寂しさと想いと覚悟と
「ねぇねぇ、見た?」
「王妃様でしょ?」
女中達がコソコソと話をする。
「堂々としてるわよねぇ〜」
「王様がいらっしゃらないからってねぇ?」
その話は後宮に回って、とうとう王宮の宰相グランドの耳にまで届いたのだったー。
「最近、王妃様は《悪女》として切磋琢磨してらっしゃるようですね?」
「…………………は?」
シャツにスラックスというラフスタイルで執務をしていたジークフリートと正装でそれを補佐しているグランド…二人だけの執務室で唐突にグランドはそんなことを言った。
ジークフリートはその言葉に怪訝な色を示す。
「どういうことだ?」
「そのままでございますよ。最近、女中達が王妃様の《悪女》っぷりを噂しております」
グランドは笑顔で答える。ジークフリートは少し考え込みながら…「詳しく話せ」と促した。
「どうやら最近…王妃様はジークフリート様がいらっしゃらない間、後宮でとある男と逢瀬を重ねているとか」
「………………………は?」
「どうにも…中庭で堂々と逢っているそうですよ?」
ジークフリートはそれを聞いて口を開けて呆然とした。
あの夜から〝計画〟のための案件も通常執務に重なり…本当に忙しくて、王宮に篭りきりだった。アンナに会わないようになってもう三日、四日経つかもしれない。
故に…あの日、彼女と微妙な空気になってしまったのを解決出来ていないし…ジークフリートはアンナが後宮で逢瀬を重ねているなど、知りよしもなかった。
「相手は後宮警備の近衛兵とか…大変仲睦まじい様子だったそうですよ」
「………」
「王妃様の《悪女》としての向上心は素晴らしいですね。いえ、本当に《悪女》なのか…分からないところでございますが」
グランドはそこまで言うと、書類をまとめて退室して行った。
「………………」
一人残されたジークフリートはグランドから聞いた話を頭の中で反芻する。
アンナがジークフリートがいない間に近衛兵と逢瀬を重ねている。
それも中庭で堂々と…仲睦まじく。
それを兼ねてあの夜、アンナから聞いた話を思い出す。
その話と今の話が繋がり合って…一つの結論に至るのは難しい話じゃなかった。
あの日のアンナの浮かれよう…この結論ならば、辻褄が合うのだ。
アンナが話していた〝友達〟…それこそが逢瀬を重ねていたというものなのではないかとー……。
「……………はぁ…阿呆らしい」
ジークフリートは溜息を吐いて、目元を手で覆う。
あくまでもアンナとは契約的な夫婦だ。
ビジネスライクの関係だ。
〝計画〟のための関係でしかない。
だから…《悪女》としてさえいてくれれば、何をしてくれてもいい。今回の話だって、『王妃は《悪女》だ』というイメージを強めるいい機会でもある。
それなのに……。
「……………なんなんだ…この感情は…」
ジークフリートの胸中にあるこの感情は……紛れもない……。
「気の所為だ」
ジークフリートはそう呟いて首を振る。
そうして…息抜きがてら執務室から外の空気を吸いに出たー……。
…………ジークフリートの目の前には、笑顔のアンナがいた。
見たことがないような…笑顔で。
そんな彼女の隣には、見たことがない男。騎士服を着ているから…近衛兵だろう。
女中に聞いたところ…彼女は後宮の中庭でピクニックをしているということだった。最近は毎日のように、と。
何故、息抜きでここまで来たかは分からない。しかし……来なければ良かったかもしれない。
「国王様……」
後ろに控えていた女中がジークフリートに声を掛ける。彼は情けない笑顔を浮かべる。
「……大丈夫…」
ジークフリートは表向きは情けない笑顔を浮かべていたが、心の中では策を巡らせていた。
この状況を上手く使うのだ。
「…………王妃のしたいようにさせてあげてくれ…」
(そんなことは思っていない)
「俺は暫く、彼女が動き易いよう距離を置こう…」
(動き易いようにってどういうことだよ)
言葉と心は乖離する。
言っていることと思っていることは、一緒にならない。
あくまでも…自分が《妃を大切にしている愚かな王》に見えるよう演技する。
「ここまで案内してくれてありがとう。仕事に戻りなさい」
ジークフリートはそう言うと、女中を仕事に返した。
一人になった彼は面倒そうな溜息を漏らす。
(………取り敢えず…これで…いいか……)
アンナ達はジークフリートに気づかずに楽しそうに話し続けている。
見たことがないアンナを見るのは…少し寂しくて。
まだ、少ししか共にいないのに…その笑顔が自分に向けられないのが苦しくて。
…………………向けようのない…苛立ちを感じて。
ジークフリートはどうしてそう思うのかが分からなくて首を傾げる。
そうして…その光景から目を背けるように……執務に戻るため、王宮へと歩き出した………。
その日から……ジークフリートはアンナの部屋を訪れなくなったー………。
◇◇◇◇◇
ジークフリートが部屋にやって来なくなって、もう一週間以上経つ。
日に日にアンナは不安になっていた。
ジークフリートがやって来たのは一日目と帰ってしまった二日目の夜だけ。
それ以降はやって来ない……。
たった、それだけであったのに…何故か不安になっていて。
来ないことが普通なのに………それが嫌だと思っている理由を…アンナはまだ分かっていない。
「アン…大丈夫か?」
いつもの中庭でのエストとの会話。
しかし、鮮やかな薄桃色のドレスと違いアンナは今日は一段と塞ぎ込んでいた。
「……………」
「あ…もしかして、家族と上手くいってないのか⁉︎」
エストの言葉は的中していた。
あれからずっとジークフリートとは会話をしていない。ずっと忙しいようで…偶然、グランドに会う機会があり、ジークフリートに会いたいと伝えても……。
『貴女と違ってジークフリート様は国王です。お忙しいのですよ』
訴えも虚しく…拒否されてしまった。
グランドにそう言われたはずなのに…ジークフリート自身に拒否されている気がして…悲しくなった。
「………………」
「ちゃんと仲直りした方がいいと思うぞ…?」
そう言われても、何故こうなったかが分からないのだ。
何かをした訳ではない。
いや、額を叩いたけれど…それだけだ。
訳も分からずに離れ離れになっているのだ。
「……………会いたい……」
アンナの口から本音が溢れる。
それを聞いたエストは首を傾げる。
「会えないのか?」
そう言われたアンナは弱々しく頷く。
「………………会いに…来てくれないもの……」
「会いに行くのはダメなのか?」
「……………………ぁ…」
アンナは困惑した声を漏らす。
ジークフリートに会いに行っていいのか…ずっとそう思っていたから。
自分から…ジークフリートの境界に踏み込んでいいのか、分からなかったから。
「悩むくらいなら、行っちゃえよ」
エストは笑顔でそう言ってくれる。
やはり…いい友人だ。
悩んでいる時に…適切なアドバイスをくれる。
アンナは…彼会いたい一心で……それに頷いた。
◇◇◇◇◇
そうして…時間が過ぎ……アンナに取って問題の夜がやって来た。
この時間まで待ったのは…明るい時間帯はジークフリートの仕事の邪魔をすると思ったからだ。
そして…夜になってもジークフリートはアンナの部屋にいつまで経ってもやって来ない。
ならば……。
アンナはいつものネグリジェ姿で豪奢な扉の前に立ち、深呼吸する。
ここまで女中に付き合ってもらったが、先に休むよう告げた。そうして一人になって…どれ程経っただろう。
扉の向こうには人の気配がするから、ちゃんといるのだろう。
アンナは意を決して、トントントン…っと三回ノックする。すると、扉の向こうから「入れ」と短い返事が返って来た。
「失礼します」
扉を開けた先には……。
………………………何故か半裸のジークフリートがいた。
「はぁ⁉︎」
「うわぁっ⁉︎」
ジークフリートはアンナの姿を見るなり、急いで上にガウンを羽織る。そして、中途半端に開けっ放しになっていた扉を勢いよく閉めた。
「何の用だ‼︎」
「……っ⁉︎」
ジークフリートの強い言葉にアンナはたじろぐ。彼はアンナにも分かるような溜息を吐くと、部屋の中心部にあるソファの元に行き、座った。
「………………なんで来た」
面倒そうな彼の声に、アンナの身体が震える。
こんなジークフリート、初めて見て……困惑する。
「だって……」
「だって?」
「……いつまで…経ったも……来ないから…」
アンナは恐る恐る彼を見つめる。ジークフリートはアンナを見ていなくて…ソファの前のテーブルに広がっていた書類を見ていた。
「………別に…行ったところでお前にいいことはないだろう。何故、来ないことを気にする」
確かにその通りだ。
ジークフリートが来なくても別にアンナに何かある訳ではない。
だが……。
「……あっ…《悪女》にハマってる王様…ってイメージ戦略は…いいのっ……⁉︎」
「……………………はぁ…」
面倒そうなジークフリートの声に、アンナは泣きそうになる。
なんで、これだけで泣きそうになるのかも分からずに…。
「それは…お前が気にすることか?」
「………………っ…」
突き放すような冷たい言葉。
ジークフリートは相変わらずこちらを見ずに書類を捲る。
「こちらにも都合というものがある。お前が決めることではないだろう」
「………」
「これ以上、用件がないなら去れ」
そう言われた瞬間、アンナの中の何かがブチ切れたー。
アンナは勢いよくジークフリートに駆け寄ると……。
グイッ‼︎
「っ⁉︎」
「このっ…馬鹿ジークがぁっ‼︎」
ゴヅッ‼︎
「グフッ⁉︎」
思いっきり頭突きを嚙ましたー。
「「〜〜〜〜〜〜〜っっっ‼︎」」
アンナの頭とジークフリートの顎がぶつかり合って、門絶句する。
かなり痛かったし、かなりヤバい音がした。
アンナは頭を抱えるようにしゃがみ込みながら、ジークフリートを睨みつける。
「ふっ…ふざけんじゃないわよっ……‼︎急にそんな冷たい態度取られたら……」
「…………」
「と…取られ…たら……」
アンナの目が次第に潤み始める。
頭突きをした痛みも多少は混じってる気がするが……。
「……………っ…‼︎」
「……ばっ…ばかっ……ジーク…ゥ…」
どうして…こんなに悲しくなるのか分からない。
そんなに一緒の時間を過ごした訳でもない。
まだまだ、知らないことばかりだ。
でも……知らないことばかりなのに…勝手に離れていかれたら……。
「……ジッ…ジークが……私を…ここに…連れて…来たんじゃ…ないっ……」
「………ぁ…」
「ジークが…いなかったら……私…独りに……なっちゃう……でしょおっ……⁉︎」
誰も知り合いがいない。
エストという友人は出来たが…心の内から安心出来る訳ではない。
全てを話せる訳ではない。
城下町にいた頃の自分のように話すことは出来た。
でも……それは本当に〝友人〟としてだけで。
昔の自分も今の自分も関係なしで…心から……安心して話せるのは、ジークフリートだけなのだ。
少ししか時間を共にしてないのに…ここまで信用してしまっていいのかと思うくらいに信じてしまっているのだ。
彼が後宮に連れて来たのに……唯一、心許せる相手が離れて行ったら……〝本当の意味〟で独りになってしまう。
「…………ふぇ……」
アンナはポロポロと涙を流し始める。
いい歳して何してんだと自分でツッコミたくなるが…涙は止まらなくて…悔しくなる。
(……なんで…こいつに…こんなに…心掻き乱されなきゃ…いけないの……)
「………アンナ…」
「……ばか…ばかばかばかっ……」
「アンナってば……」
ジークフリートがアンナに触れようと…手を伸ばす。しかし、アンナがその手を振り払う。
「もうジークなんてだいっきらー……」
本当はそんなことを思っていないのに……その言葉を口にしようとした瞬間ー。
「アンナ」
「………っ‼︎」
アンナは息を飲む。
……ジークフリートに思いっきり抱き締められていた。
包み込むような…優しい抱擁。暖かくて…アンナの思考回路がショートする。
驚き過ぎて………涙も止まってしまった。
あやすように…彼はアンナの頭を撫でる。
「……赤ちゃんみたいだな……」
「…………」
「落ち着いた?」
呆然しているアンナをジークフリートは抱き上げて、ソファに座り直した。アンナは膝の上で横抱きになっている。
いきなりの急展開でアンナの思考は追いつかない。
「俺だって……お前を思って行動してたんだぞ?」
「………………えぅ…?」
先程とは違い穏やかな顔つきのジークフリートはワザとらしい呆れた溜息を吐く。
「だって…最近のお前は他の男と逢瀬を重ねてるって話だったし……」
「はぁっ⁉︎」
アンナはジークフリートの口から出たその話に目を点にする。
「俺は邪魔かなぁと思ったし」
「……………………何…それ……」
アンナの身体がプルプル震える。
ジークフリートはそれを見ながら、溜息を漏らす。
「俺がいない間、後宮の中庭で王妃と近衛兵が逢瀬を重ねて…国王だけでなく、近衛兵まで誑かしてるって噂だぜ?」
近衛兵と言うのはエストのことだろう。しかし…生憎、エストとはそんな関係ではない。
「そんな訳っ……‼︎」
「で…俺としてはその話を聞いて、本当に好きな相手なら……俺はいない方がいいだろうと思ったし………それに…王妃と会わないのを不審がられたら、噂に基づいて『王妃を大事にしたいから…彼女の好きなようにやらせる』ってスタンスで距離を置いたって誤魔化せたから」
それを聞いたアンナはジークフリートに掴み掛かる勢いで訴える。
「…………エストとは友人でしかないんだってばっ…‼︎だからっ…‼︎……だから…来なくなったの……?」
ジークフリートは頷く。そして、少し俯き乾いた笑みを浮かべながら、小さく呟く。
「…………………………まぁ……ムカついてたってのも…あるけどな…」
「…なんか言った?」
「いや、別に?」
ジークフリートはアンナを見ながら呆れたように笑う。
「でも、アンナが来た所為でここまでだな」
「………………ぅ…」
「どうしてくれんのかなぁ〜」
楽しそうにニヤニヤ笑うジークフリートを見て、アンナは悔しそうに顔を赤くする。
しかし、彼の胸倉をベシベシ叩いた。
「それ言うなら、私を不安にさせた方が悪いっ…‼︎せめて言っておいてくれてもいいじゃんっ……‼︎」
「なんで?」
「はぁっ⁉︎」
「だって…言ったら何かあったか?」
ニタニタ笑うのは絶対確信犯だろう。
アンナに言わせたいのが丸分かりだった。
だけど…アンナにはその駆け引きを出来る程の余裕が今はなくて。
「当たり前でしょっ‼︎離れるって…言っててくれたら……不安じゃなかったもんっ‼︎」
「…………つまり…俺が悪い?」
「そうだよっ…‼︎」
ジークフリートは苦笑しながら、また泣きそうにジワリと涙の浮かんだアンナの目尻を…優しく拭う。
「そっか…じゃあ、アンナにお詫びしなくちゃいけないなぁ」
赤くなった目尻にジークフリートが口づけをする。優しく…宥めるように彼はアンナの手を握る。
「いいよ?なんでも言ってごらん。俺が叶えてあげる」
「なんでも……?」
「俺に叶えられる範囲でな?」
アンナはそう言って微笑むジークフリートの提案が…甘い悪魔の囁きに聞こえてしまう。
アンナに悪いことが起きるのではない。
贅沢過ぎる言葉に手を伸ばしたら…アンナが元に戻れなくなりそうで。
甘やかすようなジークフリートから離れられなくなりそうで…。
「アンナ?」
名前を呼ばれて、手をぎゅうっと握り返す。
どうして、こんな気持ちになるかは…まだ分からない。
「じゃあ……お願い」
「あぁ、言ってごらん?」
アンナはジークフリートの耳元に唇を寄せて、何かを囁く。
時間で言えば十秒ー。
顔を離したアンナはニコッと微笑む。ジークフリートはすっごく真っ赤になっていた。
「…………マジで…?」
「……うん…叶えられるよね?」
「…………まぁ…なぁ…」
そんなに難しくもなく…普通なお願いだったと思うのだが、珍しく困惑気味のジークフリートは…新鮮だった。
「………いいでしょ…?」
伺うように聞くアンナに、参ったと言うように両手を上げて、ジークフリートは仕方なさそうに笑う。
「……仰せのままに、王妃様」
アンナは…やっと安堵の笑みを浮かべるのだった……。
◇◇◇◇◇
翌日……暖かな陽射しの下。
いつもの定位置でのピクニック。今日のアンナは淡いオレンジのドレスでそこにいた。
でも…いつもと違うのは…アンナの隣にラフスタイルで仕事をしているジークフリートがいること。
「………なぁ…アンナ?」
「なぁに?」
ジークフリートは書類から顔を上げて、アンナを見る。
「………こんなんでいいの?…仕事も…してるし」
「うん、こんなのがいいの。ジークが忙しいのは知ってるし…お仕事したままで大丈夫だよ」
アンナはそう答えながら、ランチボックスからバケットとジャムを取り出す。
「食べる?」
「……ん?」
「コケモモのジャム。私が作ったんだよ?」
「食べる」
即答したジークフリートは口を軽く開ける。
それにアンナは首を傾げて…。
「………ジーク?」
「食べさせて」
「……………」
アンナは少し恥ずかしそうに頬を染めながら、彼の口にバケットを寄せる。ジークフリートはモグモグとそれを食べると…驚いたように目を見開く。
「…………上手い」
「ジャムは失敗しようがないし、バケットはキッチンで貰ったやつだから」
「でも、アンナが作ったんだろ?いい出来だよ」
ジークフリートはアンナの頬に軽くキスをする。
「っぅ⁉︎」
「あー……こんなゆっくりしたの久しぶりかも……」
彼はそう言うと、アンナの膝に寝転んだ。簡単に言えば膝枕だ。唐突だから、アンナは困惑してしまう。
「ジーク⁉︎」
「……………こんな時間も……いいな…」
「…………‼︎」
柔らかな風が吹く。
草木が軽やかに揺れる。
穏やかな陽射しが暖かく降り注ぐ。
緩やかな時間で。
心の中が春のように暖かくなる。
アンナは彼に向かって微笑んだ。
「また…こんな時間を過ごそう?」
アンナを見上げるジークフリートは驚いたように目を見開く。そして…眩しそうに目を細めた。
「………………あぁ…」
「もう…ピクニックはいいかなぁ」
「……日課のピクニック止めるのか?」
からかうように言うジークフリートの声にアンナは拗ねたように頬を膨らませる。
「だって?逢瀬とか言われちゃったし?」
「………もう言わないけど?」
「ピクニックはジークとすると楽しいって知っちゃったからねぇ…独りのピクニックはつまんないもの」
「………近衛兵君はいいのか?」
そう言われてエストのことを思い出す。
エストとの話は…城下町にいた時を思い出したから面白かったが……。
「うん、もういい」
「……友人との大切な時間じゃないのか…?」
「別に…ピクニックをしなくちや話せない訳じゃないし…〝ゆ•う•じ•ん〟だし?……ジークに疑われるの、嫌だもの」
敢えて友人を強調したアンナはそう言って、ジークフリートの髪を梳く。彼はまた驚いたように目を見開いた後…恥ずかしそうに目を逸らした。
「……………随分、素直だな…」
「……そう?」
「……やっぱお前…《悪女》に向いてないなぁ…」
二人で苦笑し合う。
アンナは…二人でこうして過ごせる時間が、とても嬉しかった。
*****
エストはいつものようにアンナの元へ向かっていたー。
「おーい、ア……」
エストの声が途切れる。
そこには…いつものようにアンナがいた。しかし…そこにいるのは彼女だけでなく、もう一人…男の姿があった。
「……………っ…⁉︎」
その人には見覚えがあった…確か……。
「…………王様…?」
思わず後宮の柱の影に隠れる。
柱の影から…アンナ達を見つめた。
仲睦まじい二人の姿ー。
見たこともない…幸せそうなアンナの笑顔。
自分に向けられていたのとは…比べようがない、綺麗な笑顔だった。
そして…それを向けるのはアンナだけではなくて、ジークフリートも…で。
その笑顔で…簡単に分かってしまった。
二人は……夫婦なのだと。
王妃の付き人の〝アン〟ではなく……王妃の〝アンナ〟だと。
皮肉にも…今日のエストはあの日のジークフリートと同じ場所にいたー。
あの日は彼女の隣にいれたのに…今は、その隣にはいれなかったー。
彼女の隣には……アンナに〝相応しい人〟がいた。
「……………はは…」
エストは乾いた笑みを零す。目元にはジワッと熱いものが浮かんでいた。
(…きっと…いい友人だと思ってんだろうな……)
でも、今のエストの気持ちは友人の枠を超えていた。
この苛立ちは…嫉妬だ。
この悲しみは…寂しさだ。
隣にいた時には気づかなくて…隣にいれなくなった瞬間に気づくなんて。
こんな感情…気づきたくなかった。
こんな気持ち……知りたくなかった。
「一目惚れ…だったんだろうなぁ……」
あの日…彼女に声を掛けて、振り返られた瞬間、きっと……好きになっていたんだ。
好きになったことは……後悔していない。
でも…往生際は悪いかもしれない。
………………………………………諦めたくない。
「覚悟してて下さいね…王様」
エストは目尻を擦って、そこから離れる。
いつか…国王の手から……王妃を奪うと……エストは心の中で呟いた。




