新婚の始まり
とある王国の後宮に、アンナという正妃がいた。
平民出身でありながら、正妃となった女性だ。
アンナと国王ジークフリートとの結婚式の日…とても美しい姿に、国民達は息を飲んだ。
薄金色の髪に、琥珀色の瞳……色白な肌は白磁のようで。
国王の亜麻色の髪と翡翠の瞳と相まって、二人の純白の結婚衣装はまるで絵画のようだった。
アンナの友人達は同じ平民でありながら、王妃となったアンナを妬み……。
『………平民出身でありながら…王妃になったのは……あの美しさで王様を誑かしたのよ』
友人達は噂をした。
友人ゆえにその噂は現実味を帯びてしまった。
噂が噂を呼び…彼女は《悪女》と呼ばれるようになった……。
それこそが、彼らの〝狙い〟だと知らずにー。
◇◇◇◇◇
「……………………」
アンナは王宮にある王の執務室で拳を震わせていた。
今は化粧さえもしていないから、普通の少女だ。
というか、アンナは美少女という訳ではない。
勿論、普通くらいには可愛いが…化粧映えするタイプなだけで、本人自身は至って平凡なのだ。
そんなアンナの目の前では、悪魔のようにほくそ笑む国王ジークフリートがいた。
「いい感じに噂が広まっているみたいだな」
「なかなかの成果と言えるでしょう」
宰相の青年、金髪碧眼のグランドが眼鏡を押し上げながら答える。
ほくそ笑む二人を目の前に…アンナは震えていた。
「いい感じに噂が広まってる…じゃないでしょおっ⁉︎な•ん•で‼︎私、《悪女》になってるの⁉︎」
アンナはジークフリートに飛び掛らん勢いで叫ぶ。それを聞いた彼は爽やか〜に微笑む。
「それはお前を王妃として〝雇った〟からに決まってんだろ?」
「そうですよ。これで隣国との交渉がやり易くなりましたね」
そう…アンナは本物の妃ではない。
いや、法律上は正式な妃であるのだが…それはあくまでも契約であって、隣国との交渉のために結婚したに過ぎないのだ。
「あぁ。グランド、書類をまとめておけ」
「了解致しました。失礼いたします」
ジークフリートが指示を出すと、グランドは一礼して退室した。
残されたアンナとジークフリートは犬猿の中のように睨み合う。主にアンナが並んでジークフリートが笑っているだけだが。
「さて…アンナ?」
「……何よ…」
「お前は現在、俺の王妃だ」
「今すぐ辞めさせて頂きます」
「契約違反として投獄するぞ」
「………この権力振りかざす系国王が……」
弾丸のように交わされ合う会話。夫婦の会話とは思えないものだ。
「取り敢えず…お前には隣国との交渉が成立するまでは《悪女》の王妃でいて貰わなくてはならない」
「……………」
アンナは今更、後悔する。
こんな仕事…引き受けるんじゃなかった。報酬もちゃんと良いし、アフターサービスもちゃんとすると言われて了承してしまったが…了承するんじゃなかった。
こんな厄介ごと…巻き込まれるんじゃなかった。
「逃がすつもりはないから、安心して《悪女》になってくれ」
爽やかな笑顔とは裏腹にその言葉はまるで毒だ。平凡な平民に《悪女》になれなんて言う王がどこにいる。
(………ここにいるけど…)
アンナは心の中で後悔の涙を流す。こいつの目の前で泣くのは癪なので、心の中で泣く。
どうして…このようになってしまったのか……。
それは一週間前に遡るー……。
*****
アンナは城下町の歌など楽器の演奏などのショーなどもある居酒屋の看板娘だった。
普通なくらいに可愛いから、皆に好かれていた。
そんなある日…ショーに出るはずだった歌姫が病気になり休んでしまったのだ。
「アンナ、あんた…代わりにやりな」
「えぇっ⁉︎」
居酒屋の女将さんにそう言われてアンナは驚愕する。それを聞いたお客さん達も乗り気になってしまって……。
アンナは仕方なく、軽くメイクをして淡いクリーム色のドレスに着替えて舞台に立ったのだー。
化粧映えするタイプなのが悪かったー。
先程とは全然違うアンナに、お客さん達も息を飲む。
だから……まさか…あの後、あんなことになるなんて思いもしなかったのだー。
終わった後、通常業務に戻ったアンナはゴミ捨てに外に出ていた。
居酒屋に戻ろうとしたアンナが振り返ると、そこに一人の青年がいた。
甘く微笑む亜麻色の髪に琥珀の瞳の美青年だ。
アンナは彼を見つめたまま、固まってしまう。
「君に…お願いがあるんだ」
「……………ぇ…」
凛とした声で彼はゆっくりとアンナに近づきながら、話し続ける。
「勿論、報酬もちゃんとするしアフターサービスも保証しよう。それに…危ない仕事じゃない」
どうして…その時、逃げなかったのだろう。
きっと…あの綺麗な顔に負けたんだー。
「俺の……花嫁になってくれないか……?」
それが…悪魔の囁きだと…アンナはその時、知らなかったー。
だから…その憂いを帯びた瞳に飲まれて…無意識に頷いてしまったのだったー。
*****
そんなこんなで連れて来られたのはまさかの王宮。
『……偽物の王妃として、働いてくれないか?』
言われた言葉はまさかの雇用としての王妃。
法律上の正式な結婚。
報酬は『王妃としての生活の保証』。
アフターサービスは『離婚後の後始末』。
花嫁になってくれと言った人がまさかの国王本人なんて誰が思っただろう。
そして……なんやかんやと流されて……今日というか先程、結婚式を挙げてしまったのだからもう始末がつかない。
偽装であれど正式な夫婦になってしまった。
アンナは今すぐ帰りたくなる。しかし、《悪女》として定評してしまった自分が帰ってもロクなことにならないと分かっていた。
「乗せられたお前が悪いだろ」
ジークフリートはアンナの心を読んだように言う。
確かに…それは反論出来ない。しかし、《悪女》と呼ばれるようになるなんて思いもしていなかったのだから、これを見越していたジークフリートを睨みたくもなるだろう。
アンナの睨む視線に、ジークフリートは余裕の笑みを返す。
「俺としては…《悪女に誑かされたチョロい国王》としてのイメージが隣国に伝わればいいだけだから」
そう…こいつが《悪女》にしたがる理由…。
それは全て〝隣国との交渉のため〟。
隣の国は女王らしく…女の尻に引かれた国王という噂が隣国に行けば……向こうも油断する。つまり、女性として絶対的な自信を持つ女王が色仕掛けを掛けてくるに違いない。
それを逆手に取って、商業的な面や交友的な面での平等条約を結ぶつもりらしい。
軍事力のある隣国と、それに劣る本国。
下手に武力行使されるよりも、女王の自信を手玉に取った方が安全だということらしい。
要するに……齢ニ十五歳の国王様(←様付けは皮肉)はとーっても頭が良いらしい。
アンナはそんなジークフリートの頭がハゲることを祈る。
「お前が俺に対して失礼なことを考えてるのは分かったが……」
(エスパーかっ‼︎)
「お前は俺のモノになった時点で拒否権はない。諦めて悪い王妃になってろよ」
あぁ…目の前で悪魔が微笑む。
声を掛けてきた時は爽やかな美青年だったのに…今じゃ立派な顔面詐欺だ。
綺麗な顔して考えてることは完全な悪魔。
甘い顔した国王の皮を被った悪魔が悪巧みしてるのだ。
アンナは…逃げられない後宮に入ってしまったことを……後悔せずにいられないのだった……。