王妃様の誕生日
改訂しました。
ジークフリートの誕生日から二ヶ月後……。
今日はアンナの誕生日だった。
十九歳になる彼女のために、国王程とはいかないが…生誕祭が催されることとなった。
ジークフリートの生誕祭の後、アンナにまとわりついていた《悪女》と呼ばれた所以が公になったため……王妃に取り繕うとする多くの来賓が来る予定だと、国王の側近であるグランドは言っていた。
「……こんなことになるなんて…」
アンナは王妃の部屋にある鏡の前で、呟く。
あの時は考えられなかった。
薄金の髪は綺麗に結い上げられて…色白な肌が栄えるような瞳と同じ琥珀色のドレスに身を包む。
普通な顔でも化粧をすれば綺麗になる。
《悪女》と呼ばれた所以が不平等条約改定のためだということが公になってからは、表立ってそう呼ばれることもなくなった。
(……まぁ…普通の人からしたら《悪女》よね……)
平民として町の酒場で働いていたあの頃。
それが今では一国の王妃。
最初は契約だっけれど…今は愛ある日々。
大好きな人の隣で幸せな毎日を送れることが…どれだけ幸せである反面、少なからず同じ身分であった平民達からはここにいる自分が《悪女》に見えても仕方ないと思った。
トントン。
そんな時…ドアがノックされて、「どうぞ」と返事をした。
「着替え終えたか?」
入って来たのは正装姿の国王ジークフリート。
亜麻色の髪に翡翠の瞳…真っ白な正装が相俟って、国王というよりは王子様みたいだった。
「ジーク」
「うん…今日も可愛い」
「ちょっ……さり気なく褒めるの止めて‼︎」
「照れるから?」
「煩いっ‼︎」
ジークフリートは側に来るとアンナの手を握り柔らかく微笑む。
「…………お誕生日、おめでとう」
「…………ありがとう…」
優しいキスと共に言われる祝福の言葉。
アンナは嬉しさに頬を緩ませた。
「…………あー…ヤバイなぁ……」
「…………ん…?」
ジークフリートは目尻を赤くしながら、ごくんっと喉を鳴らす。
その瞳は剣呑な光を宿していた。
「アンナが可愛いから……本当は今ここで喰いたいんだけど……」
「っっ⁉︎何言ってんのっ⁉︎」
「そしたらパーティーどころじゃなくなるしなぁ……」
「当たり前でしょうっ⁉︎」
彼女の警戒を面白がりながら、ジークフリートは微笑む。
「俺はお前を欲しくない時なんてないよ?」
「……っっ…‼︎」
その言葉に息を飲む。
素直過ぎる愛の言葉は……尋常じゃなく恥ずかしい。
「綺麗に着飾ってる時も……普通にしている時も…アンナは可愛過ぎ。知ってるか?お前……キスするだけで目が足りないって言ってんだ」
「言ってないから‼︎」
「無自覚も罪だなぁ……まぁ、いっか。特別な誕生日プレゼントを用意したから…期待しててくれ」
こめかみにキスをされて、アンナは後ずさる。
彼の言う特別な誕生日プレゼント…一体何が送られるのか…少し怖かった。
「…その…普通の誕生日プレゼントで…お願いします……」
「…………何故?」
「……………いや…別に…」
恥ずかし気に目を逸らしたアンナに、彼はにやりと微笑む。
この人なら誕生日プレゼントは俺だ、とか言いそう…と思ったのは言わないでおいた。
「………何を想像したのか聞きたいところだが…怒られそうだから止めておこう」
ジークフリートは軽いキスをする。
それは一回だけで終わらなくて…何度も何度も啄むような口づけを繰り返す。
「…ジッ……ジークっ……」
「……これ以上は…本当に我慢出来なくなるから……また後で」
彼は名残惜しそうに呟くと、最後にもう一度だけ口づけをして部屋を出て行く。
なんでこう…恥ずかし気もなく、やってのけるのだろう。
いつもは公務があるから、明るい時間帯からこんなに甘い言葉を囁かれることはない。
何度も触れられることはない。
その代わりに…夜になると昼間、触れ合えなかったからと甘い言葉と触られ方をされるのが日常的になっているのだが……。
アンナは明るい時間からこんなに甘々な夫で…夜は大丈夫なのかと不安になった……。
「誕生日だからと過激なスキンシップは如何なものかと思われますが?」
王妃の部屋の前で待機していた金髪碧眼の側近グランドが呆れたように言う。
ジークフリートはそれに爽やかな笑みで答えた。
「誕生日、だからこそだろう?今一度…あいつが誰のモノか自覚してもらおうと思ってな」
「………愚王など呼ばれないように気をつけて下さいね」
「それはもう経験済みだ。それに…どちらかと言うと、おしどり夫婦って呼ばれるようになると思うぞ」
「………はぁ…」
グランドは溜息を漏らして、ジークフリートの後に続く。
グランドはこの悪魔のように策を巡らせるが上手な国王に捕まった王妃が哀れに思えた。
*****
華やかなパーティー。
着飾った貴族の人々が王妃のために祝いの言葉を述べる。
アンナはジークフリートと共に、次々と訪れる人々の挨拶の対応をしていた。
「王妃様…お誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「王妃様のお美しさは益々輝きを増すことでしょうな」
「それは褒め過ぎかと」
誰だか分からないが、高そうなタキシードに身を包んだ男性が言う。
アンナは微笑んでいるが…こういう社交場での振る舞いは苦手だ。
「それは困るな。我が王妃の美しさが広まったら…余計な虫がつくかもしれない」
隣に立つジークフリートは困ったように告げる。
アンナは彼に(余計なこと言って話を伸ばすなっ‼︎)と言いたいのを我慢して、手を頬に添えて微笑む。
「……そうなことありませんわ、ジーク様。私はそんなに美しくありませんから」
「わたしに取ったら…王妃はどの女よりも美しいが?」
「…………っ…‼︎」
本気の台詞にアンナの頬が赤く染める。
恥ずかさに勝てず俯くと……話していた貴族の男性が大笑いした。
「これはこれは…奥ゆかしい王妃だ。《悪女》と言われていたのが嘘のようだ‼︎」
「…………‼︎」
ジークフリートがその言葉を聞いてジロリッと彼を睨む。
その怒気に、男性は息を飲んだ。
「……っ…失礼した…‼︎決して王妃様を馬鹿にする訳では……‼︎」
「……分かっている…隣国との不平等条約改定のためとは言え…王妃を《悪女》に仕立て上げたのはこのわたしだ。わたしが怒れることではなかろう……」
悲しそうに言うジークフリートに…アンナは笑顔で答えた。
「……大丈夫ですわ、ジーク様」
「……アンナ…」
「お国のためですから」
彼女の笑顔に、ジークフリートは困ったように微笑んだ。
貴族男性はその後、再び謝罪をし…直ぐに去った。
挨拶が落ち着いた頃、二人はバルコニーに出ることにした。
「………あの芝居掛かった会話はなんとかならないの……」
「仕方ないだろ。あぁでもしないとお前の噂は払拭出来ないだろうし」
夜風に吹かれながら、アンナは疲れたように溜息を漏らす。
《悪女》と呼ばれた所以が、公になったとは言え…今でもアンナを悪く言う人はいる。
その結果、〝王妃は自ら国のために《悪女》と呼ばれることを決意した〟という次の噂を流し始めたのだ。
社交場に出るたび、国王は王妃をそのような犠牲にしたことに心を痛めている…といった風体を装っているから、少しずつ貴族方面は落ち着いてきている。
後は…国民達からの誤解を解くだけだ。
「まぁ、お前が《悪女》だと思われてた方が俺としては変な虫が寄りつかないし安心なんだけどなぁ」
「………さっきの台詞は冗談じゃなかったの?」
「冗談なんていう訳ないだろ?」
彼は爽やかに微笑んで、彼女の左手を取りその甲に口づけを落とす。
「………………ぅ…」
「お前は俺のモノだ。そのことを覚えておけよ」
有無を言わさない声に、アンナは頷く。
それを見たジークフリートは満足気に微笑んだ。
「じゃあ誕生日プレゼントだ」
「えっ……?」
彼は背後に回ると、アンナの首に何かをつける。
カチャッ…と音がしたと思ったら、アンナの胸元には煌めくパールのシンプルなネックレスがあった。
派手な装飾はなく…中くらいのと小振りなパールが連なり、そのパールに白銀で施された華奢な装飾がシンプルかつ上品さを醸し出していた。
「……ジーク…これ……」
「お前にはこれが似合うと思ったんだ」
彼は前に回ると、眩しそうに目を細めて微笑む。
しゃらりと鎖を撫でられて、アンナは小さく首を竦めた。
「可愛い」
「…………そう…?」
「うん……まるで俺のモノって証だ」
そう言われたアンナはジッと彼を見つめる。
ジークフリートの頬に手を添えながら…アンナは首を傾げた。
「………………ねぇ…ジーク?」
「………ん?」
「……なんで…泣きそうなの…?」
「……………っ…‼︎」
その言葉にジークフリートは目を見開く。
今日は朝から様子がおかしかった。
自分が彼のモノだと…ずっと繰り返している。
まるで……怖がっているみたいに。
「…………あー……」
ジークフリートは恥ずかしそうに目を逸らす。しかし、アンナはそれを許さないように彼の両頬を両手で挟んで自身の方へ向かせた。
「何を怖がってるの?」
引く気がないアンナを見て、彼は困ったように溜息を漏らす。
そして…赤い頬のまま、彼女に問うた。
「……………笑わないか…?」
「笑う訳ないでしょ」
断言したその言葉を信じてか…ジークフリートはムスッとしながら、口を開いた。
「………お前は…これから花盛りだろう」
「……………………ん?」
〝花盛り〟という単語にアンナはどう反応すれば良いのか分からない。
「……えっと…花盛りって……」
「……そこからかよ……一番女として綺麗な時期のことだ、覚えとけ」
「……あ…はい……」
「お前はこれからもっと綺麗になる。そしたら…俺以外の奴がお前の魅力に気づいちゃうだろ……その…」
言葉を濁すジークフリートに…アンナは彼の言わんとすることを悟る。
僅かに拳をプルプルと握り締めながら……彼女は怒気を帯びた笑みを浮かべた。
「……………まさか…私が他の人のところに行っちゃうんじゃないかって…不安になってる訳じゃないよね?」
「…………………」
「そんな訳ないでしょうっ⁉︎」
「うわっ⁉︎」
アンナは頬を膨らませながら、ジークフリートに抱きつく。
首に腕を回して……頭を彼の肩に押しつけた。
「……アンナ…?」
「私が好きなのはジークだけなの。だから、他の人に好きだと言われても私が選ぶのはジークだけ」
「…………アンナ……」
不安になるなら、言葉で伝えるだけ。
手と手を重ねて…肌を触れさせて、想いを重ねるだけ。
「……不安にならないで。私はジークだけのモノ。ジークだけの妃なの。逆に…私の方が捨てられないか不安なんだから」
「俺がお前を捨てる訳ないだろ…馬鹿……」
アンナは微笑みながら、ジークフリートと顔を向き合わせる。
優しくキスをして、おでこを合わせる。
「誕生日だから、不安になっちゃったの?」
「ん………胸騒ぎって言うか…〝嫌な予感〟がするんだよな……」
ジークフリートの〝嫌な予感〟は少し気に掛かるところがあるが……アンナにはどうすることも出来ない。
(……大丈夫…何かあっても…ジークがいてくれれば)
二人ならば、何が起きても大丈夫。
だから、アンナはそれを気にするのを止めた。
「ついでに言うと…《悪女》っていう噂も無くなってきたし…これから、周りの態度も変わってくるだろ?実際に…今日の貴族連中もそうだったから…だから……」
「………そっちの方が本当の理由っぽいのは…どうして?」
「………………」
ジークフリートがそっぽを向いて、答えない。
それが、嫉妬してくれているのだと思うと…口がにやけてしまう。
自分よりも彼の方が綺麗なのだから、普通ならこっちが嫉妬するはずなのに。
平凡な自分のために嫉妬してくれることが嬉しくて……。
「心配し過ぎよ……でも、嬉しい」
「………は?」
アンナの言葉に彼は怪訝な顔をする。
ジークフリートの眉間に寄った皺を伸ばすように指先で触れた。
「それって私のことが好きだからそんな風に思ってくれてるんでしょう?」
「………………」
「まだ何かがあった訳ではないのに、嫉妬しちゃうくらいに愛してくれてるんだって……思えて嬉しいって…嬉し過ぎて自惚れちゃいそうって言ったら…怒る?」
「…………怒る訳ねぇだろ…」
ジークフリートの纏う空気が柔からなものになって…二人でもう一度、強く抱き締め合う。
「……こうやって…夫婦になっていくんだよね……」
「ん?」
「……想いを伝えて、確認して…より一層相手が愛しくなって……そうやって生きていくんだなぁって考えたら、幸せだと思ったの」
そうやって微笑むアンナは、大人びた…綺麗なの笑顔で。
ジークフリートはその美しさに息を飲む。
「不安だったらちゃんと話そう?想いを確かめよう?そうやって……一緒にいよう?」
「……………おう…」
二人だけの世界になったようだった。
互いに、相手しか見えていない。
そんなちょっとしたことが…嬉しくて。
「………はぁー…歳上なのに、お前に諭されるなんて……」
ジークフリートが拗ねたように呟く。
アンナは少し勝った気分で、ニヤッと子供みたいに笑った。
「ふふっ……悔しい?」
「あぁ…悔しいから、今夜…覚悟してろよ」
「…………え…?」
目の前でジークフリートが爽やかに微笑む。
アンナはその笑顔を見て硬直した。
……久し振りに見た…爽やか悪魔スマイル。
「……あ…あの……その……」
「誕生日だからなぁ〜…目一杯、可愛がってやろう」
そう言った彼は、艶やかな色香を放つ。
アンナはそれに呑まれて、顔を赤くした。
こうなったら、きっとどうにもならない。
アンナは耳まで赤くしながらも、冷や汗を掻き……凄まじい後悔が押し寄せるのを抑えられない。
「楽しみだな?」
耳元で響く声は悪魔の囁き。
(………私…今夜…大丈夫かな……)
アンナはジークフリートに抱き締められながら…乾いた笑みを浮かべたのだった……。
その時は知らなかったのだー。
ジークフリートの〝嫌な予感〟が、唯の奇遇ではなく……実際に〝問題〟が間近に迫って来ていたことをー……。




