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第二話  転落人生、我関せず

 このまま去って行きたかった。相手は気に食わないアニエス・レーヴェルジュである。

 なのに、彼女は「騎士様」と呼んで、ベルナールに助けを求めた。


 弱き者を助け、礼儀を重んじ、悪を打ちのめす。


 騎士道精神が体に染みついているベルナールは、助けを求める声を無視することが出来なかった。


 聞けば、アニエスはとある貴族の男に迫られ、困っている最中さなかだと言う。

 だんだんと近づく男の声。

 アニエスは怯え切った表情で、ベルナールに助けを求めていた。


「子猫ちゃん~、こっちかな?」

「!」


 アニエスが息を呑むのと同時に、ベルナールは彼女の細い手を取って走り出す。


 何度も警護で見回りをしたことがある薔薇庭園は、勝手を知る場所だった。

 迷路のように入り組んだ先に、隠れ家のような東屋があるのだ。そこまで逃げれば安全だと思った。


 だが、想定外の事態に見舞われる。


 ドレスを纏い、踵の高い靴を履く女性は速く走れないのだ。

 みるみるうちに男との距離は縮まり、前方に回り込まれてしまった。


 曲がり角で男と鉢合わせとなって、ベルナールは口から心臓が飛び出そうになる。


「子猫ちゃ~ん、じゃない!!」


 甘い笑みを向けていた男が一瞬で真顔になり、嫌悪感を示す表情となった。

 そして、すぐにアニエスの姿を発見する。


「こ、子猫ちゃん、こんなところに居たんだね」


 ベルナールを手で避けてアニエスに微笑みかけたが、当の少女は涙を浮かべて俯く。


「そろそろ戻ろう。お菓子の焼き上がる時間だ」


 広場に帰ろうと男が手を伸ばせば、アニエスはベルナールを盾にするかのように隠れた。

 これほど分かりやすく拒絶をしているのに、どうして強引に迫っているのかと、信じられないような気分になる。


 埒が明かないので、間に割って入った。


「おい、嫌がっているだろう」

「君には関係ないだろう? それに、彼女は恥ずかしがっているだけだよ」


 その言葉が発せられた瞬間に、アニエスはベルナールの上着を握っていた手の力を強める。


 明らかに、嫌がっている状況であった。


 ベルナールは男に見覚えがあった。――エルネスト・バルテレモン。侯爵家の次男で、今日のお茶会主催者の王子の親衛隊員でもある。


「任務を放り出して、女の尻を追い駆けていいのかよ」

「なんだと?」


 ベルナールの暴言に、場の雰囲気が悪くなる。今まで良くもなかったが。


「――とにかく、子猫ちゃんを解放したまえ!」


 つかつかと大股で近づくエルネストに、ベルナールは足を出した。

 不意打ちの足掛けに、見事に引っかかる。ごろんと、その場に無残な形で転倒していた。


 その隙にベルナールはアニエスを荷物のように持ち上げ、その場から全力疾走した。

 エルネストが怒号を上げながら後を追って来ているのが分かったが、くねくねと入りくんだ庭園の中、追いつくことは出来なかった。


 東屋へ到着し、アニエスを降ろす。


「……会場には戻らない方がいいだろう」

「で、でしょうね」


 まだ落ち着きを取り戻していないからか、胸の前に手を置いて目を潤ませている。


 東屋の裏手には庭師の小屋があった。帰り道はそこに居る老夫婦に頼るように伝える。

 任務中なのでこれ以上ここにとどまるわけにはいかない旨を伝え、その場から去ろうとする。


「――あの!」


 呼び止められ振り返れば、アニエスは目を細め、険しい顔でベルナールを見ていた。

 またその目で見るのかと、苛立ちが募る。


 だが、騎士服に袖を通している間は、私情を挟んではならない。

 再び、困ったことがあれば庭師の老夫婦を頼るように言って、その場を速足で離れて行った。


 これがアニエス・レーヴェルジュとの二度目の出会いだった。


 三度目はまた一年後の話となる。

 ベルナールは昇格を目指すため、夜会には参加せずに、会場警備の任に就いていた。

 同僚のジブリルはまたとない機会を逃していると、呆れ返っている。


「ベルナール、お前、結婚願望はないわけ?」

「さあな」


 興味がないわけではない。

 だが、結婚するとしたら、貴族の娘はあり得ないと思っていた。

 よって、夜会への参加は意味がないものとなる。


 ベルナールの任された場所は、夜の庭園だった。

 誰も任に就きたがらないそこは、気分が盛り上がった男女を会場に戻すだけの簡単なお仕事である。

 ベルナールは感情を殺して、逢引きをしている者達の行く手を阻んだ。


 その場で、まさかの再会をする。

 がさがさと草木をかき分ける音がしたので、その場に行けば、アニエス・レーヴェルジュと鉢合わせる形になってしまった。


「――あ」

「……」


 驚いた顔をしているアニエス。

 ここで誰かと待ち合わせをしていたのだろうと、ベルナールは思った。


「あなた、もしかして――」

「ここは立ち入り禁止地域だ。会場に戻れ」

「あ、あの!」

「駄目だ。どんな言い訳も聞けない」


 結婚前の女性が伴侶や婚約者以外の男と会うなどあってはならないことだ。

 呆れながら、アニエスを会場へと追いやる。


 背後から慌てて何かを取り繕うような声が聞こえていたが、ベルナールはその場から去って行った。


 翌年はアニエスに会わなかった。けれど、ジブリルより噂話を聞いていたので、お腹がいっぱいになっていた。

 第二王子に見初められたとか、公爵家の長男に嫁入りするとか、話はどれも華やかなものばかりであった。

 結婚適齢期になっても結婚相手を選り好みしているようで、ベルナールは呆気に取られながらも話を聞いていた。


「つーか、そろそろ結婚しないとヤバイだろうが」

「そうだよねえ~」


 この国の大貴族令嬢の結婚適齢期は、十五から十八歳まで。

 アニエスは十八歳なので、今年は絶対誰かと結婚をするだろうと、誰もが噂をしていた。


 しかしながら、それから数ヶ月経っても、彼女の結婚話は浮上してこなかった。


 二十歳になったベルナールは、日頃の勤務態度や成果が認められ、小隊の副隊長を任されるようになった。

 給金も大きく上がったので、屋敷で働く使用人に賞与金でも与えようかと考えていたその時、召集がかかる。


 時刻は深夜。夜勤中の話であった。

 急な呼び出しだったので何かと思えば、とある貴族への強制執行の手伝いをという話だった。

 一体何が起こったのかと、上司、ラザール・セリエに聞いてみれば、驚くべき事実が語られる。


 ――宰相シェラード・レーヴェルジュが、長年にわたり虚偽の政治資金収支報告書を提出。ありもしない経費を支出していたことが判明したのだ。


 当然ながら宰相の座は辞任に追い込まれ、歴史ある大貴族、レーヴェルジュ家は没落した。


 今から屋敷にある物を差し押さえに行くと言う。


 現場に向かったのは指示を出す執行官と十人の騎士だった。

 屋敷は無人で、滞りなく作業は進んで行く。

 三時間ほどで撤収となった。

 明け方、地平線が明るくなってきた様子を眺めながら、ラザールが話し掛けてくる。


「残念だったな。ここの娘さんも」


 さっさと結婚をしていなかったばかりに、貰い手がつかなくなってしまった。そんなことを切なそうに呟く。


 それから一ヶ月が経った。

 宰相の不祥事と、レーヴェルジュ家の没落という大事件は、いまだ人々の噂の種だった。

 別部隊になったジブリルは、食堂で会ったベルナールに話題を提供してくれる。


「いやあ、凄い事件だったな」

「もうその話はいいから」


 そう言っても、勝手に語り始める。話の中心はアニエスについてだった。


「なんでも、身寄りがなくて宿屋暮らしをしているらしい」


 毎日牢に入れられている父親の元に通い、差し入れを持って行っているという、内部事情をペラペラと話していた。

 驚きの口の軽さだと、ベルナールはスープに千切ったパンを浸しながら思う。


「酷いよなあ、あんなに周囲に人が居たのに、誰も助けないって」


 それも仕方がない話だった。不祥事で没落してしまった家と付き合いをしたいとは誰も思わないだろう。ベルナールは他人事のように話を聞いていた。


「アニエスさん、どうするんだろう」

「お前が嫁に貰ってやればいいじゃないか」

「それはちょっと……」


 あんなにアニエスに夢中になっていたジブリルも、すっかり熱が冷めている様子だった。

 世知辛い世の中だと思いながら、スープを飲み干した。


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