その後の話〜アンナの過去〜
「そう言えば…俺の過去を話したんだから…アンナの過去も教えてくれよ」
ベッドの上で向かい合うように座っていたジークフリートがアンナの頬を撫でながらそう言う。
アンナは、ジークフリートの口づけの所為で惚けた顔で彼を見つめた。
「……私の…こと…?」
「前、言ってただろ?アンナの話もさせてくれって」
確かに…前にジークフリートの話を聞いたら、自分の話も聞いてくれと言った。彼はその時のことを言っているのだろう。
「……あー……うん…話すね…?」
アンナは少し恥ずかしそうに口元を隠しながら頷く。
「おう」
ニヤリと笑ったと思った次の瞬間、アンナの身体は勢いよく引っ張られた。
「きゃあっ⁉︎」
気づくと、ジークフリートに後ろから抱き締められるように膝に座らせられていた。
背中に感じる彼の体温が心地良くて…恥ずかしくて自分の体温が上がる気がした。
「なんでっ…この体勢なのよっ…‼︎」
「なんとなく」
「ちょっと…腰に手を回さないでっ…‼︎」
「照れるなよ、可愛いなぁ」
「可愛いって言うなっ‼︎馬鹿ジーク‼︎」
可愛いとジークフリートに言われるとどうしようもなく胸が高鳴る。ついつい憎まれ口が出てしまうのだが…見上げた当の本人は楽しそうに笑っている。
逃げ出さないように回された手をなんとか振り解こうとするが…暴れた分だけ強くなる拘束に、アンナは諦めた。
「…………話すよ…?」
「どうぞ?」
「ジークみたいに…色々ある訳じゃないし…超平凡だからね?」
「アンナは平凡が可愛いからいーんだよ」
「恥ずかしいから可愛い可愛い言わないでっ‼︎」
これ以上相手にしていたらラチがあかないと思い、アンナは荒げた息を整える。
そして…自分の話をし始めるのだった……。
*****
私はお母さんと二歳年下の弟と一緒に……城下町に暮らしてた。
お父さんは私が一歳の時に出て行っちゃったらしくて、記憶なんてありもしない。
弟を産む時もお母さんは一人で頑張ったんだって。
まぁ…女手一つで育ててくれたお母さんに少しでも楽になって欲しくって、十二歳の頃かな…その時から私は居酒屋で働き始めたんだ。
そう…ジークと会った居酒屋ね?
弟がいるなんて…初めて聞いたって?
そりゃそうだよ。だって…ジークと出会った頃は一緒に暮らしてなかったもの。
私が十四歳の頃、お母さんは一人の男の人に見初められた。
お母さんは私みたいに化粧映えするタイプとかじゃなくて普通に美人だったから。
勿論、お母さんもその人のことが好きだったんだよ?
お相手はお金持ちの人でね…昔に患った病気の所為で子供が出来ない体質だったんだって。
だから…欲しいのは後継ぎとなる男の子。
女である私はいらなかったんだよ。
お母さんは悩んでた。
私を置いてその人と結ばれるか…それとも愛しい人を置いて家族三人で慎ましい生活を送るか……。
要するに〝女〟を取るか〝母〟を取るか…だってんだよね。
でも、私はいつも苦労して私達…姉弟を育ててくれたお母さんには幸せになって欲しかったから、言ったんだ。
『私は一人で暮らせるから…お母さんは弟と一緒に幸せになって?』
驚いた顔をした後に泣き崩れたお母さんの姿を…今でも忘れられない。
別れの日…弟の泣き叫ぶ姿を忘れられない。
馬車に乗って行ってしまったのを…一人で見つめていたの。
その後は居酒屋で住み込みで働かせてもらっていたって感じだよ。
で…あの日、ジークに会ったんだ……。
*****
「………………それ…充分平凡じゃないから…」
「え?そう?」
神妙な顔をしているジークフリートは呆れたような…悲しそうな溜息を零す。
「………ってか…アンナはそんな十四歳の時から一人で暮らしてたのかよ……」
「そうだねぇ…。居酒屋の女将さんがお母さん代わりに気を使ってくれていたけど、やっぱり他人だからね。迷惑は掛けられなかったよ」
「…………………」
ジークフリートの腕が…包み込むように優しく、でも強くアンナの身体を抱き締める。
「…………ジーク…?」
「…………もっと…早く会ってれば……」
「…………?」
「………アンナに〝寂しい〟思いをさせなかったのにな……」
そう言われてアンナは目を見開く。
(……………〝寂しい〟…?)
自分はあの時……寂しかったのだろうか?
「………その様子だと寂しかったのか分かんないって思ってんだろ?」
心の中を見透かすような台詞に、アンナは首を彼の顔を見るために後ろに向けながら、険しい顔になる。
「………ちょくちょく思うんだけど…ジークってエスパー?」
「んな訳ねぇーだろ。お前は顔に出やすいんだよ」
こつんっと額を指で突かれる。
ジークフリートは彼女の身体を向き合うように動かすと、両手で両頬を挟んだ。
「俺はお前の母親にはなれないけどさ……」
「…えっ……ジークがお母さんになったら、怖いんだけど……」
ドン引きしているアンナに彼は慌てながら訂正を入れる。
「なっ…ばーかっ‼︎例えだ、例え‼︎本当に母親になったらアンナにこうやって触れられねぇだろ‼︎じゃなくて……」
ジークフリートはワザとらしく咳払いをすると、真っ直ぐにアンナを見つめた。
「………俺は俺なりにアンナを愛してやるからさ……もう、寂しい思いなんかさせないから」
「………………」
「アンナも母親に甘え切れなかった分、思いっきり甘えてくれよ?」
「……………っ…」
もう、充分甘やかされている。
ジークフリートの言葉も、行動も、全部が全部…甘やかすようなのに…まだ甘えろと彼は言う。
「………これ以上甘えたら…ダメな子になっちゃいそう……」
困ったようにそう呟いたアンナに彼はニヤッと笑う。
「なればいい。そしたら、俺が甲斐甲斐しく世話してやるよ」
「…………なにそれ…」
「俺はアンナに思いっきり甘えて欲しいんだよ。他の人に見せないような…俺だけのアンナを知りたい」
「………ぅ…」
「それに歳上だし…お前の我儘を受け止めるくらい造作もないつもりだからな?」
ジークフリートの言葉はやっぱり、途方もなく甘い。
それにどっぷりと浸かってしまいたくなる。
でも……。
「……甘えるのは…嫌」
アンナはハッキリと断る。ジークフリートはその言葉に目を見開いて固まる。
「だって…私はジークを支えられるくらいになりたいんだもの」
「…………っ…」
ただ、理由もなく甘やかされるのは嫌だ。
ジークフリートの妃なのだから…支えられるよう存在になりたい。
アンナは…悪戯っ子みたいに甘く微笑む。
「……だから…ジークをちゃんと支えられたら……ご褒美として…私を甘やかして?」
「…………………っ…‼︎」
ジークフリートは言葉を詰まらせながら、片手で目元を覆う。 その様子にアンナはキョトンとした。
「……ジーク?」
名前を呼ばれるのに反応して、彼の身体がピクッと震える。そして……ジークフリートは真っ赤な顔で恨めしそうに彼女を見つめた。
「…………この…無意識《悪女》め…」
「…………………ぇ?」
「俺を翻弄して楽しいのかよっ…」
「えぇっ⁉︎」
余りの言い草にアンナは口を何度も開閉する。
ジークフリートは悔しそうに歯を噛み締めると、アンナに唐突なキスをする。
「んっ⁉︎」
真っ赤になってアンナは目を見開く。
いつまで経っても離れない唇に…段々、息が苦しくなってくる。
余りの苦しさに、訴えるようにジークフリートの胸倉を叩くとやっと離してくれた。
「ぷはっ……はぁ…」
「……アンナが無意識過ぎてムカつくから…仕返ししてやる……」
「……ちょっ…んーーーっ⁉︎」
アンナの言葉は彼の唇に塞がれた。
言いがかりだと思っても…ジークフリートの口づけは嬉しくて…仕返しにならない気もするけれど、恥ずかし過ぎるから仕返しにもなっている気がする。
どちらにせよ…こうして二人の間に、〝話していなかったこと〟と言う名の壁はなくなったのだ。
これからは…好きなだけ想いを重ね合える。
仕返しと言いながらも、甘いジークフリートの口づけに…アンナは微かに微笑みを浮かべるのだった。




