第92話 剣聖と魔王
件の剣聖との顔合わせは玉座の間で行われた。
周囲を強力な魔族たち――魔王の側近たちに囲まれた、四面楚歌としか言いようのない状態に置かれながら、その男は信じられないほど落ち着いていて、なるほど、人族において剣術の腕ならこの男の右に立つ者なし、と言われるだけのことはあると魔王は思った。
一般的な人族なら、ここにいるだけでその強大な魔力の渦から受ける巨大な圧力に精神をやられてもおかしくないくらいなのだが、そんな様子も感じられない。
あっぱれ、と思いながら、魔王は黒目黒髪のその男に話しかける。
「貴様が分不相応にも我に単身挑もうと言う不遜な人族、剣聖ペリアプトか」
そう尋ねると、男はその無精髭が生えた髭面でニヤリと笑って言った。
「おう。俺こそが剣聖ペリアプト様よ。お前こそ、最強の魔王、ルルスリア=ノルドでいいか?」
全く物怖じしない態度でそう魔王に尋ねる男に、周囲の魔王の側近たちの魔力はぶわり、と大きく鳴動する。
闇の力がそれぞれの魔族からほとばしり、玉座の間の中を紫電や赤炎が迸って敵意を示した。
それは、狭い空間に多大なる魔力が籠もり、ぶつかり合ったときにのみ発生する現象であり、これほど大規模なものは一般的な魔術師が数百人、数千人いたとしても難しいだろう。
それが十人にも満たない人数の魔力で、しかもただ単にふと漏れ出した魔力のみで起こっているということに、さすがの剣聖も少しばかり驚きを感じたらしい。
首筋に冷や汗がながれ、苦笑している。
「へ、へへっ……全く。とんでもないな、ここの奴らは」
「ふむ……お前たち。魔力を抑えよ。この男が怯えているではないか」
なんだか可哀想になってきた魔王は、周囲の側近たちにそう言って、魔力を引っ込めさせる。
しかし、剣聖はその言葉が心外だったようだ。
肩を怒らせて、彼は言った。
「お、おびえてなんていねぇよ! ただ……滅多に見ねぇ現象に、なんだ……少し、驚いただけだ」
魔王から見れば、明らかに怯えていたのだが、そう指摘してやるのもまた意地悪に過ぎるか、と思いやめる。
それにそんなことよりも大事なことがあるからこそ、こうしてこの男と会っているのである。
多くの強力な魔族に囲まれて冷や汗をかいて、多少のおびえを見せているくらいで済んでいるというのは、やはり見所があるということもある。
魔王は言った。
「そうか……まぁ、それはいい。質問には答えねばな。我が、魔王か、という質問であったな?」
「あぁ」
「最強かどうかは分からぬが……確かに、我こそが魔王ルルスリア=ノルドだ」
「本当か!? だったら俺と戦……」
魔王が答えると同時に、魔王の方へと近づこうとした剣聖ペリアプト。
しかし、その試みは失敗に終わる。
彼が気づいたときには、その首筋に向かって、八つの武器がほんの数ミリの距離を離して突きつけられていたからだ。
先ほどまで、魔王の両手側に二列に並んで立っていた、八人の側近たち。
けれど今は、剣聖ペリアプトを円の形に囲んで、その武器を抜き、全てを剣聖の首筋に突きつけている。
その挙動を、剣聖は視認することすらも出来なかった。
八人のうちの一人、その精霊の加護によって、魔族には珍しい赤髪をしているバッカスは、両手で持った大剣をペリアプトに突きつけつつ、言った。
「……次に我々の許可無く、一歩でも陛下に近づいた場合、その命は無いと思え」
その言葉に何を思ったのかは分からない。
ただ剣聖ペリアプトは、冷や汗を先ほどより少し多めに垂らし、それから言った。
「……あぁ、分かった」
その声と共に、側近たちはその位置を元の場所に戻し、最後に離れた者は剣聖を蹴り飛ばして彼が最初にいた位置より三歩ほど下がらせた。
それでも全く傷が付いていない辺り、蹴り飛ばした者をほめるべきか、それとも剣聖の丈夫さをほめるべきか一瞬迷った魔王だったが、ここはとりあえず場を和やかにしようかと思って言った。
「すまないな、剣聖よ。我が側近たちは少しばかり、気性が荒い……あまり機嫌を損ねると、危険なのだ。どうだ……怪我はないか?」
今のことで剣聖の心が折れていないといいのだが、と思いながらの言葉だったが、剣聖はやはりその名にふさわしい強い精神力を持っているようである。
すぐに起きあがって、けれど魔王には一歩も近づかずにその場に立ち上がって言った。
「うちのかかあよりも恐ろしい奴がいるとは流石に思わなかったぜ……済まなかった。そうだよな、王様に近づかれたら普通、怒るもんだよな……」
意外にも殊勝な言葉と表情で、魔王のみならず、側近たちも驚く。
それに、この男に妻がいる、という意味合いの言葉もあって、それはなぜかとてつもなく意外な気がした。
なぜと言ってこういう男と結婚しようなどと言う者がいるとは考えにくいからだ。
見た瞬間に分かったことだが、この男は良くも悪くも戦いの中でしか生きられない男だ。
そういう男は当然、一所にとどまってなどいられない。
歩くのは修羅の道であり、そんなところに妻など連れていけるはずもない。
だから、こういう男は大体が独り身であるのが普通なのだ。
なのに、この男、剣聖には、妻がいるのだという。
なぜかおもしろくなって、魔王は尋ねた。
「いや、分かればいいのだ……それに我に近づきたいのであれば、機会はある故な。しかし、それにしても貴様には妻がいるのか。こういっては何だが……意外だな?」
それはよっぽど奇妙な質問に聞こえたのか、剣聖は眉をしかめて首を傾げた。
「なんだぁ? 魔王陛下が俺の家庭に興味があるのか?」
魔王相手に、呼び捨ては流石にまずいとやっと思ったのか、それを呼び名に反映したらしい剣聖に、側近たちもその怒気を一応収める。
タメ口も本来は頂けないのだが、この男にそういう礼儀まで求めるのは酷に見えたらしい。
魔族にも、こういう男はいなくもないのだ。
戦闘馬鹿で、他の何にも頓着しない男というのは。
だから比較的、言葉遣い自体には寛容なのである。
ただ、魔王の名前を呼び捨てにはしない、というのは絶対に譲れない線らしいのだが。
剣聖はその絶妙なところにうまく乗ったということになるだろう。
魔王は剣聖の質問に答える。
「人族についてはよく分からないところが多いからな。こうして珍しく会話する機会を得たのだ。質問くらい、してもいいとは思わないか?」
「って言われてもなぁ……俺はあんたと戦いに来たんだ。その目的を叶えてもらえるかどうかをまず聞きたい」
流石に脱線しすぎて少しいらいらしているらしい。
本題に剣聖自ら戻した。
もしかしたら先ほどまでのぴりぴりした側近たちの態度と、魔王の雑談との落差に気が抜けているだけかもしれないが。
「それはミュトスから聞いたのではないか?」
「ミュトスってのはあの爺さんか?」
剣聖が指さした方向には、ミュトスが立っている。
魔王の右側の位置に並んでいる四人のうち、一番魔王に近い位置に立っているのは彼が最も古参であり、また魔術について最大の実力者であるからだ。
魔王は剣聖の質問に頷いて、
「あぁ、そうだ。ミュトスから、様々な条件が提示されているはずだが……それに同意したのだろう?」
「条件ってのは、あれか。検査を受けろとか、武器は普通のものを使えとかのあれか? 本気で言ってたのか?」
剣聖は目を見開いてそう言った。
その言い方からして、ミュトスの話をあまり信じていなかったらしい。
魔王は驚いて言う。
「なんだ、信じていなかったのか? ミュトス。しっかり説明したのか?」
ミュトスは魔王の言葉に頷いて、言った。
「一から説明したのですがのう……貴様、何を聞いておったのじゃ」
少し怒り気味の様子で、ミュトスが剣聖に尋ねると、剣聖は首を振って、
「いや……てっきり騙そうとしているのかと思っていたんだ。まさか本気だったとは」
「だったらなぜこんなところまでのこのこと着いてきたのだ?」
ルルが聞くと、剣聖は笑って答えた。
晴れやかな笑みで、何の気負いも感じられない。
魔族側が本気で剣聖と魔王との戦いを許可しようとしているということを理解して、緊張が解けたのかもしれない。
ある意味ではぴりぴりし始めているものも感じるが、これは望んでいる舞台に参加できることが明らかになったから、気が高ぶっていると言うところだろう。
「なんだかんだ言って、この魔王城のある街は広かったからな。流石に単身ここまで来ることは難しそうだし……だったら捕虜でも逮捕でもいいから連れてきてもらって、それから隙あらば抜け出してやろうかって思ってたんだ」
「だが、初めは捕まることも拒否していたと言うではないか?」
「いきなり何の抵抗もなく捕まったら怪しいだろ?」
「……確かに、それはそうだな」
どうも、この男なりにいろいろ考えていたらしい。
ただの単純馬鹿、というわけではなさそうだが……。
いや、戦うため、という目的が基本にあるのだから、やはり馬鹿ではあるだろう。
もっと違う方向に頭を使えばいいだろうにと思った。
とはいえ、それは魔王の考えることではない。
話を元に戻すことにして言う。
「まぁ、貴様の言い分は分かった。それならば、何の心配もすることはない。ミュトスの上げた条件を守る限りにおいて、我は貴様と一対一で戦おうぞ……命の取り合いは立場がある故出来ぬが、ただの試合であれば問題はない。それで満足できないと言うのであれば、残念ながら放逐するほかないが……どうする?」
そう尋ねると、剣聖は笑って言った。
「願ってもねぇぜ。命の取り合いもいいもんだが、ただの試合でも俺は構わねぇ。俺はとにかく強い奴と戦いたいんだ……だが、魔王陛下よ。俺は本気で戦うぜ? 何かの間違いで、あんたが死んじまったらどうするんだ?」
ぎらり、と目を光らせて剣聖はそんなことを言う。
確かに、その可能性はあるだろう。
万に一つもない、と魔王には言えるが、かりに万に一つがあった場合にはどうするのかというのは当然の疑問だ。
だから答える。
「その場合は仕方あるまい。こういうことには事故は付き物だ。我が弱かったのが悪いということで、貴様には無事に人族の支配領域に戻ってもらって構わん。ただ、勝負が決まったのに殺しにかかったりすることはだめだ、というだけだな」
「そいつは……おい、いいのか? 人族の俺が心配することじゃねぇとは思うけどよ、唯一無二の王様なんだろう?」
それを目的に来たのだろうに、なぜそんなことを聞くのかとおもしろくなった魔王は、笑う。
それから、言った。
「くっくっく……確かにそうだがな、我が貴様に負けることなど、それこそ奇跡でも起こらぬ限りありえん……それに、もしあったとしても、だ」
「あったとしても?」
「それが出来た貴様を我は賞賛するぞ。何せ……魔王の座についてから、我は一度たりとも負けたことがないでな。敗北の味を知りたいと思わないでもなかったのだよ」
そう言って、魔王は自らの身に宿る魔力を吹き出させて見せた。
玉座の間に、濃密で巨大な魔力が充満していく。
紫電が、赤炎が、さきほど側近たちが同じことをしたときの数倍の密度で迸り、さらには剣聖のみならず、側近たちですらその余りの魔力の大きさに体中に鳥肌が立ち、立っていることすらも辛くなっているようだった。
あまり長くそのような状態に浸らせるのは、たとえ魔族や人族でも強力な剣士と言えど、体によくはないだろうと、魔王は少しの時間の後、魔力を引っ込めた。
すると、その場にいる者たちは、糸が切れたようにその場に倒れ込み、また、側近も、剣聖も息を荒くして冷や汗に体中を濡らしている。
「……マジ……かよ。化け物じゃねぇか……俺は……勝てるのか……?」
剣聖がそう呟いて、魔王を見上げるように覗いている。
その場で平然としてとしているのは魔王だけだ。
顎に手を当てながら、魔王は剣聖に笑いかける。
「勝ちに来たのだろう? ……ふむ、そうだな。その場合、ただ名誉を持って帰るだけではおもしろくなかろう。賞品も出してやるぞ……この城に収められた宝物の中から何か選ばせてやる。どうだ、やる気が出たか?」
魔族の宝物、と言えば魔導技術がふんだんに使われた強力な武具や、人族領域に持ち帰れば一財産になるような巨大な魔石などである。
剣聖は、制圧した前線の魔族の拠点にたまにそう言ったものがあることを知っていた。
前線にあるものでさえそれなのだ。
魔族最高峰の魔王の城にある宝物とはどれほどのものなのか想像すらつかない。
だから、その言葉に頷いて、
「勝ってやるぜ、魔王陛下よ」
そう言って笑ったのだった。