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条約解消と王妃の激怒












夜も深くなった頃……客室の中でスカーレットが薄いネグリジェを見に纏い、姿見鏡の前に立っていた。




「ふふっ…」




真っ赤なルージュに色っぽいネグリジェ。

ジークフリートに自分の魅力で、目を覚まさせるつもりでこのように品を作った。

肩からストールを掛けて、彼の部屋に向かって歩き出す。

晩餐の時も、ずっとずっとあの王妃おんながジークフリートを誑かしていた。

騙されているのだ。

あの王妃おんなは、平民で…ジークフリートを騙しているに過ぎないのだ。






「わたしが…目を覚まさせてあげないと…」






確信のないことを信じるスカーレットの姿は…一種の狂気であった。

暫く歩き続けたスカーレットは彼の部屋の前に辿り着く。






そして……その扉をノックする。

とうとう…その時がやって来たのだー……。




















*****














プライドの塊である女王は、そろそろ我慢の限界だろう。









欲しいおれを手に入れられなくて…ましてや、ほかの女との仲睦まじい様子を見せつけられている。

アンナはスカーレットが意図的にアンナの知らない昔の自分ジークフリートの話をしても、こたえやしない。逆に嬉しそうにする。

その時ばかりは流石としか思えなかった。

(……最高の…妃だよな……)

ジークフリートはそう思いながら、自室のソファに深く座りながらテーブルの上に置かれたワインとワイングラスを見つめながら微笑む。

(…そろそろ時間だろう……)

そう思った瞬間、扉がノックされた。

ジークフリートは少し緊張した面持ちで溜息を吐く。そして…立ち上がり、自室の扉を押し開けた。






「こんばんは、ジークフリート?」






そこにいたのは…想像通り。艶やかに微笑むスカーレットであった。

「どうかしたのか?女王」

「スカーレットって呼んでって言ったでしょう?」

そう言う彼女はジークフリートの口元に指を添える。

(……………この女っ……‼︎)

ジークフリートはアンナ以外の女性が自身に触れたことにキレそうになる。しかし…なんとか堪えて、柔らかく軽くその手を払う。

「こんな夜更けにどうしたんだ?」

ジークフリートはもう一度、そう問う。彼女は少し不服そうにワザとらしく首を傾げる。

「久しぶりの再会なのよ?昔話でもしましょう?」

「ならエミルも誘って……」

「ダメ」

スカーレットがジークフリートとの距離を詰める。至近距離で、寄り掛かるようにしながら微笑んだ。






「二人っきりで…話しましょう……?」






「……………」

ジークフリートは自身に我慢だと自己暗示する。そして、鉄壁の笑みを浮かべながら彼女を中に促した。

「………………どうぞ?」

「ありがと♡」

スカーレットは疑いもせずに中に入る。

その後ろ姿を見つめながら、彼は冷たい視線になる。

(………ここまでは…上手くいってる…)

ここからが本番…この先どうなるかは〝神のみぞ知る〟だ。

ジークフリートは扉から見えた廊下の先に立つグランドに小さく頷く。グランドも同じように頷くとその場から立ち去って行った。








それを確認したジークフリートは………静かに……国王の部屋の扉を閉めたのだった……。



















*****








(……………今頃…ジークは女王様と共に……)






アンナはワンピース姿のまま……王妃の部屋で、ベッドに足を抱えて座りながら泣きそうになっていた。

分かっているが、悲しくなる。

女王スカーレット様はとても美しかった。

とっても…美人で……そんな人がジークフリートの側に寄るなんて。それどころか、同じ部屋で二人きりになるなんて…想像しただけで泣いてしまいそうだ。

「……………うー…」

アンナは、ぱたんっ…とベッドに倒れ込む。

ジークフリートが自分以外に目を向けるなんて思いもしないが、こんなに弱気になるのは…この作戦の要が自分にあって、それが自分の夫を不貞罪で訴える演技をするからだろう。

嘘でも…夫を不貞罪で訴えようとするのだ。

アンナは今すぐジークフリートの元に行きたくて仕方なかった。グランドが呼びに来るまで行けないのが…もどかしくて仕方ない。

トントン……。

『アンナ様、行きましょう』

「っ‼︎」

アンナはグランドの声が聞こえた次の瞬間には扉を開けていた。

「うわっ…」

「早く行こうっ⁉︎」

泣きそうな顔でグランドを見上げるアンナに、グランドは落ち着かせるように静かな声で告げる。

「落ち着いて下さい、アンナ様」

「でもっ…」

「急いでも…失敗するだけです。落ち着いて……逆に冷たい空気で行ってやればいいんです」

「………………へ?」

グランドが目が据わった笑顔を浮かべて、アンナの肩に手を添える。

「演技とはいえ他の女と密室で二人になったジークフリート様です。演技とは思えない冷たい接し方をして、本気で焦らせてやりなさい」

「………………」

アンナは呆然とする。

ジークフリートに順従だったグランドがそんなことを言うなんて……。

「どうかしました?」

「えっ…と…グランドさんが…そんなこと言うなんて……」

「まぁ…今回は演技とはいえ、ジークフリート様が悪い。平手打ちくらいお見舞いしてやっていいと思いますよ?」

「結構武闘派なんだね…」

「はい、見かけによらずですけどね。まぁ…行きましょうか」

グランドは落ち着いたアンナに、安心したように笑い掛けると先に歩き始める。

アンナはその背中を追って小走りするのだった……。















*****









(早く…来てくれっ……‼︎)





ジークフリートにしては弱気な本音を飲み込みながら、上っ面は微笑む。

ソファの隣に座ったスカーレットはワインを嗜みながら、先程からワザとらしく肩や手に触れてくる。

普通の男ならば彼女の色香にやられるのだろうが…生憎、ジークフリートにはアンナという最愛の人がいる。スカーレットの色気は一切、効いていなかった。

それ以前にイラついていた。

(好きじゃねぇ女に触れられるのって…こんなに不愉快なんだな……)

この作戦に集中しなくてはと思うけれど…アンナのことばかり考えてしまう。演技であるとはいえ、こんなところを見られたらきっと悲しませるとか…不安にさせるとか。

嘘でもアンナを悲しませたくなかったのに……。

「ジークフリート?」

(……もし…初めからアンナがいたなら…こんな作戦は考えなかったんだろうな……)

もし、ずっと前からアンナが側にいたなら。彼女アンナを悲しませるような作戦を考えなかっただろう。

反応がないジークフリートに不満を抱いたスカーレットは、酔った勢いで彼をソファに押し倒した。

「なっ⁉︎」

「さっきから…何を考えてるの?」

「…………えっ⁉︎」

「あの王妃おんなのこと?」

スカーレットが鋭い視線で見つめてくる。

ジークフリートは慌てそうになりながらも、困った笑みを浮かべる演技・・をする。

「………一応…幼馴染とはいえ、スカーレットは女性だからな。アンナには悪いと思うのだ」

「…………………好きなの…?」

探るようなスカーレットの視線に、照れたように目を逸らす。

「……あぁ…アンナを愛している」

その言葉にスカーレットがギリッと歯を噛み締めた音がした。

「ジークフリートは騙させているのよ」

「……………え?」

困惑したような声を漏らすジークフリートに、スカーレットは続ける。

「あの王妃おんなはジークフリートを騙して、王妃になったのよ。出世するために」

「…………」

「ジークフリートが愛してても、向こうは愛してなんかないわ。きっと、あの王妃おんなの色気に騙させてるの」

スカーレットがグラマラスな身体を押し付ける。

試すような…促すような、艶やかな笑みを浮かべる。






「わたしが……目を覚まさせてあげる……」






ゆっくりとスカーレットの唇が近づく。

ジークフリートはその唇を避けようとして……。

「んっ…」

避けようとしたのを察知されたのか、スカーレットはジークフリートの顔を両手で押さえて無理矢理キスをしようとする。

「っ⁉︎」

ジークフリートはそれでも避けようとするが……唇が触れた瞬間、目を見開く。

そして…タイミングが悪かった。











「………………………ジーク…」











「っ⁉︎」

冷たい声だった。

扉のところに立つのは…静かな怒気を放ちながら俯くアンナと、冷たい軽蔑の視線を向けるグランドだった。

ジークフリートは上に乗るスカーレットを押し退けると、アンナに弁明しようと慌てて駆け寄る。

「アンナっ…これはっ……」






パンッ‼︎






その場にいたアンナ以外の三人が目を見開いた。

ジークフリートの頬がじわじわと痛みを訴える。

「……ア…ンナ……」

「……………………最低…」

ゆっくりと顔を上げたアンナは泣いていた。泣いて……自分の夫の頬に平手打ちをした。

「グランドさん……ジークと女王を不貞罪で訴えるわ」

「……アンナ様…」

「………………早くして。こんなに最低な人…投獄されればいいわ」

冷たい言葉にジークフリートは呆然とする。

演技だと思えど…アンナの態度は本気を帯びていた。

「……アンナ…?嘘だろう…?」

「嘘かどうかは投獄されてから考えれば?」

「アンナっ…俺は…口づけをしてないっ…‼︎」

「そんな嘘、聞きたくない。本当に…最低ね」

鬼気迫るアンナにジークフリートは困惑する。

本気にしか見えないアンナに、ジークフリートはどうすることも出来ない。

「何事ですかっ…⁉︎」

廊下の向こうからは打ち合わせ通りに、騒ぎを聞きつけて来たを装ってやって来るエミルの姿。

しかし、エミルは…本気で怒るアンナと本気で困惑するジークフリート。冷たい視線のグランドと呆然とするスカーレットという光景に…困惑の色を示す。

「………えっと……?」

「エミルさん」

「あっ…はいっ…」

アンナの冷たい声にエミルは困惑した声を漏らす。

「ジークとそちらの女王を不貞罪で訴えるわ」

「……………え?」

「両国の人間における罪は在国中の法律によって裁かれる。不貞罪はこちらでの法律……〝不平等条約〟があっても関係ないわ」

エミルは本気を帯びたアンナの声に動揺する。ジークフリートと同じくらいに顔面蒼白になっていた。

「そっ…それは困りますっ……‼︎」

「………何故?」

「そんなことをされては…女王陛下が女王でいれなくなりますっ……‼︎」

それまで呆然としていたスカーレットはその言葉で、困惑しながらエミルに声を掛ける。

「それ…どういうことっ⁉︎」

「考えて下さいっ、女王陛下‼︎」

アンナに気圧されたエミルは、切羽詰まった声で言う。

「元々、女王陛下はこちらの国の住人。いうならば…皇帝の寵愛で女王でいたお方です…‼︎向こうの国から見たら…女王陛下は略奪者でしかありません」

「そんなのっ…」

「そんなつもりがなくても、重臣達からそうとしか見えませんっ‼︎そんな女王陛下が不貞罪で訴えられるのですよっ⁉︎女王の座から降ろすには充分過ぎる理由・・になってしまいますっ…‼︎」

スカーレットもことの一大事さが分かったのか、息を飲む。

しかし、それを聞いたアンナは「関係ない」と一蹴する。

「他の女に肌を許した時点で法律違反だわ」

「止めて頂戴っ‼︎」

スカーレットが切羽詰まった顔でアンナに掴みかかる。しかし、アンナの怒りは収まらずにジロリと睨み返す。

「何故?」

「わたしが女王でいられなくなるっ‼︎」

「知らないわ。二人仲良く投獄されれば?あぁ…でも、〝不平等条約〟があるから、貴女は罪が軽いかもね?そのまま隣国に帰ることになって…でも、重臣達には不貞罪のことは伝わるんでしょうね」

嘲笑うかのようなアンナの声にその場に居合わせた全員が戦慄する。

今まで見たことがないような冷たさだった。

「実力主義、武力主義の隣国ですもの。きっと血の気の多い重臣さん達なんでしょう……良くて女王の座を辞す。悪くて〝袋叩き〟になるんじゃない?」

「………っ…‼︎」

スカーレットとエミルはそれを想像したのか震えた。スカーレットと共に付き従っていたエミルも同様に処罰される可能性があるからだろう。






「………………〝不平等・・・条約〟が無ければ…こっちで仲良く二人揃って投獄なのにねぇ?」






絶望に落とされたスカーレットに掛けられたその言葉は…甘い果実でしかない。

「…………〝不平等条約〟…?」

「そうです…罪がそっちの国の人間は軽くなるものです。ですから、不貞罪で訴えられても女王は罰を受けれど軽いもので済むのですよ」

グランドの補足にスカーレットは、「ならっ…‼︎」と明るい顔になる。






「〝不平等条約〟なんてなくせばいい‼︎」






「「「「…………‼︎」」」」

「きっと…力任せで国を支配するような重臣やつらだものっ…あっちに戻って罰を受けるより、ジークフリートと罰を受ける方がっ…」

その言葉を聞いたアンナは、小さく舌打ちをする。

「なら…そこの最低男と手続きをしなくちゃいけないでしょう」

「………………ぁ…」

置いてけぼりを食らっていたジークフリートがそう言われて、反応する。

「早くしないという…明日の明朝には訴えるから」

アンナはそう言い残してその場を立ち去ろうとする。

「アンナっ…‼︎」

「話しかけないでくれる?」

ジークフリートの呼び掛けをアンナは直ぐさま切り捨てる。

立ち去る瞬間、グランドに耳打ちを何かをするとそのまま何も言わずに廊下の先に消えて行った。




その後はトントン拍子に話は進み……事前に用意していた成果もあり、夜が明ける頃には両国の間にあった〝不平等条約〟は消え去ったのだった…………。









そして…それと同時に、アンナはグランドに不貞罪で訴えるというの止めたと伝えさせ……訴えを取り下げたのだった。













◆◆◆◆◆












不貞罪での件があり、〝不平等条約〟の解消の件もあったため、スカーレットは事件の翌日の内に帰国した。

最後の方はアンナの鬼気迫る演技・・があってか、上手く終われたと言えるだろう。

しかし…その一方、アンナはジークフリートの前に姿を現さなくなっていた。

「アンナ…‼︎」

ジークフリートは彼女を探して後宮を走り回る。王宮の方にも向かったが、一向にアンナの姿が見えなかった。

「アンナはどこにっ……」

後宮の執務室で苛つく声でジークフリートが叫ぶ。

それを見たグランドはずっと閉じていた口を開く。

「アンナ様からの伝言です」

「…………何…?」

「ですから…アンナ様からの伝言です」

それを聞いたジークフリートはグランドの胸倉を掴み、怒鳴り散らす。

「何故、早くそれを言わないっ‼︎」

「アンナ様から頼まれていたからですよ」

「…………くそっ…‼︎」

グランドの言い草にジークフリートは何も言い返せなくなる。

放り投げるように手を離すと、襟を直しながらグランドは口を開いた。

「ジークフリート様が本当にキスをしていないのは、口紅の位置で分かったそうです」

「…………え?」

「スカーレット様のルージュが口からギリギリ離れた場所についていたそうですよ」

確かに…あの夜、スカーレットは真っ赤なルージュをつけていた。

「しかし…それでも、女性の唇なんていう場所を受け入れたのはアンナ様に取っては許せないそうですから、家出・・するそうです」

「はぁっ⁉︎」

「探したら余計に許さないそうですよ」

ジークフリートは呆然と立ち尽くす。

アンナが家出をした。つまり…この後宮ばしょからいなくなったということだ。

そんなの……。

「………………駄目だ…」

「………はい?」

「……アンナが……この腕の中にいないのは……俺の……アンナと約束したんだ…必ず…帰ると…」

ジークフリートはそう呟くと勢いよくその場を飛び出す。

「ジークフリート様っ⁉︎」

「アンナを迎えに行くっ…‼︎」

「場所も分からないのにですかっ⁉︎」

「そんなのどうにかするっ‼︎」

ジークフリートはグランドの制止も聞かずに駈け出す。



















王妃アンナの家出という一大事に……ジークフリートは、なんとしても彼女を連れ帰ると決意するのだった……。













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