国王陛下の逆鱗
「…………………ん…」
ジークフリートが目を覚ますとそこは、いつもの国王の部屋のベッドの上だった。
数回瞬きを繰り返して、辺りを見回す。
そこにはベッドに寄り掛かるようにしている人の姿があった、ら
「………………アンナ…?」
そこには…椅子に座りながらもベッドに寄り掛かりながら眠るアンナがそこにいた。
リネンに蹲っているが…微かに見える顔は泣き腫らしている。
(…………あぁ…俺の所為か…)
祝賀パーティーで給仕から受け取ったシャンパンに毒が入っていた。
毒に耐性はあったが…昏睡してしまっていたらしい。
「…………ジ……ク…」
アンナが寝言でジークフリートの名を呼ぶ。
薄いワンピース姿であるから、夜からここにいたのが見て取れた。あれからずっと側にいてくれたのだろうか。
心配を掛けたというのに嬉しく思う自分もいる。
「………………ごめんな…アンナ…」
彼女の頭を優しく撫でる。
「………………ん…?」
アンナが薄く目を開く。
潤んだ瞳が静かにジークフリートを見つめて…意識が目覚めたらしい。
彼女は身体を起こすとジークフリートを見つめて、呆然とした。
「……おはよう、アンナ」
「…………………ぁ…」
顔を見ると途端にポロポロと涙を零す。
顔を歪めながら…酷く安堵したように涙を零す。
「…………ジーク…っ…」
抱き締めようとしないのは、ジークフリートの身体を思ってだった。
それに気づいた彼は、ゆっくりと身体を起こしてアンナを抱き締める。
「ごめんな」
「…ひっく……」
しゃくり上げるアンナの背中を撫でる。
自分を思って泣いてくれる彼女が愛おしくて…彼女を悲しませる原因を作った毒を盛った奴を許せない。
(………………さて…)
ジークフリートはアンナを抱き締めながら、鋭く冷たく目を細める。
(……………誰に手を出したか……覚悟してもらおうか……)
久しぶりの悪魔は……ドス黒い顔で口の端を吊り上げるのだった……。
*****
アンナはジークフリートに抱き締められながら、彼の心臓の音を聞く。
ちゃんとここにいる。
ちゃんと生きている。
不安だった。毒耐性があると言われても…死んでしまうんじゃないかって不安で不安で…気が気じゃなかった。
トントン…その時、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「入れ」
ジークフリートが声を出すと、勢いよく扉が開き…そこからグランドが入って来た。
「ジークフリート様っ‼︎」
「……グランドか」
「お身体の状態は?」
「問題ない」
グランドは安堵の溜息を吐くと、側に歩み寄る。
「どれくらい…寝ていた?」
「一日と半日です」
「つまり…あの日から明後日になって…今は昼か?」
「はい」
それを聞いた彼は険しい顔になる。
「……時間を無駄に浪費してしまったな…グランド」
「はい」
ジークフリートは起きて早々、グランドに指示をする。
そんな彼を、アンナはムスッとした顔で見上げた。
「……………ん?」
その視線に気づき、ジークフリートは彼女を見つめ返す。
「………………だめ…」
「……………ん?」
「…………起きたばっかだから…安静にして……」
悲しそうに、不安そうに顔を顰める。
(いきなり起きたばかりなのに無理をして、また具合が悪くなったりしたら……)
「………………」
「…………ジーク…」
ジークフリートを心配して言ったのに、当の本人は嬉しそうにニヤけている。というか…それを我慢するように顔を引き締めようとしているが…完全にニヤけている。
「………………ジーク…」
ジト目でアンナが見つめると、彼は慌てながら「すまん、すまん…」と言いながらニヤニヤする。
「…………」
「……………いや…俺を心配してくれるアンナが可愛くて……つい…」
「………うっ…」
「あぁぁっ‼︎泣くなっ、泣くなっ‼︎ごめんごめん、嘘だから‼︎不安にさせてごめんなっ⁉︎」
また泣きそうになるアンナの背中を撫でる。
それを見たグランドは呆れたような溜息を漏らす。
「…………私が去ってから存分にイチャついて下さい」
甘ったるい菓子を食ってしまった…みたいな様子で口をへの字にするグランドに、ジークフリートは苦笑する。
「すまん、グランド」
「構いませんよ。取り敢えず…ずっとジークフリート様の側を離れなかったアンナ様を労ってあげて下さい。仕事はそれからです」
その言葉にアンナとジークフリートは目を見開く。
グランドの口からそのような台詞が出るなんて思いもしなかった。
「………なんですか」
「いや…お前の口からそんな台詞が出るなんて……」
「ミレーヌ様が湯船に入れた以外、食事も摂らずに側にいたアンナ様ですよ?それぐらい思うでしょう」
グランドはそう言ってほんの一瞬、優しい眼差しでアンナを見つめる。
その後、グランドは恭しく一礼をしてから退室した。
残された部屋でアンナとジークフリートは抱き締め合った。
「………アンナ」
「…………………」
ジークフリートの声はとても優しいものだった。
「そんなに〝後悔〟しなくて大丈夫だぞ?」
諭すような…あやすような声。
しかし、そう言われても無理だろう。元はと言えば…アンナのシャンパンを飲んで倒れた。
つまり…毒で倒れるのはアンナの〝はず〟だった。
「…………そんなの…」
「アンナは一生、罪悪感を背負って俺と〝向き合う〟つもりか?」
「………………」
「俺はお前にそんな風に側にいて欲しくない」
アンナはその言葉に目を見開く。弱々しく身体を震わせる。
「そ…れは……離婚するって…こと……?」
「違う‼︎すまん…上手く伝えらんないな……」
ジークフリートは難しい顔で考え込む。少しの沈黙の後……彼は優しく微笑みながら、向き合った。
「俺はアンナに幸せな気持ちで隣にいて欲しいよ」
「……………」
「だから、悲しい気持ちや罪悪感でアンナを苦しませたくない。俺の妃なんだ…幸せにしないと男が廃るだろう?」
優しい言葉に涙が溢れる。
ここまで自分を思ってくれるジークフリートが愛おしくて。
何も出来なかった自分が悔しくて。
「どうせ…アンナは何も出来なかったって思ってんだろ?」
「っ⁉︎」
「図星だな。顔に出てる」
恥ずかしそうに顔を背けるアンナの頬に、彼は手を伸ばす。
「アンナは何も出来ないって思ってるだろうけど……充分してくれてるんだけどな?」
「……………え?」
両頬を掴まれながら、目を逸らさないように顔を正面に向けられる。
「王宮は下心とか、野心とか……本心を隠して上っ面だけ仲良くしようとするハイエナみたいな奴ばかりだ。今回みたいな毒とか暗殺も然りな?」
「…………」
「アンナが俺の側にいてくれる。下心とか関係なしで…愛してるからといてくれる。それだけで俺はとっても嬉しいし、アンナと共にいるだけで心から安心出来るんだ」
アンナはその言葉に目を見開く。
「だから…出来ればアンナにこんな王宮の黒い部分なんて見せたくなかった。きっと悲しむだろうって…お前は優しいから」
「……優しく…なんて…」
「優しいよ。俺はこんなことに慣れてしまったから……倒れることで喜ぶ奴ばかりだったから……お前が代わりに悲しんでくれるのが、当たり前で嬉しいんだ。俺を愛してくれて、心配してくれるのは優しくないと出来ないだろ?……でも…やっぱり、アンナを悲しませるのは嫌だな」
彼は愛してると告げるように、頬に、瞼に、額に、首元に……優しいキスをする。
「……………んっ…」
「だから……アンナが悪いんじゃない。アンナを連れて来た俺が悪いんだ」
「………そんなこと…な…いっ……」
「……………それに…こんなこと言ったらどう思うか分かんないが…」
ジークフリートは少し恥ずかしそうに頬を染める。そして、アンナの唇に軽くキスをする。
「…………俺が倒れて悲しませたけど……アンナを守れて嬉しかったんだ。俺の大切な人を…守れて」
「……………ジーク…」
「あー…ごめんな?口下手過ぎだな……アンナ相手だとどうにも上手く言えない」
ジークフリートはそう愚痴ると困ったように笑う。
アンナには彼が言いたいことがちゃんと伝わっていた。
自分の所為だと思っていた。
元々は自分のシャンパンに毒が入っていたのに…ジークフリートが代わりに飲んだから。
自分の所為で大切な人を困らせた。
何も出来なかった。
でも…彼はそんなことないと言う。
王宮という深い闇がある場所で…私が隣にいるから、安心出来ると言ってくれる。
ジークフリートの役に立てている、と。
(……それに…私の代わりに飲んだから……私を守れたって……)
こんなにも人を好きになることなんて、初めてだった。
愛おしい。
こんなにも…自分を大切に思ってくれる人と出会えるなんて…嬉しくて、涙が溢れる。
「泣かないでくれよ、アンナ…お前が泣くと……俺まで悲しい」
目尻を拭う指先が暖かくて優しく…しゃくり上げてしまう。
「違う…のっ……ジーク…がっ……好きで…」
「………」
「…こんなに……愛しい人……が…私を…想ってくれて……嬉し……」
アンナは涙を浮かべた顔で微笑む。
その笑顔はとても綺麗で……それを見たジークフリートが息を飲む。
「ごめん、ちょっと待ってくれ」
「……………えっ…?」
「あ、違うから‼︎不愉快とかじゃなくて……」
ジークフリートは真っ赤になりながら、頭を抱える。
「……………ヤバい……泣き顔に……こんな感情……我慢出来なくなりそう……」
「……………ジーク…?」
「…………それも…ベッドの上だしっ……ヤバイヤバイヤバイっ…‼︎」
何かをブツブツと言うジークフリートを不審に思い、アンナは俯く顔を覗き込むように上目遣いで首を傾げた。
「………どうしたの…?」
「っ……‼︎」
アンナの顔を見た瞬間、ジークフリートはバタンッとベッドに倒れ込む。
それを見たアンナはギョッとした。
「ジークっ⁉︎体調悪いのっ⁉︎」
アンナは彼の身体を心配するように身体を乗り出した。
「………………大丈夫…ちょっと…俺の身体に乗り掛かんないで……」
「……えっ⁉︎」
「あー…嘘…気にしないでくれ……ちょっと押し倒されてるみたいだと思って……」
「えぅ⁉︎」
二人揃って真っ赤になる。
アンナはベッドに腰掛けて少し距離を置く。
(…………………恥ずかし…)
頬を押さえてアンナはチラリと彼を見る。ジークフリートも真っ赤になって、こちらをチラリと見ていた。
「「っ‼︎」」
目が合って、思いっきり目を逸らす。
身体中の熱という熱が上昇した気がする。
「…………アンナ」
「…………はい…」
「アンナに毒を盛ろうとした奴、ちゃんと始末しとくから」
「………………え?」
振り返った先には思いっきり至近距離で微笑む、爽やかスマイル。
(……………………ぁ…)
アンナはその笑顔にピシッと身体を固める。
「……………俺の妃に手を出したんだ……ちゃんと始末してやる……」
最近は甘々ジークフリートだったが…久しぶりに悪魔モードを見た気がする。
(いや…なんていうか……魔王レベルMAX……?)
ジークフリートの声が本気を帯びていたからだろうか?
いつもの悪魔よりも悪魔と化した、魔王の殺意が自分に向けられていないのに、冷や汗が流れる。
アンナはそんな威圧に押されて……笑顔のまま固まってしまうのだった……。
*****
「……………………あぁ…あんなことになるなんて…」
王宮のベッドの上で彼女は目を覚ます。
「ご無事ですか」
側には黒髪の暗殺者。
彼女は鋭い視線で彼を睨む。
「…………解毒剤を飲んでいたとはいえ…こんなに強力だなんて聞いてないわ」
「即効性を謳うものですから。本来ならば口に含んだ時点で瞬殺です」
「………………まさか…あの人が先に…飲むなんて…」
本来ならば、挑発で王妃に先に飲ませるはずだった。
そのためにこの男を給仕に変装させて、毒入りのシャンパンを用意させた。
王妃は挑発に乗るタイプだと思っていた。
だから…上手くいくはずだったのに……。
「……………次こそは…」
「次があるかが怪しいですけどね」
「……………え?」
青年は冷たい瞳で彼女を見つめる。
「国王陛下の逆鱗に触れたんじゃないんですか?」
「…………そんな…訳…」
「あの国王陛下、只者ではありません。貴女は自分に〝何〟と敵対させたのですか」
青年はあの時の国王陛下の顔を思い出す。
疑うかのような視線。
穏やかな場所で甘えさせられて育った者にはあんな目は出来ない。
あんなドス黒い気配を出せない。
あんな隙がない動きが出来ない。
王妃に関してだから、毒入りのシャンパンを飲んだようなものだ。
王妃さえいなければ、簡単にこちらの命が終わっていた。
暗殺者である自分も警戒する程だった。
それはつまり……。
………………あの国王陛下は、〝別の顔〟を持っているー…。
そして…あの国王陛下はもう既に全てを知り得ている気がするのだ。
青年はそれを言わずに小さく溜息を吐く。
今の雇い主はとてつもなく愚かだ。
そんなことを言って何か馬鹿なことをされては面倒だ。
だから、必要最低限の言葉を告げる。
「生憎、自分は始末されのは御免です。金の限りは協力しますが。危険と判断したら捨てますので」
そう言うと彼女の顔は驚愕に染まった。
それを見てから青年は静かに消え去る。
「……………………絶対に…許さないわ……あの王妃……っ‼︎」
八つ当たりのように彼女は王妃を憎む。
彼女……メリッサは、静かに歯を噛み締めるのだった。




