悪辣を為せば
はじめまして。
広く暗い石造りの室内。玉座と思しきそれに座る、異形があった。
黒と紫の火傷を負ったような皮膚に覆われ、鼻は無く、唇も無い。禍々しくうねる角を右の額から二本生やした、左右非対称のシルエット。黒目と白目の色が逆転し、黝く明滅する角を反射して不気味に浮かび上がる瞳。
荘厳華麗としか言いようのないローブを纏い、それを漆黒と金に染めている。
そして低い、低い声を発する。歯がむき出しになった口を動かさずに。
「遂にか」
「はい」
気配も姿も曖昧に、いつの間にかそこに居た者が返答をする。跪き片手を胸に当て、もう片方は横へと伸ばす。最敬礼だ。
「あいつに伝えておけ、奴と接触した際には、かの『不夜の王国』へ向かわせろと」
「畏まりました。時に主公、何故に?」
「もう一つ、だ。あとどれ程だろうな? 幾らでも待つさ。あァ、待つとも。愛すべき宿敵、憎むべき恩人よ」
悍ましい声を喜色に染め、その異形の男は笑う。本当に愉快そうに。
暗い王座の間、そこに響く瓦礫の様な笑い声。壊れた頭の中から漏れ出した、狂気の狂喜。
彼は終わりを待ち望む。世界と彼の終わりを。
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大陸リンネンファウゲルの中央に位置する王国デオッサス。その大国はかつて圧倒的な武力により隣国を飲み込み、大陸の東西を分断する形で領土を広げていった。以来1200年もの間、その地位が揺るがされた事はない。
弱肉強食を体現したその国に、弱肉強食の権化のような『迷宮』が現れたのは、果たして偶然だろうか。
『迷宮』250階、蒼黒くゆったりと明滅する岩の洞窟を進めば、あるはずのないものが目に入る。
岩と死骸と化け物だらけの『迷宮』において、違和感を強烈にばら撒くその木造の小屋からは、なにやらごそごそと物音が聞こえてくる。
「準備は出来たかの?」
赤色と茶色を混ぜた袋が、使い込まれて黒ずんでいる。素材は『迷宮』361階層生息、火炎にその身を包む牛「グレッデルトーロ」の皮膚や革である。質に出せば年代物として高く売れるだろうその袋を背負い、男は抑揚のない声で、
「とっくに」
とだけ声を返した。
「なんじゃ、そっけないのう。結構な転換期だろうに。」
不満げに呟く女が、奥の部屋から顔だけ出して玄関口にナイフを投げる。小屋は玄関から居間、そして奥の部屋へと繋がる廊下が一直線に見える構造だ。
男はそれを見もせずに受け止める。背負っているものとはまた違う革で鞘どられた、手になじむ木の柄の小さなナイフだ。
「緊張してるのかもな、すまん」
ナイフを、腰に巻くこれも革製のナイフホルダーに慣れた手つきで仕舞う。
「なはは、ワシもじゃ」
「そうか」
帰ってきた言葉に、男の表情は微かに和らいだ。いそいそと支度を終え、声の主がこちらに寄ってくる。
見た目は20台を半ばを過ぎたろうか、金糸のウェーブがかった髪を、茶色いバレッタを使い後頭部で一括りにまとめている。空色をした細く切れ長の瞳は優しくタレ目がかっており、、同じく切れ長の眉をしていて、胸はかなり控えめなのがだぼつく服の上からでも分かってしまう。
耳には小さな黒い宝石のピアスを吊り下げている。170センチ以上は明らかにある身長に長い手足を携え、だがその抜群とも言えるプロポーションは彼女の体躯には少し大きい灰色のツナギによって隠れている。まくられた肘から下の腕には、しなやかな筋肉がついているのが見て取れた。肩には男と同じような袋を担いでいる。
「その格好で行くのか?」
「大丈夫じゃ、どうせ死なんし。服の替えも入っとる。」
「まぁ、ならいいか。食料は?」
「心配しなさんな、万事精到よ。それよかお主は大丈夫なのか?」
男の格好は軽装であった。麻のシャツの上に革鎧を着用し、腰ほどの丈のフード付きマントをボタンで留めてある。本来日よけや寝床にも使われるはずのマントがそんなに小さくて大丈夫なのだろうかと、見るものに疑問を抱かせる。下半身は黒いズボンにいくつかのベルトを纏わせ、ふくらはぎの半ばほどのブーツを履いている。身を守るようなものは、薄い膝当てだけである。
「そう言われても、これしか無かったんだ」
はにかむようにそう言う。身長は180後半程だろうか、かなり高い。浅黒い肌に黒い髪を後ろへ適当に撫でつけ、もみあげから顎、口元には短く髭が揃えられている。ワイルドと無骨の境といったところだ。
紅掛鼠と呼ばれる血の色をした瞳。堀は深く、年は30台あたりだと思われる。鋭い目つきは人を委縮させてしまうような雰囲気を持っているが、笑うと眼尻が大げさに下がり途端に暖かな人物へと印象を変える、不思議な男だった。
「じゃあ、行こうか」
玄関のドアに手をかける。厚い木のドアがきぃ、と軽い音を立て開かれ、そして飛び込んできたのは人の声だった。
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「やっと……ここまで来たわね……。」
感慨深げなその言葉が、息切れとともに紡ぎ出される。自らの後ろで肩で息をするパーティメンバーも、その表情にはそれまでの疲労を吹き飛ばすような熱が満ちていた。
そう、やっとここまで来たのだ。王国デオッサスに鎮座する底の見えない『迷宮』、その未踏の地、250階層へと。
幾度となく死線をくぐってきた。何度も挫けそうになった。仲間を失いかけた時には、心から恐怖した。しかし自分達は生き残り、かつて先人達が命を散らした強大な魔物、グルティールを打倒し、250階の地をついに踏みしめた!
「ついにやったんだぜ……俺らがっっ!!俺らがだぜ!!」
大柄な、頭に鹿角の飾りをつける兜を被り、全身鎧を身に着ける男が感極まれりと声を上げる。基本どこに魔物が潜んでいるかわからない『迷宮』ではこれは控えるべき行為なのだが、彼の仲間はそれを諫めない。その気持ちをよく分かる、それどころか髄まで共有していると言ってもいいために。
頭にバンダナを巻いた茶髪で痩身、そして高身長の少々軽薄そうな男が虚空を見つめている。大きな荷物を背負ってはいるが代わりに装備は軽装で、傷や汚れも多くある。しかし仕立てはいいことは見て取れた。
手に肉厚の短剣を構え、静かにどこかを見つめていた金色の瞳が、緑色へと変わっていった。
「ここらへんにはいないっぽいっすね。ダメっすよーアデンバリーさん!」
「分かってる、分かってるがよぉ……」
「ちょ、泣いてんすかぁー!? おっさんの涙とかマジ勘弁っす!」
「サレンだって涙目じゃないのよ、ふふ」
「それは言わない約束っすよ!」
痩身の男サレンに軽口を叩いた少女、身長は160前後で、その身を覆う全身鎧の内側へ長い金髪を流している。兜のみ被っておらず、首元から下を守る堅実な鎧のおかげで少しずんぐりとして見える。
顔には大きな傷がある。右眉の上から瞼を通り、口元の近くまで縦に入れられた傷。その下にある右目は失明してしまったのだろう、瞼は閉じられたままだ。だがすっきりとした顔立ちは未だ美しく、その相貌にサレンは少々見とれていた。何故なら少女もまた目に一杯の涙を浮かべており、隻眼から流れ落ちる涙もその表情も、透き通っていたから。
「やったねカトレア……皆で来れたね……!」
「えぇ、ありがとうね、ティスタ。あなたがいなければ私たち、ここまで来れなかったわ。」
「ううん、皆のおかげだよ、皆が皆だったから来れたんだ……!」
「そうね、本当に……」
「次は皆で300階だね!」
「今250階に来たばかりじゃないの……もう、ふふ」
栗色の髪をショートボブにした少女、ティスタが同じくボロボロと泣きながら高らかに宣言する。
身長は150は無いだろう。魔女っ子を思わせる紫のとんがり帽子、黒く丈の長いPコートのような上着に、下はミニスカートである。残念ながら胸の大きさは身長の高さに比例していた。
足には腿まである薄い金属を張り付けたサイハイブーツを履いており、白く淡い、絶対的な領域がちらちらと見え隠れする。上半身は革の胸当て、腕にはガントレットのみを防具としているようで、魔物の凶悪な歯牙にかかれば瞬きの間に絶えてしまうだろう。だが、その手には杖が握られている。黒檀を削り、頂部には緑色をした拳大の石がはめられている。つまり木に石を取り付け、持てるように削っただけのような杖である。
この杖が、彼女が「後衛」であることを示していた。杖を持つのは魔術を使うためであり、それには術の構成に時間を割くために前衛を必要とする。
その杖に、大きくひびが入っていた。
「この機会にその杖も買い替えましょうか……元は私たちの勝手だし、ね、許して?」
その要求にティスタは苦い顔をする。
この杖は4人がまだ駆け出しのころ、サレンの提案で三人がティスタへとプレゼントしたものだった。その頃彼女はまだ杖を持っておらず、両手の平を前へと突き出し魔法を使うといった、お手本の様な初心者スタイルだった。
駆け出しだった彼らは、杖を振るい、とんがり帽を被り、ド派手な魔術で敵を殲滅するといった魔導士という存在に漠然とあこがれを抱いていた。
その為に、唯一パーティーで魔導士であったティスタに戦力の増強と、実力は足りずとも「それっぽさ」を求めたのだ。結果とても喜んでもらえたし、理想のそれに一歩近づいたことで彼らにもモチベーションがぐっと湧き上がった。そして今では日銭としてまき散らしてもあまり懐の痛まない金額ではあるが、3人の給料三か月分、計九か月分の稼ぎをほぼ使い切りプレゼントしたその杖は、ティスタの宝物であり、お守りになっている。
内気であまり自分の意見を前に出さない彼女が、実力を考慮し地位を与えられ、ギルドマスターや領主に挨拶する厳粛な場でもその杖を手放さなかった。
武器や杖、多岐に渡る武具は、通常そのような場では絢爛豪華なものへの交換を要求される。普段そのような実践には向かない武器を使わない冒険者は、その際儀礼用の武具へ一時交換するのが基本だが、彼女はそのたびに「これは私の戦いの証なの」と頑として譲らなかった。
事実この杖は戦いと共に彼女の魔力に深く馴染んでおり、新品の最高級品質の杖と比べても彼女にとっては劣らないだろう。
それを買い替えろと、金髪隻眼の少女、カトレアは言う。杖に填められた魔石を交換してまでやりくりしてきたその杖を買い替える。自身の一部のようにその杖を手放さなかった彼女には、それは辛い決断だった。
だが、これではいつ壊れてしまうかわからない。杖に入ったひびは、魔石を包む最も重要な部分にまで及んでいる。
杖は、強大な魔石の力を、人より魔力に近い特定の樹木や鉱石を介して利用するという仕組みで作られている。柄の部分が折れれば、石の力を十全に使えなくなってしまうのだ。せいぜいがその場に魔素をまき散らすだけの石である。
そうなれば彼女の戦闘には多大な悪影響が出る。ただでさえここからは未踏の領域なのだ。後衛としてずっと守られていた、だからせめて。
「足手まといには……なりたくないしね」
絞り出すように了承の言葉を紡ぐ。
「足手まといだなんて! もう一度言うわ、あなたがいなきゃ私たちは此処まで来れなかったわ、ホントよ? そうね……握り部分は削ってもらって、小さなアクセサリーにでもしましょうか。」
なるほど、その手が!
ティスタの顔がパァッと華やぎ、両手でカトレアの右手を取る。
「うんっ!」
サレンの「千里眼」によれば、近くに魔物はいないらしい。今日はこの辺りでゆっくり体を休め、明日には一度帰ろう、戦勝祝いだ! 右こぶしを高く掲げるカトレアの案にみなが笑顔で賛成する。
サレンが背負っていた荷物から大きなマットを取り出す。背負い袋の上から丸められてひもでくくられていたものだ。それを仲間と談笑を交わしつつ適度な空間に敷こうとすると、サレンの鋭い聴覚が不思議な音をとらえた。
……きぃ……。
油の刺された扉が開くような、迷宮ではまず聞かない奇妙な音。
「……音が聞こえた。」
「魔物ッ?」
カトレアは流石、素早く反応する。
「わからない……変な……扉の開くような音だったっす……少し待って」
サレンの目が金色に光っている。ハイライトの消えたその目は虚空を見つめ静止し、ピクリとも動かない。
「魔物はいないっす……なんだろう、気のせいっすかね」
「……いえ、気のせいではないみたいよ……ほら」
カトレアが目線を向ける先、一つの通路から影が伸びている。少しずつ歩み寄ってくるようだ。
細長い影は洞窟の蒼黒い光に照らされ、何重にも何方向にも重なる。全貌が見て取れない為、警戒心を限界まで高める。
サレンの千里眼は、発動時、解除時に僅かに隙が生まれる。歩み寄る敵を前にして敵を探ることなど自殺行為であるのは当たり前だろう。
影が、どんどんと伸びてくる。ざりざりと足音を伴って。
「四本足……いえ、二足歩行が二匹かしら」
「みたいっすね……探知を潜り抜ける能力持ち……? うーん」
冒険者として培った経験が、千里眼無しでも敵を少しずつ読み解く。やがてその岩陰から姿を見せた影の主は……
「「「「……人?」」」」
四人分のつぶやきが重なる。そう、人の姿をしていた。