家出王妃と衝撃の再会
「あらあら…王妃様じゃございませんか」
扉を開けたシュリーは、一人ポツンと立つアンナを見て驚いた声を漏らす。
「お久しぶりです、シュリーさん。急に来てごめんなさい」
「ふふっ…大丈夫ですよ。王妃様は家族同然の方ですから」
シュリーが優しくそう言って、アンナを中に案内した。
「お客様かい?」
広間まで来ると、アルゴが揺り椅子に座っていた。
「王妃様ですよ」
シュリーがそう答えると、アルゴは「おやおや…」と嬉しそうな顔をする。
「どうされました、王妃様」
「………その…」
落ち込んだ様子のアンナに二人は首を傾げる。アンナは困ったように苦笑しながら答えた。
「………二日ばかり…ここに置いてもらえませんか?」
「……えっと…それは構いませんけれど…一体どうなさったの?」
「坊ちゃんは……」
「今、ジーク様と会いたくないんです」
アンナのハッキリとした拒絶に、二人は呆然とする。そこで、ハッとして「別に嫌いになったんじゃないんですよっ⁉︎」と慌てて弁明した。
「………………今は…顔を合わせたくないんです……」
再び落ち込んだアンナを見て、シュリーは何かを察したのか「分かりましたわ」と微笑む。
「時には側にいたくない時もありますものね。お好きなだけいて下さって構いませんよ」
「いえ…きっと…ジーク様は追い掛けて来るから…二日だけでいいんです……お願いします…」
アンナはそう言って頭を下げた。それを見たシュリーはアンナに歩み寄り、優しく抱き締める。
「大丈夫ですよ…何があったかは聞きません。ですけれどね…どんなことがあっても、わたくし達は王妃様の味方ですからね」
優しいシュリーの言葉に泣きそうになる。
アルゴも「そうですよ」と優しく頷く。
「王妃様を悲しませる坊ちゃんなんて…バチが当たればよいのですよ」
本気で言っているらしいアルゴの言葉にアンナは困ったように微笑む。
アンナは優しい二人の味方に感謝することしか出来なかった。
◆◆◆◆◆
「アンナはいるかっ⁉︎」
二日後の午前中…ジークフリートはアルゴとシュリーの屋敷を訪れていた。
二人は驚いた様子でジークフリートの方を向く。
「いらっしゃいませんよ」
「朝早くにお発ちになりましたからなぁ」
一歩遅かったらしいジークフリートは、悔しそうに顔を顰める。
「坊ちゃんが何をなさったかは知りませんが…王妃様を悲しませるのはいけませんよ?」
「そうですぞ」
「そんなの分かってる…だがっ……」
ジークフリートの様子を見て、シュリーが苦笑しながら頷く。
「王妃様は国立植物園に向かうと仰ってましたよ」
「…………本当かっ⁉︎」
「どこに行くか言わないでとは言われてませんから……ですが」
シュリーはジークフリートに歩み寄り、年を重ねた重みのある笑顔で圧を掛ける。
「よろしいですか?女性を…ましてや自分の妃を悲しませるなんて最低です。ちゃんと謝るのですよ……?」
「………っ…‼︎」
ジークフリートは狼狽しながら、頷く。シュリーは「よろしい」と微笑む。
「女性を怒らせちゃいけないんですよ、坊ちゃん」
アルゴの言葉にジークフリートは険しい顔で頷いた。
「ほら、早く行きなさいな」
シュリーは手を叩きながら、ジークフリートを急がせる。
「ありがとな、二人共っ‼︎」
ジークフリートはそう言うと、「いってらっしゃいませ」と手を振る二人に背を向けて、直ぐにその場を発つ。
(アンナ…っ‼︎)
ジークフリートの心は……早くアンナに会いたい気持ちで一杯だった。
*****
「綺麗……」
アンナは以前ジークフリートと来た…夕暮れに染まる国立グレース植物園に一人で来ていた。
前に見た花の前でしゃがみ込む。
(…………ジーク…怒ってるかな……)
演技だと分かっていても……許せなかった。
唇を奪われそうになったこと。
自分以外の女性の口紅が、その肌についていたこと。
二人っきりの密室であんなに近づいていたこと。
作戦のためとはいえ…許せなかったのだ。自分がこんなにもジークフリートが好きで…好きだからこそ、こんな風に憤ってしまっているのだ。
ちゃんと分かってるのに。ジークフリートは悪くないのに…。
自分の心に整理つけられなくて、ぐちゃぐちゃな真っ黒な気持ちになって…どうしようもなくて、ジークフリートを避けてしまっている。
逃げて…家出までしてしまった。
「…………うっ…」
思わず泣きそうになりながら、なんとか目尻を拭って堪える。
そんな時……。
「……………アンナ…」
後ろから声を掛けられた。
女の人の声で…知らない声だったから、一体なんだろうと思いながら振り返ると……。
「………………え?」
アンナは目を見開く。
そこにいたのは…自分と同じ容姿の女性が立っていた。三十代後半ぐらいの、綺麗な女の人で……豪奢なクリーム色のドレスに身を包んでいた。
女の人は…堪えるように目を潤ませながら、口元に手を添えている。
「……………アンナ…なの…ね……」
その姿が…昔の記憶にある女性の姿に重なる。
「…………………ま…さか…」
そんなはずはないと思いながらも……アンナは困惑した顔になる。
「………………お母さん……?」
そう呟いた瞬間、女性はアンナに抱きついた。
「アンナっ…アンナっ……‼︎そうよ…貴女の母親よっ……‼︎」
「…………っ…‼︎」
その人は…かつて貴族に見初められて、弟と共に嫁いで行った母親……エレノアだった。
アンナは本気で困惑する。どうすればいいのか分からない。
「…………どうして……」
エレノアが嫁いだ貴族は、この国の第二首都と呼ばれる街の貴族だったはずだ。王宮に召喚された際、母と出会い、見初められたのだから。
つまり…本当ならばここにいるはずがない人なのに……。
「あのね……」
「あれーっ⁉︎お姉ちゃん⁉︎」
幼い声がアンナの耳に入る。
声の方に振り返ると…そこには幼い満面の笑顔で走り寄るルーとその手を握るエレノアに似た青年の姿があった。
「ルー君……⁉︎」
アンナはエレノアから身体を離して、驚愕の声を上げる。ルーは無垢な笑顔で青年から手を離してエレノアに抱きつく。
「ママ〜っ‼︎」
「…マ…マ……⁉︎」
アンナは酷く狼狽しながら、抱き締め合う親子を見つめる。エレノアの相手は子供が産めないはずだった。なのに…こんな子供がいるということは……一体……。
「ルー…急ぐと怪我をするよ」
そんな時、青年も側にやって来た。エレノアと共にいるアンナを疑わしい視線で見つめる。
「お母さん…この人は……」
「レノン……貴方のお姉ちゃんよ。忘れた?」
子供の姿の記憶しかなかった弟が…目の前の青年だったらしい。
余りにも変わり過ぎていて、アンナは目を見開く。
「……アンナ…姉さん……?」
「………レノン…なの…?」
アンナとレノンは驚いた顔で見つめ合う。互いに困惑の色が見えた。
「もう少しで国王陛下の誕生日パーティーがあるでしょう?そのパーティーに参加するために…家族全員で旅行を兼ねて少し早めに来ていたの」
エレノアは微笑みながら話し始める。
「…………誕生日…パーティー……」
アンナはそれを聞いて困惑した。
そんな話、一切聞いていなかった。作戦のことがあったからかもしれない。
「少し前にここに遊びに来た時…ルー君が迷子になったのよ」
「……………ぁ…」
ジークフリートと二人でルーの親を探した時のことだろう。
「その時に…アンナを見たの。だから…いつかは会えるんじゃないかって……」
「………………」
「本当に…会えて……」
エレノアは泣きそうな顔で微笑む。アンナはその顔を見て、狼狽する。
「……………ルー…は……」
「あぁ……ルーはね……奇跡的に出来た子供なの」
「…………………」
その言葉にアンナは伺うようにレノンを見つめた。その顔はかなり険しいものだった。
エレノアはそんなアンナを見つめながら…決意したように口を開く。
「ねぇ…アンナ。やっぱり…アンナも共に暮らしましょう…?」
「……………………え…?」
「夫を説得するわ。アンナも共に暮らせるようにって……」
そう言われてもアンナは困惑することしか出来ない。自分が未婚だったら良かったかもしれないが…今は……。
「……………無理…だよ…」
「どうして?」
「私……」
「もしかして、あの時一緒にいた男の人がいるから?」
「‼︎」
エレノアの鋭い指摘にアンナは呆然とした後…ゆっくりと頷く。
「私、あの人と結婚してるから……」
「「……………………え…?」」
エレノアとレノンが驚いた声を漏らす。ルーは意味が分からずといった様子だ。
アンナは弱々しく微笑みながら続ける。
「………私…もう、家族がいるから…お母さん達とは……一緒に暮らせない……」
「でもっ……‼︎」
「…………だからっ……」
「やっと見つけたっ‼︎アンナっ……‼︎」
「「「………っ⁉︎」」」
アンナの身体が後ろから強く抱き締められた。この感触、体温をアンナは知っていた。
「………ジーク…っ⁉︎」
「はぁ……はぁ……アンナ……」
荒い呼吸と熱い手の平で…ジークフリートがどれだけ急いだかが分かった。
「お兄ちゃんだぁ〜‼︎」
ルーの暢気な声が聞こえて、ジークフリートはアンナの目の前に立つ人物達に目を向ける。
「………ん…?えっ…ルーじゃないかっ……⁉︎それに…貴女達は……」
急に現れた美青年に、エレノアとレノンは驚愕しながら…口を開く。
「………初めまして…アンナの…旦那さん…かしら…?」
「…え……えぇ……」
「アンナの母親のエレノアです。こちらは弟のレノン」
「………初めまして…」
「えっ⁉︎」
ジークフリートはいきなりの親御さんとの対面に少し狼狽する。しかし、ラフスタイルながらも少し身嗜みを整えると、凛とした顔で微笑んだ。
「……初めまして、俺はジークフリートと言います。アンナの夫です」
「………ジークフリート君……」
「すみませんが…今はどんな状況でしょうか?」
ジークフリートはアンナから母親との再会のこと、言われたことなどを掻い摘んで説明する。
ジークフリートは「成る程…」と頷くと、エレノアに向き直った。
「すみません。アンナを貴女達と共に暮らさせる訳にはいきません」
「…………そうよね…」
「はい。俺はアンナを愛しているので…離れて暮らすとなったら、我慢出来ませんから」
「なっ⁉︎」
しれっと親の前で爆弾発言をするジークフリートにアンナは真っ赤になる。
それを聞いたエレノアも驚いた顔になっていた。
「取り敢えず…貴女方は俺……じゃなくて、国王陛下の誕生日パーティーまではいるのでしょう?もう日も暮れますし…また日を改めてお話しするということで如何でしょうか?」
ジークフリートの提案にエレノアは頷く。ジークフリートはエレノア達が泊まっているホテルの名前を聞くと…「日にちは後で使いを送る」と言い、アンナの手を握った。
「っ⁉︎」
「それでは…失礼します」
ジークフリートはエレノア達の返事を聞く前に歩き出した。
そして…アンナの手を逃さないとばかりに強く握り締める。困惑顔でその後について行くことしか出来ない。
「その…ジーク……」
アンナは怒っているのかと不安になりながらも、ジークフリートに声を掛ける。
ジークフリートは足を止めると…ゆっくりと振り返った。
「……………怒って…る…?」
泣きそうになりながらアンナが問う。しかし、彼は答える前にアンナを抱き締めた。
「…っ⁉︎」
「怒ってる訳ないだろ……ごめん…アンナ……」
優しいジークフリートの声に…真っ黒い感情が少し薄まる気がした。
「……俺は…アンナに殴られても当たり前のことをしたんだ……どんな罰でも負う覚悟だ。でも……」
「………でも…?」
「アンナが俺の側にいてくれないと…俺は…もうダメだよ……」
弱々しく声にアンナは胸が苦しくなった。
なんで逃げてしまったのだろうと…後悔の念が襲ってくる。
「………ジーク…」
「殴っても、怒鳴っても…貶してもいい……俺はお前がいないと…もうダメなんだ…アンナなしじゃ……俺は俺じゃいられない」
「……………っ…」
アンナの顔を見つめるながら…泣きそうな様子でジークフリートは顔を歪める。
「俺達も……話し合おうか……?」
アンナは言葉も出なくて、なんとか頷くのが精一杯だった。
二人は…後宮に辿り着くまで……ずっと手を握っていた………。




