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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

親愛なる我が友よ

 細かい砂利が敷き詰められた神社の参道に、サンダルを履いた足で踏み入れた事を、私は少し後悔していた。

 サンダルと足の隙間に砂利が入り込んでは足を振って砂利を落とす事を繰り返しながら、私はコンクリート製の鳥居をくぐり、真正面にある本尊へと足を進めた。

 毎年ではないが、夏祭りの時期に併せて帰省するのが私の常だった。

 この神社の祭りが始まった日の事は、今もよく覚えている。二十年程前、かつては海だった場所を埋め立てて作られたニュータウンは、当然の事ながら神社仏閣が存在しなかった。

 一部敬虔な住民達と、ニュータウンを手がけた第三セクターが出資し合い、何もない原っぱに、立派な神社を作り上げたのだ。

 本尊は勿論の事、本尊の右手には能舞台に神主の宿舎、祭具殿に消防団本部が並んでいるという立派な物だ。

 当時の、木がまだ肌色をした神社が放つ、独特の清涼感をもたらす香りは今も良く覚えている。

 初めての盆祭りを開催する年、娯楽の少ないベッドタウンに飽き飽きしていた人々は、誰もが祭りに参加したがった。屋台はすべて有志で運営され、味にムラがある食べ物に紐くじ、ヨーヨーすくいと、何もかもがどこかで見た祭りの寄せ集めだった。それは今でも同じだ。

  あれから二十年以上経った今、私は同じ木の香りを嗅いでいた。参道の左右で大工達が鉋で木材を削っていた。盆踊りの櫓を組むらしい。

 本尊の明るい色をしていた壁や柱は、今となってはくすんだ茶色となっている。やっと味が出てきたといったところか。その左側にある広場には、既に沢山の提灯の設置が完了していた。

 数人の子供達が、ハンドボール程の大きさの柔らかそうなボールを自分の腕で打つ独特の野球もどきで遊んでいる。それを数人の大人達が見守っていた。柔らかいボールにバットは無し、更に沢山の大人の監視つきとは過保護なものだ。

 大人達は、男も女も私の知っている顔ばかりだった。それもそのはず、この街には小学校も中学校も一校しかないからだ。しかし、そのうちの一人の男が、私を見て他人行儀な会釈をする所を見ると、彼は私を覚えていないどころか、部外者として警戒をしているようだった。腹立ちまぎれに、詰まらない休日の過ごし方だなと馬鹿にしてやりたくもなったが、外で遊ぶ我が子を見守る親の休日と、遠い街から一人で、家族友人への手土産もなく帰省し、時間を持て余してただ彷徨っているだけの私の休日と、どちらがくだらないかは火を見るよりも明らかだ。

 作り笑いを浮かべた冷たい表情でじっと見つめ、暗に往ねと願う男の希望に則すように、私はその場から一番遠い、消防団本部の前にあるベンチへと向かい、端に腰を下ろした。

 腹が立っていた。幸せそうにしている彼らになのか。同じ年齢なのに家族もなく、一人で実家近くを目的も無くふらふら散歩している自分自身になのか。恐らくどちらにもだ。

 この街で育った人間の大半は、近隣の公立大学を出てかつ、近隣の有名企業に就職する。しかし、それにも例外はある。学力の無い人間は遠くの偏差値の低い私大で学ぶか、就職する以外無い。浪人しようものなら、隣近所から笑い者にされる。私はそれが耐えられず、私大への進学を選んだ。

 時折、私が座っているベンチの近くまで子供達のスポンジボールが飛んでくる。どうやらあのどうしようもない野球に業を煮やしてボールを蹴飛ばす子供がいるらしい。ボールを拾って戻った子供に親が駆け寄り何かを言っている。どうやら蹴る事すら禁止するつもりのようだ。どこまで過保護なのだろう。

 憤りが増した。

 私はあの気持ちが悪い程に過保護な親達よりも頭が悪かった事を認めざるを得ない。だから遠くの街で就職する事を余儀なくされ、家族も無く、目的もなく生きている。認めたくない事実だ。

 この街は、私と彼らの差を容赦なく見せつける構造になっているのだ。

 しかし、そんな事はどうでも良い。私がこのベンチに座ったのは、彼らの警戒心を顕にした視線から逃がれる為ではない。ある人物を待つためだ。その人物は私の憤りを忘却の彼方へ追いやってくれるはずなのだ。憤りは大きければ大きいほど良い。大きければ大きい程、解消された時の快感が増すというものだ。

 程なくして、私が座っているベンチの反対側の端に老婆が座った。この老婆こそ、私が待っていた人物だ。

 老婆は口を小さく動かしつつ、何やら楽しそうに話をしている。誰かと話している訳ではない。ただ、架空の相手と話しているのだ。

 曰く、娘が大学を卒業してから、官僚を経て衆議院議員を二十五歳から十年以上務めているそうだ。そして老婆自身が執筆したエリートを育てるための指南書は、未だに売れ続けている等々。

 無論全て妄想だ。この老婆は私の母親と年はほぼ同じだが、見た目はもう八十を過ぎたかのようだ。この老婆の言う娘の事は、私もよく覚えている。

 同じ幼稚園と小学校で過ごしたから当然だろう。



 その娘は、異常とも言える我侭さで、自己中心的な母親と共に、街の鼻摘み者だった。父親を見たことは無いが、とても頼りない人間だと聞いている。娘は体が太く大柄で、気に入らない事があれば平気で人を叩き、石でも積み木でも平気で他人に投げつけた。この娘のために幼稚園は、積み木や少しでも硬いボールは全て封印された。

 私達はただ、スポンジ製のおもちゃだけ与えられるだけのつまらない幼稚園生活を送る事を余儀なくされたのだ。

 小学校一年生の時、私はこの娘に鉛筆で片眼を突かれた。娘が話しかけたのに、私が無視したという理由だった。怖くて返事ができなかった事が仇となったようだ。幸い、瓶底のような分厚い眼鏡をかけていた私に怪我はなかったが、裸眼であれば怪我では済まなかっただろう。

 極端に眼が悪かった私の眼鏡は、子供が使うには少々高価な代物で、母親は担任と共に、当時のこの老婆へ弁償を求めた。しかし娘の母親、すなわちこの老婆は、娘は悪くないと譲らず、結局有耶無耶のまま、私は片方のレンズに大きな傷がついた眼鏡を事件の翌日以降も使い続ける他無かった。

 金に細かい母は、弁償させる事を諦めきれなかったのだろう、私自身よりも眼鏡の金額ばかりを気にしていて、私の眼鏡を直すという発想はまるで無かった。

 事件以降、私は毎日母親に怖かったと泣きつき、鉛筆が怖いから学校に行きたくないと主張したが、母親は一言、給食代が勿体無いから行きなさいと私を突き放した。

 そんな私の葛藤とは裏腹に、その娘は平然と学校に来て、いつものように誰かしらを怒鳴り続けては、突然大きな声で笑う等の傍若無人を繰り返していた。

 ある時、片方の大きな傷がついたレンズ越しに、私はふと思った。私はこの娘に復讐する資格がある。もし復讐を遂げる事が出来れば学校はおろか、この街の英雄になれるとまで思ったのだ。そうなれば、きっと母親もお金の事ばかり言わず、私をかわいがってくれるかもしれない。

 だが、子供に巧妙な復讐など出来るわけがなかった。娘になんらかの復讐をし、私がやったと皆に分からせ、尚且つ仕返しを受けない方法を思いつくなど、土台無理な話だった。

 思い余った私はあの母娘に怒りを燃やしているだろう自分の母親に、自分の思いを吐露すると、母親は思い出したくも無かったのか、渋い顔をしつつ、神社で罰が当たるようにお祈りでもして来なさいと言うだけだった。

 子供心に、新しい神社に神様なんているのだろうかという疑問はあったが、何もしないよりはと私は思い直し、毎日のように、厚紙で作った硬貨を賽銭箱に放り込んでは、娘に罰が当たるよう願うという、あまりにも無駄な行為を続けるより無かった。



 だが、その年の盆祭りの日。私の祈りは聞き届けられた。

 当時の私は酷く内向的で鈍臭かったせいか、友達はおらず、一人で祭を楽しむよりなかった。

 祭りの目玉である盆踊りや能の演舞も終わり、そろそろ祭りも終わりになろうかという頃、当時はまだ新しかったこのベンチに座り、父親にこっそりもらった、年に一度だけの小遣いである二百円をどう使うべきか決めきれずにいた。母親の影響から、当時の私はお金という物はとてつもなく貴重な物だと思い込んでしまっていたのだろう。

 その時だった。祭具殿と消防団本部の隙間の向こうから声が聞こえた。

 おいしいよ。

 おいしいよ。

 猫なで声という表現がぴったりと合う声だった。隙間の向こうで何かが揺れている。祭具殿と消防団本部の隙間は、子供がやっと通れる程度の幅しかなく、普段は薄暗いが、今日に限っては境内全体に吊るされた提灯のおかげで、恐怖を感じない程度には明るかった。

 興味を抱いた私は隙間の中へと足を踏み入れた。目の悪い私は、隙間を半分程進んだところでやっと揺れている物が何か分かった。

 林檎飴だ。どこかの子供がおいしいよと林檎飴で友達を釣ろうとでもしているのだろうか。しかしこの隙間の向こうはすぐに木塀があり、人はまず立ち入らない。 立ち入ったところで、あまりにも狭い隙間に閉口して、戻ってしまうだけだ。

 そんな場所に子供がいるのだろうかという違和感に気づき、恐怖を覚えた私は、すぐに戻ろうと踵を返した。

 おいしいよ。

 背後から低い怒りのこもったような声をかけられ、恐怖に怯えながら振り向いた。

 恐る恐る木塀の前まで進み、林檎飴の棒の持ち主を見た。

 薄暗くじめじめとした場所に、少年は立っていた。白いランニングシャツに、茶色く汚れた体育着と思しき半ズボンを履いたイガグリ頭の少年が、林檎飴を持って立っていた。

 おいしいよ、と再び誘うような優しい声で、少年は私に林檎飴を渡そうとする。甘い物があまり得意ではない私は、愛想笑いをしつつそれを受け取った。

 少年はおいしいよと再び言う。私は観念して林檎飴を少し舐めた。齧ると、飴の周りに付いている飴が奥歯にくっついてしまうのが嫌だった。

 舐めただけでも、やはり私には甘すぎた。少年はおいしいよ、と再び言いながら、自分の口を指さした。

 何かお返しが欲しいのだなと、私は直感した。

 このまま去ってしまえば、得体のしれないこの少年に何をされるか分からないという恐怖が、私を突き動かしていた。

 たった二百円とはいえ、金にうるさく、お年玉も理由をつけてくれない母親の目を盗み、父親がくれた年に一度だけの貴重なお小遣いだ。今年はこの二百円を、林檎飴の対価に使う他無いようだ。

 私はおいでよと、イガグリ頭の少年に付いてくるよう促したが、彼はただおいしいよというだけで、付いて来ようとはしなかった。

 連れて行くのは諦めて、何かを買いに行こうと隙間から出た。

 その時私を呼び止めた、というよりも見咎めたのは例の娘だった。でっぷりとした体に、赤地に白で模様が描かれた派手な浴衣をまとっていた。子供心にそれはとても高価な浴衣なのだろうと思った。

 案の定、娘は支離滅裂な言葉で私を怒鳴り散らし、私の持っている大きな林檎飴を渡せと喚き立てた。困り果てていた私は、この娘の言いなりになるのは少々口惜しかったが、林檎飴さえ手放せば、なけなしの二百円を使わずに済むと思い、すんなりと林檎飴を渡した。俺の代わりにこの娘が、対価をよこしてくれることになると、自分を納得させた。

 すると、背後から再び少年の声が聞こえた。

 おいしいよ。

 おいしいよ。

 小さな子供が、母親にお腹が空いたと訴えているような声だった。

 あのおかしな少年の不興を買ってしまったかと思い、隙間に向かって何か買って来るからと言おうとしたが、それより先に誰かいるのかと叫んだ娘が隙間へと入って行ってしまった。娘のでっぷりとした体は、その隙間にはぎりぎりだった。

 娘が少年に暴力を振るうかもしれない事を恐れた私は、なけなしの勇気を振り絞って娘を止めようと一緒に隙間へと入ったが、その瞬間、私は酷い違和感に恐怖を抱いた。

 子供の足でも十数歩で向こうの塀に当たってしまうはずの隙間の向こうは真っ暗闇だった。娘はお構いなしにどんどん闇へ向かって進み、遠慮なしに大声で誰だと叫んだ。

 それに答えるかのように、おいしいよ、という声が聞こえた。暗い中、辛うじて左右の建物の角が見えた。その角からあの少年の手が現れ、娘の浴衣の袖を掴んだのが見えた。年齢にしては大きな娘の体が、いとも簡単に角へと引っ張りこまれる。私がその角を曲がった時、娘はもう金輪際あの忌々しい怒声を上げられない状態になっていた。

 何かが砕けるような、頭の中に直接響き渡るかのような音が鳴り響いた。薄暗い空間の中、何かに驚いたような表情で、娘は私を見ていた。

 少年は、びくびくと痙攣する娘に抱きつくような姿勢で、私に背中を向けていた。少年のイガグリ頭は娘の顔のすぐ下にあり、先程から響く音は、あきらかにそこから発せられていた。

 私はただ、その光景を見ていた。目が離せなかった。娘の体の痙攣は、やがて止まった。少年が手を離すと、その体がぐしゃりと地面に転がった。

 少年はその体に馬乗りになってから、思い出したかのように私の方へと振り返った。赤茶けた物が少年の口の周りに付着していたが、私はそれをただ、汚いなと思った。

 おいしいよ。

 少年は言った。満足気だった。私はその少年の瞳に敵意が無い事を即座に感じ取り、恐怖するどころか、喜びに震えた。

 あの腹立たしい娘が、恐怖の表情を浮かべながら動かなくなった。もうこの娘を恐れながら学校へ行く必要はない。もう大事な二百円を、この少年のために使う必要もない。ただただ、嬉しかった。

 少年は馬乗りのまま、娘の体の横に落ちている林檎飴を拾うと、私に向けてかざしたが、安心しきっていた私は、落ちた林檎飴は食べられないよというと、少年は頷いてから林檎飴を投げ捨て、私に向けて手を振った。

 初めて、心から信頼する友から手を振ってもらえたような気分だった。

 ああ、親愛なる我が友よ。お腹が空いたら、また私を呼んでくれ。心の底から、そう思った。

 私は世界を救った英雄のような気分で引き返し、隙間から出た。

 振り返ってみると、暗闇は消え、いつもの隙間に戻っていた。試しにまた隙間に入ってみたが、すぐに建物の角へと行き当たり、少年はおろか娘も、最初から存在しなかったかのように消えていた。

 ただ、砂利がついた林檎飴だけはそこに転がっていた。



 ふと我に返ると、ベンチの端に座った老婆は、未だに何かを一人で喋っていた。

 そんな娘、どこにもいないじゃないですか。私が老婆に聞こえる声でつぶやくと、老婆は何かもごもごと言い、逃げるかのように去っていった。

 私の心の中に、あの時の隙間の向こうに見えたかのような黒い靄が広がっていく。それが堪らなく心地良い。

 今座っている位置の右後ろ辺りを振り返ると、その隙間が見える。今はコンタクトレンズを付けているので、隙間の向こうの木塀がよく見えた。

 あれからずっと、帰郷の度にここへやって来ているが、少年の姿は見かけたことがない。しかし、彼はまだここにいる。

 六時を告げる夕焼け小焼けの音楽が鳴り響く。夏とはいえ、もう日は傾いていた。広場では大人が二、三人程、談笑しながら帰り支度をしている姿が見えた。

 一体私は何時間このベンチに座っていたのだろうかと、自分に少々辟易した。

 帰ろうかと思案していると、先程ボールを蹴飛ばしていた子供に声をかけられた。こちらの方へ飛んできたボールを見なかったかと言う。先程警戒感を顕わにした男に似ている子だと思った。

 そこの隙間に入ったのではないかと、私は祭具殿と消防団本部の隙間を指さした。少年は笑顔で頷き、隙間へと入っていった。

 私は背中に敷いていた柔らかいボールを後ろへ投げ捨て、家路に就いた。

 この街では数年に一度、子供が行方不明になり続けている。

 この事実こそ、私と少年との大切な絆なのだ。

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