第88話 自称古代魔族との戦い
実際、ベルンフリートの放ったそれは強力な魔術だったのは間違いない。
それが正しく古代魔族の手で、それも本気で放たれていたのなら、ルルであっても無傷では済ますことができなかっただろう。
けれど、ここに古代魔族はいない。
魂の輪廻を経て、転生を果たしたルルを除いては。
そのことを、ルルは明確に理解していた。
ベルンフリートが何を名乗ろうとそれは彼の勝手だが、少なくとも現代で言う"古代魔族"ではないのことは確かだ。
では一体何なのか。
それはベルンフリートを捕らえてから考えればいいかと思い、ルルはその点について思索するのをやめた。
考えたところでわかることではない。
本人に聞くのが一番簡単なはずだ。
ベルンフリートの魔術は中位の炎の魔術であり、それなりに威力のあるものだったが、ルルの張った魔術壁がラスティとオルテスを火勢と熱風、それに熱せられた空気より守ったため無傷だ。
これを今外すと彼らの肺が火傷するだろうから、このままにしておくほかない。
物理的に遮断しているため、ラスティとオルテスはベルンフリートとの戦いには参加できないと言うことになるが、彼らもそうする気はないようだ。
ベルンフリートが使った魔術の強力さを見て、自分たちには手に負えないとすぐに察知したのだろう。
ルルを見て頷き、任せると伝えてきた。
こういうときのための武力であるところ、さっそくベルンフリートを倒すべく、周りにうねる火炎を吹き飛ばそうと剣を抜いて魔力を込める。
そして、思い切り振って直線的な突風を吹かせた。
それはまっすぐに進み、ベルンフリートが居るだろう場所に向かって道を作る。
ルルが行動するまで、彼はルルたちの生存に気づいていなかったらしく、驚いてこちらを見つめていた。
――古代魔族が聞いてあきれる。これならまだシュイやウヴェズドたちの方が手応えがあった。
そう思いながら地面を蹴ってベルンフリートに進んだ。
そして、ルルからしてみれば意外でも何でもないことだったが、隣をモルガンが併走していた。
彼女には魔術壁を特に作らずにおいたのに、無傷であるところ、しっかりと自分でベルンフリートの魔術を防御したのだろう。
「やっぱりやるな、モルガン」
ルルがそう言うと、
「そっちこそ、ルル」
と走りながら微笑んで言ってきた。
それから二人で前に目を見開いて佇む古代魔族を名乗る男に向かって、同時に剣を振り下ろす。
殺すつもりがないことは、お互いの動きで理解していたので、しっかりと行動不能にすべく、両手足を切り取ってやった。
すっぱりと吹き飛んだそれは、未だ部屋の中を烈風のように吹きすさぶ火炎旋風に巻き込まれて一瞬で消し炭になっていく。
それを考えると、この炎の中、未だ本体は原型を保っているベルンフリートはなかなかの耐久力の持ち主なのかもしれないと妙な感心をしてしまった。
一瞬の早業で完全に無力化されてしまったことが信じられないのか、それとも別のことを思ってか、ベルンフリートは仰向けになったまま、ルルとモルガンを目を見開いて見つめている。
そして、一瞬の後、負け惜しみのような表情で言った。
「はは……油断したよ。まさかここまで一方的にやられてしまうとは……」
「油断してなかったのに負けたんじゃないの? 何せ、最初の一撃はあんたの不意打ちだったでしょう?」
そんな風にわかりやすい嫌味をモルガンが言う。
実際、ベルンフリートにそこまでの油断はなかっただろう。
まさに最初の一撃、不意打ちでもってルルたちを葬ろうとしてきたくらいだ。
自分の方が強い、という確信があった上でそれをやったというなら、その時点で油断していたわけではないと言える。
ただ、プライドが、それ以外の理由で負けた、と言うことを拒否しているのだろうと思ったが、意外にもそうではないらしい。
ベルンフリートはモルガンの台詞にこう返した。
「確かに……その通りだね。いやいやいや……一体君たちは、何者なんだ? 私にこうも容易く勝利を収めた者などかつていなかったのだが……」
「何と言われてもね……神官?」
モルガンがそう言ってルルを見たので、ルルもベルンフリートに言った。
「俺は初級冒険者だな。向こうの奴らは中級冒険者」
それを聞いたベルンフリートは首を傾げ、それから不思議そうな顔をして言った。
「……訳の分からない組み合わせだね。全く……まぁ、仕方ない。今回は私の負けだよ。認めよう……」
「今回は?」
ここで手足を切り落とされて仰向けになっている以上、次、など存在しないはずだが、何を言っているのかとルルは首を傾げた。
「ふむ……意味が分からないと言う顔つきだね? いいだろう。説明して上げようか……つまり、こういうことだよ」
一体何をする気なのかと、ルルとモルガンは何が起こってもいいように構えていたのだが、ベルンフリートは特に何もしなかった。
それどころか、唐突に彼自身の体が蒸気を上げてじゅるじゅると溶けていく。
「なんだこれは……!?」
「溶けてる……! 止められないの!?」
ルルもモルガンもそう言いながら、何か手段を探すが何も思いつかない。
溶けていくベルンフリートから、魔力が流れ出ていくのを感じる。
霧散して、空気の中へと還って行く、ベルンフリートの魔力。
それは通常であれば、魔力持つ生き物が死ぬときに観測される現象だったはずだ。
つまり、ベルンフリートは死ぬ気なのか。
しかしそうなると、ベルンフリートが先ほど、次、と言っていた意味が分からなくなる。
ここで溶けても、彼には次がある?
それが一体どういうことなのかわからずに、仕方なく尋ねる。
もはや、ベルンフリートの融解は避けようがない以上、諦めて出来る限りの情報入手にかかるしかなかった。
幸い、ベルンフリートはそれが意図的なのか無意識なのかはともかくとして、おしゃべりであるところ、聞けば何かしら答えてくれる性格をしている。
だからルルは言った。
「ベルンフリート……お前、一体何をした!?」
慌てている風、なのは装っているだけで、もはや彼を逃がすのはどうしようもないことだと理解している。
だから次に出会ったときに同じようなことが起こらないように、その仕組みを尋ねておきたかった。
そしてその試みは成功する。
ベルンフリートは勝ち誇ったように笑いながら、説明を始めた。
「おやおや……慌てているようだね。まぁ、そうなるか。何せ、せっかく捕まえることの出来た犯罪者を、目の前でみすみす取り逃がそうというのだから。当たり前か……ははは」
その言い方に演技でなくいらいらしてくるが、ここは我慢だとルルは耐えた。
モルガンも手が出そうな雰囲気を発しているが、ここで溶けたベルンフリートを滅ぼして一体何の意味があるのか。
それよりも情報だ。
ベルンフリートは続ける。
「さて、この体についてだが……これも、私の研究の一つなのだよ。遠隔操作用の代替になる体、と言うべきかな。本来の私はもっと遠くにいるのだが、特殊な方法によって私の本体と、このゲル状の物体で構成された体とを繋いで、遠隔地からの操作を可能にしているのさ。降臨偶像と私は呼んでいる。最近冒険者がたくさんここに入ってきていたからね。そのうち君たちみたいな腕利きもやってくるかと思って、試験がてら念には念を入れて警戒していたという訳さ。思った以上に早く来たものだが」
あれだけ余裕綽々だったのは、元から勝っても負けてもいい、と思っていたという部分が大きかったのだろう。
それにしても、降臨偶像それは驚くべき技術だった。
少なくとも、現代のどこにおいてもそんな技術を可能にしているとは聞いたことがない。
けれど、現実に目の前のベルンフリートはそれを可能にしているのだ。
はっきりと目で見た事実を否定してもしょうがない。
そういう技術を持っているものとして考え、ルルは質問を続けた。
「それは……恐ろしい技術、と言うべきなのだろうな……」
手放しの賞賛に近いその台詞にベルンフリートは気をよくしたようだ。
口が滑らかになり、さらにその体について説明してくれた。
「君はよく話の分かる少年のようだね。そう、この技術はすばらしい……しかし、問題点も未だ多くある。まず一つ目だが、本体よりも能力が下がってしまう点だね。つまりこの体を使うと弱くなる」
それが事実なのかどうかはわからないが、本当なのだとすれば、ベルンフリートはもともとさらに強い、ということになる。
現代における戦士たちの平均的な強さを考えるなら、ベルンフリートが先ほど見せたそれは、ルルやモルガンに及ばないものの、相当強力な実力を持っていると言える。
にもかかわらず、本気ではない、と言うのだ。
本体はどれだけ強いのかは、どの程度弱くなるのかがわからない以上、推測もしようがないが……しかし、本体を相手にするときは気をつけなければならないだろう。
ベルンフリートは続ける。
「二つ目は、基本的に一体しか動かせないことだね。本当なら一人で複数体制御を出来るようにすることが目標なのだが、未だにその目処は立っていなくてね……それさえ出来れば、色々なことが捗るのだが」
それが出来て、かつ降臨偶像自体を量産できるということになれば、それは一人で軍隊を作れると言うことになってしまう。
それも、相当な実力者が操れば、ある程度弱くなるのだとしても、それなりの能力になるだろう。
しかも、それらは全て、指示した者の意志に完全に従う。
当然、死もおそれない。
最強の軍隊が出来る可能性もある。
ここに来て、ベルンフリートの研究が相当に危険なものであることがわかってきた。
「最後に、あまり遠く離れると操れないのだよ。おっと、そうは言ってもそれほど近くにはいないがね……魔力で感知しようとしても無駄だ」
これが自己保身のための嘘である可能性も考えて、ルルは念のため魔力を感知すべく意識を広げてみるが、少なくともこの近くにはいない。
やはり本当に魔力で居場所が分かるような距離にはいない、ということなのだろう。
これで、ベルンフリートの本体を捕まえる可能性は、現在においては完全に失われた。
せっかく魔族を名乗る人物を捕獲できたと思ったのに、結局何の手がかりもつかめそうもない。
もしかしたら、彼が古代魔族について何かを知っている可能性もあったのだが、聞いても答えてくれる気がしない。
けれど、一応、と思ってルルは尋ねてみることにした。
「なるほど、お前の技術力についてはよく理解した……ところでさっき、お前は自分が魔族だ、と名乗っていたな?」
「あぁ……そんなこと言ったかな?」
とぼけたような素振りは演技なのか、それともそう言ったことを思い出して欲しくなくてそうしているのか。
ぱっと見ではわからない。
ルルは続ける。
「言ったな……俺の趣味は古代魔族の歴史の探求なんだよ。もし何か知っていることがあったら教えてくれ。そろそろお前も時間がないだろう?」
見れば、首を残して、ベルンフリートの体はそのほとんどが緑色のゲル状の何かに変化していた。
それを瞳だけ動かして見つめ、ふっと笑ってベルンフリートは言った。
「確かに、おしゃべり出来る時間もそろそろ終わりのようだ……ふむ。そうだな、君は私の話に付き合ってくれる中々見所のある少年のようだし、仕方ない。一つだけ話して上げよう……古代魔族は、滅びた。そう言われている……だけどね、私たちは蘇ったのさ……」
蘇った?
それはどういう意味だと尋ねたかったが、ベルンフリートの顔はどろどろと溶けていく。
「……これ…ら……我々の……代……が始ま………覚悟………」
そうして、完全にゲル状の何かへと変化した、ベルンフリートだったものは、周囲の熱を浴びて、ジュッ、と音を立てて蒸発した。
少しくらい、あの緑色の液体を採取しておけばよかったとその瞬間思ったが、時すでに遅しだ。
それに下手に採取してそれが妙な罠だった場合には目も当てられない。
ここはきっぱり諦めるのがいいだろう。
改めて会話を振り返ってみれば、結局何もわからなかった。
ただ、ベルンフリートが自らを魔族であると認識しているということはわかった。
そしてそれが、蘇ったからだ、ということも。
どういう意味なのだろう。
ルルのように、記憶を保持して転生したということだろうか。
いや、そう言うわけではないだろう。
ではどういうことなのか……。
先ほどの会話だけでは答えを出すことは出来ない。
横を見ると、会話を聞いていたモルガンが考え込むような顔でそこに佇んでいる。
彼女の意見も聞きたいところだが……。
「ま、今はとりあえず、この部屋を出るか」
未だに火炎が強く、魔力壁を張るなど対策をとらなければ突っ立っているだけで焼けそうである。
それからルルとモルガンはラスティとオルテスのところまで戻り、魔力壁を張ったまま、扉の外に出た。
それから、扉を開けっ放しにして、ルルが水をそそぎ込んで、火を消すことにする。
このままでは鉱山として使うことが出来ないからだ。
また、水を注いだせいで崩れられても困るので、面倒ではあったが壁もしっかり魔術で補強しておくことにする。
そうして、部屋の中の火を完全に消すと、そこに残っていたのはいくつかの用途のわからない機材だけだった。
魔物の死骸は全て消し炭に変わってしまったらしく、火の勢いがわかろうというものだ。
「……じゃあ、とりあえず、この部屋の捜索でもするか。何かさっきの奴の正体についてわかるものがあるかもしれないからな」
無詠唱魔術を扱い、現代にはいないらしいゴブリンを検体として手に入れ、かつ謎の技術でもってルルたちを出し抜いたベルンフリートは明らかに放置していい存在ではない。
その正体は必ず明らかにしなければならない。
そう思っての言葉だった。
そんなルルの言葉にモルガンのほか、オルテスとラスティも頷く。
魔力壁の向こう側で、しっかりとベルンフリートとの会話を聞いていたようである。
そうして四人は、部屋の捜索を始めたのだった。