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魅惑の未亡人〜暗躍する者達〜



本編、再開です












「…………………」







一人の喪服の女性が馬車の中で静かに外を見つめていた。

黒い喪服に身を包んでいたが、彼女がとても綺麗な女性であるのは一目瞭然だった。

薄水色を帯びた金髪にオリーブ色の瞳。

もう少しで三十代になる女性…ミレーヌは二十代のような美しさを誇っていた。

しかし、ミレーヌの顔は憂いを帯びて、翳っている。

その空も雨は降っていなかったけれど、彼女の心を表すかのように曇り空だった。




(………もうすぐ…着くのね……)




彼女は長らく旅に出ていた。

夫を亡くしたため、放心状態になったミレーヌを心配した義弟の勧めで、だ。


そのお陰で沢山考える時間が出来た。


心を落ち着けることが出来た。


だから、彼女は帰路についているのだ。

「…………もうすぐよ…ジークフリート…」

ミレーヌはそう呟くと…昔の優しい時間に、思いを馳せた。














*****














アンナは緊張した面持ちで謁見の間の控え室でその人の到着を待っていた。

今日は落ち着いた薄紫のシックなドレスに落ち着いても綺麗に見えるメイクでフル装備だ。

「そんなに緊張しなくても大丈夫だぞ?」

「いや…だって……」

「落ち着けよ」

向かい合うようにソファに座った王族の正装姿のジークフリートは困ったように笑った。

今日、ジークフリートの兄…前国王の妃ミレーヌが帰国するということだった。

「………その…ミレーヌさんは旅に出てたんだっけ…?」

「あぁ…兄貴が死んで、自暴自棄の情緒不安定になって……見るに見かねなかったからな…この国から離れた方が良いと思ったんだ」

「ふぅん……」

ジークフリートはそれっきり黙り込んでしまう。その顔はとても険しいもので…苦いものを噛み締めているみたいだった。

「………ジーク…?」

「…………ん…?…あぁ…なんだ?」

間を置いて返事をするジークフリートにアンナは不安気な顔を向ける。

「……………大丈夫…?」

「……………」

「………顔色…悪いわ…」

アンナがソファの間にあるテーブルに身を乗り出しながら、彼の頬に手を添える。

今日のジークフリートは不安になるくらいに怯えているように見えた。

でも、それを誤魔化すみたいに彼は微笑む。

「大丈夫だ」

「でも……」

「ちょっと忙しくて疲れてるだけだ。気にしなくていい」

「……………」

有無を言わせないジークフリートの言葉にアンナは黙り込む。

(………私に…話せないことなのかな……)

何かを隠しているのは分かった。

話すのが辛いことなのかもしれない。

待つと決めたけれど……それでも…話してもらえないのは悲しい。


トントン…。控えめに謁見の間に繋がる扉がノックされ、ジークフリートが返事をする。すると、グランドが現れた。



「ミレーヌ様が到着されました」



そう言うと、ジークフリートはゆっくりと立ち上がった。

「んじゃ…行くか」

彼はアンナに手を差し出す。アンナはその手を静かに取った。

控え室から出ると、王座の前に黒いドレスを着た女性がいた。



とても…綺麗な女性だった。


同性のアンナが見惚れる程に……。



ジークフリートはアンナを側に連れ立って王座に座る。そして、目の前の女性…ミレーヌに困惑気味の顔を向けた。

「お元気そうで何よりだ…義姉あね上」

「久しぶりね……ジークフリート」

(…………………ぁ……)

アンナはその会話だけで何かに気づく。






この二人の間には…〝何か〟があると。






それに気づいた瞬間…胸の中で苦いものが疼いた。

「紹介しよう…我が妃のアンナだ」

目を見開いていたアンナはそう言われてハッとすると、ドレスの裾を摘み頭を下げた。

「お初にお目に掛かります…アンナと申します。宜しくお願い致しますね」

「初めまして…ミレーヌよ。仲良くして下さいな、王妃様」

ニコッと微笑むその笑顔は春の日差しのようで…アンナは見惚れてしまう。

「はい……」

それを見たジークフリートは、「よろしいか?」と声を挟む。

「義姉上…つもり話もあるでしょうが、それは夜にでも。まずは実家の方に顔を出して来るのは如何いかがだ?」

いつもより早めに話を切り出すジークフリートにアンナは違和感を感じる。

(…ううん……ここでの会話を終わらせようとしている……?)

ミレーヌは静かに彼を見つめた。

その視線は探るようでもあって…しかし、諦めたように肩を竦めた。

「えぇ…そうするわ」

「では、グランド」

「はい」

ミレーヌはグランドに案内されて、その広間から出て行こうとする。扉から出る直前、ミレーヌは静かにジークフリートを振り返った。






「また夜に」






バタン……扉が閉まると共にジークフリートは溜息を吐く。

「…………ジーク…?」

「………あぁ…大丈夫だ…アンナ……戻ろう」

「……………えぇ…」

ジークフリートはアンナの手を取り歩き出す。彼は控え室に戻り、扉を閉めると勢いよくアンナを抱き締めた。

「っっ⁉︎」

「………………」

「ジッ…ジーク…⁉︎」

「………………ごめん…」

アンナは目を見開く。

ジークフリートの身体が…震えていた。子供みたいに…震えていたのだ。

ジークフリートの腕の力が…掻き抱くみたいに回された手が…不安を紛らわせようとして徐々に強くなる。

苦しくないかと言われたら苦しかったが……アンナは何も言わずに彼の背に手を回した。

「……………」

「……………」

(……大丈夫だよ…何も言わなくてもいい…)

宥めるように背中をさする。

話してくれない…その事実はアンナの心を悲しませる。

だが…アンナの心が苦しくても……それでも、きっとこの痛みはジークフリートには敵わないのだと思う。

だから…少しでも不安が解けるように…何度も何度も…撫で続ける。














どれだけそうしていただろうか…暫くして、ジークフリートはやっと身体を離した。

「………すまん…」

「ううん…大丈夫…」

アンナはジークフリートの目尻を指で拭う。そこには…小さな雫が滲んでいた。

「……………アンナ…」

「……うん」

ジークフリートは弱々しくも……真剣な眼差しをアンナに向けていた。











「………………これから…不安にするかもしれないけど……信じてくれるか…?」











アンナは驚いたように目を見開く。

「…………………ぇ…」

ジークフリートは何度か口を開いては閉じてを繰り返し…探すように言葉を紡ぐ。

「…その…信じられなくて…嫌いになるかもしれない…それでも………信じてくれるか……?」

最後の方は凄く弱々しかった。

いつもみたいな悪魔感が満ち溢れてはいなくて…。

アンナは困ったように苦笑する。

「………………信じられなくなるかもしれないのに……信じて欲しいの…?」

「……………」

そう言われたジークフリートは目を見開く。

自分で言った言葉を反芻しているようだった。

そして…ジークフリートの眉間に皺が寄る。

「…………すまん…忘れろ…」

「うん、イヤかな?」

「はぁっ⁉︎」

アンナは呆然とする彼にいつもと逆の立場で、悪戯っ子みたいに笑い掛ける。

「ふふっ……信じてあげるよ」

「……………ぇ…」

「だって…私はジークの妃だから。夫が信じてって言ったら信じてあげなきゃ駄目でしょう?」

「………………」

ジークフリートの顔が泣きそうに歪む。でも、泣かないように堪えているみたいだった。

しかし…それだけで終わらない。



「まぁ、我慢出来なくなったら……その時はその時だよねぇ……?」



アンナはニヤァっと微笑む。その背後はブラックオーラだ。

最近、ジークフリートに似てきた気がするのは……気の所為じゃない。共に過ごしていると似てくるものなのだろう。

ジークフリートはそれを見て口を開けて、呆然とする。

そして……。

「………ぷっ…」

「………ん?」

「ふははははははははははははははははっ‼︎」

ジークフリートは急にお腹を抱えて爆笑し始めた。身体をくの字に折るようにして、ひぃひぃ言っている。

それを見て…アンナはむすーっとした。

「……何よ…」

「いやっ…いやぁ……ふぅー…」

やっと落ち着いたらしいジークフリートは目尻を拭いながら苦笑した。

「……………あー…アンナってば最強だなぁ…」

「はぁ?」

怪訝な顔で睨みつけるアンナの頭を彼はくしゃっと撫でる。




「…………………よろしく、俺の妃」




「………む…」

吹っ切れたみたいな笑顔。アンナはそれを見て、「仕方ないなぁ」と呟きながら頷く。

「………うん、任された」

「まぁ多分、超不安にさせるだろうけど…よろしく」

「……………………」

その笑顔はいつも通りの悪魔で……返事をしたのに、今度はアンナが眉間に皺を寄せた番だった。


























後宮に戻る途中…何故、急にジークフリートがそんなことを言ったのか不思議に思う。

(………何考えてるのかな…)

アンナは今さっき歩いて来た廊下を振り返る。



そこには誰もいない。


答えをくれる人はいない。



けれど…ジークフリートが信じてくれと言ったのだから、そうするしかないのだ。


アンナは首を振って、後宮の自室へと足を進めた……。











そして…ジークフリートの言葉の真意が分かるのはもう少し後のこと………。























*****












ミレーヌが帰って来たその日…夕食を終えた後の時間帯。

ジークフリートの部屋を訪ねる人がいた。



「こんばんは、ジークフリート」



「………………」

薄いネグリジェにストールを羽織ったミレーヌだ。その手には一本のワインと二つのワイングラス。

未亡人なのに…既婚者の部屋に訪れるのにその格好はどうかと思う。

「久しぶりに飲みましょう?〝お話〟もしたいしね」

しかし、ミレーヌは有無を言わさない笑顔でワイングラスを持ち上げる。ジークフリートは溜息を吐きながら、親指で中を示す。

「……………入れ…」

「ありがとう♡」

ミレーヌは自分の部屋みたいに入り、ソファに座る。

そしてワインを均等に少しずつ注いだ。

「座って頂戴?」

「…………………」

ジークフリートは一人分の間を空けてソファに座る。ミレーヌはそれを見て、ニコッと微笑む。

「ふふっ…乾杯しましょう?」

「………はぁ…」

「……の前に」

「…………?」

ミレーヌはワイングラスを持ち上げようとしていたジークフリートとの間を詰める。

そして、彼の身体に寄り掛かった。

「っっっ‼︎」

彼女は彼の耳元に唇を寄せる。

そして…………。










「………………………」



















*****












ミレーヌが帰って来て、早くも三日間。

後宮ではある噂が流れていた。






『ミレーヌ様が毎夜毎夜、国王陛下の部屋に出入りしている』


『王妃様は捨てられた』






そんな噂は…勿論、アンナの耳にも届いていて……。

「………………」

夜が訪れる前の夕暮れ時……アンナは図書館で一人、呆然とページを捲っていた。

一人になりたいからと言って、ここには人を寄せないようにしてもらっている。一応は薄めであるが…メイクをしてあるから、人と会っても大丈夫なのだが…取り敢えず一人になりたかった。

だから…ただ静かにページを捲り続ける。

でも…内容は一切入ってこなくて………。

「…………………はぁ…」

ジークフリートは信じてくれと言った。

つまり…これも彼の考えの一つなのだろう。けれど……。

(…自分の夫が…他の女性と親しくしてるなんて……悲しいのね……)

そう考えてアンナは首を振る。

あくまでもアンナは雇われ妃。偽りの王妃だ。

それなのに…こんなことを思ってしまうなんて……。

「………間違えないように…しないと……」

ジークフリートが優し過ぎて…境界が曖昧になっている気がする。

(…私が…本当にジークの妃だと……思ってしまいそうになる………)

いつかはお別れするのだから…境界を弁えないと。






「王妃様」






「きゃあっ⁉︎」

唐突に声を掛けられて、アンナは小さく悲鳴を上げた。いつの間にか、目の前にはミレーヌともう一人…彼女と同じ容姿の幼目の少女がいた。

「ごめんなさい…驚かせてしまったかしら?」

「いっ…いえっ……」

「この子を紹介しようと思って来たのよ」

ミレーヌはそう言って、後ろにいた少女を紹介する。

「この子はメリッサ…わたくしの妹よ。王妃様と同年代だから仲良くなれると思ったの」

メリッサはミレーヌと同じ綺麗な顔で微笑み、ドレスの裾を掴む。

「お初にお目に掛かります、メリッサですわ。よろしくお願いしますね」

「よろしくお願いします…」

アンナとメリッサの会話を見て、ミレーヌは満足気に頷く。

「じゃあ…私は用事があって行ってこなきゃいけないから…メリッサと仲良くしてて下さいな」

軽やかに去って行くミレーヌ。残されたアンナはメリッサの方を見つめた。

「…………貴女が王妃?信じられないわ」

「…………………えっ…?」

アンナは目を見開く。その辛辣な言葉はメリッサからのものらしい。

アンナは何度も瞬きを繰り返す。メリッサはアンナに向き直ると、嘲笑するように笑った。

「こんなのが王妃だなんて…随分と平凡ねぇ」

「………な…」

確かにアンナは平凡だが…化粧映えするタイプで、今日はメイクをしてるから…多少は綺麗になっているはずだ。

メリッサは「何驚いてるの⁉︎」とアンナを睨む。

「ミレーヌお姉様に比べたら…全然、王妃に相応しくないわ‼︎」

「……はいっ⁉︎」

メリッサは陶酔するように目を輝かせる。

「とっても美しいミレーヌお姉様よ⁉︎お妃様だった頃は本当に女神のようだったわ…‼︎」

「…………はぁ…」

確かに…ミレーヌはとても綺麗だ。それも天使みたいな美しさで…神々しさもある。

そんなメリッサは落ち込むように顔を伏せる。

「でも、前国王が死んでしまって……お妃様じゃなくなってしまったから……」

アンナは怪訝な顔になる。

一体、この子は何を言いたいのだろうか……?

メリッサはバッと顔を上げるとキリッと睨みつける。

「貴女、王妃を辞めるべきよ‼︎」

「……………はい⁉︎」

メリッサの唐突な台詞にアンナは呆然とする。











「だって、そうじゃない‼︎お姉様とジークフリート様は両想いなんだから…あの二人が夫婦になった方がいいわ‼︎」











「…………………え…?」

アンナは目を見開きながら、硬直した。

ミレーヌは前国王…ジークフリートの兄の妻だった人だ。

(…ジークが…ミレーヌさんと……〝両想い〟…?)

「わたしが貴女と会ったのは王妃を辞めさせるためよ‼︎」

「……………辞めさせる…」

「そうよ‼︎お姉様達はお姉様が結婚する前から恋仲だったのよ‼︎今もきっと両想いなんだから‼︎」

「………」

「きっと用事ってのもジークフリート様との逢瀬よっ‼︎」

アンナはそれを信じてしまいそうになる。

しかし…信じたくないから、あくまでも気丈に微笑む。

「……………なら…直接見に行きましょう…?」

「えっ…⁉︎」

アンナはそう言うと、その場に本を置いて歩き出した。メリッサが後ろから何かを言っているが、それを無視して歩き続ける。


向かう先は……一つしかない。


この時間帯なら、ジークフリートも部屋に戻って来ているだろう。


ジークフリートを…信じたかった。






でも……そんなこと、するんじゃなかった。






「…………………ぁ…」

ジークフリートの部屋に繋がる廊下への曲がり角…。彼の部屋の扉の前に立っているのは…ジークフリートとミレーヌで。

仲睦まじい様子で一言、二言何かを話した後…ミレーヌは彼の部屋の中に消えて行く。

「ほらっ‼︎言った通りでしょっ…‼︎」

後ろでそれを見ていたメリッサが偉そうに笑う。

しかし…アンナの耳にはメリッサの言葉が全然、入ってこなかった。

何も…聞こえなかったー……。



「…………あーあ……」



アンナは涙が零れないように…目を閉じる。

あの二人の間に〝何か〟があるのは分かっていた。

これが…ジークフリートが言わなかったことなのかもしれない。

今のはジークフリートの考えがあっての行動なのかもしれない。



それでも…彼は信じてくれと言った。


だから…信じなきゃいけない。



だけど……。




彼女ミレーヌがジークフリートの部屋の中に入ったのを見ても、信じきれる気がしなかったー…。






「………苦しいよ…ジーク…」






メリッサの声は聞こえない。

アンナは残酷なことを引き受けちゃったなぁと後悔せずにはいられなかった。












*****







「今のが王妃よ…出来る…?」


静かに…暗い声が暗闇に向けて声を掛ける。


その闇の中にいる気配…真っ暗な部屋で、中性的な声が答える。


「…………貴女が〝動揺・・〟させて下さいましたか…やりやすいかと…」


「………………上手うまくやって。ちゃんと…わたしに容疑が掛からないようにね」


「……………では…お願いがございます…」


中性的な声が何かを告げる。


彼女が頷くと中性的な声の主はそこから消え去る。


跡形もなく…人の気配を失くす。




一人残された彼女は…静かに目を閉じる。













アンナ達の背後では…静かに〝その者達・・〟は暗躍を始めていたー……。












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