王妃と近衛兵
「はぁ………」
暖かな陽射しー。
若草色のドレスを着たアンナは中庭の大きな木下でシートを引いて暢気にお茶をしていた。
その背後にはぽわぽわとお花が飛んでいる。
今日、ジークフリートはグランドと共に急に入った案件を早急に処理しなくてはいけないと言って早朝から王宮の方に行ってしまった。
だから後宮で一人、やることがなく暇なアンナは一人暢気にティータイムという訳だ。
近くには女中はいない。付き合わせては悪いだろうと思い、付き従わなくていいと言ったのだ。
王妃を簡単に一人にしてくれるあたりが、気の利いた女中ということだろう。
(はぁ〜…幸せぇ〜……)
こんなに穏やかな時間、楽だ。細かいことも気にしなくていいし、何よりあの悪魔と共にいなくていい。
ビバ‼︎一人‼︎
ビバ‼︎平凡っ‼︎
「…い……」
アンナはランチボックスの中からバケットを取り出して、木苺のジャムを塗り始める。
ピクニックをする前にキッチンに行って、用意して貰ったものだ。
「おい…」
頬張ると甘酸っぱい木苺が口に広がる。カリッとしながらもフワッとしたバケットによく合う。
「おい‼︎女っ‼︎」
「あっ‼︎」
男の声と共にグィッと肩を掴まれて、手からバケットが落ちて…ベチャッとドレスにジャムがついてしまった。
アンナの背後には近衛兵らしい騎士服の男が立っていて……。
「ここは後宮だ。一般人が入り込んでいい所ではない。ましてやピクニックなど…」
アンナは男の話など聞かずにバケットを手に取る。ドレスには木苺の赤い跡…。
「ごめんね…バケットとジャム…」
アンナは悲しそうな声で謝る。そして…ゆらりと男を見上げた。
そしてー……。
「おい、聞いて…」
「今すぐこのバケットとジャムに謝りなさいっ‼︎」
アンナはギリッと睨みながら、そこにいた男に怒鳴りつけた。
怒鳴られた男は目を点にして呆然とする。
「あんたねぇっ…このバケットとジャムを作るのに一体、どれだけの人の手が掛かってると思ってるのよ‼︎」
「えっ…」
「小麦粉を作る人‼︎パンにする人‼︎木苺を摘む人‼︎ジャムにする人‼︎簡略化してるけど…それはそれは沢山の時間を掛けて大切に作られてるのよっ‼︎なのにっ…食材に謝れ‼︎職人に謝れ‼︎」
アンナは取り敢えずそうとだけ叫ぶとバケットを男の前に出した。
食べ物は大事にする。
それは子供でも知ってる当たり前のことだ。
急に引っ張るから落としてしまったアンナにも落ち度はあれど…こいつも謝る必要はある。
食材に‼︎
職人に‼︎
「えっと…その…」
「食べ物を粗末にしないって親に習わなかったの⁉︎」
余りに鬼気迫る迫力に男は狼狽する。
「すっ…すみませ……」
「私じゃなくてっ‼︎」
「バケットさん、ジャムさん‼︎すみませんでしたぁっ‼︎」
最後にはアンナに負けて大声で謝罪する始末。アンナはそれを聞いて満足そうに頷く。
「な…なんなんだよ…あんた……」
男…と言うよりは青年と言える容姿の彼は困惑した声を漏らす。
アンナは改めて彼を見た。茶髪に青い瞳の彼は、二十代程だろう。普通にカッコいい。
「だって…食べ物は大事にしなくちゃ人間としてダメでしょ?」
「いや…そうだけど……」
彼は「あーっ‼︎」と声を上げると、ムスッとしながらしゃがみ込む。
その目は拗ねた子供みたいで。
「ここに配属されてから…そんな風に考える奴、初めて会ったよ」
さっきと打って変わって柔らかな話し方だった。アンナは彼にニコッと微笑む。
「変?」
「……いや…貴族とか偉い奴らは食って当たり前だから……あんたみたいな食物を大切にする考えはいいと思う」
「そう?」
「オレ、平民の出身だから…そう思うよ」
彼は「もう、いっか」と言うとアンナの隣にストンッと座る。
「さっきはゴメンな?オレ、中庭警備担当だから…下手に人がいると…隊長に怒られるからさ…」
「ううん、大丈夫。だから、急に肩を引っ張ったのね?」
「その…女性に触れるのはどうかと思ったんだが……本当にゴメン」
意外にフェミニストらしい青年にアンナは笑う。
「大丈夫だって」
「……ありがと…」
少し照れたように言う彼にアンナはこういう人がモテるんだろうなぁ…と思う。
「そうだ…自己紹介してなかったな?オレはエスト。あんたは?」
「私?私はアン……」
そこでハタと気づく。
アンナは仮にも王妃…本名を言ってしまって大丈夫なのかと。と言うか…王妃がここにいて話していて大丈夫なのか……。
しかし、前にいるエストは疑いもせずに満面の笑みを浮かべていてー…。
「アンって言うのか。よろしくな‼︎」
「………よろ…しく…」
(エストがバカで良かったーっ‼︎)
エストはアンナが王妃だと気づいていないようだった。
流石、ノーメイク。
流石、化粧映え。
ほぼ実名なのに、本当にアンと言う名前だと思っているようだし……バ…ではなくて、適当なのかもしれない。
「アンは何でここにいるんだ?」
「えっ⁉︎えっと…そのぉ……」
「ん?」
「王…ひ……」
アンナは頭の中で考える。
『王妃だから』
そう言ってしまっていいのかどうなのか……。
「あぁ、分かった‼︎」
(バレた⁉︎)
「王妃様の付き人なんだろ?」
(何故そうなった⁉︎)
アンナは開いた口が塞がらないまま、エストを見つめた。
「王妃様は平民出身みたいだし…あんたのその服装と平民寄りの考えはそう言うことだろ?」
「ご……ご想像にお任せします……」
このシンプルな服から付き人だと判断されたのか…王妃モードとは違うからそう判断されたのか…そんなに王妃モードと違うものなのかと悲しい気もするけれど、どちらにせよ誤魔化せたことに違いはない。
「なぁ、久々にあんたみたいな人と話がしたいんだ。近衛兵団って結構、貴族とか多いし」
「あ…うん……」
「やった‼︎じゃあ…何から話そうか」
エストは色々なことを話し始める。
近衛兵団での考えの違いや、普段の様子。
後宮の話や王様の話。
城下町で暮らしていた時の話……。
気づけばかなりの時間話し込んでいた。
その時にはアンナも王妃とか何とか忘れて、エストとの話を楽しんでいた。
王妃としている後宮で…エストとの会話は城下町にいた頃のアンナとしていられる時間だったからかもしれない。
「やばっ…そろそろ行かないとっ…‼︎」
エストは立ち上がると、アンナに向かって微笑む。
「オレ、ここでアンみたいないい友人が出来て良かった‼︎また話そうな、アン‼︎」
「うん、待たね‼︎」
「待たなっ‼︎」
手を振りながらエストは後宮の中に駆けて行く。アンナは笑顔のまま、ランチボックスを片付け始める。
エストはアンナをいい友人と言った。
アンナの方も彼をいい友人だと思っている。
後宮で友人が出来るなんて思いもしていなかったから、思わぬ儲けものだと思ったー……。
◇◇◇◇◇
「………随分とご機嫌だな?」
夜になってやって来た寝間着姿でベッドに座るジークフリートは、ご機嫌なアンナを見てそう言った。
アンナはネグリジェ姿でドレッサーの前に座って鏡越しでジークフリートを見た。
「そう?」
「あぁ…随分と楽しそうだ。鼻歌も歌ってたしな」
アンナは本人が気づかない内に鼻歌を歌うぐらいご機嫌だったらしい。
少しだけ恥ずかしそうにアンナは頬を染めた。
「…………気をつける」
「…別にいいけど…俺がいない間に何かあったのか?」
少しだけ面白くなさそうな声で彼が言う。アンナはニコッと笑いながら振り返る。
「あのね?友人が出来たの‼︎」
「……………友人…?」
怪訝な顔のジークフリートにアンナは続ける。
「ジークが仕事してて暇してる時…中庭で日向ぼっこ…って言うかピクニックしてたのよ」
「…………お気楽だなぁ…」
「煩い‼︎…まぁ、その時に話が合う友人が出来て…結構、話し込むくらい仲良くなったからじゃないかな?」
ニコニコとしているアンナを見て、ジークフリートは益々面白くなさそうだ。
その顔にアンナはキョトンとする。
「…………ジーク…?」
むすぅーっとした彼は、急にバッとベッドに俯きで寝そべった。アンナはそれを見て急いで駆け寄り、ジークフリートをベッドから降ろそうとする。
「ちょっと…‼︎ソファで寝てよっ‼︎」
「………………ふん…」
「ジークゥゥゥッ‼︎」
背中を揺するがビクともしない。アンナはジークフリートを睨むと、思い切って彼の身体に馬乗りになった。
「ちょっ…重いっ‼︎」
「なら、退きなさいよっ‼︎」
「ふざけんなって……‼︎」
「こっちの台詞だってばぁぁぁぁあっ‼︎」
ジタバタと暴れる二人。
ジークフリートがグイッと身体を捻った瞬間、上に乗っていたアンナはバランスを崩す。
「きゃあっ⁉︎」
「おいっ‼︎」
「「…………………っ‼︎」」
とても…顔が近かった。
互いの鼻と鼻が触れ合いそうな程の近さ。
アンナはジークフリートの綺麗な顔を目の前にして…赤面する。
「……………なんだよ…お前が俺を襲うの?」
苦笑するジークフリートはアンナの髪を一房掴んで口づけをする。
「ちょっと…‼︎ジークっ…‼︎」
「お前は誰のもの?」
「……………ぇ…?」
「お前は…国王のものだろ…?」
ジークフリートの瞳が…つまらなそうに……悲しそうに揺らぐ。
「………………っ…‼︎」
「…………お前は…俺だけを考えてればいい」
アンナは頬を赤くしながら、息を詰まらせる。
ジークフリートの声が悲しそうに感じたから?
彼の声が……………………。
「って‼︎私はあんたのものじゃないでしょっ⁉︎」
ベシッ‼︎
「痛いっ⁉︎」
アンナはジークフリートの額をベシッ‼︎と叩く。叩かれた本人は目を白黒させて呆然としていた。
まるで…そんなこと言うつもりじゃなかったってみたいに。
「…………………」
「…………………」
互いに見つめ合う。二人ともなんとも言えない顔で見つめ合う。
先に目を逸らしたのは…ジークフリートだった。
「………………………………すまん…」
ジークフリートはそう言うと、アンナを身体から退かしてベッドから立ち上がる。
そして…そのままスタスタと、廊下に繋がる扉に向かって行く。
「えっ…ジーク…⁉︎」
「……………………………今日は一人で寝るな……おやすみ………」
ジークフリートは振り返らないままそう言って、アンナの返事を聞く前に部屋を出て行った。
一人残されたアンナは呆然とする。
(………なんで…拗ねてるの…?)
何故、ジークフリートが去ったのか分からない。
結婚二日目の夜にして……二人には早速、危機が訪れていたー。
◇◇◇◇◇
翌日もジークフリートは朝から早急に解決しなくてはならない案件が合ったため…アンナと顔も合わせずに王宮に行ってしまった。
昨日の今日ゆえ、アンナも居心地が悪くて元気がなかった。
でも…やはり後宮ではずっと一人で……やることもない。
だからずっと…ジークフリートのことを考えてしまって……。
「よう、アン‼︎」
「…………………」
「……………………アン?」
「えっ…あっ…おはよう、エスト‼︎」
気づけば目の前にエストがいた。
今日も昨日と同じ所でピクニックをしていたのだ。
「ぼーっとして変だなぁ」
エストはアンナの頭を優しく撫でる。
アンナは「あはは…」と苦笑してしまう。
「どうしたんだ?」
エストは隣に座りながら心配そうにアンナを見つめる。
……アンナは昨日のことを思い出しながら答える。
「………昨日…いい友人が出来たって言ったら……拗ねられて…」
「………………誰に?」
「誰に⁉︎」
ジークフリートのことはなんと言えば良いのだろう…夫ではあるけれど、あくまでも偽装であるし……でも、一応は…親類だから……。
「…………………家族…?」
「家族か」
エストは顎に手を添えて「ふむふむ」と頷く。
「その人はアンに友人が出来たって言ったら拗ねたんだろ?」
「………うん」
「それってアンを他の人に取られちゃうって思ったってことだよな?」
「…………………………………ぇ?」
そして、彼は楽しそうににぱっと笑う。
「つまりは嫉妬されたってことだろ?」
「……………………は?」
「だから…いい友人が出来て、その話をしたら拗ねたんだろ?嫉妬じゃん」
アンナは呆然とする。
(………ジークが…嫉妬…?)
だって…まだ二日…いや、三日目だ。
仮初めの夫婦になって三日目でしかない。それなのに…嫉妬するなんて……。
「家族に嫉妬されるなんて…大事にされてるんだな?」
(大事に…されてる……?)
アンナは益々、意味が分からなくなる。困惑してしまう。
だって…ジークフリートに取ってアンナは《悪女》として必要なだけのはずだ。
法律上は夫婦であるが、あくまでもビジネスライクの関係でしかないはずだ。
それでしかないはずなのに……。
「…………おーい、大丈夫か?」
エストがアンナの目の前で手を振る。また、ぼーっとしてたらしい。
アンナは「ごめん」と困惑気味で笑う。
「アンもそうやって悩むってことはアンに取ってもその人が大事なんだな?」
「……………えぇぇっ⁉︎」
「うぉ…なんでそんな驚いてんだ?まぁ、家族なんだから仲直り出来るだろ」
エストは「家族だったらよくあることだから気にするな」、と励ます。
「さて…今日は何の話しようか?」
嫉妬の話はそれきりで終わり、エストは楽しそうに話し始める。
それでも…アンナが上の空になってしまうのは、エストが変なことを言うから。
………ジークフリートが嫉妬しているなんて言うから……。
自分が…ジークフリートを大事だと言うから………。
アンナとエストは今日も話をする。
それを見て…ニヤニヤとしている女中が…後宮の廊下の柱の影から見ていることを露知らずにー……。