3 大切な人
お題「おはよう」
祖母が入院した。いつも元気だったので、私は驚いた。私はすぐに病院へ駆けつけた。
「あら、まあ。夏実ちゃんまで来てくれたの?」
「おばあちゃん!大丈夫なの?」
「ちょっと検査入院よ。この歳になれば色々あるわよ」
「そっか。ならよかった」
私は両親共に働いていたために、おばあちゃんっ子なのだ。そのおばあちゃんが入院。駆けつけるのは当然だ。検査入院とはいえ、不自由なこともあるだろう。
「おばあちゃん、何か欲しいものある?」
「夏実ちゃんがたまに顔を見せてくれればいいよ。でも仕事も忙しいんでしょ。無理のないようにね」
「うん。おばあちゃん。なるべく顔を出すね」
そこへ母がやって来た。
「あら、夏実。来てたの?」
「うん。だっておばあちゃんが入院したって聞いて」
「そうね。詳しいことも言わずにごめんなさいね。そろそろ面会時間が終わるから帰りましょう」
「おばあちゃん、また来るね」
「夏実ちゃん、ありがとう」
「お義母さん、明日また来ますから」
「そんなに気を遣わないでいいわよ」
私たちはそれぞれ言い合って病院を後にした。すると母が私に話しかけてきた。
「夏実、話があるんだけど時間取れる?」
「え?うん、いいよ」
「とりあえず家に帰りましょう」
母と私は家に帰ると、テーブルを挟んで座った。
「なあに?お母さん。どうしたの?」
「……夏実、よく聞いて。おばあちゃんは癌なのよ。病院の先生からは、もって二週間と言われてるの」
「二……週間……?何の冗談……」
「夏実、おばあちゃんの前では暗い顔をするんじゃないわよ」
「……おばあちゃんは知ってるの?」
「……わからないわ」
私はあまりにも急なことで何も考えられない。その日は寝ることも出来なかった。
次の日も仕事が終わってから病院へ行った。
「おばあちゃん、来たよ~」
私は努めて平静を装って病室へ入って行った。そんな私をベッドの上で出迎えてくれるおばあちゃん。
「夏実ちゃん、いらっしゃい」
改めて祖母を見ると、随分と痩せた。私が実家を出て一人暮らしを始めてから、忙しくて実家には中々行けずにいた。その悔しさを私は噛み締めた。
その日の面会時間が終わりそうになったので、私は帰ろうとした。するとおばあちゃんが話しかけてきた。
「夏実ちゃん、お願いがあるんだけどいいかしら」
「もちろんだよ。おばあちゃん」
祖母は左手に嵌めていた指輪を自分の手から引き抜くと、私の手をとり握らせた。
「これをもらってくれるかい?」
「おばあちゃん、これって……」
「代々この家に受け継がれている指輪よ。夏実ちゃんも次の人へ渡してね」
「おばあちゃん……」
祖母は知っている。自分の寿命を。それでも凛としている姿が美しい。翌日から私は会社に休みを申請して、朝から病院へ行くことにした。
「おばあちゃん、おはよう」
「夏実ちゃん、どうしたの?」
「うん。実は休暇が余っててね、使うように言われたの」
もちろん嘘だが、祖母に気遣ってもらわないためだ。
「夏実ちゃんが来てくれると明るくなっていいねえ」
「うん!私は明るさだけが取り柄だからね」
二人で他愛のない話をする。それが私にとっては至福の時だった。
また翌日。
「おばあちゃん、おはよう」
「おはよう、夏実ちゃん」
あと何度『おはよう』を言えるのだろうか。私はキリキリとした痛みに心が叫んでいるようだ。
祖母が入院してから十日後、私はいつものように病院へと行った。そこには、さらに痩せ細り、今にも空気に溶けてしまいそうな祖母の姿があった。
「おばあちゃん、おはよう」
私はいつもと同じように声をかける。
「ああ、夏実ちゃん、おはよう」
それが祖母の最期の言葉だった。