瓦礫
暗い店内は葉巻の煙で満たされ、ざわめきが漂う。ガチャガチャとグラスの立てる音がやけに明瞭に響く程に、声を低くして語り合う者たち。決して隣の席を見ることなく、トントンとテーブルを叩いて給仕を呼び、注文はメニューを指すだけ。酒場「泥まみれ共」、東区郊外の路地裏を何度も曲がった日の当たらないそこに、その店はあった。
「遅いよー。女の子待たせちゃダメだよ?」
「すまん。で、頼みって?」
トーゴはマントのフードを被り、革袋に仕舞った二振りの剣を脇に置いて、席につきつつ尋ねる。相手は子供のようで、高めの椅子から脚を投げ出しぶらぶらと遊ばせている。
その体に大き過ぎる灰色のパーカーを着、トーゴと同じ様にフードを被ったその人物は、ミュアレイト・リンゲンブルーメと改めて名乗った。
「ミューって呼んでね。頼みっていうのは、あたしを『瓦礫の塔』へ連れてって欲しいんだ。いつまで掛かってもいいからさ。」
「瓦礫の塔……?」
「うん。そこも含めて説明するね」
ミューは瓦礫の塔へ行きたい理由、そしてそれにトーゴが居なければいけない理由を語りだした。
『瓦礫の塔』は、デオッサス北西に聳える天を突く塔。高さ一キロ程もあるそれは文字通り瓦礫で出来ており、何故だか崩れ落ちず、浮遊した瓦礫同士が寄り添うようにして塔の形を成している。灰色と白の石が草や蔦に彩られ、この世界においても荒廃的で神秘的なそれは、一つの信仰の対象となった。
『瓦礫の塔』内部を根城にする宗教団体「虹の石英」は、もう数十年も前からそこにあったと言う。いつから始まった宗教なのか誰も知らず、ずっとその塔にて活動を続けてきた。かつて呼ばれぬ神が司ったという星の力を求め、祈りと共に供物や贄を捧げ、何時しかデオッサスに知れ渡る巨大カルトとして存在するようになった。
「虹の石英がね……七年前から活動を激化させてるんだ。今までは団体内から生贄を選んだり、人体実験とかをしてたらしいんだけど、今では国内外で人を攫っていったり、傷付けたり、殺したりしてる。」
「そりゃまた随分と……」
「多分魔人領か冒険者の動きを察知したんじゃないかなって思うんだ。それに乗っかって派手に動いてるんだよ、きっと」
「そうだな。」
魔人領の魔人の活動が活発化し、冒険者は挙って迷宮に潜り腕を上げる。その動きは戦争が近い事を意味している。それを察知した虹の石英が行動の幅を広げ犯罪行為を繰り返すのだが、しかし王国は下手に手を出せない。嘗てない程の巨大カルトを制圧しようものなら、それは一筋縄では行かず国軍にも被害は大きく出る。何故なら虹の石英はその信仰対象が星の力であり、その力を身に着けた強力な魔道士が大量に在籍している。そして「塔」という地形も攻め込む側を不利にしていた。包囲すれば上空から魔術が降り注ぎ、踏み入れば何が仕掛けられているかわからない塔を登るしかない。戦争が起こるかもしれない状況下でそんな愚は犯せず、七年前から今までずっと、そのカルト集団の塔外での非道をやむ無く見逃していた。
「それに便乗して犯罪に走るやつまでいて……いや、これは良いか。因みに報酬は言い値でおっけー。但し完遂後ね」
「……それより何で瓦礫の塔に行きたいかだ。肝心な部分を聞かせてもらってない」
「まぁまぁ、女の子の話はゆっくり聞いてあげるものだよ? おにーさん」
「あのなぁ……」
本来ならばこんな場末の酒場のような場所ではなくリンムーの森にて依頼をこなしている筈なのだ。そしてヴァンズとの戦いにも備えなければならない。まだ一度もこの剣を実戦で振ったことが無いので、黒銀の剣はともかく、だんびらのほうを早く手に馴染ませたかった。
トーゴは呆れて、話の腰が折れたとばかりに葉巻を取り出す。一応は興味深く聞いていたのに、この小悪魔めいた少女は要らない所で「女の子」を出すのだ。
葉巻に黒いナイフで火を付けたトーゴに、同じく煙草を取り出しつつ静かにミューは言う。煙草に火を着けずに、ぽつりと漏らすように語った。
「友達がね、攫われたんだ」
「……虹の石英にか」
「うん、三年前に」
「……その友達は」
「多分死んでないよ。」
「なんでだ」
「『星魔術』っていう、不思議な魔術を使ってたから。」
小さな唇でタバコを遊ばせながらミューは言う。
虹の石英の信仰対象は星の力だ。なるほどそれならば利用価値があるとして殺されていないかもしれない。だが、殺されている、若しくは無事ではない可能性も大きい。実験材料、解剖、贄。虹の石英の目的がなんなのかは分からないが、残虐行為を臆面もなく繰り返すカルト集団ならばあり得る話だ。それを、きっとミュアレイトは分かっている。「多分」という言葉が、ミュアレイトの隠し切れない絶望を示していた。
「お前は塔に行ってどうしたいんだ」
「友達を連れて帰る」
「どうしてそこまでする」
「友達だから」
「それだけじゃないだろう。力の無い子供がそんな事考えるのはまともじゃない」
「だから協力してよ」
「理由を全部話せ」
「話したもん」
「だからそれだけじゃないだろうと言ってる」
「……」
この子供、と言ってもカレンドゥラの娘か孫、つまりエルフの系譜だろうから外見年齢と実年齢が一致するかはわからないが、それが巨大カルトに囚われた友達を救い出そうというのは無謀で異常だ。その事の大きさがわかっていない訳でもない。理由が「友達だから」だけでは余りに弱い。トーゴはそこをはっきりさせないと協力は出来ないと言う意思を込めて、ミューを睨む。行動の指針が揺れる、或いは分からないというのは、時に命取りとなる。
「……そいつ……ミルキィ・ズヴィオーズィは、あたしのお父さんを殺したかもしれないんだ」
「……! すまん!」
予想外の展開だ。悪い事を聞いてしまったとトーゴは咄嗟に謝る。その声が店内に少し響いてしまい、静寂が満ちる。今まで決して他の席へと向けられなかった視線がこちらへ刺さる。だがそれも一瞬の事で、ぼそぼそとひそめきあうような声がまた雑踏のように溢れていった。
「……ううん、協力してくれたらいつかは話そうと思ってたし……うん、話すよ。……お父さんの死体にね、……星魔術の痕跡が残されてたんだ。しかも事件の直後から殺された現場にミルキィが居たっていう噂が流れて、そのタイミングであいつは攫われた。逃亡ついでに虹の石英に迎合したなんて言われてた……でもあたしは信じてる、あいつはそんな事する奴じゃ無いって」
だが状況証拠としてミルキィが犯人だという可能性は限りなく高まっている。星魔術を使うと知られたミルキィが虹の石英に攫われ、事件に関する真偽をミルキィに問うことが出来なくなってしまった。だからそれを明らかにしたい、という事らしい。
だが一つ疑問が残る。
「お前はどうやって攫ったのが虹の石英だと知ったんだ?」
「……ミルキィの家族が星魔術で全員殺されててさ、ミルキィの姿だけ無かった。だから、確証は無いけど虹の石英かなって。あいつ等ならそれくらいやるから」
「……そう、か……すまない」
また、トーゴは申し訳無さげに謝る。情報を得る為とは言えミューの傷口をえぐるような真似ばかりしている。凄まじく居た堪れない。しかもこの口振りだと家族が殺されているのを発見したのはミュー自身だろう。ここまでさせてしまったからには協力しようとトーゴは思う。元よりあまり断るつもりもなかったが。
トーゴが葉巻の灰を落とし、その独特の清涼な煙を深く吸い込む。味わいはせず、ただ靄つく胸中を、別の靄で満たそうとして。
「ううん、いいよ。……ね、火、頂戴。」
ミューの口元には白とオレンジの見慣れた煙草。それをくいくいと動かして火を寄越すよう言ってきた。
「マッチは持ってないのか?」
「うん、忘れた」
「じゃあこれを……」
「ん、そっちがいい」
「ん?」
ミューが指したのはトーゴの咥える葉巻だ。何故わざわざと問う隙も無く、差し出した黒いナイフをトーゴの手元に返し、テーブルに身を乗り出す。
「……ませてるな、全く」
「えへ」
フードの下から上目遣いに覗いてくる枯れ色の瞳にちらりと視線を投げ、二本の指でぶれないよう抑えたタバコ同士を口付け合う。妖艶な雰囲気を纏う少女と、油断ならない雰囲気を放つ男のシガーキスと言う光景に、また静かな店内は波打つ様に静まっていき、目線が注がれた。
二人は動じず、煙草に火の着いたことを確認したミューは席に掛け直す。す、と煙を吸えば、トーゴの吸う薬草煙草の香りが、鼻孔から少し混じった。
「その煙草は売ってるのか?」
「ううん。元はお父さんの吸ってたやつなんだ」
「何? ……父親の名前は?」
「え? 婿入りだったから名字は分かんないけど、コウイチだよ。お母さんはカレンドゥラ、今日会ったでしょ?」
「あぁ、そういう事か……」
コウイチも転生か転移か、こっちに来た日本人なのだろう。トーゴは特殊として、イツキと同じだ。このパーカーや煙草等のやけに見慣れたオーパーツは、コウイチの生み出した、若しくは持ってきた物だ。
誰かの命を救ったイレギュラーは、名だたる研究者の婿となり、そしてその人生を若くして終えてしまった。その間際に抱いたのは望郷か、こちらの世界の大切な人か。トーゴは故郷を同じくするものが殺されたという事実に、少しだけ動揺し、寂しさを抱いた。それを表には出さずに。
「?? ……お父さんが死んだ時にね、お墓の前でお母さんとこの変な煙草を一緒に吸ったんだ。形見だけど、沢山あったから。お母さんは不味くてすぐ吸うの止めてたけど……あたしはなんか、好きになっちゃって」
「カレンドゥラはお前が吸うのを止めなかったのか?」
「お父さんが生きてる時に分析にかけたらしくて、依存対抗薬も身体機能保護薬も作ったから安心しろってさ。」
そんなものまで作るとは、カレンドゥラは思った以上に図抜けた才を持っているのかもしれない。
「へぇ、流石だな。まだストックが残ってるのか? 三年前から吸ってるんだろ?」
「オリジナルは六本、大事にとっといてる。あたしが吸ってるのは、お母さんが吸った残りを調べて、おんなじ成分の煙草も作ったの。デザインが一緒なのはお母さんの拘りだってさ」
「成る程な、体の調子は?」
「微妙に薬が効かなくなってきてヤバいんだぁ。顔色悪いのは自覚してる」
「依存対抗薬が効いてる間に辞めておけばいいだろ?」
「瓦礫の塔に行くまでは辞めないって決めたの。これはただのワガママだから突っ込まないでね」
「いや、そう言う覚悟は好きだ。」
「……えへ、ありがと」
俯いてフードに隠され見えない表情を綻ばせ笑ったのが、トーゴには感じ取れた。長く余るパーカーの袖をめくり、細い指の付け根で煙草を持っている。右肘をテーブルにつけ、もう片方の腕はダラリと体の横に垂らしていた。堂に入った喫煙の仕草と、逆にその子供がっぽい姿勢が妙に可愛らしい。
「そう言えばお前、何歳なんだ?」
「え? あ、ハーフエルフだからわかんないよね。十三だよ。あれおにーさん、名前なんだっけ?」
「名乗ってなかったか? トーゴ・グンジョーだ」
髪の毛、今はフードにも隠れて耳が見えないが、逆に言えば隠れる程度に耳が尖っていないのだろう。エルフのカレンドゥラと人間のコウイチのハーフという事か。ハーフエルフと言えば迫害を受けているイメージだが、このミューはどうなのだろう。まず母親からして特殊は立ち位置だから、幸いそういう目には合わなかったのかもしれない。
「……なんかしっくり来ないからおにーさんはおにーさんのままね」
「なんだそれ。好きにしろ」
くッ、と喉を鳴らしトーゴは笑う。こんな少女と肺を汚し合うとは、まったく妙な世界に来てしまったものだ。トーゴの方は汚れるどころか健康に良いのだが。ミューとのシガーキスにやや背徳感と軽い愉悦を覚えたが、異世界の常識を自分に当てはめるしかないのだろうと思い、今を楽しむ。
ともかくそんな非日常を日常とする異世界を、トーゴは面白く思っていた。もう夜も深くなり始める時刻だ、ミューを家に送り、カトレアの屋敷で一日の出来事を報告しよう。
「そろそろ行こうか」
ミューの煙草が短くなるのを見計らい、そう言う。灰皿にギュッと葉巻を押し当て、席を立つ。剣を背負えば同じ様にミューも火を消した。
「あ、おにーさん」
「なんだ?」
「おにーさん、凄い強いらしいけど新人冒険者なんでしょ? 新品の剣なんか買ってさ」
「あぁ、それがどうした?」
「依頼、私も連れてって。一緒にパーティー組も? お金は要らないから」
「は? どうしてまた」
「虹の石英は手強いし、手段を選ばないよ。あたしも、強くならなきゃ。それにあたし、砂級なら取ってるんだよ。」
「そうなのか? ……まぁなんにせよ、仲間に今日の事を報告してから決めることになる。明日迄待っててくれ」
「うん。前向きによろしくね」
支払い、と言っても何も注文していないので会計のカウンターに声だけかけて店を出る。もう路地裏は薄暗く、埃と生臭い食い物と酒の匂いが漂っていた。ミューは宇宙の色を浮かべるような蒼い空を見上げ、吹き通る風に少し肌寒くなり曝け出された足をさする。
「寒いか?」
「うん、ちょっと」
「これを羽織れ」
ばさりと掛けられたのはトーゴのマントだ。ミューの体には余りにも大きく、裾がかなり地面についている。ミューは十三歳と言う割には小さく、トーゴの胸辺りまでない。明らかに140センチ無いのは、煙草のせいでは無いのだろうか。
「でっかいー。おにーさんの匂いがする」
「嗅ぐな。きちんと羽織っておけよ、もっと冷えるぞ」
「え?」
トーゴはミューを抱え上げ、右の腕の肘より下に座らせた。ぐっと体に近づけ、ミューの姿勢の安定を図る。
「え、何? 何する気?」
「えーと方角は……南区……」
ミューを無視して体の向きを地図とともに変えるトーゴ。
「よし、もう遅いから急ぐぞ」
トーゴは跳び上がり、五メートルはあろう建物の屋根に降り立つ。そこから眺めれば、カティフェス研究所が東区のここからでも薄っすらと見えた。トーゴの迷宮暮らしで身につけた夜目のお陰もあり、迷わずトーゴは屋根から屋根へと飛び移る。ミューが怖がらないよう、そして気分を悪くしないようトーゴとしてはゆっくりに。
「わ、わー! 凄いねおにーさん、新人冒険者なんて言っても誰も信じないんじゃないの!?」
薄っすらと幾つもの星と二つの月が浮かび始める時刻。一番星はもうどれだから分からないが、故郷にもあるその景色にトーゴは目を細めていた。空を見上げ、足元を見ずに屋根を飛ぶ。ミューは左手をトーゴの首に回し、右手は広げ手を叩く風を心地良さげに感じていた。もう空の薄青も黒に染まり溶けていく。夕闇に混じるような美しさを放つミューは、年齢に違わぬ無垢の笑顔を浮かべていた。
「ありがとね、おにーさん」
「あぁ。ここ、家も兼ねてたんだな」
トーゴは確かにカティフェス研究所を目指したが、中継地点としての目印にここに来ただけで、ミューの細かい住所はあとから尋ねるつもりだった。だがまさか研究所に住んでいるとは。
「お母さん用の部屋があるの。家だと一人だからさ、一緒に寝てる」
「そうか……」
幼くして親を亡くした経験は、トーゴにもあったが忘れてしまったものだ。ミューに感じる同情は、所詮他人事でしかないと思うと、他人という関係性があまりに冷酷だとふと思ってしまう。
「ダイジョーブだよ、おにーさん。三年も前の話だもん。それより、ちょっと耳貸して」
「うん? 何だ?」
言われるがままにしゃがみ耳を向ける。トーゴがしゃがめば、ミューとトーゴの胸部と頭部の位置関係が逆転した。
「ありがとね、おにーさん。こんな子供の話をきちんと聞いてくれて。ちょっと嬉しかったよ。」
耳へ筒の様にした手を当て、ひそひそと、擽るような声で囁く。微妙にこそばゆいし、人の居ないここでなぜ耳元で話す必要があるのかわからないが、そのままにさせておく。
「明日から宜しくね?」
小さな顔が耳元から離れる気配がする。トーゴは、それはまだ決まったわけじゃないと口に出そうとしたが、咄嗟の出来事にその言葉は飲み込まれた。
肩に両手が重ねて置かれ、頬に感じる柔らかい感触。ほんの一秒ほど、小さな唇がそこに当てられていた。
「おやすみ、おにーさん」
たっと駆け出し、まだちらほらと窓から明かりの残る研究所の入り口へ消えていく。言いたいことはあったが、取り敢えず。
「マント持って行きやがった……」
裾を持ち上げつつ、なお引きずられるマントとミューの背中を見ながら、トーゴの呟きは夜に掻き消えていった。




