30 空港
お題「髪」
私は生まれつき体が弱い。学校の体育の時間もいつも見学だった。歩くのが精一杯で、走ることも出来ずに私は寂しかった。そして成長も遅かった。いつも朝礼の時は一番前だった。
それでも私は少しずつ成長していった。大人になっても、「少し小柄」という程度になっていた。だが体の弱さが変わった訳ではない。無理をするとすぐに貧血を起こす。だから会社には就職出来ずにアルバイトをすることになった。
週三日のアルバイト。それでも私は外で働けることが嬉しかった。私が働いていたのはファーストフード店のレジ係。お客さま対応は大変だが、それでも外界との触れあいは嬉しかった。
そんなときだった。お店の前に一目で高級とわかる車が停まった。なんともファーストフード店にはふさわしくない。と思ったら、運転席から出てきた人が後ろの扉を開けた。
セレブだわ……
私は素直にそう思った。でもセレブでもハンバーガーとか食べるのかしら。と私が考えていたところに、車から降りた男性がやって来た。
「いらっしゃいませ。本日は店内でお召し上がりですか? お持ち帰りですか?」
私はマニュアル通りのことを言った。するとその男性は答えた。
「持ち帰りだ」
「かしこまりました。ご注文をどうぞ」
「君だ」
「はい?」
「君を持ち帰る」
「……」
私は完全に思考が停止した。何を言ってるのだろう? 私がボケッとしていると、その男性はカウンターの中に入ってきて、私の腕を掴んだ。そして私を引っ張って行く。
な、何が起こってるの!?
「お、お客さま、笹野が何か粗相をいたしましたでしょうか?」
奥から店長が出てきた。
店長、助けてください!
私は心の中で、店長を応援した。店長の問いに男性は答えた。
「粗相という訳ではない。彼女個人に用があるんだ」
「しかし、今は彼女の勤務時間中でして……」
「ではいつならいいんだ?」
「え、あの六時までの勤務時間が終わった後なら……」
店長! 何てことを! そんな言い方したら、六時以降にこの人に連れていかれちゃうじゃない!
「わかった。六時にまた来る。笹野 優子さん、いきなり失礼した。また後で」
「ど、どうして私の名前を……」
「それは後で話すよ」
男性は少し笑うと車に乗って走り去って行った。
夕方六時ぴったりにまたあの高級車が店の前に停まった。
また男性が車から降りてきて、私のところへやって来た。
「六時になった。一緒に来てほしい」
「いえ、知らない方と一緒に行くつもりはありませんから」
私はキッパリと断った。でも、男性は少し驚いた顔を見せた。
「覚えてないのかい?」
「え?」
何のことだろう。
「二週間前、羽田空港で会っただろう?」
「羽田空港……?」
確かに私は空港から飛行機を見るのが好きだ。自分の体が弱いために中々旅行には行けない。そんな私でも出来ることは、飛行機を眺めることだった。その時に出会ったのだろうか。
「君が髪を切ってくれた時のことは覚えてない?」
「……あ! あのときの……?」
「思い出した? あのときのお礼をしたいんだ」
男性は笑った。
「でも、あのくらいでお礼なんて、お気持ちだけで充分です」
「笹野さん、言いにくいんだけど、店内で話すのはちょっと……」
店長だった。確かに勤務時間も終わり、私がレジ前を占拠していいはずはない。私は帰り仕度をすることにした。すると男性は、「外で待ってるから」という。これ以上話すことはないはずだが、とにかく男性に納得して帰ってもらうしかない。
私は私服に着替えて外へ出た。すると男性が車の前で待っていた。
どう説得するべきか……。
二週間前の出来事。私は羽田空港へ飛行機を見に行っていた。そこであの男性とぶつかり、私の長い髪の毛が男性の上着のボタンに引っ掛かってしまったのだ。中々解けない髪の毛にイライラした私は、趣味の切り絵のために持っていたハサミで自分の髪の毛を切ったのだ。どうせ髪の毛はまた伸びるし、何より男性が急いでいたらしいので、その手段に出た。だから特にお礼をされることでもない、と私は思っている。それをどう男性に伝えるべきか……。
「あの」
「とりあえず乗ってもらえる? お店の前に停めてると迷惑になるよね」
「あ、はい!」
私達を乗せた車は動き出した。
はっ! よく考えたら、知らない人の車に乗っちゃった! まずいんじゃ……
「優子さん、私は一宮 和人。お礼するのに名乗ってなくてごめんね」
「あ、いえ……」
え? 一宮って、あの一宮財閥? 超セレブじゃない! だから私のことも調べたのね。それにしてもさすがに品があるなあ。
「その顔だと私が一宮財閥の者だってわかったみたいだね。お礼をしたくて君のことを探したんだ。それで、君の髪の毛の代わりには到底ならないだろうけど、何か欲しいものを言ってもらえるかな?」
「その、お礼というのは要らないんです。髪の毛なんてまたすぐに伸びますし、気にして頂くほどのことでもありませんから」
優子の言葉に和人は驚いた顔をした。「何でも」と言ったのに、要らないという優子に増々お礼をしたくなったようだ。
「そんなこと言う女性は初めてだよ。ぜひともお礼がしたいね」
和人はいたずらっぽく笑った。しかし困ったのは優子だ。お礼なんて思い浮かばないし、もらう理由もない。
「あの、家に帰してください」
「わかったよ。無理にとは言わないから。また明日」
え? 明日?
和人は優子を送り届けると、車で去っていった。その翌日、和人は優子の家にやって来た。花束を持って。
「優子さん、おはよう」
「一宮さん、おはようございます。今日は一体……」
「朝の挨拶とお礼の一欠片だよ。この花、もらってくれる?」
「あ、ありがとうございます」
「何か考えついた?」
「え?」
「君へのお礼だよ」
「あの、だから必要ありませんから」
「私は納得出来ないんだよ」
どうするべきか……。何か簡単なもの……。あ! あれなら!
「わかりました。今思い付いたのでお願いします」
「良かった。バッグかい? それとも洋服?」
「いえ、少し先のコンビニに行ってもらえます?」
「コンビニ……?」
「はい」
私達は車に乗り込んでそのコンビニへ向かった。
「あった! これです!」
私は喜びの声をあげた。
「ストラップ……?」
「はい! これこのコンビニの数量限定のものなんです。でも私、体が弱くて、遠くのコンビニには来られなかったんです」
「本当にこれでいいのかい?」
「はい! これがいいんです!」
一宮さんは笑って了承してくれた。
帰りの車内でも私はにやけていたらしい。
「そんなに喜んでもらえて嬉しいよ」
「あ……本当にありがとうございます」
車が家に着くと、一宮さんは帰って行った。
やれやれ、これで良かったわね。欲しいものも手に入ったし、万事OKね。
と思ったのはその夜までだった。
翌朝、また一宮さんが家まで来たのだ。また花束を持って。
「おはよう。優子さん」
「……おはようございます。あの、一宮さん、今日はどうして……?」
「今日は、その……私と付き合って欲しくて……結婚前提で……」
一宮さんは真っ赤だ。
私はいきなり言われたことを理解すると、段々と顔に熱が集まってきた。私の顔も、きっと赤いだろう。
一宮さんは恥ずかしいのか、横を向いた。
「君のような女性は初めてで……私にストラップを買ってほしいなんて……」
「あの、それだけの理由で……?」
「いや! 君の優しさに惹かれたんだ」
「いえ、あの、一宮さんは一宮財閥の方ですよね? そんな方が私となんて……信じられません。それ相応のお嬢様が……」
「はっきり言うね。確かに私は一宮財閥の者だが、結婚相手は自分で選ぶよ」
「私では無理です!」
私は叫んでしまった。
「いつまででも待つよ。また明日来るよ」
そう言い残して一宮さんは帰って行った。それから毎日優子の元へ通って来た。これには優子も参ってしまった。それに優子は元々ほだされやすい質だ。段々と彼と会うことが普通になっていった。
「あの……まずはお付き合いからお願いします」
「もちろんだよ!」
一宮さんは満面の笑みを浮かべた。
そしてここから始まる二人のラブストーリー。