第93話 力の差
魔都の近くに、魔族の祖と呼ばれた存在がかつて力を振るったが故に、荒野と化したと伝えられる広大な荒れ地が存在する。
一面には木々も緑も一切存在せず、すり鉢状になった大地に岩石と砂のみが風に吹かれているもの悲しげな場所。
今、そこにおいて剣聖と魔王とが一定の距離をとって、対峙してお互いをにらみ合っていた。
そう、こここそが、剣聖の望みを叶えるべく用意された舞台であり、二人の力が振るわれたとしても誰にも迷惑がかからないと見いだされた闘技場に他ならない。
念のために、すり鉢状の大地の縁に当たる場所には、等間隔に魔王の八人の側近が立ち、その全力でもって結界を張っている。
さらに八人の力のみではおそらく抑えきれないと理解しているために、魔導機械をもいくつも設置しており、今現在この場に張られた結界を破れる者が存在したならば、それは確実に世界でも指折りの強者であると言えてしまうようなおそろしい強度のものがそこに作られていた。
しかし側近たちの正直なところを言うのならば、これでも不安であると言うほか無く、果たしてこれからここで行われるだろう戦いに耐えることが出来るかどうか信じ切ることは出来ない。
そのため、もしものことを考えて、観客は無人であり、あくまでこの場にいるのは、当事者である二人と、魔王の側近八人のみであった。
今日のことは大々的に魔族に知らされているため、観戦を望む者も後を絶たなかったが、そのために必要な入場料が命であるとなればおいそれと許可を出すわけにもいかない。
そのため、ここに来るためには、魔王の側近のうち誰かに勝利できる程度の実力を持つもの、という条件を乗り越えなければならないこととしたのだが、そうするとほとんどの魔族たちは諦めてしまい、結局観戦者はゼロ、と言うことになった。
魔族の中に、決して魔王の側近に勝てる者が存在しない、と言うわけではないのだが、ここにはいなかったり、またどうしてもはずせない用事が他にあるなど、いかんともしがたい事情があるということも影響したらしい。
本来であれば何を置いてもここに来たかっただろうが、まさか人族との戦争に必要な仕事を放り投げて来られる者はなく、二人の戦いは寂しげな場で行われることになった。
余談だが、バッカスの娘イリスもまた観戦を望んだのだが、他ならぬ父に敗北したことによってその夢は絶たれている。
また親子の間に戦争が勃発しそうであるが、それは魔王の知るところではない。
「さて、準備はいいか? 剣聖よ」
魔王が対面に佇む人族の戦士にそう話しかけると、剣聖は腰に下げた剣を撫でて、言った。
「あぁ、もちろんだ……思いの外、悪くない剣も貸して貰えたしな。下手すると元の剣よりも質がいいんだが……いいのか? わざわざ武器奪った意味がねぇだろう」
確かに、剣聖に貸与したその剣は、魔族の誇る魔導技術の粋を集めて作られた魔導剣そのものであり、剣聖が元々持ってきていた武具よりも単純な性能は上だ。
だから彼がそう言う気持ちも理解できる。
ただし、剣聖が元々持ってきていた剣は、忌々しい人族の教会がその技術を持って作り出した対魔族用の決戦兵器である、聖剣であり、魔族に対しては絶大な効果を持つ。
その製法の故なのか、それとも何か他に理由があるのか、それほどの本数は作れないようで今までそれを所持していた人族の戦士は数えるほどしか確認されていない。
しかし、それを使われると一般的な魔族であれば掠っただけでも猛毒を体内に送り込まれた如くの状態になるものであって、そう易々と使用を許すわけにはいかなかった。
魔族でもある程度の実力者になってくれば、対抗する術も持たないわけではないのだが、もしもの時というのがある。
そもそも今回は殺し合いではない、という前提がある以上、そう言った武具の使用は禁止せざるを得なかった。
だから魔王は答える。
「聖剣など厄介なものを使われると我も疲れるのでな……それにお前は強い相手と戦いたいのだろう? であればあんなものに頼らず戦った方が都合がいいのではないか?」
「あぁ……あれは魔族にとっては天敵ってのは本当なんだな? 教会のくそ坊主共が押しつけて来たから使ってやってたんだが……歯ごたえのねぇ奴らとばかり戦ってきたからその効果のほどが微妙だったんだ。ま、確かにあんな無粋なものは出来れば使いたくねぇな……」
それが紛れもなく本気であることは、この男の戦闘狂という気質から理解できた。
ただ、戦いたいだけ、というシンプルな思考しか持たない男に面白味を感じ、そして魔王は告げる。
「では、そろそろ始めよう……剣聖よ、あまり早く負けるなよ?」
それは不遜な言葉だった。
自分の勝利を確定的なものとして見ている。
そういう言葉だ。
けれど剣聖はそれを笑うことも、またその言葉に対して憤慨を感じることも出来ない。
それだけの力量差があることを、彼はすでに理解してしまっていたのだから。
あの玉座の間で感じた力の片鱗によって、どれだけの差があるのかを肌で感じてしまったのだから。
けれどそれでも剣聖は、なけなしの勇気と、そして人族の中でも最高の剣術を誇ると称えられている者としての矜持でもって、魔王に対して吠えた。
「お前こそ、吠え面掻くんじゃねぇぞ、魔王陛下よう!」
そして、すり鉢状の大地の縁に立っている魔王の側近のうちの一人、バッカスが、魔王と剣聖に対してうなずき、それから試合開始の合図を告げた。
◇◆◇◆◇
試合開始と共に動き出したのは魔王ではなく剣聖の方だった。
魔王は動けなかったわけではなく、あくまでも挑戦を受ける方だという立場で戦うつもりだった。
ある意味でそれは傲りであると言えるかもしれないが、それが油断にならない程度の実力を魔王は持っている。
実際、剣聖より早く動けなかったわけではないし、向かってくる剣聖の動きもはっきりと把握しているくらいだ。
それを見ていて思ったことは、なるほど、確かに剣聖は人族の中でも指折りの実力者であると言われるだけの存在ではあるようだということだ。
魔王に向かって強力な身体強化と加護による身体能力の上昇を全てつぎ込んで戦いに望んでいるらしい剣聖からは、強力な力の存在が感じられ、並の魔族では相手にならないことは間違いがないだろう。
魔王の側近八人をとっても、一対一であるならば簡単に勝つことは出来ないだろう。
それなりの苦戦が強いられることは間違いなく、また場合によっては敗北もありうるだろう。
そう思わせるくらいには、その動きにも、また剣に込められた力にしても賞賛すべきものが剣聖にはあった。
けれど。
言い換えれば、それだけでしかない、と言うのも事実である。
次の瞬間、魔王は、はっきりと視認できる速度で自らに向かって振り下ろされた剣聖のその剣を、素手で捕らえた。
魔力の込められた魔導剣の刀身を素手で捕らえる、ということがどれほどの自殺行為かと言うことを理解している側近の八人は、それを見て顔が青くなった。
たとえそれを振るっているのが人族であるとしても、自分には絶対に同じことは出来ないと確信していることであるからであり、また、たとえ魔王であってもそのようなことが可能だとはこのときこの瞬間まで思いも寄らなかったからだ。
そもそも、そんな行為を魔王に許すような側近たちではない。
そんな事態に陥る前に、露払いをしてしまうのが彼らの役割なのだから。
それに、人族の手に高位の魔導剣が渡ったこともないのだから、当たり前の話であったかもしれない。
今考えれば、それは幸運なことだっただろう。
もし、敵の人族が高位の魔導剣をもって襲いかかってくれば、魔王は同じことをした可能性が高いのだと側近たちは今、確信したからだ。
だが、そう言った心配は全て、無意味なものであることも、その場で披露されることになった。
強力な魔力を込められて、ただ触れただけでどんなものすらをも爆散させかねないような破壊力を持つに至っている剣聖の持つ魔導剣。
しかしそれは今、剣聖の目の前に立つ、たった一人の魔族の男を滅することも出来ずに、その素手で捕らえられているのだから。
それを、剣聖は信じられないような顔で見つめ、それからうめくようにつぶやいた。
「……は、はは……おい、なんだコレ……」
しかも、前に押そうにも、また後ろに引こうとも、びくともしない剣に絶望感をすら感じる。
これは、勝てない。
隙をつけばどうにかなるとか少しでも考えていた試合前の自分にいってやりたい気分だ。
それはおよそこの世のものとは思えない化物である。
お前も今まで生きてきて何度かそう呼ばれたことはあるだろうが、これからお前が挑もうとしているモノに比べれば、お前など可愛らしい小動物に過ぎないのだ。
悪いことは言わない、とりあえず逃げ帰れ。
それから、修行を一からやり直せ。
それでたどり着けるとは思えないところにその化け物はいるが、かすり傷くらいはいつか負わせられるようになるかもしれないだろうから、と。
しかし今頃そんなことを思っても遅い。
不幸中の幸いだったのは、この戦いの前についた条件が、相手の命を奪わない、であることだったろう。
どうやら、これを前にして自分が死なないらしいことを思い出して、剣聖は肩の荷が下りたような、深い安堵を覚えた。
そして、次の瞬間に起こったことは、生涯二度と忘れないだろうと思った。
剣聖が数秒も経たない間に猛烈に頭を回転させていると、目の前の魔王は言ったのだ。
「さて、剣聖よ……耐えるがいい。勝ったときは、という約束だったが……そのときは、特別に褒美をやろうではないか」
魔王の剣をつかんでいない方の手が、ゆっくりとあがった。
手のひらが剣聖の方へと向けられる。
それは、死の前の瞬間に起こる、時間の収縮現象と呼べるものだったのかもしれない。
剣聖へ向けられたその手のひらには、強大な魔力が集約されていく。
いつか人族の支配領域で見た、絶大な魔力を集約して作られる超巨大魔力砲、その試射において、一つの島が一撃で消滅した記憶がある。
そのときの何十倍もの力の集約をその手のひら一点に感じていることに体中の肌が泡立っていく。
「ひっ、ひぃ……!!」
頭がパニックになりつつも、剣聖はここに至ってもまだ生きることをあきらめていなかった。
彼の目の前に、彼の全魔力を使った結界が構築されていく。
全ての加護をこの場でなくしてもいいからと、限界までその加護の力をもそそぎ込んでいき、そしてその場に彼の人生でも最大級と言うべき巨大かつ強固な結界が形作られていく。
剣聖自身の持つ魔導剣すらも、その結界の力によって切断されるほどのものだ。
その強度は、魔族の魔導技術によって恐ろしいほどに高められているにもかかわらず、それを破壊した彼の結界は、その瞬間、人族の作るものでも最高峰といってもいい高みに上っていたといってもいい。
しかし、それでも、これから数分後に無事に立っている自分の未来のビジョンが全く見えなかった。
「陛下……本気か! おいお前ら! やばいぞ! 本気で張れ! 全力だ! 魔導機械もオーバーヒートしてもいいから全開にしろ!」
バッカスが他の側近にそう指示を出している声が聞こえた。
魔王の側近たちですら、そんな風にあわてるほどのなにかが、今自分に放たれようとしているのか……。
これは、駄目だな。
本当にどうしようもなさそうな状況に、剣聖はとうとう、一瞬回って落ち着いた心持ちになる。
そして、言った。
「……来いよ」
「はっはっは……あっぱれだな。では、お言葉に甘えよう……」
魔王はそう返答して、手のひらに込めた魔力を放った。
膨大な赤色の光の奔流が一挙に視界を埋め尽くしたのを感じる。
自分の張った結界にそれがぶつかり、そして徐々に押されていくことも理解できた。
そして、とうとう破滅はやってくる。
バリン、と結界が完全に破壊された音を聞き、そして剣聖は光の奔流に飲まれた。