訪問者は秘密を隠す
馬車がガタガタ揺れる。
その馬車の中で隣国の金髪紫瞳の執務官…エミルは外の景色を見つめていた。
彼はスカーレットの勅命で隣国のジークフリート国王の元へ向かっていた。
(…………久しぶりだ…)
この国に訪れるのはいつ振りだろうか…?
いや、〝帰って来るのは〟いつ振りだろうか?
まだそんなに経っていないはずなのに…もう数十年も昔のような気がする。
エミルは静かに目を閉じる。
これから自分がすることは……〝罪〟だ。
女王陛下……スカーレットを裏切ることになる。
それでも……。
「僕には…これしかないんだよ……許されなくてもいい………全ては…………………」
彼の声を聞く者は誰もいない。
彼の懺悔を聞く者は誰もいない。
執務官の青年は…愛しい人のため、茨の道へと歩を進めるー……。
*****
ジークフリートの《悪女》訓練が始まってからは時間の流れが早くて…とうとうその日になってしまった(六日目の夜は寝てしまったが…)。
その日の朝早く、隣国からスカーレット女王からの勅命を受けて一人の執務官がやって来た。
「お久しぶりにございます、ジークフリート様」
「よく来たな、エミル殿」
金髪紫瞳の執務官エミルは、王の間で王座に座るジークフリートに頭を下げた。
近衛兵など…他の人の目があるからか、ジークフリートは厳かな話し方をする。
「此度はご婚姻おめでとうございます。スカーレット女王陛下より祝言を賜って参りました。また、女王陛下訪問についてもお話致しましょう」
「あぁ、了解した。ひとまず…我が妃を紹介致そう。妃をこちらへ」
「了解致しました」
ジークフリートの側に控えていたグランドが一礼して、王の間の控え室の扉を開ける。
「お妃様、どうぞこちらへ」
グランドが部屋の中にいるアンナを招いた。
とうとう出番だー。
アンナはドキドキしながら、その扉をくぐる。
たった一週間ー。
されど一週間ー。
ジークフリートにとても厳しく指導された。いっそ『お前が女装して《悪女》やれっ‼︎』と叫んでしまいたかったが…そんなこと言えないくらいに悪魔…を通り越した地獄の魔王、いっそ鬼に指導されまくった。
及第点が出たのは今日の夜明け……本当にこの一週間は恥ずかしくて引き篭もりたかった。
ジークフリートはそんなのを見通して、わざと恥ずかしがるようなことをしていた気がするが……。
取り敢えず…そんなこんなの成果がここで示される。
アンナは散々注意された歩き方…しなやかでありながら、ゆったりとした動作でジークフリートの隣に立つ。そして、そっと王座に手を添える。
「紹介しよう。妃のアンナだ」
アンナはエミルを魅了するように微笑む。
今日はばっちりメイクだ。
平凡普通から美人程度にはなっているに違いない。
それだけに一縷の望みを託して微笑む。
「初めまして…アンナと申します……以後…お見知り置きを」
ゆっくりとしっかりとした口調で話す。
甘い声は、初めて出すような声で。
訓練中にも出なかったのに、上手く出てアンナは内心ガッツポーズをする。
表面上は艶やかに微笑んでいても、内心は成果を発揮出来て少し安堵したり、また不安になったりとで……結論を言うならば、今すぐここから逃げ出したかった。
「………………」
しかし、目の前にいるエミルは呆然と口を開けて、アンナを見ていた。そして、ギチギチとぎこちない動きでジークフリートを見る。
その目は、『一体何事ですか⁉︎』と語っているみたいで……。
アンナはエミルに気を取られていて、隣にいるジークフリートが気づかれないくらいの一瞬、悪い笑みを浮かべたことに気づいていない。
「………エミル…様…?」
「えっ⁉︎あっ‼︎はいっ…⁉︎」
「如何されました…?」
「いっ…いえっ…」
アンナの問いにエミルは返事を濁す。
ジークフリートはそんなエミルを見て、柔らかく笑った。
「アンナがとても美しくて戸惑っているのだろう」
ジークフリートはアンナに向かって誇らしげに微笑み、その頬を撫でる。
ジークフリートのその動作や、笑顔が本当に《妃を愛している国王》みたいで…嘘でしかないのに、ちゃんと愛されているって錯覚しそうになる。
(ボロが出ないように気をつけないとっ…)
アンナは口元を手で隠しながら、恥ずかしそうに驚く。
「まぁ…そうでしたの…?」
「いやっ……別に……」
ジークフリートが満面の笑顔でありながら、目元だけ笑っていない顔でオロオロとしているエミルを見つめる。
「そうであろう?〝エミル〟殿?」
「………………っ…‼︎」
エミルは目を見開くと、何かを察したのか…深い溜息をつく。
そして…次の瞬間には毅然とした態度で微笑んだ。
「勿論でございます。王妃様におかれましては…その美しさ…まさに《高嶺の華》でございましょう」
アンナは微笑みながら、冷や汗を流す。
隣にいるジークフリートもエミルも胡散臭い笑顔だ。
とってもスマイリーだ。
後ろに控えているから分からないが…きっとグランドも胡散臭い笑顔のような気がする。
(これが…上級者の駆け引きー⁉︎)
こんな駆け引きなら、一生やりたくないと思う。
現在、片棒を担がされているが。
その後、滞りなくエミルは祝言を述べると滞在用の客室での休憩のため、グランドによって案内されながら、王の間を出て行った。
アンナとジークフリートは二人だけの控え室で向かい合うようにソファに座り合い、顔を見合わせる。
「………ねぇ…」
「なんだ?」
先程から黙り込むアンナには、謁見中…ずっと思っていたことを話す。
「あんなに短い時間だったらさ……」
「ん?」
「………みっちり一週間、《悪女》訓練なんていらなかったんじゃない?」
「………………」
ジークフリートは笑顔で首を傾げる。その仕草にアンナは(まさか……)と思う。
「まぁ、一週間はいらなかっただろうな?」
悪びれもしない彼の言葉にアンナはショックを受ける。そんなことを言われたからではなく、訓練までしたあの時間の無駄を惜しんで、だ。
「なら、なんでやったのよっ‼︎」
「ボロが出るだろうから…《悪女》訓練は普通にする気だったんだぞ?……………………使者が来る三日ぐらい前から」
「なんで一週間もやったのよぉっ‼︎」
「俺がやりたかったから」
「はぁっ⁉︎」
睨みつけるアンナに向かって…ジークフリートは足を組みながら、爽やかに微笑む。
「アンナが《悪女》としてどれ程、才能あるかを知りたかったんだが…まぁ、素晴らしかったな」
「……………………素晴らしかった…?」
ジークフリートは頷く。彼の口から〝素晴らしかった〟なんて言葉が出るものだから…アンナは驚く。
(まさか…《悪女》としての才能が……。)
「やっぱりお前は《悪女》に向いてないわ」
「そんなの私が一番分かってるわよっ‼︎」
アンナは一瞬、褒めてもらえるかな…なんて思ったことを後悔する。
(って言うかっ…褒めてもらえるかなってどういうことっ⁉︎)
今の話から褒めるところになど繋がりもしないのにそう思ってしまったなんて…アンナは自分が思っていたことに自分でツッコミを入れた。
最近、自分の感情が分からない。
ジークフリートといるとアンナは自分が自分じゃなくなるみたいで…こんな気持ち、初めて過ぎて分からなくなる。
一人で小さく唸りながら悩むアンナを見つめながら、ジークフリートは小さく呟く。
「まぁ……そう思っててくれよ…俺がお前に翻弄されるのは……ムカつくから」
「…………なんか言った?」
ジト目で見上げるアンナをジークフリートは小馬鹿にするように微笑み掛ける。
「いや?唸ってて面白いなぁって。お前は俺を楽しませる天才だよ」
「あんたは私を悩ませる天才よ」
「お褒めに預かり光栄だな」
「褒めてないっ‼︎」
アンナは勢いよく立ち上がると、部屋から出て行こうと扉に向かって歩き出す。そんなアンナの後ろから声が掛かった。
「どこ行くんだよ」
「部屋に戻るの。もう今日の仕事は終わりでしょ?」
〝今日は使者が来るから王妃として挨拶をする〟。
それを終えた今、アンナの仕事はもうないはずだ。
「いや、会食があるぞ?」
……………〝仕事はもうないはず〟だ。
「………………………………ちょっと待って」
アンナは歩く足を止めて、ぎこちなく振り返る。その目は動揺で揺れていた。
「…………………聞いてないんだけど…」
嘘だと願う反面、もう諦め掛けている自分もいるのに…アンナは気づいていた。
「使者が来るって言っただろ」
「使者が来るってのと会食がどう繋がるのよっ…‼︎」
「一応、使者は正式なもの……国賓だからな。会食くらいは普通だろ」
「平民と国王の基準を一緒にするなぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ‼︎」
アンナはジークフリートに思いっきり怒鳴る。それを聞いた彼は爆笑する。
「やっとっ……重圧から解放されると思ったのにっ……‼︎」
アンナは両手を床についてしゃがみ込みそうな程、愕然とする。
ジークフリートは目尻に浮かんだ涙を拭って、笑う。
「ぷっ…一人前に……重圧を感じてたのかよ……」
「当たり前よっ‼︎失敬なっ…‼︎」
「大丈夫だ」
「…………………えっ…?」
ジークフリートはクスクスと微笑む。アンナの頬に冷や汗が流れた…。
(どうしよう…ヤな予感…)
「昼は女王訪問の話し合いで会食自体は夜だ」
「……………」
「因みに俺は夜までフリーです。グランドと外交外務官がその話し合いを担当することになっているからな」
「………………………ははは…」
アンナは乾いた声で笑う。
もう完全に確定だった。アンナは今すぐ、体調不良と言って逃げようかなぁと考える。
「《悪女》訓練、ラストスパート…いってみるか」
どうせ拒否権はないのだろう…争うことを止めたアンナは顔を両手で覆いながら、呟く。
「…………もう…なんでもいいや……」
悪魔の《悪女》訓練ならぬマナーレッスンは、夜の会食になる直前まで続いたー……。
(……………………疲れた……)
アンナは疲労感を感じながら、ベッドに倒れ込む。無事に会食は終わったが…緊張し過ぎて食べた気がしなかった。
と言うか…食べるのも小さな口で色っぽくしろだなんて無茶振り…よく実行したと思う。多分、普段なら恥ずかし過ぎて気絶出来た。
今回は…隣にいる悪魔の笑みが怖くて出来た訳だが。
ジークフリート達だけなら気が楽だが…隣国の使者も一緒の会食。
《悪女》として名を馳せなくてはならない故に、ボロが出ないようにするので精一杯だった。
(……やっぱり…一週間やっといて良かったかも…)
きっと、訓練がもう少し遅かったらこのような事態に対応出来る余裕が生まれなかったかもしれない。
そもそもの話…会食があると言わなかったジークフリートが悪いのだが。
「………………もう寝る準備しよ…」
アンナはもそもそと風呂場に向かう。大浴場もあるのだが、王妃の部屋にも浴室がついていて…いつでもお風呂に入れる。
今日は早め済ませたかったため、いつもより長風呂をせずに上がった。メイクを落とすと、被っていた仮面も取れるみたいで…すっきりした。
お気に入りのネグリジェに袖を通すと、タオルで髪を拭き始めた。
トントントン……。ドアがノックされて、アンナは「どうぞ」と返事をする。
大体、この時間帯にやって来るのは決まっている。
「アンナ」
入って来たのは想像通り。ラフスタイルなジークフリートだった。
「何?」
「風呂上がりか。まぁ…いっか」
「え?」
ジークフリートはアンナの近くに寄ると、急にアンナを抱き上げた。
ーお姫様抱っこで。
「きゃあっ⁉︎」
驚いた声を上げたアンナは、慌てて彼の首に腕を回す。そのまま、ジークフリートはアンナを連れて部屋を出る。
「えっ?ちょっと……っ‼︎」
スタスタと歩いて行くジークフリートにアンナは困惑する。
一体どこに行っているのか……?
「戻ったぞー」
ジークフリートが来たのは王の部屋だった。
二度目のジークフリートの部屋。それが抱き上げられながらなんて…何事なのだ。
そんなアンナの疑問はそこにいた人物によって更に深まった。
「だっ……誰っ………⁉︎」
ジークフリートと同じく…ラフスタイルのエミルがソファに座っていた。
「エッ…エミル様⁉︎と言うか…誰⁉︎」
アンナは誰と言われて呆然とする。メイクを落とすとそんなに違う人なのか、と愕然とする。
「お前…何言ってんだよ…アンナだ」
「王妃様⁉︎別人じゃ…」
「………別人ですみませんでした…」
「いやっ…そう言うつもりじゃ……」
慌てるエミルを無視して、ジークフリートはアンナを抱き上げたまま、ソファに座る。そして、いつかのように膝に横座りにさせる。
「拗ねるなよ、アンナ」
むすっとしているアンナを面白そうにクスクスと笑うジークフリート。そっぽを向いた彼女はその前にあるテーブルの上を見て、目を見開く。
……二つのワイングラスにボトルの赤ワイン。
アンナはそれを見て…真顔になる。
「………………………えー……」
現状が理解出来ない。
国王と隣国の使者が何故、一緒に飲んで……。
「アンナ、紹介するな」
「ん?」
ジークフリートは膝に乗せたアンナを見上げながら、エミルを指差す。
「幼馴染のエミルだ」
「幼馴染⁉︎」
「ジークフリート⁉︎」
アンナの驚き声と共にエミルの驚き声が出る。
「王妃様にそんなこと言っていいのっ⁉︎」
「いいんだよ、アンナだし」
「ええっ⁉︎」
エミルは呆然としている。しかし、それはアンナも同じだった。
と言うか…アンナの方が話が見えていない。
「えっと…」
アンナが《悪女》風に喋った方がいいのか、普通でいいのかと逡巡すると…ジークフリートが苦笑する。
「普通に喋っていいぞ?」
「……じゃあ、説明して。三十字以内で」
「エミルは俺のモノだよ」
「はいっ⁉︎」
「んなワケ、ねぇだろうによっ‼︎ちゃんと説明しろやっ‼︎」
アンナは息を飲む。その言葉がまさかエミルから聞こえたものだとは、信じられなかった。
しんっ……と静まり返る空間。
ジークフリートがケラケラと笑っているのを見て、エミルはハッとすると…ごほんっと咳をした。
「………失礼致しました…」
「…………いえ…」
恥ずかしそうなエミルにアンナは苦笑しながら返事をする。そんな二人の空気を読んで、ジークフリートはまた爆笑する。
「丸くなったよなぁーエミルも」
「お前はあいっかわらず他人を翻弄するのが得意だなっ⁉︎」
「まぁな。因みにさっきのは冗談だから安心しろよ?アンナ」
(一瞬、信じ掛けてしまったのは言わないでおこう……)
「一瞬、信じ掛けただろ」
「ひっ…いえっ…⁉︎」
「顔に出てる」
アンナは自分の顔を押さえながら誤魔化そうとする。エミルは「本当に違いますからねっ⁉︎」と訴えている。
「エミルは俺の幼馴染で、今は隣国の女王の元で執務官兼執事みたいな役職についてる。まぁ、俺とエミルが幼馴染ってことは女王も幼馴染ってことなんだけどな」
「えぇっ⁉︎」
「……と言うか…僕と女王は元々、この国の出身でして。僕は女王の付き人をしていました。そして…女王が隣国の皇帝に嫁いだので僕もそれに従ったという訳です」
「今じゃ立派な女王とその部下だ」
アンナはそれを聞いて、驚愕する。
ジークフリートと隣国の女王が幼馴染なんて…驚きを通り越して呆然とする。
だから…ジークフリートとエミルが共に飲んでいたのか。
「ついでに言えば…エミルは共犯者だ」
唐突に出た言葉にアンナは眉間に皺を寄せる。
「…………共犯者?」
「……………僕は…ジークフリートの密偵者です」
「………………えっ…⁉︎」
呟いたエミルの方に振り返る。
彼は俯いたまま、口を開いた。
「定期的に女王の情報をジークフリートに流しています」
「それを元に俺は隣国の対策を立てているって訳」
「でもっ…それって……」
平民のアンナでも分かる。それは……。
「はい、反逆罪です。バレたら…良くて投獄。悪くて無事に済まないでしょう」
「……………」
「まぁ、そんな事態にさせやしないけどな」
ジークフリートは毅然とした態度で答える。
エミルも「信頼してますよ」と苦笑する。
「えっと…王妃様にはどこまで話して…?」
不安気なエミルの問いに彼は「あぁ…」隣に頷く。
「アンナなら大丈夫だ。俺の妃だからな」
「でも…王妃様には何も話さないんじゃ……」
「生憎、アンナはじゃじゃ馬だからなぁ。内容が分からずとも、話さなかったら話さなかったでどうなることやら」
「悪かったわね‼︎じゃじゃ馬でっ‼︎と言うか話す気なかったのっ⁉︎」
「危険に巻き込まないのを前提にしていたので……」
「それって巻き込む気だよねっ⁉︎」
逃げようとするアンナをジークフリートは逃げられないように拘束する。腰に両手を回して、腕の中に閉じ込められる。
「どこに行くんだよ」
「巻き込まれないように逃げるんですっ‼︎」
「逃がさねぇよ?一蓮托生、連帯責任♪」
「楽しそうに言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあっ‼︎」
言い争う二人を見て、エミルは恐る恐るといった様子で「続けていいですか?」と聞く。
彼がいることを忘れて、ジークフリートと言い争いをしたアンナは恥ずかしそうに頬を染めて、「どうぞ…」と促す。
「今日も来ることは事前に知らせていました」
アンナはジークフリートが正式な訪問状が来る前に見せた手紙を思い出す。
「事前に知らせた通り…女王を言い包めることに成功し……早くて三週間後、遅くても三ヶ月以内にはこちら訪れるかと」
「じゃあ、そこに合わせて…実行に移せばいいな」
「詳細は決まり次第、また連絡します」
「了解した」
ジークフリートとエミルはどんどん話を進めていく。
アンナは内容が難し過ぎて、途中で聞き飽きて自分の髪を弄り始めた。
政治など分かるはずがない。
「聞いてたか?アンナ」
「…………ん?」
アンナは拗ねたように頬を膨らませる。
「どうせ私は平凡な平民なんで…頭のいい人達の話は分かりませんよーぅ」
「だろうな」
「分かってるなら言うなっ‼︎どうせ…聞かされたって、難しいことは分からないし。やるしかないんだから……ジークが話を聞いて指示してくれればいいの。まぁ…先に言ってくれたら覚悟とか出来るから嬉しいけど」
行き当たりばったり、直前になどは止めて欲しいが…今回みたいに話が難しくても面倒だ。しかし、内容は理解し切れなくても、こんな話があるとでも分かれば心持ちは違う。
「と言うか……巻き込んだのはジークなんだから…最後にちゃんと責任取ってくれればいいよ」
彼はキョトンとした後、愉快そうに笑みを浮かべる。
「なんだ…ちゃんと責任取ればやってくれるのか」
「拒否権はないんでしょ?」
「俺の考えが読めてきたじゃないか」
「まだ、少ししか一緒にいないのにね」
「安心しろよ。責任は取ってやるから」
エミルは何回も瞬きを繰り返して、二人のやり取りを見つめる。
「………二人は昔からの知り合いって訳じゃないですよね…?」
「……何言ってるんだ?知り合いだったら、お前も知ってるだろ」
「いや…そうなんですけど…」
エミルは指先を突っつきながら、恥ずかしそうに目を逸らす。
「…………………なんて言うか……超絶〝甘い〟んで」
「「…………………………〝甘い〟…?」」
アンナとジークフリートは不思議そうに首を傾げる。それを見たエミルは凄まじく切羽詰まったような勢いで言う。
「いや、なんて言うかですよ⁉︎こう…二人の間には甘い空気が流れてて胸焼けしそうって言うか……本人達にしたらそんな気は全然ないんでしょうけど、他人から見たら爆発すればいいのにって思うって言うか……何をしたら短期間でそんなに信頼出来るのか不思議なんですよ‼︎だって見た感じ、王妃様は話は理解してないでしょ⁉︎それでと、ジークフリートが責任取れば付き合うって言ってるんてますよ⁉︎それってもう、なんて言うか……ジークフリート、お前、全然《悪女》と言うより超絶良い子を王妃にしてるんじゃないかっ‼︎あぁ、もうっ……僕もあの子にそれぐらい信頼して欲しいっ……‼︎」
「…………………」
「おーい…アンナがドン引きしてるぞー。と言うか、最後お前の願望を暴露ってるぞー…?」
「ハッ……」
アンナは悟ったような顔で頷く。
マトモそうな人だと思ったが……やはりジークフリートの幼馴染。一癖ある。
「相変わらず…お前はあいつが好きだなぁ」
「煩いっ‼︎分かってんだよぉ…叶わないってことは‼︎それでも側にいたいんだから仕方ないだろ⁉︎〝恋は盲目〟なんだよっ…‼︎」
「流石、片思い二十年。初恋、拗らせちゃった系」
「うるせぇなぁっ‼︎」
シリアスな話をしていたはずなのにいつの間にか軽い空気になっている。
と言うか…二十五歳の男達が恋の話をしていることに…なんとなく、アンナは面白いものが込み上げてくる。
「まぁまぁ、飲めよ」
ジークフリートはエミルにワインを進める。勢いよく煽ったエミルは、目が座っていた。
「馬鹿ジークフリート〜っ…こんな可愛い子、王妃にしやがって……いつまで膝に乗せてんだよぉぉぉぉおっ‼︎」
「え?エミルにイチャイチャしてるの見せつけて、悔しがらせようと思ってだから…お前が寝るまでずっとだけど?」
「ふざけんなよぉぉぉぉぉおっ……‼︎」
アンナはそう言われてハッとする。
すっかり安定してしまっていたが…ずっと膝に乗りっぱなしだった。
他人からの指摘で急激に恥ずかしくなり…急いで降りようとする。
「ダメだって」
「きゃあっ⁉︎」
しかし、ジークフリートはそれを許さない。耳元で小さな掠れ声で囁く。
「こっからが面白いんだから…乗ってろよ」
クスクスと微笑むジークフリートはとても悪い顔でした。
彼が言った〝面白い〟の意味が分かったのは数分後………。
泣き上戸になったエミルが語った、どれ程片思いしてたかとか、どんだけ翻弄されてるとかなど…グダグダとか恋バナを語るエミルを見て、アンナは悟る。
ジークフリートの悪い笑顔……。
きっと、彼はこれをネタにして…今後もエミルを弄るんだろうなぁ…と同情するアンナであった……。
◆◆◆◆◆
エミルの帰国の日…お見送りに来たアンナにエミルは赤面しながら頭を下げた。
「…………王妃様に置かれましては…お見苦しいところをお見せしました……」
「いえ……」
恋バナを語った時のことを言っているのだろう。あの後、我に返った彼がジークフリートにとても弄られていたのは……エミルの燃え尽きた顔で分かった。
「また、いつでも来てくれ。今は隣国の執務官であれど…エミル殿はこの国の方だからな」
人がいるからか、ニコッと笑いながらそう言うジークフリートは…立派な国王に見えた。
「…………ありがとう…ございます…」
エミルは一礼すると馬車に乗った。馬車がゆっくりと走り出す。
去る間際に窓から見えたエミルは…嬉しそうに微笑んでいた。
「…………」
ジークフリートはそれを見て…エミルが発つ直前のことを思い出す……。
*****
「……………やってしまった…」
エミルは見るからに落ち込んでいた。ジークフリートはそれを見て笑う。
「アンナはそんなの気にするタイプじゃないから、安心しろよ」
「………………」
エミルは静かにジークフリートを見つめた。
「………ジークフリート」
「ん?」
「………何故、あの子に話したんだ……?」
「…………………」
エミルの視線は、探るようだった。
それは咎めているようでもあって……。
「王妃はいずれ離婚する人……面倒ごとにしないためにも僕が密偵者ということも、幼馴染だということも話さない予定じゃなかったのか?」
「…………」
「それに…王妃に対する接し方……まるで……」
「………………」
ジークフリートは静かに見つめ返す。
エミルが言いたいことは分かっていた。
アンナとエミルを…公務として以外で会わす予定はなかった。
それは、離婚後のことを見据えてだ。
王妃となる人への命の危険性を少しでも減らすため。
だが………。
「………深い意味はない。どうせ…話さなくてはいけなかった」
「だが、余計なことも話しただろう?僕もジークフリートだけが会って、決まった内容を嘘で包んで指示すれば良かったじゃないか。王妃もそう言っていたみたいに」
昨日…アンナはそう言った。
しかし……。
「………………」
何も答えないジークフリートにエミルは迫る。
「ジークフリートは…〝人を愛さない〟と言っていただろ……」
ジークフリートは目を見開く。
それはずっと昔、ジークフリートエミルに向かって言った言葉だった。
あいつの〝想い〟に何故答えないのか…と問われて返した言葉。
「でも……お前が王妃に向けている視線はー………」
*****
「ジーク?」
「………ん?」
「大丈夫?」
アンナはボーッとしていたジークフリートを見上げる。彼は少し困惑気味で微笑んだ。
「……大丈夫だ。あいつがちょっと爆弾落としていっただけだから」
「……………全然、大丈夫じゃなそうなんだけど……」
ジークフリートはアンナの頭を思いっきり撫でる。アンナは「えっ⁉︎何っ…⁉︎」と慌てた声を漏らす。
ジークフリートはあの時言われた言葉を心の中で反芻する……。
否定をするのに…少しだけ胸が痛む気がするのは……気の所為だと自己暗示する。
二人は暫く静かにその場に佇んでいた……。
ジークフリートの心の中で反芻する言葉ー。
それは………。
『お前が彼女に向けているのは………〝愛〟だろ………?』