軈て曇り
カトレアの屋敷に戻り、談話室にて今日の出来事を報告する。ティマエラは無事ロベインへの弟子入りを果たしたようだ。トーゴも今日半日で起こった、カレンドゥラに会ったこと、武器を買ったこと、ミューと出会い、依頼に同行させて欲しいと言われたことを伝えた。
「なーんか怪しいわね。気まぐれに砂級まで取ってるって人は少なく無いわ、その年ではかなり珍しいでしょうけど。でもそんな娘がわざわざ、泥級の依頼どころか冒険者認定になるような依頼なんかに参加する意味って、ある?」
「単にトーゴが気に入っただけじゃないかの? 小っ恥ずかしくて適当に理由をつけたとか」
「ま、そういう事で明日から二人で行動する事になった」
「おおう、さして興味も無いんじゃな。わしもロベインのとこに置いてもらえる事になったからの」
「会いに行くよ。毎日が良いか?」
「来れる時にで良い」
「さり気無くイチャつくわね……」
「んふ。してトーゴよ、その武器はなんじゃ? 珍しい形状じゃの。」
「あぁ、これな。」
手に取ったのはあの黒と銀の長方形の剣だ。迷路のような、剣を蝕むような銀細工が禍々しくも美しい黒銀の大剣。
先程は剣を買ったとだけ報告したので、その経緯を語っていく。幽霊となったダッカクの父親と会話をしたと言えば、ティマエラとカトレアは素直に驚いてくれた。
「そんな事があるんじゃのう……」
「ありがたい事に格安価格だ。それでも三百万したけどな」
「これ、アダマンタイト……? 嘘、このサイズのアダマンタイトなんて、買おうと思えば数億から数十億はするわよ……三百万て、三百万て貴方」
「あぁ、そう言えば元は数億とか言ってたな……だが振れる奴が居なかったんだとさ。だから俺にのみ格安価格。得したな」
「え、ちょっと触っていい?」
「いいけど、何が起こるか知らないぞ?」
「えぇ。……っ!? っあ……」
カトレアが剣をトーゴから渡されると、その瞬間ふっと急によろめき倒れ込みそうになる。咄嗟にトーゴが支え、手からこぼれ落ちた剣はどさりと絨毯に落下した。
「大丈夫か!?」
「え、えぇ……ホントみたい、持っただけで視界が虹色に光ったわ。あー、チカチカするぅ……」
カトレアは目元を片手で覆い疲れたOLの如くソファへ座り込む。服装や元来の真面目な性格と合わさってその仕草がなんとも似合ってしまい、この場の誰にも分からない笑いのツボを刺激されたトーゴは黙って表情筋を固定させていた。
「そう言えばこの剣、黒の部分はアダマンタイトだろ? 銀はなんだろうな?」
「え? それもアダマンタイトよ」
「何?」
「アダマンタイトは加工の仕方によって全く違う姿になるのよ。それが『神鉄』の所以。他の石と加工の難度も手間も次元が違うと言うのに、そんな細かい細工をするなんて、狂気にも及ぶわ。死蔵されていたなんて信じられない、国宝にも匹敵するかも」
「……なんか実戦で使いづらいな」
「剣は振ってこそよ。ダッカクさんのお父さんもそう望んでるでしょう」
「ん、そうだな。」
だが先ずはこちらでは無くだんびらを使い込まなければ。
なんとなくわかる、あの剣を使ってヴァンズと戦えば、あの怪物じみたヴァンズでもただでは済まない。ヴァンズを舐めていると言われればそうかも知れないが、あの剣をトーゴが使うと余りにも破壊力が上がりすぎると予測した。それこそ神の力だ。名工の打った神鉄の名剣、増してやそれを神が振るうのならば、その破壊力は当たり前なのかもしれないが。
「トーゴ、その剣の銘はあるの?」
「あぁいや、聞いてないな。無いんじゃないか?」
「じゃあつけてみたら? 愛着が湧いて手に馴染むって人は多くいるわよ」
「と言ってもこの剣はもう馴染み過ぎるほど馴染んでるからなぁ……」
「大切に扱うって約束したんなら、名前をつければ自然と大事にするんじゃない?」
「一理あるな」
「アテはあるのか? トーゴ」
「ん、んー……じゃあこっちが『夕号』、だんびらが『震洋』かな」
「不思議な響きね。元いた世界の言葉?」
「あぁ。英雄の乗っていた兵器の名だ。因みにカトレアの剣に銘はあるのか?」
トーゴは自身の魔術や技に、いくつか日本軍の兵器や武器の名を取っている。光景としても歴史としても記憶に残っていたから、流用しやすかった。
「へぇ、良いセンスね。私のは『オリオ・デガート』工房の物よ。猫目石を意味するらしいわ」
「へぇ、なんでまた?」
「ちょっと面白いエピソードがあってね。えぇと、簡単だけど。かつて工房を立ち上げた男は猫のように美しい瞳をしていたのだけれど、ある日、瞳の無い黒猫と出会ったの。その猫はどうしても虹を見たいと言ったらしいわ。男はその美しい瞳を差し出す代わりに、善行を称えられ、素晴らしい鍛冶技術を授かった。目の見えない男の打つ武具として一躍名を馳せたそうよ。」
「面白い歴史を持つんだな。目の見えない男の鍛冶ね……怪我しそうで怖いな」
「実際怪我をして引退したらしいわよ? どこまで本当か知らないけれど、お気に入りの工房だわ。握りが軽やかでね……」
「いつかわしも、誰かのお気に入りと言ってもらえる工房を持ちたいのう」
「ティマエラならやれるわよ。がんばってね、応援してる」
「ん、俺はもうそろそろ飯か風呂にでも行かないとな。ミューとの約束があるし」
「そうね。少ししたら私も休むわ、おやすみなさい。」
談話を終え、与えられた部屋に荷物を置く。ティマエラは既に風呂を済ませていて、トーゴも遅めの夕飯をご馳走になった後にすぐ風呂に入った。明日はカティフェス研究所にミューを迎えに行き、ぱぱっと出来る限りの依頼を終わらせよう。その為には早起きせねばならない、が……
昨日着ていたようなバスローブを身に着け、貸し与えられた部屋に戻る。そこにはベッドに座るティマエラがいた。
「あっ……お、おかえりトーゴ」
「あぁ」
そわそわと落ち着かないティマエラを敢えて気にせず、部屋のテーブルにある紅茶を渋めに淹れ、椅子に腰掛けて飲む。手元には魔物大全、明日に備えたちょっとした予習だ。
紅茶は日本ではあまり好んで飲む方では無かったが、カトレアの屋敷のものは、この様に部屋でゆっくりする時は必ずと言っていいほど飲む程度には気に入っていた。今度何と言う茶葉か、どういう淹れ方がいいのかシェモに聞こう。多分高くて手が出せないだろうが。
カップになみなみと注がれたそれを飲み終え、普段ならこう言う時、本を読み続けるかもう寝るかしていた所だが、今日はそうも行かないだろう。
ベッドに座るティマエラの横に、とさりと座る。びくりと震える肩を、右手で抱き寄せた。真っ赤になって俯く彼女はトーゴが紅茶を楽しんでいる間、ずっと手持ち無沙汰にちらちらとこちらを眺めて来るのだ。それがどういう理由か分からないトーゴではない。だが、敢えて苛めてみたくもなる。
「ずいぶん落ち着かない様子だな、どうした?」
「……別に……何でも……」
「そうか。明日も早いしな、お前も早く――」
「っ! あ、あのっトーゴ! あ……」
体を横倒し枕に頭を載せ、もう寝ようとするトーゴにティマエラはつい声をかける。そんな、明後日には毎日は会えなくなってしまうと言うのに。トーゴは寂しくないのかと、ありきたりな台詞を投げつけようとして、辞めた。
ベッドに半身を投げ出したトーゴの表情が、嗜虐心と悪戯心に満ちていたからだ。
「わ、わざと、か。わかっててそんな」
「すまん、つい可愛くてな」
「う……はぁ、わしも単純じゃの……」
可愛いと、それが本心だと分かるから絆されてしまう。悪い男に惚れてしまったものだ。悪徳の神だから仕方無いか。
「どうして欲しい」
「……それを言わせるのかの」
「恥ずかしいか」
「当たり前じゃ。ましてや昨日あんな……」
「あんな?」
「……ずっと、忘れられなくて……」
あぁ、やはり。満身の力を込めて愛してやったのだ、一日そこらで頭から離れてもらっては困る。それこそ不死である限りずっと、ずっと忘れられないように、トーゴは自分自身を愛という形でティマエラに刻みつけた。その方法は想像にお任せする。
トーゴはティマエラの服を脱がせる。昨日しつこく首筋に付けたキスマークはまだしっかりと残っていた。今日はどこに付けてやろうか。肩か、腕か、胸か、腹か背中か腿か爪先か。
「言った通り治してないな、偉いぞ」
「子供扱いするな……」
ベッドに押し倒されたティマエラはトーゴに頭と体を撫でられ、せめて口で反抗しようにも心地良いのだから反抗心が湧かない。大きく逞しい身体に覆いかぶさられる。また昨日のように愛してもらえるのか、それとも初めてだったせいか昨日はやけに優しかったから、今日はまた違うトーゴが見られるのだろうか。否応にも期待が胸を高鳴らせる。
(そんな目で見られたら理性が……)
トーゴが自身の深過ぎる愛を自覚していないように、ティマエラも自身の魅力と言うものを余り知らない。美人と言う事は自分でも分かっているが、今のように。
その白い肢体についたしなやかな筋肉、それが紅く染まれば艶かしい肉の色となる。控えめだが美しい腋や鎖骨からのラインを描く胸、スレンダーだがしっかりと柔らかい身体。久しく遠ざかっていたトーゴの情欲を全て引きずり出すような、人の身にあって天然の淫魔の如き瞳。確実に愛と、そして快楽への期待を孕んだ視線。それを、ティマエラは自覚していない。
「……今夜は、少し激し目で。」
「……期待、しとるぞ」
そしてトーゴの理性は案の定崩壊した。組み伏せ、手を、舌を、女の肌へ滑らせる。
うなじを擽りつつ、ティマエラの瞳を見つめる。
「……綺麗だな……」
「っっそんな、見つめつつ言うんじゃなっ……ん、ふ……」
トーゴはキスをせずにティマエラを苛めて行く。後から乾く暇もないほどするのだから、今はお預けだ。
神々の夜は長い。
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「おにーさん、宜しく!」
「あぁ、宜しく」
紺色のマウンテンパーカー、今回は戦闘もある為だぼだぼではなく、ジャストサイズのそれを羽織ったミューが元気よく挨拶して来る。片手用の白樺の杖に青緑の魔石。その体には少し大きいバッグを下げ、黒のブーツと黒いニーソ、そしてミニスカート。防御力に難はないかと尋ねたところ、援護系職業だから防御魔術を使えるとの事だ。
リンムーの森、カティフェス研究所から程近い南南東の土地にそれはある。研究所が稀に実験動物の補充に訪れるそこは高くない木々、葉の間から差し込む光、適度に生い茂る草むら、平坦な地面。あまり深くないその森は、魔物さえいなければピクニックなんかに最適であろう。だが猿や熊などまで出没する可能性もある、れっきとした危険地帯だ。
森へ入って三十分ほどのところに、お目当てとしていた薬草類が様々に折り重なり生えていた。
「あとはニルクラート……これか? よし」
トーゴは手際よく四角い竹のようなもので編まれた虫籠のようなものに、採取した薬草を放り込んでいく。気持ち多めに採っておく。
ニルクラート、ミントに似た葉を螺旋階段状に付けた草が群生している。鎮静剤の材料らしい。
「おにーさんおにーさん、あれあれ」
「ん? うおっ」
目線の先を茶色い毛をした潜り兎の群れが駆けていく。その数二十程か、これは好都合だ。
因みに何故「潜り」兎なのか。彼らは地面でなく木や岩に歯で穴を開け、それに潜り住むことが由来だ。その丈夫な歯はアクセサリー等に使われ、何かと需要が絶えない。毛皮や後ろ足の肉もそうだ。そのありふれた素材を採取するのが今回の依頼だ。すぐさまトーゴは結界魔術を発動させる。
「【樫普】」
ぐおん、と鈍く低い音を立て、トーゴの足元から半円状のドームが現れる。勢いを増し膨張したドームは、潜り兎の群れを追い越し囲んだところでその勢いを止めた。見えない壁にぶつかり、戸惑う兎。その小さな心臓を、トーゴは的確にえぐっていく。刃渡り十七センチ、柄が十二センチと柄の比率が大きめの短剣。まっすぐ伸びた細めの刀身に、滑らかに削られた木製の柄。ミスリルと鋼を打ち合わせた逸品だ。
「小回りが効いていいな。流石に高かっただけある」
「え、終わり? はやっ」
多分手伝おうとしていたのだろう、白く可愛らしい杖を構えたミューが背後にいた。出番を与えずすぐ終わらせてしまったのは少し申し訳ないが、こんな初歩の依頼でそんな意気込むことも無いだろうと感じる。
「終わり。あとは粘土を取って帰るだけ」
「一応聞くけど、傷は?」
「ないな、有難う」
この世界には回復魔術やポーションなんてものが無い。せいぜいが飲んだり塗ったりする傷薬だ。厳密には一切無い訳では無く、回復魔術の仕組みが、身体の治癒機能の働きを無理に早めて傷を癒やすと言うもので、術者の魔力コストパフォーマンスが余りにも悪く、その上治癒された側も体力を使い果たして結局数日寝込む事になる為、存在しないと言わしめる程に使い手が珍しい事が理由だ。
種類は多いが使い勝手が悪すぎる為に回復魔術は普及せず、その知識が存在するだけとなっていた。
代わりに身体を強化、保護する魔術や解毒、解呪等に使われる魔術は多くあり、どれも発達している。援護系職業もある程度多い。前衛職は自分か仲間に援護魔術をかけてもらい、怪我をしたら傷薬。それが普通である。
だからミューも杖を構え、トーゴを援護してやろうと思っていたのだが。傷を負えば手ずから薬を塗ってやろうと思っていたのだが。それはトーゴの速やかな仕事により叶わず終わった。
「むぅ……」
夥しい兎の死体を手に取り、歯や毛皮や肉を剥ぎ取っていくトーゴに背を向け、小石をコツンと蹴る。予想はしていたが、これじゃあ本格的に出る幕が無い。無力感をぶつけた小石は、茶色い毛の塊にとさりと受け止められた。
「え……?」
ディッドベール。明るい茶色の体毛を持った体長三メートルを超える熊の魔物。稀に森の浅い場所にも出現すると言う、リンムーの森最大の脅威。推奨階級は石級から岩級である。それが、唸り声をあげてミューを睨みつけていた。口には一匹の兎が咥えられており、その体毛が赤く染まっている。あの潜り兎の群れは、こいつから逃げていたのだとすぐに理解した。
死を具現する光景に、ぶつぶつと眼前が光る。眩暈にも似た閃光が瞬き、思い出したくない記憶が、高速の紙芝居のように脳裏に浮かぶ。
「あッ、あ」
声が出ない。こいつには自分の防御魔術では心許なすぎる。トーゴは数メートル後方で剥ぎ取りを行っている。ダメだ、大怪我をする。いや、死ぬ。ほら、あの豪腕が振り上げられている。数瞬のうちにあたしの体は――
目を瞑ったミューは、しかしいつまでも訪れない痛みと衝撃に、一体何がと目を開けた。
ディッドベールが木の近くから動かない、いや動けない。ミューを薙ぎ払おうとしたその腕は、投げつけられた震洋によって近くの木へ固定されていた。木は筋に沿って縦に亀裂が大きく入り、そして自分の横には、トーゴがいる。
「ミュー、大丈夫か?」
「あっ? う、うん。大丈夫」
複数の獣が折り重なったような獰猛な声で悲鳴を上げる大熊。その威容にミューは震え、ニ歩程も後退るが、その震えを収めるように、トーゴが優しく肩を抱いてくれた。
「大丈夫だ。ところでミュー。血と内臓に耐性はあるか?」
「えっ? あ、うん、実験で見慣れてるから……」
「そうか、じゃあ少し下がっていてくれ。【蒼井戸】」
ぐばりとトーゴの右の掌に孔が空き、そこから生気のない灰色の手が伸びた。手から手が生えると言う光景に、ミューは目を瞠る。第三の手は投げられ木に刺さっただんびらを掴み、引き抜いてトーゴの元へ戻って来た。そのだんびらを水平に構え腰を落とし、刃先をディッドベールへ向ける。
「加減がどうもな……」
そう言いつつ、周囲に突風を起こしつつトーゴは剣を突く。距離としては熊へ届いていなかったが、ディッドベールの左半身は円形に消失していた。その周りの木や草も同じ様に消え去っており、まるで小さな道が森にできたようであった。
「これでやり過ぎ、か。覚えておかなきゃな」
ヴァンズとの戦いに向け、加減というものをきちんと覚えておかねばならない。あのヴァンズに手加減をし過ぎても勝てそうもないし、力を入れ過ぎてギルドマスターという立場の男に大怪我でもさせたら一大事だ。
「あの、お、おにーさん」
「ん? どうした、……まさか怪我か?」
どうにも落ち着かない様子のミューに、負傷があったかと不安になって尋ねる。だが違うようだ。ただ恐怖を引きずっているだけか。
いやそれも違う、自分の死を、身近な人の死に重ねて見てしまったのだ。父親、ミルキィの家族、幼い心に焼き付けられたその光景と、自分が重なった。つまり、フラッシュバックを起こしている。ミューは、軽度のパニック状態だった。
「えっと、あたし、おにーさんに援護魔術を、ね? かけようとしてて、それで」
「おい、ミュー?」
「何も、出来なくて。わ、たし、あの、死ぬかも、って思ったら」
「ミュー、落ち着け、大丈夫だ! 熊はもう倒した、結界も張り直した。安心しろ。大丈夫だ、大丈夫だから」
脅威が去り、時間が過ぎていくのと比例して、ミューはがたがたと震えを増していく。現実を認識し始めて、恐怖をありありと感じているのだろう。
目はトーゴに向けられているが、その虚ろな目はトーゴではなく過去の光景を見ていた。余りに哀れを誘うその姿を見ていられず、トーゴは思わず抱き寄せ慰める。安心させる言葉をかければ、少女の体では想像もつかない力で、何か大切なものを抱きとめる様に、腰に手を回して抱き締めて来た。小さな彼女が更に小さく見える。ミューが落ち着くまで、トーゴはデジャヴを感じつつ数分程そうしていた。
「落ち着いたか。」
「……うん」
涙こそ流さなかったものの、その心の傷は未だ癒えずいるのだろう。父親のこと、ミルキィの事はもう三年も前だからと言った彼女の表情は、やはり暗かったように思う。
「あたし、強くなりたいって言ったのに……」
「これからなるんだろう、今躓いてどうする」
「でも、」
「火、いるか?」
いつの間にか取り出し吸っていた葉巻を口でくい、と掲げ、靄を吸おうと持ちかける。どっかりとその場に座り、涼しい森の中で風を感じるトーゴは、ミューに少しの安心感を与えた。
「……じゃあ、貰う」
ミューはわざわざ火の着いてない煙草を口に挟み、またシガーキスを催促して来た。それをしようと思うと微妙に疲れる姿勢になるので、トーゴは掌に浮かべた炎で火を点けてやろうとする。
「ん、や。」
「む……」
断られた。傷心中の子供にぶっきらぼうに対応することも無かったなと、トーゴは葉巻を咥え直し指で揺れないよう抑える。
因みにミューは人差し指と中指の付け根、トーゴは人差し指と中指と親指の三本で摘むようにして吸っている。
「……」
「……」
立ちつつ屈むミューと足を投げ出し座っているトーゴのタバコ同士がとん、と当たる。すっと息を吸うミューの気配。ミューを見れば、じっとトーゴの目を見つめていた。
「あんだよ?」
「……キレイな目だよね、見たことない色。」
火が移った煙草を吸い、真っ直ぐ立ち直る煙を吐き出しつつそう言う。トーゴも後ろに右手で体を支え、左手で葉巻を持つ。ぴったりと寄り添って座ったミューの肩を、また安心させるように抱いてやる。
「なんて人種かも、俺は知らないんだ」
「そうなんだ、それって辛い?」
「いや、そんなこと無いな」
「そっか」
「あぁ」
もしかしたら世界に一人かもしれないのだ。なんせこの体は悪徳の神の力を持って転生させられた郡上塔梧のものだ。気にしても仕方ないと思うようにしているし、そもそも余り気にならない。
「ね、おにーさん、剣の特訓……て言うのかわからないけど、いい場所教えたげるよ。その代わり二つお願い」
「それは助かる、お願いって?」
「いっこ、あたしに魔術とか剣術を教えて。」
「教えられる程技量は無いが、まあ努力する」
謙遜ではなく事実だ。持ち前の魔力量や身体能力に物を言わせて戦っているだけ、そこに技術はほとんど無い。
「にこ、……もっかいぎゅーってして」
「ん、あぁ。じゃあ来い」
「ん、そこが良い」
ミューが指したのはトーゴの足の間だ。少し隙間を開けてやり、そこにすっぽりと背中を向けたミューが収まる。どこか遠くを眺め、手元で紫煙だけが燻る。まだその体は少し震えていた。
「大丈夫か」
「え? あ、うん。へーきだよ。ただ、もうちょっとだけ傍にいてね。まだその……ダメみたい、えへへ」
「……付いててやるから。ほら、手に灰落ちるぞ」
「おわっと、ごめんごめん……ね、おにーさん、ほら」
「うん?」
「いやだから。ほらっ」
「え……あぁ、すまん」
「ん。あったかい」
言われて気づく、そう言えばお願いの内容は「ぎゅーってして」だった。口に出すのが恥ずかしいのだろう。最初の一回こそ心細さに刈られて口をついたものの、そこから先はきちんと思いやってやるべきだったと反省する。
懐に収まる小さなミューを、左手でそっと抱きしめる。トーゴは少しだけ父性を思い出す。人並みにしか愛情を注いでやれなかったかつての家族を。葉巻を大きめの革と鉄でできた携帯灰皿へくしゃりと潰し入れ、右手でも抱きしめてやった。
ミューは回された腕に手をかけ、顔を埋める。ふるふると小刻みに揺れる小さな手、細い腕。こんな子供が、理不尽な辛い目に合う世界なのだ。そこで自分は文字通り決死の誓いをしたのだ。不死を終わらせよう、と。風の無い森で真っ直ぐ立ち上る煙を眺め、初となる依頼を、そしてこの世界を噛み締めた。
「まさか熊が出るとはなぁ……」
「……怖かった」
「まだ震えてるな」
少し前かがみになり、包み込むような形で抱いてやる。こういった経験はあったような、無いような。ともかくフラッシュバックを起こした者への対処が分からないので、なんとなく近くに寄ってやるしかない。
「おにーさんの匂い、好きぃ」
「嗅ぐな、小っ恥ずかしいわ」
「ん~~、えへへぇ」
「元気になったなら離れるぞ、おい」
「まだダメー、コレ吸い終わるまで待ってね。なんか凄く落ち着くからさぁ……もう少しだけ、このまま」
「寝るなよ?」
「うん」
冗談を交わしつつもミューの震えは止まらない。声も、少し震えていた。幼くして亡くした父親を、この状況でトーゴに求めるように甘えて来る。縋り付くその仕草は猫のようにも、迷子のようにも見えた。
(煙草の匂い、移っちまうかな……)




