6 冷たい雨
お題「雨」
彼と出会ったのは雨の日。彼が高校生、私が大学生の時だった。
点滅している信号の横断歩道を私が急いで渡っていたら、ちょうど左折してきた車と接触した。雨のためにスリップしたようだ。接触と言ってもほとんど私に影響はなかったため、そのまま私は立ち去ろうとした。だが車の運転席から出てきた品の良さそうな男性が、病院へと言ったのだ。私は急いでいたし、どこも痛くない。大丈夫だからと言ったが、相手が引かない。どうしてもお詫びをしたいと言ったのだ。そこで私は急いでいるからと言った。すると、車の中から彼が現れた。そして私の腕を取り、車内へ放り込んだ。
「送る。行き先は?」
私はポカンとしてしまった。どう見ても私よりも年下だ。だが、雰囲気が有無を言わせないように感じた。私は少し怖くなって、自分の大学名を言った。今日はどうしても受けたい講義があったのだ。
彼は運転手に行き先を告げると、車は動き出した。そこでようやく私は周りを見る余裕が出てきた。
高級そうな車に、ゆったりと腰かける彼。私が見ているのがわかったのか、彼は私を見た。
「名前は?」
「石田純子」
私は反射的に答えてしまった。この人は一体……。私の疑問に答えるように彼は口を開いた。
「俺は、黒田俊一。怪我はないのか?」
「ええ、どこも痛くないし……」
「だが、後で何かあったら困る。連絡先を教えろ」
なんとも居丈高な言い方だ。私はムッとして、答えた。
「人にものを聞く態度じゃないんじゃないの?まずは自分から言うべきよ」
私の反撃に彼は驚いたようだ。少し笑いながら答えた。学生鞄から名刺のようなものを出して、私に渡した。
「これが俺の連絡先。何かあったら連絡しろよ」
私はそれを見て驚いた。黒田って聞いたことがあるとは思ったけど、黒田カンパニーの社長!?こんなに若い子が!?そんな私を見透かしたのか、彼が言った。
「信じられないかもしれないけど、今は俺が社長なのさ」
ほどなく私の大学に到着した。
「ありがとう。助かったわ」
「純子、何かあったら連絡しろよ」
何故呼び捨て!?
「特に何もないわ。じゃあね」
私のこの態度にも彼は驚いていたようだが、私は振り返りもせずに大学へ入って行ったので気づかなかった。彼が私をじっと見つめていることに。
それからごく普通の生活が続いた。私は彼のことは忘れかけていた。そんなある日のこと。私が大学から出ると、声をかけられた。
「純子」
私は振り返った。一緒にいた友達もだ。
「皆さん、すみません。純子さんをお借りします」
彼はそう言うと、またもや車に私を押し込んだ。後ろからは友達がきゃあきゃあ言っているのが聞こえる。ああ、明日は尋問される……。私はイライラしながら聞いた。
「今日はなんなのよ。どこも怪我してないって言ったでしょ」
私の言葉など気にせずに彼は言った。
「この前のお詫びにランチを奢るよ」
彼はこの前の居丈高な感じはなく、人懐こい犬のような笑顔を見せた。思えばこのときに私は恋に落ちたのかもしれない。
私と彼はフレンチで有名なお店へ到着すると、個室へ案内された。そこでは、ごく普通の高校生の顔を見せる彼に、私も心を開いていった。
それからも彼は私を誘い、楽しい時を過ごしたのだった。三ヶ月もすると、彼は私に甘えるようになった。まるで本当に犬のような彼が愛しかった。
それから二年、彼と私は付き合った。彼は私に色々買おうとしたが、私はそれを断った。その事も彼には新鮮だったらしい。
私は社会人になり、彼は大学生になっていた。私たちは楽しく付き合っていたはずだった。だが、ある日を境に変わった。突然私の前にある女性が現れたのだ。彼女は私に言い放った。
「あなたが俊一さんの遊び相手ね。私は俊一さんの婚約者よ。もう彼に会わないで」
私はショックだった。婚約者というのもそうだが、その事を彼ではなく、他の人から聞かされた事がだ。私はそれ以降、彼と連絡を絶った。彼から何度も電話やメールがくる。私にはそれを見るのも怖くて放置していた。すると彼は私の会社の前で待っていた。
「純子!」
逃げる私。それを追ってくる彼。私は彼に捕まり、抱き締められた。
「あの女が何を言ったか知らないが、俺には純子だけだ。俺から離れて行かないでくれ……」
「俊一……。彼女は婚約者だって……」
「それは向こうが勝手に言ってることだ。俺は認めてない」
私たちはしばらく抱き合っていた。久しぶりのぬくもり。やっぱり私は彼が好きなんだわ。
そしてその二日後だった。私がテレビを見ていると、黒田カンパニーと寺本グループの合併のニュースが流れてきた。黒田カンパニーの社長と寺本グループの一人娘が結婚するのだそうだ。
黒田カンパニーの社長って……。あのときの彼女は……。
彼と会ったのはそれから一週間後。また彼は私の会社の前で待っていた。
「純子……」
「……ニュース見たわ。結婚……するのね」
「……純子、俺は……」
彼は押し黙ってしまった。不意に空から雫が落ちてきた。彼は苦しそうに私を見つめて動かない。
あなたの頬を伝っているのは雨?それとも……。
彼はようやく口を開くと、声を絞り出した。
「……純子、さよなら」
「……さよなら、俊一」
私は彼が走り去って行くのをただ見つめていた。私の頬を伝っているのは、雨だわ。きっと。