女王との邂逅
「……………」
「……………」
互いに黙り込んでいた。
馬車は既に国王ジークフリートのいる王都に入っている。
目の前にいる女王…スカーレットの口元には先程から笑みが絶えない。
(………………はぁ…)
エミルは凄まじく胃が痛くなっていた。これから起こるであろうことを考えると、不安で仕方ない。
「ふふっ…」
スカーレットが艶やかな笑みを浮かべる。
エミルは上手くいきますようにと祈ることしか出来なかった……。
*****
アンナは王宮の入り口で緊張した面持ちでその人の到着を待っていた。
「………………」
「緊張してるか?」
後ろからジークフリートがやって来た。
正装だが…着こなし方が少し適当感がある。
「緊張しない方がおかしいでしょ……」
「折角可愛い格好してるんだ。笑えよ」
「…………可愛い格好?」
アンナ自分の格好を見る。
黒を基調として、薄紫色と白のレースのドレスだ。
余り、好みじゃないのだが…それ以前に王妃がこんなドレスを着ていいのかと不安になる。
「王妃が黒っていいの?」
「まぁ…基本は駄目だよな」
「えー……じゃあ、なんでこのドレスを選んだの?」
このドレスはジークフリートが選んだ物だったりする。
ジークフリートはそう聞かれて爽やかに微笑む。
「選んだ理由?《悪女》をイメージして今日は色っぽいメイクだろうなって思って…」
「確かに大人っぽいメイクだけど…」
色っぽいというほどではない。
「後、俺が脱がしたかっ……」
「煩い、馬鹿ジークっ‼︎」
隣に立つジークフリートがニヤニヤ笑う。その顔でからかっていると分かってしまい悔しくなる。
アンナは無駄に頬が熱くなってしまったのを収めようと手で顔を扇いだ。
「イチャイチャするのはいいですけど…馬車が見えて来ましたよ」
グランドの呆れた声に二人は王宮に繋がる大通りを走って来る馬車を見る。
女王たっての希望で国賓としての歓迎ではなく、個人としての訪問ゆえ…大きな歓迎はしなくていいと言われている。言ってしまえば、お忍びという訳だ。
そのため、登場は至ってシンプルだった。
馬車が王宮前のロータリーに入ると、正面入り口で止まった。
馬車の扉が開くと…エミルが降りて来て、一礼をする。
その目が死ぬ気で頑張ろう…と語っている気がした。
エミルが一息吐いてから、馬車に向かって手を伸ばすと……。
(…………うわっ…‼︎)
アンナは目を見開く。
エミルの手を取り、一人の女性が降りて来た。
真っ赤な髪に瞳…同じく鮮やかな赤いドレス。
艶やかに微笑む彼女は…とても美しかった。
「久しぶりだな、女王」
「お久しぶり…ジークフリート。昔のようにスカーレットと呼んで頂戴?」
微笑み合って握手を交わす国のトップ達。纏うオーラが凄まじい。まるで犬猿の仲的なのが背後に見えるのは気の所為じゃないだろう。
後ろに控えるエミルも不安で仕方ないというように震えている。
「……………あら…」
スカーレットはアンナに気づくと、鋭い視線を向ける。アンナは蛇に睨まれた蛙のように硬直しそうになった。
(こっ……恐いっ……‼︎)
ジークフリートがアンナの腰に手を回すと、安心させるようにもう片方の手で彼女の手を握る。
(………あ…)
声にはしないが、大丈夫だと言ってくれているみたいで…安心した。
「紹介しよう。我が妃のアンナだ」
ジークフリートがそう言って優しく微笑む。アンナもその笑顔に返すように微笑んで、スカーレットに会釈をした。
「………お初にお目に掛かります…アンナと申しますわ…どうぞ仲良くして下さいまし」
スルリとつっかえずに言葉が出た。
アンナは顔を上げて微笑むと、ジークフリートの方に寄り掛かる。
それを見たスカーレットは目を見開く。
「……………………宜しく…」
見るからに怒っているのが分かった。容赦ない怒気がアンナに放たれる。
「女王陛下‼︎この国に着くまでの長旅お疲れでしょう⁉︎国王陛下に頼んで一時の休息の後、改めてご挨拶に致しましょう‼︎」
エミルが慌てて声を掛ける。
ジークフリートもそれに賛同したように頷いた。
「グランドに部屋を案内させよう」
「了解致しました」
「女王陛下。僕は国王陛下と少しお話が御座いますので…直ぐに後を追います」
「分かったわ」
スカーレットがグランドに連れて、その場を去る。
それを確認したエミルは困惑したような溜息を漏らした。それを見たジークフリートは人が悪いように微笑む。
「久しぶりだな?」
「久しぶりだな…じゃないですよ。こっちはいつバレるかとヒヤヒヤしてたのに…」
「因みに容赦なくアンナとはイチャつく予定だから」
「やめて下さいっ‼︎僕の精神力が削られますっ‼︎」
「無理だな」
ジークフリートはアンナの頬に軽いキスをする。咄嗟のことに反応出来なかったアンナは赤面する。
「ふぎゃっ⁉︎」
「仮にも王妃がふぎゃっ⁉︎…はないだろ…」
「煩いっ‼︎」
仲睦まじい様子の二人にエミルは困惑を示す。
ジークフリートはそんなエミルの様子に「あぁ…そうだった」と納得して、満面の笑みを浮かべる。
「俺達、普通に夫婦になったから」
「………………………はい?」
呆然と…エミルの顔から表情が抜け落ちる。
「言うならば相思相愛?」
「言葉にしないでくれるっ⁉︎」
アンナが真っ赤になりながら訴える。
エミルはひたすらに呆然としていた。
「……………え?」
「そう言うことだから…法律改正はしてあるが、離婚する気はない」
「……………は…」
「余りここにいても疑われるだろうから、早く行くぞ」
ジークフリートはエミルの返事を待たずに、アンナの肩を抱き寄せながら歩き始める。
「ジークっ…人前っ…‼︎」
「照れるなよ」
「止めてよっ…‼︎」
「顔、真っ赤だなぁ」
その場に佇んでいたエミルは、言い争う二人の姿を見て…安堵したような、泣きそうな顔になる。
「………………ジークフリート…もう…大丈夫なんですね…」
それは昔のことを知っていたから漏れた言葉だったのかもしれない。
大切な人を失って、命を削るような生き方をしていたジークフリートの姿を知っていたから。
でも…今は彼女がいるから、何があっても大丈夫なのだと確信出来る光景だった。
そう思う反面…彼女の入る余地がないことに…嬉しさを感じているのだ。
「………っ…」
そんな醜い感情に気づいて、エミルは顔を歪める。
立ち尽くす彼に気づいたジークフリートが振り返り、不敵に微笑んだ。
「早く来いよ、エミル」
眩しそうに目を細める彼は、困ったように眉を歪める。
「…………今、行きます」
(………………?)
アンナは様子がおかしいエミルに首を傾げる。
〝女の勘〟が働いたのか分からないが…困った様子の彼は…何かを隠しているようだった。
(……気の所為…かな…?)
引っかかりを残しながらも…三人は王宮へと入って行くのであった……。
*****
スカーレットはグランドに案内された客室で一人、爪を噛む。
「なんなのっ…あの王妃っ……‼︎」
ジークフリートの隣に立つあの王妃が自分を馬鹿にしているようで、スカーレットは憤怒していた。
本来ならば、あの場所には自分が立つはずだった。
ジークフリートは自分が好きなはずなのだ。
あの王妃に騙されているだけなのだ。
ジークフリートを奪ったあの王妃が許せなくて、憎らしくて……早くジークフリートの目を覚まさせてやらなくてはと憤る。
「大丈夫……ちゃんと……目を覚まさせてあげるわ…」
スカーレットは艶やかな笑みを浮かべてそう呟いた。
*****
「改めまして…婚礼、おめでとう」
冷たく微笑みながらスカーレットがそう言う。
王の間ではなく、少し大きな応接室でアンナ、ジークフリート、スカーレットの三人で向かい合うように長テーブルを挟んで座っていた。
「ありがとう」
「……ありがとうございます」
スカーレットは頬杖をついて、憎らしそうに口を歪める。
「隣国としての祝言はエミルに届けさせたけれど…幼馴染個人としても言いたかったからお忍び訪問なんて言う無理をさせたわね」
「構わないさ。お互いに国のトップ…正式なものとしたら、手続きなど面倒だからな」
「そうねぇ…昔は〝あんなに〟近くにいたのに」
ジークフリートの隣に座るアンナをジロリと睨むスカーレット。
アンナはその視線に眉を潜める。
「幼い頃は共に遊んで…共に寝て…共に過ごしたのにね?」
(…………………)
彼女は横目でずっとアンナを見つめていた。
アンナはその視線で、彼女の意図に気づく。
(…………当てつけかっ……‼︎)
スカーレットは幼い頃…つまりアンナが知らない時代を共に過ごしたという自慢をしているのだ。
ジークフリートと沢山の時を過ごしてきたと自慢しているのだ。
アンナに…見せつけるために。
「そうだな…エミルを含めた〝三人〟で過ごしていたな」
ジークフリートが不穏な空気を纏いながら、〝三人〟の部分を強調する。
スカーレットの意図に気づいてのことだろう。しかし、アンナはそんなの気にせずに嬉しそうに微笑む。
「そうなのですね、女王様‼︎私にジーク様の昔のお話をお聞かせ願えますか?」
「…………………は?」
アンナの言葉にスカーレットは面を食らったように瞳を瞬かせる。
「愛しい夫のことですもの…昔のことでも何でも知りたいですわ‼︎」
アンナが仕返しとばかりにカウンターを放つ。隣に座るジークフリートが楽しそうに微笑んだ。
その笑みとアンナの態度に…スカーレットの顔が凄まじい怒気に染まった。
トントン……まさに冷戦状態の空気を変えるように扉がノックされる。
「入れ」
「失礼します…お茶とお菓子をお持ちしました」
グランドが色々と乗ったカートを押しながら、入って来る。
応接室の冷たい空気に気づきながらも、ワザと空気が読めない風に満面の笑みを浮かべる。
「女王陛下はお久しぶり故郷の味かと思われます。存分にお楽しみ下さいませ」
そう言って、三人分の紅茶とお茶菓子を用意してそそくさと退室して行く。
退室したのを見ると、ジークフリートはワザとらしくティーカップを持ち上げた。
「さぁ…お茶でも飲みながら、昔話でも語り合おうじゃないか」
楽しそうにするジークフリートに従うようにアンナも「そうですねっ‼︎」と嬉しそうに微笑む。
スカーレットに怒りで冷静さを無くさせるため…彼女を煽るだけ煽る作戦だった。
スカーレットが如何にアンナが知らないジークフリートの話をしても、アンナは嬉しそうに聞く。
嫉妬さえする様子がない。その態度がスカーレットの悔しさを増幅させる。
それに加えて……。
「アンナ…口についているぞ」
ジークフリートがアンナの口元についたクッキーの欠片を指で拭い、口元に運ぶ。
アンナは真っ赤になりながら、彼を見つめる。
「きゃっ…恥ずかしいので…止めて下さい……」
「そう照れなくてもいいだろう?可愛い妃だ」
目の前で繰り広げられるイチャイチャに、スカーレットの怒りは最上値を超えそうになっていた。
ガタンッ……‼︎
勢いよく立ち上がった俯き気味のスカーレットはゆらりと顔を持ち上げる。
「………長旅で…疲れたわ…部屋に戻る」
「ならば、グランドを呼ぼう」
「早くして」
我慢しきれなくなったスカーレットはイライラを隠さずに、ジークフリートに言い放つ。
暫くして、呼び鈴で呼ばれたグランドがやって来てスカーレットを客間へと連れて行った。
「………………ふぅ…」
「………………はぁ…」
部屋に残されたアンナとジークフリートは疲れたような溜息を漏らす。
アンナは彼をジト目で見ながら、恥ずかしそうに口を開く。
「何あれ……」
「何あれって…何がだ?」
「口元拭ったり…可愛い妃とか…」
ごにょごにょと言うアンナの頬に触れながら、ジークフリートはクスッと微笑む。
「本当のことだろう?」
「………本当のことって…」
「いつもは心の中で留めとくことを口にしてみた」
「いや、いつもでも普通に言ってるよねっ⁉︎」
アンナが思わずツッコむとジークフリートは「違うぞ?」と少し拗ねたように顔を顰める。
「あれはアンナを可愛がるため。これはアンナとの仲の良さを見せつけるためなんだって」
「何それっ⁉︎」
「要するに…スカーレットにアンナとの仲の良さを知ってもらったんだよ」
「別に要せてないからねっ⁉︎」
「今日はツッコミまくるなぁ…」
アンナは疲れたように長テーブルに突っ伏す。
ジークフリートは暢気に紅茶を飲み続けていた。
(………………ばーか…)
本当のことを言っていると言うジークフリート。
本当に可愛いと感じてくれていると思うと…嬉しくて恥ずかしくなる。
ジークフリートはティーカップをソーサーに置くと、アンナの方に向き直った。
「アンナ」
「……なぁに…」
アンナが身体を起こして、彼に向き直るとジークフリートはアンナにキスをする。
「ンンッ⁉︎」
唐突なキスに驚きつつも…その柔らかさに背筋がゾクッとした。
唇が離れても…至近距離で見つめる瞳に…囚われる。
「俺はアンナに骨抜きなんだよ。だから……不安になるかもしれないけど、必ずお前の元に帰るから」
これから、ジークフリートは脅すためとはいえ…ある意味(?)浮気をすることになる。
そのことを考えると…アンナの心は悲しさと苦しさで一杯になるのだが…それを見抜かれていたらしい。
頬を撫でる彼の手に赤に染まった頬を摺り寄せながら、アンナは頷く。
前から…ジークフリートを信じると決めていた。
それは何が起きたって、どんな時だって変わらない。
ジークフリートは自分の夫だから。
だから、信じるのだ。
「……必ず…私の元に…帰って来てね…?」
上目遣いでおねだりするように言えば、ジークフリートは息を飲んで狼狽する。
覚悟を決めたように溜息を吐くと…彼は真っ直ぐにアンナを見つめた。
「約束する……俺の女神であるアンナと国王の名に掛けて」
ジークフリートはそう言って…もう一度、口づけを落とすのだった……。




