第9話 相談
気絶しているグランを無理矢理起こすことも出来ないわけではなかったが、大きな衝撃を受けて崩れ落ちた彼を無理に起こすのも気が引けた上、イリスとある程度相談する必要を感じたルルは、グランが目覚めるまでの時間を質問とこれからのための相談に当てることにした。
そもそも、気になっていたのだ。
なぜ、イリスがこんな遺跡の中で一人長期睡眠装置などに入って眠っていたのか。
それに、魔王ルルスリア=ノルドが勇者に倒されたあと、一体同胞たちがどうなってしまったのかということも。
ルルはその両方を聞くべく、あらかた泣き尽くしたイリスを落ち着かせて地べたではあるが座ってもらい、その隣に腰掛けて質問する。
「それで……聞きたいことがあるんだけど、答えてくれるか?」
そう言ったルルに、イリスはもちろん、と言った様子で頷き言う。
「当然ですわ! なんなりとお申し付けくださいませ。それに……お聞きしたいことは、私にもございますから。もしよろしければ、お答えいただけますか?」
言われて、あぁそうだったなとルルは考える。
イリスからしてみれば、確かにルルが魔王であると確信したはいいものの、その容姿は人族のものであり、かつ見た目まで変わってしまっていて年齢も子供、という訳の分からない状態にあるのだ。
その辺りの事情を先に説明した方がいいのかもしれない……。
そう思ったルルは頷く。
「あぁ、もちろんだ。イリスにしてみれば、俺が本当に魔王ルルスリア=ノルドかどうかも疑問だよな……」
現実に考えて、そこからして疑われていると考えてもおかしくはないと思ったので、ルルはそう言った。
けれどイリスは首を振り、
「いいえ! おじさまは、おじさまです! 間違いありません。そこは私、疑っておりません……」
引いたはずの涙をその目尻に玉のように貯め始めてそう言うイリスのそのあまりの剣幕にルルは驚く。
そこまで信じてくれているとはさすがに思っていなかったからだ。
せいぜい、その可能性がある、くらいに思ってくれたのならそれでいいと考えていたから、一片の疑いも差し挟んではいない、と言っているに等しいその言葉には驚愕した。
「ありがたいけど……また、どうして?」
「それは、あの魔力弾お手玉ですわ。おじさまも分かってやっていたのでしょう? あれほどの数の魔力弾の制御は、いかに実力者ぞろいの魔族と言えど、出来る者はおじさましかおりませんもの」
「確かに思い出してくれればいいな、とは思ってはいたけど……確信するほどか? イリスの父上……バッカスなら出来るんじゃないか?」
ルルがいくら魔族の中でもっとも魔力の扱いに長けていた、とは言っても、今のこの身で出来ることはそれほどではない。
未だ慣れていないというのもあるし、魔族だったときとは体の性能が違うのだから。
魔力弾の操作は魔力を体の外で操る技であること、それにイリスが放出した魔力が魔族のそれだったからこそ、魔王だったときと近い感覚で操作できただけで、自分一人で同じ規模で魔力弾をお手玉やれと言われたら出来ない可能性が高い。
それに、かつての盟友たちなら、あれくらいは出来るものがいないわけではない、というのがルルの感覚だった。
けれど、イリスは首を振る。
「いいえ。父は出来ませんでした。なんと言いますか……あの人は、魔力の細かい制御が苦手で、とてもではないですが魔力弾の精密な操作など出来ませんでした。何度か一緒にやって遊んだ記憶があるのですが、せいぜい十個程度が限界でした。おじさまのように、百に近い数を操るなど……不可能ですわ」
言われてみれば、イリスの父、バッカス=タエスノーラは、少々大雑把なところがあり、そういう細かい作業は苦手だった記憶がある。
戦闘面ではきわめて優秀な男で、一人で一軍を相手できる程度には突出していたのだが、緻密な魔力制御をしているところなど見たことがない。
膨大な魔力任せの大規模魔法と、それを身体に通して己の肉体をもって戦う肉弾戦の男で、魔力弾操作など、ほとんどやったこともないのかもしれなかった。
「確かにあいつは分からないでもないが……他にもいただろう? ミュトスとかレーヌとか」
どちらも、ルルのかつての配下であり、魔法魔術に長けたスペシャリストの名前である。
ミュトスは干からびた神経質な魔導師であり、レーヌは破壊大好きなバカ力ならぬバカ魔力の女性だ。
しかしイリスは首を振り、
「ミュトスお爺さまはやって出来ないことは無かったと思いますが、そもそも魔力弾お手玉などするくらいならもっと別のことに時間を割こうとする方ですし、レーヌお姉さまはちょっと飽きっぽいと言いますか……こう、注意が散漫でいらっしゃいますので……」
出来ない、というわけではなく性格的にやらないというわけか。
イリスの言うこともよく分かる。
ミュトスはどちらかと言えば学者気質の研究馬鹿であり、レーヌは派手な魔法をぶっ放せタイプの阿呆であったなとルルは思い出す。
そしてそのあまりの懐かしさに一瞬涙腺がゆるみかけて驚いた。
こんなどうでもいい話で涙が出そうになるとは思わなかった。
ミュトスにしても、レーヌにしても、当時はふざけてだが、よく白い目で見ていたのに、自分はけっこう好きだったらしいと気づく。
そんなルルの様子に気づいたイリスはルルを気遣い、言った。
「申し訳ありません……道半ばでお倒れになられたおじさまには辛い話でございました……」
「いや……いいんだ。むしろ、懐かしい話が出来てうれしいよ。しかし、なるほどな。イリスの言うとおり、そういうことならあれが出来るのは、俺だけという事か」
気を取り直して話を続けるルルに、イリスも合わせる。
「ええ。そういうことですわ。けれど、不思議なことがあります」
「なんだ?」
「おじさまがおじさまであるのは間違いないとして、そのお体は一体どういうことなのでしょうか? 間違いなく、それは人族のもの。それにご年齢も……こう言ってはなんですが、私と変わらぬご様子。一体なにがどうなってそうなられたのか……深い興味を覚えずにはいられません」
「あぁ……そうだよな。さっきいろいろあったと言ったが」
「そういえば、そのようなことをおっしゃっておられましたわね。それはどういう……?」
首を傾げるイリスに、ルルはどう説明したものか考える。
しかし、それほど複雑な話でもないのだ。
人族相手になら、かなり細かい説明が必要かもしれないが、魔族相手なら、一言で通じることでもあったことをルルは思い出す。
だから言った。
「簡単なことだ。……イリス。俺は輪廻転生を体験したんだよ」
するとイリスは目を見開き、驚愕をルルに示した。
けれど、その驚きはけっしてありえないことを聞いた、という感じではなく、むしろ嬉しい知らせを突然耳にしたときの様子に近いものだ。
輪廻転生は、魔族の信仰だった。
そう言う風に、世界は巡り、命は受け継がれ、次の世代へと続いていく。
そう信じていたからこそ、魔族は強く心を持って戦えたのだから。
それから、イリスはゆっくりと息を吸い、質問をした。
「……ということは、おじさまはお亡くなりになった後、ある程度の月日を経て、人族に転生されたと、つまりはそういうことなのでしょうか?」
理解が早くて助かる、とルルは微笑む。
人族相手なら、こうはいかないだろう。
かつて輪廻の考え方は人族にとって異端というか、ほとんど想像の埒外にあったのだから。
その考え方を一から説明するのはさすがに面倒でもある。
生き物は死んだらそこで終わり。
それが、人族の考え方だった。
ルルはイリスの質問に、答える。
「そういうことだ。今の俺は、間違いなく人族だよ。つまり、人族の父と母がいる。どちらもいい人で……優しい人だよ」
イリスから、反発もあるかもしれない事実かと思いつつ、ルルはそう言った。
イリスは人族憎しというタイプではなかったとは言え、種族をかけて戦争をしていた相手の種族である。
好意を抱けない、というのはありえる事態だ。
そもそも、起きた直後のイリスは人族に憎しみを感じていたのだろうから。
けれど、イリスの口から出たのは意外な台詞だった。
「その言葉をお聞きして……どうしてでしょう。安心いたしました」
「それはまた、どうして?」
ルルは首を傾げて質問する。
「おそらく……おじさまの転生のお話と、それに人族との生活に満足されている様子をお聞きしたことで、僅かながらに持っておりました私の偏ったものの見方、というものが洗い流されたから、だと……ふふ」
イリスは突然微笑んだ。
どうしたのかとルルが首を傾げると、イリスは話を続けた。
「いえ……私、さきほども申し上げましたけれど、おじさまがお亡くなりになってから、敵討ちに心血を注ぎ続けまして。相当、荒れてしまって……」
ぴしり、と時間が止まったような気がした。
品のある美しい銀髪と態度を持つ目の前の少女イリスが、"荒れた"とは一体……、と思ったからである。
そんなルルの表情を読んだのか、イリスはあわてて首を振って弁解し始めた。
それは、ルルに嫌われたくないと思ったからかもしれない。
「いえ! いえ! 違うんです……あの、荒れたと申しましても……その……さほどひどいことはしていませんのよ。少しばかり柄の悪い魔族を引き連れて、人族の軍隊を強襲して壊滅させたりだとか、人族の軍の天幕に忍び込んでは『おまえのことはいつでも殺せる覚悟しておけ』と将兵の枕元に書き置きを残したりだとか、せいぜいその程度のことしか!」
それだけすれば十分だよ……、とルルは思ったのだが、ここは余りつっこみを入れるべきではないと察したルルは、話を変えることにした。
「まぁ、その話はいいとしようか。それにしても、俺が死んだ後にもそんなことが出来たということは、魔族は滅びたりはしなかったということか? あの調子なら、いずれ大規模な魔族狩りがなされてもおかしくはなかったと思うんだが……?」
「あぁ……そうですわね。おじさまはご存じないのですものね……そう、魔族狩りはありました。まさに不遇の時代でしたわ。教会が神聖騎士どもを差し向けては魔族をじわじわと追いつめて、数を減らしていきました。あれがずっと続けば、おそらく魔族と言えど、根絶やしにされていたでしょう」
「ずっと続けば? 続かなかったのか?」
それは意外な話だった。
あれほど魔族憎しで統一されていた人族が、その魔族に対する狩りを続けなかった、ということが。
イリスは続ける。
「続けなかった、というより続けられなくなった、というのが正しいでしょう。人族の勢力は、おじさまが身罷られてからしばらくして、二分されてしまいました。つまり、彼らは内部分裂を始めたのです。魔王、という明確な脅威がなくなってしまったため、というのは父の言ですが、現実も実際にそのようなものだったのでしょう……。片方の旗印は教会であり、そしてもう片方は、おじさまにとどめを刺した……」
「……勇者か」
それは考えられる話だった。
最後に、ルルが蒔いた種。
それが身を結んだのだろう。
良いことだったのか悪いことだったのかは分からないが、あの勇者は、確かに律儀に約束を守ったというわけだ。
しかしその結末が、人族の二分か。
「ええ。そうです。皮肉なものです。魔族の王を殺したものが、魔族の命運を救いました。そしてその後のことは……実のところ、私にも分かりません。何年経ったのかは分かりませんが、今は一体どうなっているのでしょうか。気になります」
さて、そのさきはどうなった、と一番気になるところになって、イリスはそう言って首を振った。
ルルは驚いて、首を傾げる。
「……それはどういうことだ?」
イリスはそんなルルの質問にゆっくりと思い出すように答えた。
「私、柄の悪いのを引き連れて人族を強襲していたと申し上げましたが、ある日のこと、その折りに何者かに捕縛されてしまいまして……気づいたときには、なんだかよく分からない場所のベッドの上で耐え難い強烈な眠気に襲われていましたの。それが長期睡眠装置によるものであると眠る直前に気づきましたが、後の祭りでしたわ。そしてそのまま眠りに落ち、起きてみれば目の前におじさまが。今思えば、それがここなのでしょうね」
「自分で長期睡眠に入った訳ではないのか?」
それは、あまりいい話ではない。
イリスから得られる情報が、途端にとぎれてしまった。
イリスはとらえられたことそれ自体が不満のようで、少し口を尖らせながら話を続ける。内容は、イリスをとらえた者の特徴の話に移っていた。
「えぇ。……なんだか、本当に訳の分からない者でした。真っ黒なローブを身に纏っておりまして、フードも深くかぶっていたせいで、顔も見えませんでしたわ。おそらく認識阻害系の魔導具も身につけていたのでしょうね。注視してもほとんどなにもわかりませんでしたし……ただ、体型と香りから、おそらくは女だった、ということは分かるのですが……」
それだけでは、なにも分からない。
それは一般的な魔術師・魔導師の格好にすぎず、女の魔術師・魔導師など星の数ほどいるからだ。
しかし、魔族をねらって無傷で捕縛するその手際の良さは、相当な手練れであることを予想させる。
その正体が気になった。その目的も。
「そうか……しかし一体何者だ? しかもイリスをねらってわざわざ長期睡眠なんてさせて何になる?」
「それこそ私がお聞きしたいところです。ただ……今となっては感謝してますわ」
ふとイリスの声と表情が柔らかになり、微笑みをルルに向けて見つめてきた。
どうしたのかとルルは首を傾げる。
「なぜ?」
「そのおかげで、おじさまに、会えました」
深い情の満ちたその声。
本当に嬉しそうで、自分はかつて、彼女に申し訳ないことをしたなと深く後悔の念を感じた。
「……イリス」
名前を呼ぶルルに、イリスは懇願するように言う。
「おじさま。もう二度と、あのようなお亡くなり方は……おやめください。魔族一同からのお願いです」
勇者たちとの戦いに、一人で挑んだことを言っているのだろう。
他の者は軍や人族の強者との戦いに割かざるを得なかったため、そうするより他になかったのだが、もっとうまいやりようもあっただろうと今にして思う。
だからルルは素直に謝った。
「……悪かったよ……まぁ、今回は人族なんだ。同じ事にはならないだろう」
「……そう、ですわね。そうだと嬉しいです。けれど……おじさまが人族となると、少し問題が」
「それはなんだ?」
「私はどのような身分でおじさまのお側にいれば……?」
当たり前のように側にいる、と宣言されてなんと答えたものか一瞬ルルは言葉に詰まる。
ただ、イリスを近くに置くことは彼女を長期睡眠装置のベッドの上で見つけたそのときから、ルルの中でも決まっていたことだ。
だから、すぐに切り替えて、その方法について、話を移した。
「それなんだが、今イリスが置かれている状況についての説明から始めないとならない……イリスはさっき、今がいつなのかと聞いたが、それはどうしてだ?」
「眠っていた場所が場所ですから。眠る直前にも思ったことですが、起きてすぐ、長期睡眠装置だと認識いたしました。それに、体内魔力の目減り具合から考えて、それなりに長い時間眠っていたものと。数年、数十年は時が過ぎていておかしくないと思いました」
どうやら、イリスの認識ではその程度の感覚らしい。
しかし、現実は違うのだ。
過ぎた時間は、もっとずっと長い。
そして隔たった時は、ルルとイリスの知っていたすべてを押し流してしまった。
ルルはそのことをイリスに伝えなければならないと、半ば決死の覚悟を持って、言ったのだった。
「イリス。よく聞いてくれ。いまこの時代は、俺たちが生きていたあの頃より、おそらく数千年の月日が流れている」
「え?」
イリスが、大きく首を傾げた。