22 靴
お題「靴」
いつもの通勤途中に通りかかるお店。そこのショーウインドウに飾られている一足の靴。高級店のお店に入る勇気はないけど、眺めることは出来る。
私がこの靴に出会ったのは、半月前。彼と別れて落ち込んでいるときだった。とぼとぼと歩いているとき、ふとショーウインドウに映る自分の顔が気になった。泣き腫らした目。眠れなくて目の下にはクマが出来ていた。それをショーウインドウで見ていると、そこにはその靴があった。
ショーウインドウには数足の靴が飾られていたが、その中でも私が気になったのは、真っ赤なヒールの靴。真っ赤といっても決して下品ではなく、深みのある赤だった。
私はそれから通勤途中にそのお店の前を通るときは必ず少し足を止めて、その靴を眺めていた。私には入れない高級靴店。でも眺めるだけなら自由だ。時に私は、三十分ほど立ち尽くしていることもあった。
そんなとき、いつもの通勤途中にショーウインドウを眺めると、あの靴が無くなっていた。私はその日の仕事を終わらせると、おの靴店に行った。ショーウインドウを眺めると、やはり無い。売れてしまったのだろうか……確かに素敵な靴だから売れても不思議ではない。私はまたもショーウインドウの前に立ち尽くしていた。すると、お店の扉をドアマンが開けた。そこから出てきたのは品の良さそうな老紳士だった。
「♀£¢∞>?」
な、何語!?
その老紳士は私の手を取ると、そっと店内に導いた。
ええ~!私、入っちゃった!ど、どうしよう!それにこの人は一体……
「いらっしゃいませ」
あ、日本語を話せる人がいた。当たり前か。ここは日本なんだし。
「%§@¥$¢」
老紳士がその店員さんに何かを話している。
「お客さま、少々お待ちくださいませ」
「え……はい」
ってどうするの!?私!こんな高い靴なんて買えないよ!
その私の姿を老紳士は眺めていた。奥へと入った店員さんが手に持っていたのは、あの赤い靴だった。
「お客さま、こちらをお気に召していただけたとか」
「え、あの、確かに眺めてはいましたが……」
私の背中を冷や汗が伝う。もしかしたら眺めていたのがバレて、苦情でも言われるとか?
「♀¥$・¢%§¥¢∞$」
またも老紳士が店員さんに話した。
店員さんは笑って、「すぐにお包みいたしますね」と言った。
え?え?私が買うことになってる?こ、困るよ!私の給料の半月分だよ!
「あ、あの!私、この靴を買うつもりじゃ……」
「大丈夫ですよ。ご安心ください」
え?何が?
ほどなくラッピングされた靴を店員さんが持ってきた。私はその間、老紳士に椅子に座らされ、逃げることも出来ないでいた。
「お待たせいたしました」
「……あの、言いづらいんですけど、お金が……」
「大丈夫ですよ。この靴はお客さまのものです」
「え、で、でも、そのサイズ合わせもしてないし……」
私はとにかく早くそこから逃げ出したかった。
「サイズはお客さまにぴったりなはずです。あの方がおっしゃっていましたので」
「あの方……?」
私は思わず後ろを振り返ると、さっきの老紳士はいなくなっていた。
に、逃げた!?
「あの、さっきの男性に連れられて入っただけですから!」
私は叫んでしまった。すると店員さんは微笑みながら言った。
「あの方のおっしゃることは、この店にとって絶対なのです」
「え……あの方は一体……」
「この靴店はあの方のものなのですよ。だからあの方にお客さまは選ばれたのです」
「……」
何を言ってるんだろう。選ばれた?
「どうぞお客さま、こちらを」
私は靴を押し付けられてしまった。またもドアマンが扉を開けてくれる。
私は訳がわからないまま、靴を家に持って帰った。そしてラッピングを解いていった。そこにはあの憧れ続けた赤い靴が入っていた。私はサイズを確かめるために履いてみた。靴は私の足のために作られたかと思うほどにぴったりだった。
でも、こんな高級靴……やっぱり返しに行こう。
私は翌日靴を持って、お店に行った。いや、行こうとしたのだ。しかしあのお店は影も形もなかった。
私は呆然とした。あのお店があった場所には、カフェがあった。私はカフェに入ってみた。特に変わったところはない。
「いらっしゃいませ。お好きな席へどうぞ」
「はい」
と、店員さんを見ると、昨日靴店で対応した人だった。
私は驚いて、その店員さんに詰め寄った。
「昨日は靴店にいらっしゃいましたよね。ここ、靴店でしたよね?」
「お客さま、あの靴店はあの方のもの。次に必要としてくれる方のところへ行ったのです」
その店員さんの言葉が、私の中にあるパズルのピースがカチッと音をたててはまるように、不思議と納得してしまった。それで落ち着いた私はカフェでコーヒーを飲んで帰った。靴を持って。私は家に帰ると、靴を出して眺めた。眺めれば眺めるほど心を奪われた。
私はこの靴に出会うために彼と別れたんだわ。私はそう思った。