第94話 始まりの因縁
魔王の放った魔力は剣聖の結界を破壊し、その体を焼き尽くしても尚足りずに遙か遠くまでその力を知らしめるように進んでいく。
その力は側近八人の張った結界すらをも抜いて、地面に半円状の巨大な抉れを作りだし、そして遠くに屹立する山々の中の一つに巨大な穴を一つこしらえるに至った。
そこまでしてやっと、魔王の放ったそれは力を減衰し、空気の中へと消えていく。
その壊滅的な破壊力に、側近たちは口をあんぐりと開けて驚き、また呆れ、さらに畏れて、やはり彼こそが自らの頂くべき魔王であることを再確認したのだった。
「やれやれ……街も何も無い方角に放ってくれて助かったぜ」
バッカスがそうつぶやくと、
「試合をするに当たって、陛下と剣聖の開始位置をそうなるようにしていただいてもらったのじゃよ。じゃから別に偶然ではない……しかし、山にまで穴を開けるとは」
ミュトスが呆れたようにそう嘆息した。
魔王の魔術の教師として、その扱いは教えたが、そのころと比べてもはや魔王の実力は自らとすら隔絶したところに至っているのだと理解する。
やろうと思えば山一つくらい、自分でもどうにかできないではないが、魔王の恐ろしいところはそれが全力というわけでは決してないと言うことだ。
一個人が持つにしては、強力を超えたその能力。
歴史上にもこれほどの存在はいなかっただろうと確信できるほどの力。
全く本当にとんでもないことだと思う。
そして、人族との全面戦争が行われているこの時代に、彼と言う存在が君臨していることに感謝した。
「おい、お前たち、無事か?」
そんな彼は、自分で側近たちのことも考えもしないような強大な攻撃を放っておきながら、あっけらかんとそんなことを言う。
大丈夫だが、もっと手加減をしろだとか、もう少しものを考えて攻撃を放てなどと言った言葉が、側近たちから魔王へと飛ぶ。
しかし彼は悪びれもせずに、
「お前たちなら何とかすると思った」
などと言う始末だ。
多大なる信頼をいただき恐悦至極とでも言えばいいのだろうかと思うと同時に、本気でそう思っているらしいことが分かるだけに頭ごなしに叱ることもできない。
側近たち八人は、そんな彼にため息を吐きながら、しかし文句を言うのをあきらめた。
そして、バッカスが言う。
「ところでよ……そいつ、どうする?」
バッカスが指をさした先には、魔王の強大な魔術をその身に受け、多大なる被害を被りながらも、かろうじて頭と胴体の一部が残って、未だ生命を維持している剣聖の焼け焦げた体が仰向けになっている。
「よもやあれを受けて生きておるとは……信じられぬ耐久力よな」
魔王がそう言って剣聖を見た。
しかしミュトスがちらりと剣聖を見てから、そのからくりについて説明した。
「まさかあの男個人の力のみで生き残った訳ではございませぬよ。まず、結界を命を懸けて張った、というのがありますし、また自らに宿った加護全てを限界まで酷使したこともあります。さらに、剣聖の武器は奪いましたが、防具については元々剣聖が身につけていた聖防具の使用を認めましたからな。魔力をあの男の周囲のみ減衰させ、なんとかあの程度の被害で済んだものと思われますな」
ミュトスの説明に、魔王はなるほどとうなずき、それから、
「……ふむ、となると……そう言えば、生き残ったら褒美をやると約束していたな。魔王たるもの、一度した約定は違えてはなるまい……」
「と、おっしゃいますと、あの男の命をお助けになるのですかな?」
ミュトスが首を傾げた。
願いは叶えたのだし、本望だろう。
できればこのまま死んでもらった方が、魔族としても都合がよいのでこのまま捨て置くべきであろう、とミュトスは思っていた。
約束は破っていない。
何せ、これは事故である。
ことさらに殺そうとしたわけではない魔王の一撃に耐えられなかった方が悪いのだ。
けれど魔王はミュトスの言葉に首を縦に振り、
「もちろんだとも。殺し合いはしないと初めに約束したではないか」
と、条件をわざと曲解したりはせずに誠実に履行する気であるようだった。
ミュトスはそれを甘いと思ったが、しかし現実問題としてこの程度の実力しか持たない剣聖が今後、ことさら魔族の脅威になるとは考えられない。
修行したところで、その実力の上昇はたかがしれているだろうと予想した。
そのため、魔王の言葉にうなずき、
「承知いたしました……では、我が研究所において剣聖の肉体につき、修復を図ります故」
「回復魔術をかければよいのではないか?」
「手足が残っておればそれでも良いのですがな。これほどまでにボロボロですと……手足が生えてこない可能性があります」
魔族ならともかく、人族の体については、回復魔術の使用についていろいろと難しい問題がある。
手足が無い状態で回復魔術をかければ、手足が無いままの状態を正常と判断して傷口だけがふさがったりする場合もあるのだ。
手足がちぎれていてもそのまま残っていれば、つなげて回復魔術をかければいいのだが、影も形もなくなってしまった場合はそうはいかない。
そのため、人族の手足の修復については、人族の高位回復術師に頼むか、手足を何らかの方法で修復する必要がある。
そのような説明をミュトスは魔王に行った。
「ふむ……なるほど、分かった。ミュトスにはそのための手段に心当たりがあるということだな?」
魔族には魔族のための治癒・回復魔術はあっても、人族に対するそれについてはそれほど研究が盛んではない。
ただ怪我を治す、手足を接合する、くらいならともかく、なくなった手足を生やすことまでは出来ないはずだった。
しかしミュトスは言う。
「問題ありませぬ……儂にお任せください」
魔王は、ミュトスを魔術については全面的に信頼していたため、彼が任せろと言うのだから問題はないのだろうと頷き、剣聖を託すことにした。
◆◇◆◇◆
結果として、その試みは成功したと言えるだろう。
ミュトスは、剣聖を自らの研究所に連れて行き、そこにある円柱状のガラス管の中に剣聖を入れたのだ。
そんなことをして大丈夫なのか、と見ていて少し不安になった魔王だが、ミュトスが言うにはそのガラス管型の魔導機械は生物を培養させるためのものであり、動物や魔物のみならず、人族や魔族についても問題なく使用可能な機械であるということだった。
以前見せてもらった人工生命体もまた、その本質的には人族や魔族とさして変わるところは無く、そんな生物を培養できている以上は人族を入れても問題ないのだと言う。
初めは本当なのかと疑いの目でミュトスを見ていた魔王だったが、頭と胴体だけの剣聖がそのガラス管の淡く発光する薄緑色の液体の中に浮かび、いくつもの管を取り付けられているのを二日、三日と見ていると、徐々にその体から手足が生えていくのを見ることが出来た。
なるほど、確かに大丈夫そうだとそれで確信できたのである。
それからは、魔王の日課は剣聖の様子を執務の合間に見に行くことになった。
褒美をやる、と約束していたので何がいいか聞くのを楽しみにしていたというのもあってのマメな行動であった。
ガラス管の前に立ち、目覚めるのを楽しみにしていた。
しかし同時に、もし目が覚めてそのまま逃げるようなら逃がしてもいいとミュトスには言っていた。
魔王にあれだけの大けがを負わせられたのだから、目覚めると同時に逃げる可能性もないではなかったからだ。
その場合は、別に見逃してもいいと先に言っておいたわけだ。
まぁ、そうならないように願ってはいたが。
しかし結局、その魔王の願いが実現することはなかった。
ある日のこと、魔王が緊急事態だとミュトスに急いでくるように呼び出せれ、実際に研究所を尋ねてみると、そこには割れた二つのガラス管が存在していて、昨日までそこにいた剣聖と、その横に同じように浮いていた人工生命体の少女とが二人そろって消えていたのだ。
見れば、その様子に研究所の助手たちがあわてていたが、ミュトスはそんな彼らとは正反対に落ち着いていて、不思議に思った魔王が彼に尋ねた。
「ミュトス。剣聖はどこに行った?」
その言葉に、ミュトスはため息を吐いて答えた。
「逃げられてしまったようですな。しかも、儂の人工生命体まで連れて」
ミュトスの答えに、魔王はやはり、と思うと同時に、しかし彼にはそんな必要はなかったのではないか、とも思い、少しだけ首を傾げる。
なぜなら、冷静に考えればあの剣聖には逃げる理由などないはずだからだ。
なにせ剣聖は、魔王はしっかりと約束していた。
試合のあとは人族領に無事に帰ってもらって構わない、と。
それを嘘ではなく真実だとも理解していたはずで、だから剣聖に逃げる理由など存在しないはずだった。
まぁ、もちろん、ただ魔王がひたすらに恐ろしくなって逃げた、という可能性も考えられないではなかったが、そう言う可能性は少ないだろうとも思っていた。
だから少し不思議だったのだ。
そんな魔王の疑問にミュトスは頷いたが、続けて言った。
「確かに自らは逃げなかったのですがな……あの男には妻がいると言っていたでしょう? その妻を名乗るものがやってきましてな……暴風のように設備を破壊して夫共々、人工生命体を奪っていきました」
それは、あまりにも意外な結末であった。
魔王は少しばかり驚きながら言った。
「……妻か。しかし当然その者も人族なのであろう? であれば暴風のようになど……」
「あぁ……普通の人族ではなく、魔導師でしたからな。それもかなり強力な。陛下がここに剣聖を見に来るたび、逃げるようなら逃がしても構わんとおっしゃっておられましたし、下手に刺激して暴れられると面倒だと思いましたので、あえて逃がしました。実のところ、剣聖本人にも少し話を聞いておりまして、妻がやってくるかもしれないとは言っておったのです」
「剣聖もまた勇ましい妻をもらったものだ」
だからこそ、剣聖のような男と結婚できたのかもしれないが、しかし魔族の本拠地までやってくるとは。
勇気を超えて暴勇と呼ぶしかない行動であろう。
この夫あればこの妻あり、という夫婦である。
ミュトスは頷いて続ける。
「実際、たいへん勇ましく戦ってましたな……剣聖を無事に返すと言った手前、その妻は無事でなくてもいいだろうというのはあまりにもあくどいやり方ですから、手を出すわけにもいかなくてですな。苦心の末考えたのが、彼女がやってきた場合には、丁重にここまで招いて適度に暴れさせてすっきりとお帰り頂く、と言う方法でしたのですな。実際……どうやら、ここまで来るのに魔都の中は魔族に変化してやってきたようですが……まぁ、バレバレでしたが門番には見逃しておいてもらいましたのでな。計画はうまく行き、揚々と街を出ていきましたぞ。それと、ついでに、陛下がもし逃げるようなことがあれば土産を持たせよとおっしゃっておられましたので、剣聖に渡しておきました。剣聖もガラス管から出てしばらくして目覚めておりましたからな。申し訳なさそうに謝って、この場を後にしておりました。陛下によろしく言っておいてくれ、とのことですじゃ」
「またそれは……」
和やかな逃亡劇もあったものである。
確かに逃げるなら逃がしても構わないと言ったのは事実だし、土産、というのもあの試合のときに剣聖に使わせた魔導剣を修理しておいたものだ。
せっかくだから持って帰れということでおいておいたのだが、本来であればそれに加えて宝物庫からなにか一つ持たせるつもりでもあったので、なんとなく約束を守れなかった気がして残念である。
人族にもおもしろい奴がいると思って少し楽しかったのだが、そんな時間はすぐに終わってしまうものらしい。
「……まぁ、そうがっかりされずとも、あれで人族では指折りの剣士ですからな。しっかり怪我については完治させましたし、両手両足共に完全に生やしました。いずれ、また前線に現れることでしょう」
確かに、あれほどの剣士なのである。
魔王の前に置いては容易く敗れ去った実力ではあるが、これからの研鑽次第ではもっと高みに上れるだろうと言う伸び代を魔王は感じていた。
その旨、ミュトスに告げると、
「ふむ……儂はそれほどでもないと思いましたがの。しかし武術に関しては儂は素人。魔術の部分ではあまり伸び代がない、と感じてしまっただけかもしれませぬ」
と言った。
そう言っても全く素人という訳ではなく、それなりの研鑽がミュトスにもあるのだが、本職に比べると、という彼なりの謙譲である。
それから魔王はそう言えば、と思ってミュトスに質問する。
「その剣聖の妻だが、なぜ人工生命体など奪っていったのだ?」
「あぁ……おそらくは、剣聖と同じガラス管に入れておりましたからな。剣聖と同様、魔族に囚われている人族であると勘違いしたのだと思います。髪の色も瞳の色も、魔族の銀と赤を宿してはおりませんでしたからな……ぱっと見は、どう見ても人族に思えましょうぞ」
「ふむ、なるほどな……」
一人助けるのも二人助けるのも同じと両方救っていったわけだ。
とはいえ、本当は人工生命体なのだが、大丈夫なのだろうか?
疑問に思って尋ねると、ミュトスは、
「まだ何の知識も焼き付けておりませんでしたからのう……大丈夫と言えば大丈夫でしょうが、一から育てなければ何も出来ませぬ。身よりも当然探しても見つかりませぬので……孤児院に預けられるか、あの二人が育てるかしか無いのではありませぬのう……育てるじゃろうか?」
そう言って、首を傾げてしまった。
「ミュトスはそれでいいのか?」
「儂ですか? ふむ……いずれ我が子として育てようと思っておりましたからのう……魔術も仕込もうと思っておりましたが……まぁ、体内に位置を把握できる発信器を入れてありますでな。もし人族の領域内のどこかの孤児院に入れられるようなことがあれば、人族に変装でもして引き取りに行きましょうて。剣聖が育てるのであれば、おもしろそうですから放置ですかな」
そう言って笑った。
酔狂な男だが、人工生命体は彼個人の研究である。
彼がそうしたいというのなら、自由にさせるかと魔王は頷いたのだった。