法王謀略作戦〜前半•法王の過去〜
何故か…今日は、嫌な予感がしていたのです。
それは…図らずとも的中しました。
「………………………アンナ…?」
呆然と…我が主、クラウス様が呟きました。
自分もその視線の先を見ます。
そこにいるのは…国王陛下の隣に座るクラウス様の想い人でした。
そして…自分の可愛い妹のような存在。
あぁ…嫌な予感が的中してしまいました。
〝今〟のクラウスには…彼女は危険過ぎる。
そして…護衛でしかない自分は……どうすることも出来ないのです。
*****
アンナは呆然とその人を見つめていた。
幼い頃、城下町で遊んだ兄のような存在のクラウス。
そのクラウスが……この国の法王だなんて。
「…………何故…ここにいるの?」
アンナは震える声で問う。その問いにクラウスは…泣きそうな…嬉しそうな顔で答える。
「それは…ボクの台詞ですよ……アンナ…」
クラウスがゆっくりと長テーブルに近づき…それ越しに手を伸ばそうとする。
「……っ…」
それが…怖く感じた。
彼の笑顔に…何故か背筋がゾクッとする。
「何をしようとしているんだ?」
ジークフリートがアンナの前に手を出して、彼を制する。
静かに…ジークフリートとクラウスが見つめ合った。
その場に…不気味な沈黙が漂う。
「…………何をしようとしてるって…アンナの頬を撫でようとしてるだけですよ…?」
クラウスがニコリと微笑む。天使のような笑顔なのに…不気味だ。
「彼女に気安く触らないで頂きたい」
ジークフリートは威圧感のある声でそう言い、彼の手を掴んだ。
二人の間に…冷たい空気が流れる。
余りにも険悪な雰囲気なので…アンナは思わず喉を鳴らした。
「ねぇ……止めて下さらない?」
その場の空気を悟ったのか、ミレーヌが静かに言い放つ。
「わたくし達は参礼と言う名の話し合いに来たのでしょう?話し合う前に険悪な空気にならないで下さる?」
「「……………」」
ミレーヌは有無を言わさない笑顔で押し通す。
「ジークフリート様…ミレーヌ様の言う通りです」
「……クラウス様…」
グランドといつの間にかクラウスの側に控えていたクリスが自身達の主を嗜める。
その圧力に負けたのか…従者達の訴えに負けたのか……二人は視線を逸らしながら、手を離す。
「王妃様と法王様は一体、どう言った関係なのかしら?」
ミレーヌがアンナとクラウスを交互に見ながら問う。
「…………えっと…クーお兄ちゃん…じゃなくて…クラウス様とは…幼い頃、共に遊んだんです」
「……幼馴染ということか?」
ジークフリートの言葉にアンナは頷く。
兄弟のような存在であるが…幼馴染でも間違いないだろう。
「だから…ボクがアンナの頬に触れようと問題ないのですよ?」
クラウスがニコリと微笑む。しかし、ジークフリートはそんな彼を制するように睨む。
「………しかし…アンナは俺の妃だ。気安く触らないで頂きたい」
「…………………き…さき…?」
その言葉にクラウスは目を見開いた。
「……アンナは…国王の妃なのですか…?」
アンナは彼に問うような視線を投げ掛けられる。
目が据わっていて怖かったが…アンナは小さく頷く。
「………………………嘘…だ…」
「………クーお兄ちゃん…?」
クラウスの様子に他の五人は、息を飲む。
顔を両手で覆い…ふらふらとするクラウスは…何かに取り憑かれているようで。
「……嘘だ……アンナが妃だなんて…そんなの……そんな…の……」
不気味な空気の中で真っ先に行動したのは、クリスだった。
「クラウス様、一度お部屋に戻りましょう。他の皆様もそれで宜しいですね?」
返事を聞かずにクリスは彼を連れて現れた扉の向こうに消える。
消え去る瞬間、クラウスの瞳孔がアンナをジロリと見据えた。
「………………っっっ…‼︎」
アンナの喉から…声にならないと悲鳴が漏れ掛ける。
残された部屋の中で、やっと緊張の糸が解れた気がした。
「「「「はぁぁぁあ………」」」」
四人の深い溜息が重なる。
「……あの法王…あんなにヤバそうで大丈夫なのかしら?」
「……………それはこっちの台詞だ……」
ミレーヌの疲れたような声にジークフリートは目を手で覆いながら答える。
「…………法王様は…精神状態が不安定だったのでしょうか?」
グランドの不思議そうな言葉にアンナは首を振る。
「……………でも…前に会った時はそんな感じしなかったけど……」
「……前に会ったのか?」
ジークフリートは身を乗り出すようにアンナに迫る。アンナはたじろぎながら、頷いた。
「前に…後宮の図書館で……」
「………………あいつ…‼︎なんでお前もそんな大事なこと、話さないっ‼︎」
「ごめん…話さないでって言われたし……法王なんて知らなかったから……不法侵入になっちゃうかと……」
「…………………はぁ…だから…機嫌が良かったのか…」
ジークフリートはそう呟くと考え込むように手を組んだ。
静かな沈黙が流れる。
「……………見た感じ、あの法王は王妃様に執着してる感じよね?」
「それもかなりの依存率と見ました」
「だから、王妃様がジークフリートの妃と知って発狂した?」
「強ちそれで間違いないかと」
ミレーヌとグランドが淡々と状況整理をする。
今のクラウスの様子を見た限り…そうとしか考えられなかった。
アンナは自身の身体を抱き締める。
(………私…クーお兄ちゃんに…そんな執着されるようなこと…したかな…?)
昔から非の打ち所もなく、良い所もなかった。
平凡を体現したかのような存在だ。
それなのに…クラウス程の美青年が自分に執着しているのが…信じれなくて。
執着されていると思っているのは自意識過剰かもしれない、と疑ってしまう。
「……皆様」
その声に皆が声の方を向く。
そこには一人戻って来たクリスの姿があった。
「わざわざお越し頂いたのに申し訳ございません。クラウス様は精神状態が不安定なため、暫く時間を頂けると……」
「聞きたいことがある」
ジークフリートがクリスの言葉を遮って言う。
「その一、法王の昔の話。その二、法王の身に何が起きているのか?その三……」
ジークフリートはクリスの全身を見るように視線を動かす。
「何故、参礼者を除く女人禁制の教会に……お前がいれる?」
「………………っ…‼︎」
「お前の中性的な顔立ちや声から…誤魔化せると思っているかもしれないが…法王を見つめるあの顔では誤魔化せない」
アンナはその言葉に目を見開いた。
ジークフリートも気づいていたのだ。クリスは男の格好をしているが……彼…いや、彼女は。
「……………貴方が…国王な理由が少し分かり得た気がします…」
クリスは…辛そうに顔を顰める。
そして…恭しく頭を下げた。
「………自分…いえ、私はクリスティーナと申します」
「……………やっぱり…」
アンナは小さく呟く。
クラウスと共にいた…もう一人の女の子。
クラウスと共にいて…アンナにも優しくしてくれた…姉のような存在。
「久しぶりね…アンナ」
「ティーナお姉ちゃん……」
クリス…クリスティーナは遠い昔を思い出すかのように口を開く。
「……………お話ししましょう…クラウス様の昔の話を…そして…壊れてしまった日の話を」
………クリスティーナの…法王の過去の話が…始まるー。
*****
クラウス様は産まれながら…あの白銀の髪に真紅の瞳を持っていました。
つまり…〝神の御子〟として祀られていたのです。
幼い頃から外に出ることは叶わず…シャングリラ教の司祭の隠し子であった私はクラウス様と共に過ごしていました。
………………………男として。
シャングリラ教は、教会の人間…司祭の結婚を認めていません。そして、教会に所属出来るのは男のみ。
それ故…私は男として法王となることが約束されていたクラウス様の護衛兼従者として、司祭の娘であることを隠し、共に過ごしていました。
しかし…クラウス様はとても頭がよろしく…私が女だということは早々にバレてしまいました。
『言いはしないよ…ボクの唯一の心許せる友達だからね』
昔から制限があり、自由のない暮らしを強いられてきたクラウス様です。
そのように言って頂けてどれ程、幸福でしたでしょうか。
クラウス様が私をここに置いて下さるから、私はここにいれるのです。
そんなある日……クラウス様はある計画を考えられます。
それは…教会から抜け出すことでした。
念密に練られた計画は成功。初めて城下町に出られたのが、十二歳の頃。
それにと同時に…付き合った私は…その日初めて、自身の性別に合った格好をしたのです。
そこで…アンナに出会いました。
一言で言えば……クラウス様はアンナに一目惚れしました。
アンナのその様子だと…気づいていなかったのですね。クラウス様は貴方を愛しているのですよ。
『色のない世界だと思っていたけど…こんなにも綺麗なんだね…』
クラウス様のあの日の笑顔を、今も忘れられません。
彼はアンナと会うのを日々の糧として生きていました。
そんなクラウス様が壊れてしまったのは…アンナと最後にあったあの日ー。
それは…教会に抜け出していたことがバレた日でもあります。
『………………残念ですよ…クラウス様』
何故、私には処罰がなかったのか?
今思えば…クラウス様が私の分もお受けになったのでしょう。
その日…何が起きたかは、私の口からは語ることは出来ません。
ですが…確かに彼が壊れてしまったのはその日なのです。
クラウス様は…歪み壊れた人形のような笑みを浮かべるようになりました。
しかし…私はそんな彼を救うことも、助けることも、何もかも出来なかったのです。
そんなクラウス様が…アンナに再会した日ー。
クラウス様の生気が蘇ったあの日ー。
クラウス様が…貴女に狂気的な執着を示すようになったあの日ー。
………………クラウス様の〝歪み〟は、目に見えるカタチになって現れたのです。
何が言いたいかは分かるでしょう?
クラウス様のあの不気味な笑顔こそが…それなのですー……。
*****
「教会の人間が…法王を壊したってことか?」
「…………………はい…」
アンナはクリスティーナの話を聞いて、息を飲む。
クラウスに会えなくなったあの頃…そんなことが起きていたなんて……。
「…………………貴女は法王様のために何もしなかったの?」
ミレーヌのキツイ言葉で、クリスティーナは顔を歪める。
「………………はい…」
「好きな人なのでしょう?」
ミレーヌは眼を細める。
そう言われた彼女は悔しそうに…拳を握った。
「……………………はい…」
再び沈黙。
法律を変えるために来たはずが…こんなに重い話になってしまうなんて。
原因となってしまったアンナは来るんじゃなかったと後悔な思いが絶えない。
「アンナが気にすることではない」
「………………え?」
ジークフリートがアンナの心を読み取るようにそう言って、彼女の頭を撫でる。
「お前を連れて来ると判断したのは俺だ。全て、俺の判断ミスだ」
「………でも…」
「お前も法王があぁなってるって知らなかったんだろう?仕方ない」
ジークフリートの言葉は慰めるようだった。
怖がっているのが…分かったのかもしれない。
「…………………しかし…キツイかな…」
ジークフリートは顔を顰める。
「………アンナに執着しているのに…俺の妃となったとあったら…俺は法王に取って目の敵だろう。私情を挟まないだろうが……」
「………………法律改正は…厳しい……?」
何も言わないのが肯定に取れた。
アンナは考えを巡らす。
クラウスを怖く思っているのも確かだ。しかし、だからと言って…逃げる訳にもいかない。
クリスティーナは深くは語らないが…自分に関しても何かあったのだろう。
つまり…それは原因が自分であるということで。
しかし…自分が原因でジークフリートに無理をさせたくない。迷惑を掛けたくない。
(だって…私は……)
「……………………あ。」
「ん?」
アンナが変な声を漏らす。周りの人達は怪訝な顔で彼女を見つめた。
「……………………クラウスは私に執着してるんだよね?」
「…………まぁ…そうだな…」
「じゃあ、私が納得させればいいんだよね?」
「……………………ん?」
ジークフリートの険しい声に、アンナはニコリと微笑む。
「だってそうじゃない…私の言うことから聞くかもしれないでしょ?」
「いや…そうだが……法王がお前に何をするか分からないじゃ……」
「大丈夫だよ、ジーク」
アンナは艶やかな笑みを浮かべる。
「………だって…私は《悪女》だから…誑かしてみせる」
そうだ…怖くたって、《悪女》として接すれば乗り越えられるかもしれない。
そう思ったらなんだかやれる気がしてきた。
「いや…アンナ…それは…」
ジークフリートの不安そうな声に、彼の唇に指を添えて言わせないようにする。
「もし、駄目そうなら…助けに来て?」
「………」
「きっと…私のことに関しても教会の人がクーお兄ちゃんを壊したんでしょう?なら…私がなんとなくしなきゃいけないと思うの」
「…………王妃様がそこまでする必要はないと思うけれど?」
ミレーヌの嗜めるような言葉に、「それじゃ駄目なの」とアンナは否定する。
「クーお兄ちゃんもティーナお姉ちゃんも私に取って大切な人なの。助けたいんだ」
クリスティーナはその言葉に泣きそうになっていた。口元を押さえて、悲しそうな声を漏らす。
頑として譲らないアンナに…ジークフリートは溜息を漏らした。
「………分かった…気をつけろよ」
「ジーク…‼︎」
「じゃじゃ馬だからな…絶対、譲んないだろう」
「……………ぅ…」
しかし…ジークフリートは爽やかな悪魔スマイルを浮かべる。
「でも。俺も計画を立てるからな?」
「………………………計画?」
「………ははっ…法王相手に俺の謀略を試す日が来るなんてなぁ……それも駒は王妃一人ときた……楽しそうだ」
ブラックオーラを放つジークフリートに、その場にいる全員が後ずさる。
特にアンナは冷や汗が止まらなかった。
何故だろう…クラウスとは違う、怖いオーラを纏っていた。
「じゃあ。法王謀略作戦……始めようか」
そして……ジークフリートの宣言と共に……それは始まったのだったー。




