった。
結局「ギルドマスターに、トーゴ・グンジョーが気晴らしに晴らしたと伝えてくれ」と何とも適当過ぎる始末をつけ、この場には霧裂き黒狼の三人が残った。午後になったらティスタ以外は帰って依頼らしいが、トーゴがどんな特訓をしているのか見てみたかったらしい。
人差し指からまたドゥルジを生み出し、特訓を始める。人の形をした人では無い何かと恐ろしい速度で打ち合いをするトーゴを、カトレアとサレンが見やる。ただし、本当に見ているだけで何も言ってこない。サレンとカトレアが仲良く体育座りで並び、たまに何かを小声で話し合い、また笑い合いイチャイチャとしている。トーゴが大立ち回りを見せればまたこしょこしょと驚いた顔で小声の会話を重ねる。あれで付き合ってないのかと思う程仲が良い。
トーゴとしては何か見世物にされているような気分にならなくもない。なのでこうする。
「なぁ、見てても暇じゃないか? もし良ければこいつと……っ、戦ってみないか」
喋りつつトーゴは左腕の袖をめくり、宝剣で肩から切り落とす。突飛な行動に一瞬面食らっていたカトレアとサレンだが、一度説明は受けていたので直ぐ様冷静な思考へと切り替えたようだ。
腕とドゥルジが融合し産み落とされたのは、またドゥルジだ。ただ人差し指のそれより遥かに強く、見た目も違う。体の細さはほぼそのままに、三メートルに届こうかという体長、腕には関節が一つ増え、黒い鎧の体には蛍光色に光るラインが民族的とも抽象的とも言える、不思議な模様を作り出す。
「なにこれ、怖ッ」
「冗談っしょ? これ何階層匹敵っすか?」
「カトレアは覗いたお仕置きな。サレンは巻き込まれろ。」
そしてあわよくばもっと仲良くなれと軽く思う。この前の昼飯の際に、サレンはカトレアが好きなのかとストレートに聞いたところ、その軽薄そうな見た目に反して、初心にも顔を赤くし、頬を掻きつつ頷いた。
ドゥルジには知り合いが相手なので武器を置かせる。カイトシールドとフランベルジュは凡そその大きさから想像もできない重い音を立てて地面に落下した。込められている質量が尋常では無い。
「因みに倒せたらお前らにも五万やる」
つまりは簡単に倒せる相手ではないという事。二人が顔を青褪めさせた所でトーゴは視線を別の方へ向ける。悲鳴は無視だ。
「ミュー、ティスタ、どうだ?」
「おにーさ……あ、あれ? 左手は!?」
「ん、あれ」
「え、うん?」
ひょいとドゥルジを指差すトーゴにミューは首を傾げる。だが問題ないと言う事は理解したようだ。納得はしていないが。
「トーゴさん、ミューちゃん凄く才能があるみたいです! 反射や防御の魔術がかなり得意みたいで、第十三位階なら殆ど弾いちゃいますね! あとは援護魔術、中でも体力回復と反応系が良く出来てます。持続時間も長いですし、この年でこれはすごいですよ! あっ、反応系っていうのはですね、視覚神経に付随する意識の明瞭化を図り、同時に身体機能を強化することによって反射神経や反応速度まで上げるという、かなり高度な……」
早口で、しかし一度も噛まずに語るティスタ。きっと魔術が好きなのだろうと思わせる。迷宮でも、トーゴの魔術について真っ先に質問してきたのはティスタだった。
「そうか、良かったなミュー。」
「うん。でも殆ど全部、発動するのに目を瞑っちゃうんだぁ。それって結構怖いよね。ねぇティスタ、どうすれば良いかな?」
もうミューちゃん、ティスタと呼び合う仲なのか。女子の魔道士同士気が合うのかも知れない。
「えーとですね、片目ずつ開けるとか、あとは他の人が発動してるのを見る事ですね。どんな過程で、どんな魔法陣で、どんなことが起こってるのか。それを頭の中に取り入れるんです」
「へぇー、なるほどなるほど」
「ティスタは目を瞑らないでも発動するのは簡単か?」
「使える中でも規模が大きくなると無理ですけど、それなりのは大体。」
えへ、と笑う。もう少し自信を持って良いのにとトーゴは思うが、そこは生来の性格でありなかなか変えられないものなのだろう。今は頑張れていると言うから、見守ってやりたい、と思う。
「トーゴは目、瞑るの?」
「いや、瞑ったことがないな……」
なんせ集中しなくても体内で渦巻くエネルギーを取り出すだけの作業だ。ラジコンを操作するより遥かに簡単に魔力を使う事ができる。
「ずるいよー、それ」
「なんか、ごめんな」
強大過ぎる力というものも勝手が悪い。見せ付けたり自慢したりするわけでもなくただ事実を語るだけでもこんなにも居た堪れない。おまけにこの力は与えられたものだ。封印や制御に苦心したとは言え、他人の努力を軽く見ているようで、自分のこの実力というものはあまり好きになれない。
だからこそヴァンズと「手あわせ」をする為に自分自身の、本来のセンスで戦闘技術を磨いている訳だが。
「ちょっ、トーゴォー! これ無理ぃ! 硬すぎぃ!」
「あっ、忘れてた」
「なんすかあれ! あんなん拳の威力じゃないっしょ!」
見れば地面にいくつか一メートル台のクレーターが出来ている。拳の威力では無い、確かに。関節の増えたドゥルジは盾をかいくぐり殴りつけてくる。それだけで無く遠心力を使い鞭のように腕で薙ぐ事もする。その威力がこれ、凶悪だ。
「すまん、お前らもいずれ倒せるようになるだろ。」
ドゥルジの動きを止め、武器を拾わせる。因みにドゥルジ含む生み出された半身の悪魔は、意思もなく喋ることも自発的に動く事も無い、命令に従う人形のようなものだ。
「そんな、適当な……」
「本当だよ、カニス・ルプスはまだまだ強くなる。個人としてもパーティーとしても」
「そりゃ、私達もここが限界なんて思ってないけど。いきなりあの細長鎧は厳しいわよ……斬れないってどういう事なの」
鎧は斬るのが前提、となっているのがおかしいと思うが、自分自身も大概なのでトーゴは黙っておく。
「そうっすねー、目指せオーブラカ制覇っすね」
「オーブラカ?」
「鈍い光暈。私達が、カニス・ルプスが生まれたタロネア村の近くにある、世界屈指の危険地帯。私達四人はね、出身地が同じなのよ。」
「へぇ、道理で男女混合な訳だ」
基本、冒険者パーティーの性別は統一されている。男女のいざこざが発生してチームワークが乱れれば命が危うい為だ。その点イツキ達はまだその年齢からいざこざが起こらない、と言い切れなくもないが可能性は小さく、カニス・ルプスは気心の知れた者同士という信頼関係がある。
ならばカトレアとサレンはどうなのかとティスタに尋ねて見たが、あの二人ずっとあのようにナチュラルに恋人同士な感じ、らしい。長いこと周りも早くくっつけと思っているとの事だ。アデンバリーはパーティー外に恋人がいる。ティスタはどうなんだと聞くと、初恋もまだですと苦笑った。彼女の異性に対しての初心な反応はそういう事かと納得する。
「村のみんなはオーブラカに怯えて暮らしてるわ。いつかそれを取り除いてあげたい、ってサレンが言い出して、冒険者になる為に村を出ようとしたの。私がついていくって言ったら、それにアデンバリーとティスタも賛成した。それがもう五年前。父方の祖父がギルドマスターと知ったのはそれからなの。驚いたし誇りに思ったけど、お祖父様は私を一切手助けしなかったわ。でも、ただ見守ってくれた。」
「ヴァンズらしいな。にしてもサレンが言い出したのか、てっきりお前かと」
「サレンはああ見えて頼りになるのよ、あの人が居ないと私たちは成り立たない程にね。あ、パーティーで一番強いのもサレンよ?」
「へぇ、意外だな!」
見た目が現代的価値観に通ずる、所謂「チャラ男」だっただけに心底意外だ。確かに戦闘において場を俯瞰して観察し、的確に指示を飛ばす様は流石は王国最高峰パーティーの司令塔と言った所だったが、まさか戦闘能力までパーティー一だとは思わなかった。確かにドゥルジと打ち合っておいて息の乱れも一切無い。今度ちょっと戦ってみたいな、と戦闘技術の魅力に目覚めたトーゴは思う。自分の強さがどれだけ通じるのだろう? と考えるのは戦うものの常だろう。男であれば猶更だ。
「にしても、『あの人』ね」
「……何よ、普通でしょ?」
「あぁ、全く普通だ。気にすることはない」
「……からかわないでよ、もう」
「そのしおらしさは是非あいつの前で見せててやれ」
「余計なお世話よ。というか何で知ってるの。」
「さぁ、なんでだろうな」
バレバレだったのをティスタに裏付けしてもらっただけに過ぎない。だがこれを言うとティスタに迷惑が掛かりそうなので言わないでおこう。まぁすぐそれもバレるだろうが。
「所でこれ、おじい様との試合に向けての特訓?」
「あぁ」
「聞きましたよ、ヴァンズさんも張り切ってるっす。」
「そりゃ怖い。カニス・ルプスなら勝てるか?」
「四人ならそりゃ勝てるでしょうけど、一人、二人ならどうでしょうね。暫くおじい様が戦うところを見てないから……」
「強敵だな……」
「何も勝たなくてもいいのよ? おじい様は手合わせする事によって人となりを見極める……なんて言って戦いたがりなだけだし」
「あのおじいさんの戦闘狂っぷり、昔はもっと凄かったらしいっすよ」
全盛期には二人でパーティーを組んで世界の危険地帯を渡り歩いていたらしい、本当に人間かどうか怪しくなってくる。
武器は何を使うのか、どんな戦法を使うのか、敢えて聞かない。楽しみにとっておこう。トーゴの男心がふつふつと湧き上がり、ヴァンズとの対戦をともすれば待ちきれなくなる。
と、そんな話をしているともう時刻は昼、時計塔の鐘が鳴っているのが、ここまで聞こえてくる。カトレアとサレンは一緒に帰っていき、ティスタだけがここに残った。ティスタが言うには、この短時間でも少しずつミューの魔力操作の技術、特にコストパフォーマンスが向上してきているらしい。伸びしろにとても期待できる逸材だそうだ。
「伸びしろって言うなら、煙草は敵になりそうだな……薬が効かなくなってきてるんだろう?」
「でも辞めたくないー」
「カレンドゥラに依頼するかな……もっと強い薬を。もしくはさっさと虹の石英を潰す。」
「わー、その意気。……ね、火。」
「言った傍からお前は。自分でつけろよ……ん、ほれ」
「えっ? わ、わぁ……」
葉巻を取り出し、ナイフでヘッドを切り落としつつ火をつける。あれ、ティスタが敬語からため口になっている。まぁティスタが何歳かは知らないがミューは明らかに年下だし普通の事だろう。大方ミューが敬語じゃなくていいとでも言ったと予想する。
「ん……」
「……おい、ちゃんと押さえろ」
今まで指で押さえていた煙草を、何故か口で咥えたままに、何の支えもしていない。ミューの両手はトーゴの右肩に置かれていて、顔は近く、目はこっちを見つめている。
トーゴのほうが葉巻を押さえていたからいいが、指という支柱のないミューの煙草はふらふらと揺れ、トーゴの葉巻になかなか接触しなかった。やっとミューがトーゴの瞳から口元の煙草へ視線を切り替え、くいっと唇を動かしてタバコ同士が触れ合い、火が移る。
そんなやりとりにティスタは顔を赤くしつつも興味津々のようで、わー、わー、と鳴きながら二人を眺めている。
「……ん」
「ん。どうしたんだ?」
「何でも無い。ね、ぎゅーして」
「……今じゃないとダメか」
「うん、死んじゃう」
「えっ、えっ、ぎゅーって、え?」
なんだ、まるで甘える所をティスタに見せ付ける様な行動だ。この年の子供はこんな赤裸々なシーンを見られたくないものでは無いのか。更には不安に震えているような、不思議な目をしている。
何かあったのだろうか、この少女は良く分からない。
「せめて事情の説明はさせてくれよ?」
「うん。あ、ちょっと煙草の匂い移ってるね。」
「嗅ぐな……あとまさぐるな、そこには何も入れてない。……そっちは葉巻の箱だ。」
「……ミューちゃん、進んでるねぇ……」
「違うからな? いや違わないのか?」
「うん、進んでるんだぁ。ね、おにーさん」
「……どうした、お前」
「ん、ふふ、何でも無い……かも? ふふ」
目が虚ろだ。一度見たことがある、目の前の光景ではない、過去の記憶の光景を見ている目。あの時、ディッドベールに襲われた時のように恐怖に震えているわけではないが、同じ目だ。なんだ、今は何を見ているんだ。何をしてやればいい? 分からないからこう言う。
「……ミュー、どうして欲しい?」
ティマエラにも一昨日言った言葉だ。状況が違い過ぎるが。
ミューはそれに答えなかった。代わりに、一瞬どういう意図で発したのか分からない言葉。明るい色をした暗い瞳が、真っ直ぐに、見つめてくる。
「おにーさん、恋人いたんだね」




