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同じ弱さ

遅くなりました、すみません。

これからは一週間に一、二回程度の更新になると思います。よろしくお願いします。


 起きてきたティマエラにはすまないと謝ったが、その言葉は酷く軽く、自身の心から罪悪感と言うものが消え失せてしまったかのようだった。訳の分からない感覚に戸惑って居た所を、ティマエラがそっと抱きしめてくれた。首には自分が付けた手の形の痣があり、その下の小さな痣はもう見えなくなってしまっている。その痛ましい光景すらも、今の自分の心にはなんら響かない。客観的に自分の異常性を受け止める事しか、できない。


「俺は……どうしちまったのかな」


「なに、アンラ・マンユとして力が増しているのじゃろう。意思もそれに引っ張られているだけじゃ、余り気にするな……とは言わんが、他の者を傷付けたりはしちゃいかんぞ。」


「もちろん、分かっている」


 力の目覚め。それが余りにも急すぎる。ティマエラへの愛も、異常な性癖も、急速に育ち過ぎではないか。愛に関しては、ずっと昔から自分でも気づかなかったものが爆発したと言ってしまえば御終いなのだが。

 自身の変化が、何が起こっているのか分からないのが恐ろしい。


「もしそんな事をしたら嫌いになるからの。」


「あぁ、お前だけだ。こんな……」


「気持ちよかったのう……」


「……」


「トーゴはどうじゃ?」


 一言で言えば、最高だった。今まで経験した中で最も強い快感、最も深い快楽。

 あんな物を知ったら、逃れられない。その背徳の衝動からも逃げ切れなかっただろうから、この悍ましい快楽に溺れ、その快感を知るのも時間の問題だっただろうが。なんにせよ、ずぶずぶとこの沼に嵌るのは確実だったのだろう。


「気持ちよかった」


「ふふ、そうか。すまんが流石にこの痣は消すぞ? 外を歩けんようになってしまう」


「あぁ、ならもう一回付けてやる。ほら、一旦治せ」


「えっ、あっ」



__________

______




 今日もミューと共に平原、正式な名をケセロ平原へ向かう。朝八時には迎えに行ったのだが、既に研究所は開いていて、ミューも準備を終えていた。ニット帽を被りデニム調のシャツを羽織ったラフな格好だ。ふわふわとした髪の毛が帽子から溢れ出して可愛らしい。


「おにーさん、なんか元気無い?」


「ん? あぁ……寝不足だな」 


 あれだけ自分の異常性を目の当たりにすれば少しは落ち込む。トーゴと言えど、長らく人の世で暮らして来た。心は人間なのだ。この気分はなんだろう、途轍も無く激しい賢者の時間とでも言えばいいのか。


「今日はあんまり天気良くないねぇ」


「じゃあ、ちょっと傍に来い」


「え? えへへ、はーい」


 ちょっと勘違いをしているが、ミューはトーゴの脇にぴったりとくっつく。トーゴは辺りの地面を覆う結果を発動させ、「夕号」を抜く。それを天を突く様に構え、足のバネに力を溜めて行く。

 この晴れない気分と同じ空模様なんざ、消し飛ばしてやる。


「【緋為(あかなし)】ッッ!!」


 剣に纏わせた純粋魔力を、力任せに放出する。天空に向かい放たれたそれは放射状に拡散し、雲を撒き散らして消えていった。 

 全身の筋肉を使い突き上げた夕号が、現れた日の光に刀身を反射させて鈍く輝く。トーゴの絶技の勢いに負け、ミューはぽてりと尻餅をついた。


「わ……お、おにーさん何者? びっくりした……」


「……お前には、話してやる。聞くか?」


「う、うん。おにーさん、なんか、怖いよ?」


「……すまん、そこも含めて話すか……」


 神だと信じてもらうために、手っ取り早く巨大な力を見せつけたトーゴは自身の正体と、地上に出て心が大きく揺れていることを、訥々と語った。ミューには辛い過去を打ち明けられている。ならばこちらも明かすというのが道理では無いかと思った。


 そしてトーゴは、悪徳の神として力を増していき、心が飲まれそうになっている。それが怖いと、話してしまった。こんな子供に。ティマエラとの行為については流石に黙っておいたが、それを抜きにしても余すところ無く自身の悪辣を曝け出した。

 

 なぜ過去を語るだけでなく、そこまでしたのか。

 トーゴは二つ、願っていた。

 一つはこの話を聞いて、ミューが自分から離れていってくれる事。トーゴと言う悪徳の神(アンラ・マンユ)の歯牙から、逃れてくれる事。


 もう一つは、この話を聞いてもなお、ミューが傍にいてくれる事。ティマエラという特別な苦悩を分かち合う存在だけでなく、この世界で、ただ自分を認めてくれる存在が欲しかった。誰かに、自分が世界に在る事を、許して欲しかった。

 大げさだとは思うが、トーゴの心には不安が渦巻いていた。ずっと孤独な心のまま生きてきたところを、ティマエラという理解者が現れた事で、人の温もりというものを思い出してしまったのだ。だから、どうか俺を分かってくれと、内心必死で取り縋るような気持ちでいた。


 なんて甘えだ。目の前の少女よりも遥かに惰弱で幼稚な願い。この胸にある心というものは、こんなにも脆かったのか。ミューの脆さなど笑えてしまう。たった十三年を生きるこの少女の方が、よっぽど俺なんかより、強い。

 罪悪感が、少しずつ消える。知らない感情(はいとくかん)が湧き上がり、その快楽に身を任せてしまう。それが余りに恐ろしくて、心細い。だから少しだけ、情けなくもこの少女を、頼ってしまった。認めてくれと願うだけなら、許されるだろうか。


「おにーさん、怖いの?」


「……あぁ、ミューも、怖いだろう? こんな『バケモノ』」


 バケモノ……そうだな、バケモノだ。ダッカクの父親にも言われたし、否定出来なかった。あぁあの感情は、図星だったから不快だったのか。


「おにーさん、ぎゅ。」


「え?」


「今日は、あたしがぎゅーってしてあげる」


 未だ座りこみつつ、両手を広げてくる。その小さな両腕では、自分など到底抱き締められないだろうが、その優しさが堪らなく暖かかった。


「……怖く」


「無いよっ。全然怖く無い。そんなガタガタ震えながら言われたって、全然、ち~~っとも怖くない」


「え、あ?」


 気付かなかった、こんなにも手が震えている。声が、足が震えている。ミューという純真な少女、その心に、怖いと拒絶されてしまうのを、自分はこんなにも恐れている。

 この地上に出てからの二日と少しの間で、色々あった。迷宮での平坦な暮らしと比べれば、起こり過ぎる程に事が起こった。その過程で目まぐるしく変化していく自分が怖かった。それを拒絶されるのはもっと怖かった。まるで、あの死の渦巻く暗い地下で孤独に暮らす事こそが、自分の在り方だと言われているようで。


「おにーさんは凄く強い、それこそ神様みたいだけど、心はあたしとおんなじかもね。」


「同じ?」


「うん、迷子なの。色んなことが一辺に起こり過ぎて困っちゃう。心が弱いと、それについて行けないんだ。」


 心が弱い、そりゃあ、お前はまだ幼い程に若いだろう。俺が言えたことじゃあないが、俺みたいに何年も生き続けてきた奴とは前提が違うんだ。

 その年にしてみれば、十分お前は強い。この年にして、俺はもう全く弱い。だが、その度合いを同じ定規で測るのなら、俺とミューの弱さは同じなのだろう。ミューは、そう言っている。


「へーきなんて言ったけど、あたしまだ、あの光景が焼き付いて離れない。寝る前も寝てる時も頭に浮かんで来てね。その度に吸い殻が積もってくんだ……いつ消えてくれるか、そればっかり思いながら。ミルキィの事もお父さんの事も、その時ばっかりは頭に無い、自分の事だけ。消えてくのは、辛い光景じゃなくて、煙だけ」


「ミュー……」


「おんなじだよ、乗り越えるしかなくて、それには方法が一つしかない。それはその人の生き方なんだよ。あたしは瓦礫の塔に行く事でしか、絶対に納得出来ない。おにーさんは、どうするの?」


「俺は……俺は」


 残された母と二人で平和に、恐怖を時が薄れさせてくれるまで耐え、わざわざ虹の石英(クアルソ)に挑むことをせずとも生きられる。だがそれじゃあ、自分は納得しない! 

 ミューの強い意志が静かな言葉で届けられる。それは卑しくも嫉妬する程に眩しい。いつかのカトレアと同じだ。

 俺はどうするんだろう。この抗い難い悪徳の心に、自身に芽生えた「悪徳の種」に抗うにはどうすれば良いんだろう。納得する生き方とはなんだろう。


 そこで気付く。相反する二つの願いを抱え、その実全ては自らの為だけに。その独善的な考えは自身の内で一つの決定を下していた。ミューがどちらに動こうと、もうやるべき事は決めていたのだと。酷く醜いこの心だったが、今だけは感謝しよう。やるべき道は見えた。

 かつて迷宮でそうした様に、死の瘴気を抑えつけた様に、次はこの心の制御だ。何年掛かろうと俺は、心は人でありたい。その末に、後悔無く死んで行きたいから。それは、ティマエラと共に。でないとこの最後の人生、輪廻の終わりを、納得して迎えられない。


 だが、今の俺は弱い、弱いな。一人だとちょっと心細いから、俺が強くなるまで少しだけ、傍に居てくれ、ティマエラ、ミュー。


「……強くなる。心も身体も」


「うん、やっぱりあたしとおんなじ。強くなりたいよ、何も出来ないって、悔しいよ。」


「そうだな。悔しい。だから、今日は特訓するんだろう?」


「うん。おにーさんも一緒に頑張ろうね。」


「……子供にそれを言われると、弱い」


 一緒に頑張ろうなんて、こんな年端も行かない少女に言われるとは。やはりこの少女は強い。父親の死、友人への疑惑、知人の惨殺現場の目撃。その身に余るその経験を、今乗り越える為に立っている。俺なんかより余程逞しいな、と思う。


「ミュー、ありがとう」


「うん、どういたしまして。ところでさ、やっぱりそっちからぎゅーってして貰っていい? あのさ、さっき雲を消したやつで、腰抜けちゃって……」


 思えばずっと、ミューは座りっぱなしだ。いつ立ち上がるのだろうと思わないことも無かったが、あの八つ当たり気味に放った技はいきなり真横で見たらそりゃ腰を抜かすだろう。なんせあれは軽い災害レベルの威力は出ていた。


「すまん、う、お?」


 手を伸ばし抱え上げようとした所を、逆に引っ張られそのまま地面に倒される。抵抗しなかったのは、単になんのつもりか気になったからだ。


「おにーさんとおんなじぃ、えへへ、えへへぇ」


「おい?」


 目を閉じにこにこと笑うミュー。今の姿勢はトーゴが両腕を支えにしてミューに覆いかぶさっている様な形だ。誰かに見られたら変な誤解をされそうなので、早々にそこをどく。右腕を支点にして体を反転、身体の後ろで両腕を支えにするような、寛いだ姿勢へと変える。

 しかしそこへ、ミューがのそりと跨ってきた。


「おにーさんおにーさん、えへへ、いい匂い」


「お前は猫か……」


 顔をすりすりと胸に擦り付けてくる。身体を密着させ全身で甘えてくる仕草はやはり猫だ。

 そして気付く。このスキンシップに恋心やそれに近しい感情のような美しい物は無い。あるのはミューの心の隙間を埋める依存だ。失った父親とどこか似た、それでいて同じ境遇にある心を持つトーゴに、ミューは耽溺している。自分の命をを救った男が自分と同じく苦しんでいると知れば、距離が縮まってもおかしくない。そこにこのトーゴの心中の告白が重なったのだ。

 

 逞しい少女の、しかし傷付いた幼い心には、それは依存という副作用を持つ至上の抗鬱剤となった。

 もう抜け出せない。


 結局十分程もそうさせていた。満足したミューが立ち上がり、杖を取り出す。


「忘れてた、訓練しなきゃね」


「そうだな」


 まずは震洋を取り出し、ミューと相対する。構えは適当だ。魔物に対してなら幾らでも戦い方を教示してやれるが対人戦は経験が無い。


「得意属性はなんだ?」


「植物と水!」


 張り切ってそう言う。なるほど、杖に付いた青緑の魔石に沿っている属性だ。その色から予測出来る得意属性をフェイクに使う魔道士もいるらしいが。


「攻撃に使えるのは十五位階だけか?」


 魔術には第十五位階から第一位階迄の位がある。砂級ともなれば第十三位階、才能によっては十二位階を使える者もいる。ミューは攻撃職の魔道士では無いので、初歩的なもの、それこそ第十五位階あたりが攻撃に使える限界かと予測した。


「えっとね、それとあとは十三位階の魔術が二つ使えるよ。」


「へぇ、凄いな。それを使ってみてくれ、遠慮は無しで。魔力切れも気にしなくていい」


「はーい、ちょっと待ってね」


 しかし第十五位階が限界なんて予測は、流石に侮り過ぎだった。この年にして砂級を取っているだけある。

 言われてすぐにミューは集中を始める。魔道士はこの大きな隙が弱点だ。一人で戦うとなるとほぼ無力にも等しい。高位の魔道士ともなると違ってくるのだろうか知らないが、不意打ちに使うならまだしも敵の目の前で、場合によっては目まで閉じたり、何十秒も集中しなければならない。だからこそティスタに体内魔力の循環を意識するようアドバイスしたのだ。ミューに才能があるようなら同じく教えてやっても良いかもしれない。


「ギアル・ギーナ!」


 約六秒の集中。ダリアの様な花がトーゴの周りの地面に咲き誇り、花弁がぶわりと巻き上がる。その花弁が、トーゴの【梅花(ばいか)】のように爆発した。防護魔術のおかげで服に傷はない。なるほど、これは咄嗟には防げそうもない。少しの拘束効果も付いていた。


 評価としては、この技はそれなりに使えるが、威力と集中にかかる時間の割に対個人という所が痛い。しかし小規模だが、この細やかな魔力操作はかなり腕が良いと言える。それをはっきりと伝え、きちんと褒めるところを褒めれば、ミューは嬉しそうな顔をすぐに引き締め反省点を自ら模索している。勉強熱心な事だ。


「魔力操作の腕を生かせる技をいくつか習得出来ればいいな」


「うーん、いっそオリジナルで作っちゃおうかなぁ?」


 そんな事も出来るのか。才能故だろうか、末恐ろしい器かも知れない。


「次だ、もう一個あるんだろう?」


「うん、こっちのがとっておき。」


 ミューは目を閉じ半身に構え、片手で杖を持ち真っ直ぐこちらに向ける。


「ヴォーダ・ボーカ!!」


 ごぽごぽと渦を巻き、杖の先の空間から水が生み出される。ミューの体躯をゆうに飲み込む大きさとなったそれは、大きな横向きの(あぎと)となり、トーゴを左右から食い千切ろうと迫る。


「これ、十三位階の威力じゃないだろう……」


 明らかに十ニ位階は超えている……と思う。トーゴは自分の使う魔術の位階を知らないから基準が曖昧だが。右の顎を震洋で、左を素手で受け止める。

 集中にかかったのは四秒と「ギアル・ギーナ」より短く、威力も桁が違う。だがミューはこの魔術を発動させるだけで肩を上下させて息をしている。つまり消費がでかい。 

 十秒も魔術の維持は続かず、水で出来た顎はばしゃんと弾け飛んだ。


「はぁ……どうかな、はぁ、おにーさん」


「お疲れ、どこで覚えたんだ? 十三位階なんて軽く超えてるぞ、あれは磨けばかなり有用だ」


「独学。どやっ」


「へぇ、流石!」


「でもこれ、半日に一発が限界……はぁー」


「はは、ちょっと休んでろ。後で使用頻度の順に援護魔術を見せて貰うが、大丈夫か?」


「しばらく、んー、一時間くらい休んでて良いなら大丈夫」


「これ飲め」


 投げ渡したのは蜂蜜入り檸檬水だ。文字通りの魔法瓶に入れてありキンキンに冷えている。少し肌寒い朝だが、魔術を使うと体が火照るのだ、汗もかく。


 ミューが休んでいる間、トーゴは適当に土で人形を創る。腕も足も無い、射撃演習に使われるようなものだ。強度は……


「ちょっといいか、ミュー」


「え? ほわぁ」


 ミューの肩、腕、頭をグリグリと握る。マッサージも兼ねてやったので回復も早まるだろう。今ので大体の人体の柔らかさを把握した。ヴァンズは大体あれの七倍、補助魔術を駆使すれば二十倍に届くだろう。自分が言うのもなんだが、あいつは最早人間じゃない。


 ヴァンズを想定した強度の土塊(つちくれ)を十体。まず一つ目を右から左へ袈裟に薙ぐ。爆散した。


「……うん」


 次だ、次。二体目。もう一度同じように、今度は手加減をして薙ぐ。がん、と音を立てて弾かれる。がん、て。それなりに勢いはあった。ヴァンズがこの硬さだとしたら、人間の強度じゃないぞ。

 それに、ダメだ、力が増しすぎている。一層制御が難しい。死の瘴気より何倍もマシだが。


 それとは別に、本来の目的に関して一つ気付く。


「あぁ、違う違う」


 そうだ、まず間違っていた。問題は力の制御がどうのでは無かった。取り敢えず加減どうこうは置いておく。要は殺さなければ良いのだから。

 ヴァンズとは、「手合わせ」をするのだ。何も切り合いをする訳じゃ無い。相手の技をいなし、隙を見つけて寸止めで攻撃をする。なれば動かない的相手に斬りつけの威力を図って居ても意味が無い。

 ヴァンズの実力は知らないが、訓練相手が必要だ。それも生半可な相手ではいけない。奴は恐らくカトレアより強い。カトレアはあくまで「王国最高峰の冒険者パーティーのメンバー」だ。四人であってこその実力というわけである。無論カトレアは恐ろしく強い。だがそのくくりに入っていない強者はまだまだいるだろう。その一人がヴァンズと言う訳だ。


「……よし」


 ミューの近くに置いてあった自分の背負袋から、一本の剣を取り出す。胸焼けのするような豪華な装飾の、儀礼用とも言えないロングソード。スプンタ・マンユの宝剣だ。斬る事より鎧の上から叩き潰す事を目的とした事が多いこの世界、というか中世文明の(なまくら)な武器において、この剣は日本刀もかくやとよく切れる。神の剣だからそれはそうか。


 その剣で、ミューに見えないよう一番要らない指、人差し指をするりと落とす。見られてあまり困る事もないが、まぁ少し痛々しいので見せずにおこう。


 血の出ない指は地面に落ち、一気に歪み、膨らんだ。小さな皮膚や肉が黒く変色し泡のように膨らみ続け、軈て大人の男より少し大きいサイズになる。膨張を止めた黒い液状の塊はびしゃんと音を立て収縮し、一瞬にして細身の騎士のような形に纏まった。


 長い首や足、膝下まであるこれまた長い腕が、細長い胴体から繋がっている。蛇のようではあるが、蛇とは全く違い人の動きをする。見知った人の姿と少しだけ、だが決定的に違うその異形はかなり不気味であった。

 首からまっすぐ伸びて少し膨らみ、平たく丸まった、カエルの口のような頭頂部に薄い横一本のスリットが入った兜、細い体にまとわり付く鎧、そこに細長い雫を逆さまにしたようなカイトシールド、そしてフランベルジュ。名を「虚偽(ドゥルジ)」。女の悪魔である。


「えっ、これおにーさんが召喚したの? えー、怖いよこれぇ」


「大丈夫だ、俺の半身みたいなもんだから」


 さ、やるか。トーゴはゆらゆらと動くそれと相対する。ドゥルジは爆発的な速度で移動を開始し、次の瞬間には目の前にいる。常人の反応速度を大きく上回り、盾をぶつける様にしてその向こうから上段に斬りかかって来た。トーゴはくるりと避け、その背後から剣を叩き付ける。だがドゥルジは斬り付けたフランベルジュの勢いごと体を回転させ、地面を斬り飛ばしながらトーゴのだんびらと下方から打ち合う。


「はは、楽しいな」


 技量のある人型と切り合うのがこれほど楽しいとは。人差し指程度の肉から作られたそれは、生み出される力の割合ではほぼ最弱となっているとはいえ、きちんと道理に沿った動きをする。トーゴは自身の拙い技術をなんとか身体能力で補い戦う。それがずいぶん楽しい。


「……わー、頑張れ~」


 見えない速度で戦闘を繰り広げるトーゴを、虚ろに見やりながら応援する。放ったらかしにされた分後で甘えようと思うミューだった。


 あー、檸檬水が美味しい。


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