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第96話 狂信

「よっこいせっ、と……」


 闘技場が熱気に包まれている中、薄汚れたローブのフードを深く被った青年が闘技場の観客席に腰掛ける。

 そこは、闘技大会出場者が座ることを許される席であった。

 とはいえ、今そこに座っている者の大半はすでに闘技大会を敗退した者であり、その青年もきっとそうなのだろうと理解した、青年の席の隣に座る剣士風の男が話しかける。


「おう、兄ちゃん。楽しんでるか?」


 今日は話し相手もいなかったから、一緒に観戦出来る仲間を適当に見繕おうと考えてのことだった。

 一人で見ても面白くないわけではないのだが、こういうものは誰かと語らいながら見る方が楽しい。

 それに男はそこそこの腕ではあったが、上級や特級にまでいつか至れると確信できるほどの実力はなく、出来ることならそう言った試合を一緒に見て分析してくれるような者が欲しかった。

 一人では見逃してしまう隔絶した実力者たちの戦いも、同じくらいの実力を持つ人間が二人いれば、すべてとは言わないまでもそれなりに見ることが出来るだろうと思ったからだ。

 実際、男が話しかけた青年は、その風体の怪しげな割には非常に気さくな性格をしているのか、フードで影になって見えない瞳はともかく、その口元で笑って見せ、話に乗ってくれた。


「おう、おっさんも楽しんでるみたいだな? やっぱりあんたも予選辺りで負けた口か?」


 その口調から、男は青年もまた、自分と同じく敗北した者らしいと共感を覚える。

 だからだろう、強い親近感を覚えて、何となく楽しくなった。


「そりゃそうよ……俺も何度か闘技大会には出てるが、予選を超えられたことは未だにねぇ。そう簡単には勝てないもんさ。だろう?」


 青年はそんな男の口調に頷き、


「確かにな……特に今年は化け物が多いって話だからな」


 とため息をついてつぶやいた。

 青年のその話は男にも理解できることで、実際に相対したわけではないが、予選一回戦において遠くの方からその光景を目撃した記憶があった。


「特級だけでも辛ぇってのに、新人からもおかしなのが数人出てきてるからな……予選で見たが、まさに化け物の名に恥じない奴を見たぜ?」


 男の話に青年は面白そうな顔になって尋ねてきた。


「へぇ、どんな奴だ、それは?」


「すぐに分かるぜ……あぁ、ほら現れた」


 男がそう言って指さした先は、闘技場のステージである。

 一人の少女が落ち着いた様子で開始位置に向かって歩いてきているところだった。

 それを見て、青年は頷く。


「……あぁ……あの娘か」


「なんだ、知ってたのか?」


「おう……アグノスとの戦いは壮観だった。あんなに華奢なのに、信じられないほどの身体能力を見せていたからな……ただ、予選での話はまだ聞いたことがない。なにか見たのか?」


 そう言われて、男は深く頷いて答えた。


「おう……あの娘、イリスは予選において十数個のバッジを集めたんだよ。しかもそのときの冒険者の追い込み方が悪魔じみていたというかなんというか……アグノスとの戦いも含めて、今ではその容姿から"黒姫"と呼ばれているくらいだ」


「そんなあだ名が……"魔王"といつも一緒にいるからか?」


「意外と物知りだな、あんた……そうさ。二人とも恐ろしい使い手だ……俺は今回ばかりは予選で負けてありがたいと思ったね」


 なにせ、あんな二人と戦わなくて済むのだから。

 そう言い掛けた男に、青年は少し考えてから首を傾げ、尋ねる。


「そう言えば……"魔王"と一緒にいるもう一人がいただろう?」


「あぁ……ヒメロスに勝った奴か?」


 言われて、男は思いだして言った。

 その口調には、"魔王"と"黒姫"を語ったときのようなおそれは宿らずに、むしろ親戚の娘を語るような気安さがあった。


「そうそう、そいつだよ。そいつには他の二人みたいな異名は無いのか?」


「いや、あるぜ? "食いしん坊"とか"マッチ売り"とか"看板娘"とか、そんなのだが」


 男の返答に、青年は吹き出して言った。


「ぶはっ、なんだよそれ。他の二人とは大違いだな……」


「いやぁ……"魔王"と"黒姫"は闘技大会が始まるまで誰もその名前を知らなかったけどよ。食いしん坊……キキョウの娘っこは"時代の探求者エラム・クピードル”の酒場に行く奴はみんな知ってたからな。それなりに腕っ節があるのも有名だったし……そのときのイメージから離れられなくてよ」


「酒場?」


「なんだ、しらねぇのか。キキョウは"時代の探求者エラム・クピードル"の酒場でバイトしてるんだぞ? そしてこの大会に出たのは五位入賞賞品の聖餐のテーブルかけ狙いだ。万年欠食児童とは奴のことだ」


 そんな男の評価に、青年も改めて笑い、けれどそれから首を傾げて尋ねた。


「しかしそうは言っても本戦に出てるんだぜ? 特級のヒメロスまで下してるんだから、こう……もう少し敬ってやってもいいんじゃねぇのか?」


 すると、男は大きく手を振って、


「いやいや、ないない。そういう感じの奴じゃねぇんだよ。なんつーかなぁ……見てると我が娘を見ているような、そんな気分になるんだよな……」


「なんだよ、おっさん結婚してるのか?」


「あぁ? 悪いか? これでも冒険者組合ギルドの受付嬢を落とした勝ち組だぞ! かわいい娘もいてだな……」


 そこから男は自らの家族自慢について話し始めた。

 それはしばらく続いたが、つきあいのいいことに、青年はそんな話もよく聞いて、相づちをうち、楽しげに話した。


 それから闘技場のステージに、イリスに続いてユーミスが入ってくると、ぼそりと言った。


「……あっちの姉さんもまた、化け物染みた魔力量しちゃって、まぁ……決勝戦までいったらどっちかと戦わなきゃならないのか……」


 男はその声が聞き取れずに、


「あ? なんか言ったか?」


 と聞いたのだが、青年は首を振って闘技場ステージを指さして言った。


「いや? それよりも試合が始まるぜ。面白そうな試合だから、見逃さないようにしないとな」


 男は少しだけ首を傾げるも、ただの聞き間違いだったかとさして気にもせずに試合に集中することにした。

 男は気づかなかった。

 青年が一度たりとも、闘技大会で自分は負けた、などとは言っていないということに。


 ◆◇◆◇◆


 対面の門からゆっくりと歩いてくる美貌の古族エルフの姿を見つめながら、なるほど、昨日までの自分は少し油断しすぎていたらしいということにイリスは気づいた。

 カディス村でも何度となく戦った、この時代においてはおそらく誰よりも親しい友人と言ってもいい立場にいるその相手。

 古族エルフの特級冒険者、ユーミスは、その金色の髪を風に遊ばせながら落ち着いて現れた。

 その体からは古代魔族であるイリスをして、油断できないと感じさせるほどの濃密でよく練られた魔力が僅かに吹き出しており、すでに戦闘態勢であることがその静かな様子から深く理解することが出来る。

 普段の村での手合わせにおいて、かつてユーミスがこれほどのプレッシャーを纏っていたことがあっただろうか?

 いや、そんなことはなかった。

 いつもはもっと和やかな雰囲気で、そして戦うと言っても相手の隙を見つけ、そこを指摘し、改善していくことを目的として戦っていた。

 けれど、今日はそんな様子など一切無い。


 まさにイリスは今、自分がユーミスの憎い敵かなにかになったような気分に陥っている。

 それほど、彼女がイリスに向けてくる殺気は鋭く研ぎ澄まされていて、あぁ、これがユーミスの冒険者としての顔かと感心の念すらも浮かんでくるほどだ。


 イリスはそうして、闘技場ステージに上がってこちらを見つめてくるユーミスに言う。


「ユーミス……また今日は、随分と気合いが入っているのですね?」


 するとユーミスは笑った。

 ユーミスは古族エルフらしい顔立ちの、正統派の美人であるが、そんな女性が強い気迫と共に微笑むと、なにか獰猛な獣を目の前にしているかのような迫力が宿るらしい。

 それから、彼女はイリスから目を逸らさずに言うのだ。


「そりゃあ、そうよ。私がこの七年間、いったい何のために頑張ってきたか分かる?」


 聞かれてイリスは首を傾げた。

 彼女にこの七年間、なにか目的があったとはついぞ聞いた覚えがないからだ。

 ユーミスはそんなイリスの心情を理解したのか、頷いて言った。


「分からないわよね……私はね、イリス。あなたと、ルルに対する復讐を目的に努力してきたのよ?」


 その言葉に、いったいなにを言うのかとイリスは目を見開いてユーミスを見つめた。

 自分たちの関係は良好ではなかったのか、とそう思って。

 ユーミスは続ける。


「七年前……私は大きな挫折を経験した。二人の、自分よりずっと年下の少年少女に、私が渾身の力を込めて張った結界が、易々と破られた。しかもその方法は、ただ破壊されたのみならず、その支配権まで奪われてしまうという、とんでもない方法で。あれは……古族エルフとして、魔術師として、屈辱としか言いようがない出来事だったわ」


 それは、確かにそうだったかもしれない。

 けれども、そんなことになったのは明確な理由があると納得したはずではなかったのか。

 イリスはそう言おうとした。

 けれどもユーミスはそれを口にさせずに続けた。


「もちろん、それなりに納得できる理由はあった。けれどね……私はこれでも長い間、魔術師を、冒険者をやってきたの。それも、古代魔族の研究を主な対象としてね。そして、そうである以上、不測の事態なんていくらでもあって……私は自分自身の魔術はそういうものにいくらでも対応できるものと信じていた。なのに現実は……」


 簡単に破られた、というわけだ。

 古代魔族を研究していたのだから、それに対して戦えるくらいの力が必要だったのに、実際は当時、一兵卒に近いような実力しかなかったイリスにすら結界を破られた。

 それはつまり、ユーミスの準備不足が露呈したということに他なら無い。

 もしも当時の彼女が、何らかの理由で、ルルやイリス以外の古代魔族と接触していたら、おそらく一瞬で命を刈り取られていた可能性が高い。

 そう言いきれる程度に、あの頃のユーミスは魔族に対する魔術的技能が不足していた。


「……でも、それは仕方のないことではありませんか? 誰にでも失敗はありますもの……」


 そう言う他無いだろう。

 古代魔族の技術が現代には完全な形で存在していない以上、どうやっても彼女が魔族に対する魔術的技能を身につけられる方法は無かったはずだ。

 むしろ、彼女は彼女に出来る限りの努力を重ねて強くなった方だと言える。

 彼女の特級冒険者という肩書きが、それを証明している。

 けれど、ユーミスはそれでは納得できないらしい。


「私は、そうは思えない。あれは絶対にあってはならないことだったと今でも思ってる……だから、二度とああいうことが起こらないように、イリス、あなたとルルに、学んできたの……」


「私とお義兄にいさまの首を刈ろうとおっしゃるのですか?」


 そうイリスが冷静に尋ねると、ユーミスは微笑んでいった。


「それも……いいかもしれないわね」


 けれど、その瞬間、ユーミスは自分の肌が急速に鳥肌を立てたことに気づいた。

 彼女は、目の前を見れば、そこに自分の想像を超えた存在が立っていることをその瞬間に理解したのだった。


 イリスは、珍しくも怒っているようで、その体からはユーミスを超える量の魔力が吹き出している。

 ユーミスの持つものとは性質の異なる、粘着質のどす黒い魔力であった。

 ルルなら、今のイリスを見てこう思うだろう。


 あぁ、懐かしいなと。


 それは、古代魔族特有の、極限まで濃度の高められた魔力の性質だった。

 古代魔族が、どこまでもどこまでも魔力を圧縮していくと、徐々に粘性の高いものへとなっていき、そして最後にはどろどろとした粘液のようなものになっていくのだ。

 それは、魔力自体の強力さとは直接関係があるわけではないが、見る者を圧倒する光景であった。

 それに、魔力が強く圧縮されているということは、それが魔術へと転化されたときの破壊力にも直結する。

 なぜイリスの放つ魔力が粘着質なものなのかは分からなくても、どれだけ濃密な魔力なのかは、魔術に詳しいユーミスには一目で理解できることだった。

 イリスは、ユーミスを見つめながら言う。


「……私についてはどうでもよろしいのですが、お義兄にいさまについてはそうも参りません。もしも本気で言っているのだとしたら、私はユーミス。あなたでも排除せざるを得ません……覚悟は、よろしいですか?」


 いつもよりもずっと冷静で、無感情なその声に、だらだらと汗を掻きながらも、ユーミスは微笑みを崩さずに言った。


「望むところよ!」


 そして、試合開始の合図が響く。


「……始めッ!」

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