第三十九話 警戒
馬車は街中を駆けて行く。
襲撃後なので、オセアンヌとイングリトは神妙な顔付きで居ると思っていたが、案外平然としていた。
「ベルナール、今回の件は、アニエスさんに伝えない方がいいと思います」
母親の提案に、ベルナールも同意を示す。
「ですがお義母様。彼女自身にも危機意識みたいなの、持ってもらいたいから言った方が良くないかしら?」
イングリトの意見もまた、無視出来ないものであった。
何が目的か分からない以上、本人の用心も重要となる。
「ですがこれ以上、彼女に心労を増やすのもどうかと……」
「それもそうだけど」
事件はアニエスの母親の婚礼衣装を持ちだした時に起きた。
犯人はナイフを片手に持って裁縫店の前で停車した馬車の中に押し入り、ドレスを差し出すように叫びながら襲いかかってきたと言う。
ベルナールは眉間に皺を寄せながら、犯人に苦情を漏らす。
「対象の反応を見る前に襲うとは、雑な強盗です」
「ええ。本当に。恐ろしかったですわ」
「お義母様、今、無傷でここに居ることを、感謝いたしましょう」
ドレスを奪おうとしたので計画的な犯行なのは分かっていたが、手段があまりにもお粗末だった。
現在見回りを強化していると言うが、それでも不安だと口にしている。
競売は匿名。なのに、どこからか情報が洩れ、家から婚礼衣装を持ちだしたタイミングで襲われてしまった。
今回の事件を受け、イングリトの屋敷周辺にも、騎士が多めに配備されている。
ならば、ベルナールの家に行かずに、自宅で待機をしていた方が安全なのではと問いかける。
「狙いは婚礼衣装だから、大丈夫だと思うわ」
オセアンヌやイングリトの命を狙っていたわけでもないので、単独で襲うことはないだろう。
婚礼衣装も騎士団が預かっている。そこまで心配することはないのではと言っていた。
「なんだか恐ろしいのよね。居場所が犯人側にばれているっていうのが」
「ええ……」
今、この瞬間だってあとを付けられている可能性もある。
だが、街に居るよりは落ち着くことが出来るだろうと判断し、滞在を許可することになった。
「まあ、競売に入札していた者達を調べるとも言っていましたし、しばらくは大人しくしているかと」
「だといいけれど」
「騎士団を信じましょう」
一度、イングリトの家に寄り、子どもを連れ出してからベルナールの家に向かうことになった。
◇◇◇
突然叔父の家に行くことになったイングリトの子ども達は、嬉しそうにしていた。
明るく元気な七歳の男の子、エクトルは初めて会う叔父に興味津々だった。照れ屋な五歳の女の子マリーは、祖母の背後に隠れて様子を窺っている。
イングリトは両親に事情の説明をしに行っていた。
初めて会う甥、エクトルはベルナールの横に腰かける。
人見知りしない性格だからか、いろいろと質問責めにあった。
「叔父上、剣を見せて頂きたいのですが」
「ああ。鞘から抜くなよ」
「分かりました」
長椅子に立てかけていた剣をエクトルに差し出す。しっかり受け取っていたのは分かっていたが、手を離さずに、少しだけ重みを預けてみた。
「うわ、重たい!」
一人で持ってみるかと聞けば、首を横に振る。
「騎士さまの大切な剣、落としてしまったら大変です」
しばらくキラキラとした目で剣を眺め、満足すれば礼を言って返してくる。
厳しい母親の元、しっかり躾けられているなと、ベルナールは思った。
使用人が荷造りをすれば、揃って出発となる。
騎士団にはベルナールの屋敷に居ることを伝える文書を送っていた。
「母上、義姉上、本当にいいのですか?」
「しつこいわね」
ベルナールは狙われた二人のことを心配しているのだ。
騎士隊の警護がある街の屋敷よりも、森の屋敷での滞在を選ぶのは危険なのではと指摘する。
イングリトは騎士の巡回している街中で襲われてしまったので、どこに居ても同じだと言っていた。
「騎士であるあなたには耳が痛い話でしょうけれど。それに、辺境暮らしが長いと、街中での生活が落ち着かないのよ。子ども達も家が騒がしくて落ち着かないって言っていたから」
今は社交期なので、どうしても夜は賑やかになってしまう。
「街のガス灯も怖いって言っているのよ」
「……左様で」
エクトルとマリーは、だんだんと森の中に入っていく風景を、窓際に座っている母親越し楽しそうに眺めていた。
「エクトル、マリー、あまり窓際に近づいてはなりませんよ」
「母上、どうしてですか?」
「それは――」
襲撃されることを警戒しての一言だったが、イングリトは言葉に詰まってしまう。
そこに助け船を出したのは、オセアンヌだった。
「森には、恐ろしい巨大熊が居ます。危険なので、窓に近づいてはならないのですよ」
「巨大熊!?」
「……こ、こわい」
話を誤魔化せたのはよかったものの、今度は架空の巨大熊に怯えていた。
今度はイングリトが話を補足する。
「大丈夫よ。もしもの時は熊騎士様が助けてくれるから」
「くまきしって?」
「なあに?」
「叔父様のお名前を忘れたの?」
「あ!」
先にエクトルがハッとなる。嬉しそうにベルナールの方を見た。
いまだ意味が分かっていない妹に、説明をする。
「マリー、叔父さまのお名前の意味は熊のように強い、なんだよ」
「!」
騎士をしているから、熊より強いんだと、妹に説明していた。
子ども達の不安そうな表情は綺麗に消え去り、ベルナールに尊敬の眼差しが向けられる。
それもどうなんだと思ったが、子どもの夢を壊さないように、「熊が出たら必ず守るから安心しておくように」と言っておいた。
帰宅をすれば、驚いた顔のジジルに迎えられることになった。
オセアンヌとイングリトの訪問が時間よりも二時間遅れていて、夜に帰って来るはずのベルナールも一緒に付いて来ていたからだ。
長年仕えている主人の顔を見て、即座に何かあったのだと察する。
口には出さずに、命令を待った。
「ジジル、客間に飲み物を」
「承知いたしました」
客間に案内して寛いでいたら、アニエスがやって来る。
オセアンヌとイングリトの顔を見て、ホッとするような表情を浮かべていた。
「ごめんなさいね、アニエスさん、少し寄り道をしていたら、遅れてしまって」
謝罪などとんでもないと首を横に振る。
ベルナールの帰宅にも驚いていたが、半休を取ったことにしていた。
イングリトはエクトルとマリーにアニエスを紹介する。
「アニエスさんは叔父様と結婚するの」
「本当ですか!? 結婚式、出たことないので、楽しみです」
「マリー、アニエスお姉様と呼んでもいいのですよ」
「……はい」
式の当日、指輪運びをしたいとエクトルは言う。妹には花嫁のベールを運ぶ係をすればいいと勧めていた。
「あらあら、気が早いわねえ」
「ほほほ、いいではありませんか」
楽しそうに結婚式の話をする子ども達を前に、ベルナールとアニエスは気まずい思いをする。それを、表情に出さないように努めていた。
途中で熊騎士の話になり、アニエスが同じ題名の本があると言えば、どんな話か知りたいとエクトルが頼み込む。
物語を聞かせるために、アニエスは子ども達を別室へと連れて行った。
閉ざされた扉を眺めながら、イングリトは感心するように呟く。
「彼女、子どものお世話も得意なのね」
「週に一度、孤児院に通っていたと、聞きました」
「そうだったの。慣れていると思ったわ」
「……はい」
「本当に、良い娘ね」
「のちほど、彼女に伝えておきます」
アニエスが褒められるたびに胸がざわつく。
その感情の正体を、ベルナールは上手く理解出来ないでいた。
「話は変わるけれど――」
子ども達が居ない間、これからについて話をする。
「とりあえず、護身用の武器が欲しいわね」
「……使用人の、猟銃があったと思います」
「だったら、それを貸してもらおうかしら」
「私はイングリトや孫達と一緒の部屋で休ませていただきますわ」
「分かりました。今回の件は使用人にも伝えておきますので」
これから先、何が起こるか分からない。
警戒は最大限までしておくべきだと、話がまとまった。
「犯人が捕まるまで結婚どころではありませんわね」
「……ええ」
憂鬱そうな顔をするベルナールに、オセアンヌとイングリトは同情していた。




