第86話 女性神官
「そこの人、助太刀……!」
ルルはそう言って近づいたところ、神官服の女性はちらりとルルたちを見て剣を握っていない方の手で制止するように言い、それから魔物たちより少しだけ離れて両手で剣を握って深く構えた。
女性神官の持っているその剣は、とてもではないが女性が扱えるような大きさではなく、たとえ男であっても手に余るような巨大な両手剣である。
重さも相当なものに感じられ、さきほど片手でそれを振っていたのが信じられないほどだ。
けれど、彼女は今、それを両手で握り、何らかの技を繰り出そうとしている。
強力な魔力の収束がその剣と体に感じられた。
近づくと、危険だ。
ルルをもってしてすらそう思わせるその動き。
そして、彼女は叫びながら剣を一閃した。
「……はぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
滑らかで、また力強い動きだった。
極めきられた剣術の至高がそこにあるようにルルには感じられた。
実際、その一撃は気づいたときには最後まで振り切られていて、ルルにすら完全にはとらえきることは出来なかった。
ふわり、と風のような何かが魔物たちに吹きかかり、そして次の瞬間には全ての魔物の首が地面に転がっていた。
「……すごい」
オルテスとラスティの声がシンクロするように、そう呟いていた。
◇◆◇◆◇
「せっかく助太刀しようとしてくれたのに、申し訳なかったですね」
数体の上位魔物をたった一人で、しかも一撃で葬った凄腕の女性神官は、そう言いながらルルに近づいてきた。
その顔立ち、雰囲気には、明らかに見覚えがある。
流れるような黄金の髪、空のような青い瞳は一度見たら忘れない組み合わせだが、それ以上にルルには先ほどの剣術の方が深く記憶に残っていた。
あの振り方、身のこなし、そして敵を見据えるその瞳。
あれは――
「いえ……一人で倒せたなら何の問題ありません。むしろ余計なことをしないですんでよかったくらいです。それよりも、お久しぶりですね」
ルルは心に浮かんだ疑問を口にせずに、まずそう挨拶する。
ルルのその言葉に、女性神官は何かを思い出したように目を見開き、それから、
「ええと……あぁ! 以前フィナルの教会でお会いしましたか?」
そんな風に言って微笑んだ。
あのときより若干柔らかで親しみやすい雰囲気を感じるのは、ここが教会の外だからだろうか。
あのとき感じた神秘的な何かも感じないわけではなかったが、今こうして相対してみると、それほど変わったところのない、普通の女性であることがわかる。
そのことになぜか深い安堵を覚えつつ、ルルは女性の言葉に頷いた。
「ええ。歴史について、少しばかり講義を受けた記憶があります」
「そうでした、そうでした。神官の歴史講義、なんて滅多にまじめに聞いてくれる人がいないものですから、あのときはつい熱が入ってマニアックなことまで話してしまった記憶がありますが……迷惑ではありませんでしたか?」
確かに、マニアックと言えばマニアックだっただろう。
王都の図書館で調べてもどんな書物にも記載されていなかった知識だ。
一体どうやって彼女がそれを知ったのか非常に気になるところである。
「いえ、全く。むしろ貴重な話を聞けてうれしかったと……」
と、そこまで話して、同行していた二人がルルと女性神官が知り合いだったことに驚いたらしい。
「おい、ルル。知り合いか?」
とまずラスティが聞き、
「まさか神官をナンパしたのか? ルル」
と怪訝な目でオルテスが尋ねた。
このままではあらぬ誤解を招くと、ルルは二人にこの女性神官との馴れ初めをかいつまんで話すと、納得したようだ。
オルテスは頷きながら言った。
「へぇ、おもしろい偶然があるものだね……でも、そのときは王都から正反対の方向に向かっておられたんだろう? なぜこの神官殿はこんな鉱山の坑道の中に?」
その言葉は、多少の警戒の混じっている口調だった。
なぜそんなに怪しむのか、と思ったがとりあえず女性神官の言葉を待つ。
すると彼女は言った。
「あぁ、それはですね。この鉱山から多くの魔物が発生しており、それによって鉱山の方々が非常に困っているとのお話を聞きまして。我々の教義では困っている人はお助けする、というのが基本ですので、ちょっと行って片づけてようかなぁ……と、思いまして」
それは宗教者として、というよりか、人間として正しい行為であると言えるだろう。
隣人愛や助け合い、相互扶助などを解く宗教はこの時代、多々あるが、実際に実践しているものがいくつあるか。
そのことを考えれば、彼女のしていることは非常に正しく、真っ当な行為である。
ただし、彼女の言っていることを信じるのであれば、だが。
どうも彼女の語り方には何とも言えない胡散臭さを感じた。
別に、悪意があるとか邪であるとか、そういうものは感じないのだが、何か、真実を隠しているかのような、そんな雰囲気が感じられるのだ。
とはいえ、それを正直に指摘したところで素直に話してくれるのであれば、隠す必要もないだろう。
聞いても無駄だ、というわけだ。
今はそのままの言い分を受け入れて、あとで聞いてみようとルルは思った。
オルテスもルル同様、不思議だとは思ったようだが、そこまで警戒するようなものも感じられなかったらしい。
口調を和らげて続けた。
「そうでしたか。それはご立派ですね……近頃そう言ったことを行われている巡回神官の方にとんと出くわすことが無くなったものですから、感慨深いものを感じます。聖神教の聖女殿にも勝るお心持ち、頭が下がります」
少し大仰すぎるとも思える賞賛の言葉だが、オルテスが言うとその容姿と相まって、それほど仰々しくは聞こえない。
むしろそれくらいの華々しい言葉遣いでない普段の口調では、ほとんどの台詞が地味に感じるくらいなのだから。
女性神官もオルテスの言葉を嫌味には感じなかったようで、静かにお礼を言って微笑んだ。
けれど、ルルは一瞬、女性神官の眉根がぴくりと動いたのが見えた。
それは、オルテスが聖女、と言ったその瞬間のことだった。
彼女と何か関係があるのだろうか。
しかし、それもまた、聞いたところで話してくれないだろう。
知りたいことはどんどん増えていくが、それは今のままではただ謎が深まっていっているだけである。
そう自覚しながらも、どう聞いていいものか悩んだルルは、とりあえず時間を確保しようと思い、突然の思いつきを口にしてみることにした。
「神官殿……ええと」
そこで名前を聞いていないことを思い出したルルは、少し言葉に詰まる。
それに気づいた女性神官は、
「あぁ、これは失念しておりました。私の名前は……」
そこで不自然に少し詰まって、それから彼女は言った。
「……私の名前は、モルガン。モルガン=ガブリエリと申します。以後、よろしくお願いします」
その名前に、聞き覚えはない。
至って普通の名前である。
ルルは頷いて、話を続けた。
「私はルルと言います……それで、モルガンどの」
「モルガンで結構ですよ。それに、口調も普通で結構です」
「ではお言葉に甘えまして、モルガン」
「はい」
「実のところ、俺たちは冒険者なんだ。この鉱山の中において起こったと思われる異変の調査をするためにここに来た。聞けばモルガンも同じ目的だというじゃないか。本来ならどちらが先に目的を達成できるか競争、と生きたいところだが、ただ……先ほどの実力を見る限り、貴女の方が早く目的を達成してしまう可能性が高そうに思える」
あの凄まじい剣術を見て、俺たちの方が先に目的を達成できるんだ、とは言えない。
その点についてはラスティもオルテスも頷いている。
ただ、ルルがこれからなにを話そうとしているのかはわからないようで、話の進行を見守っている。
提案について、二人に確認をとっていないルルは、そんな二人を見て、もしこれからする提案がいやならいやと言うだろうと思って話を続けた。
少し強引な気もするが、それくらいのわがままは許してくれるだろうと言う妙な信頼もあった。
「……そうでしょうか? 貴方たちの実力も、それほど捨てたようには思えませんが……」
「いや。さっきの戦いを見るとな。俺は初級冒険者だし、こっちの二人は中級冒険者だ。さっき、モルガンが戦っていた魔物は上級クラスの魔物だろう。しかも、それを複数……となると、やっぱりこっちの分が悪い」
「だとして、それがどうかしましたか?」
「あぁ。これは提案だと思って聞いてくれ。別に無理強いはしない。ラスティとオルテスもな。モルガン、鉱山を一緒に探索しないか? 別に寄生しようって言う訳じゃない。モルガンは、教義に従って行動しているんだろうが、俺たちは生活費がかかってるんだ」
それを聞いて、モルガンは少し考え込み、納得したように頷いた。
「なるほど。私は依頼ではなく自主的に来ているだけですが、私に目的を達成されてしまえばあなた方はご飯が食べれないのですね?」
「そういうことだ。だから、確実な方法がとりたくてな。依頼料は……ある程度はモルガンに払ってもいいぞ?」
そう言ってルルはラスティとオルテスを見る。
彼らも特に反対しないあたり、悪くない提案だと思っているらしい。
それも、モルガンの戦い振りを見た後であれば納得だろう。
おそらく、オルテスやラスティよりは間違いなく強い。
ルルと比べるとどうなのかは二人にはわからないだろうが、何とも言えないような実力であることはルルにとって確かな事実だ。
だからこその、提案である。
モルガンはそして、少し悩んだようだが、結局は頷いた。
しかも、驚きの条件まで付けてきた。
「でしたら、同行させていただいてもよろしいでしょうか? あぁ、依頼料については、私は不要ですので。もしどうしても、とおっしゃるなら、そうですね……通りがかった孤児院などに寄付していただければ」
自分は一切の金銭は必要ない、と言うのである。
路銀はすでに持っている分で足りるらしく、それ以上に必要な場合は教会に申請すれば支給されるらしい。
「少しぐらいもらったってバチは当たらないと思うけどな」
ラスティがモルガンのそのあまりの潔癖ぶりにそう口にするが、モルガンは意外にも頷いて言った。
「確かにその通りです。我が神は……暗黒神は、ありとあらゆる行為を許容されております。金銭を稼ぐことも全く問題のない行為です。しかし、みなさんはお金を稼ぐためにいらっしゃったのでしょう? それを横から分けろと言うのは、少し品がないのではないか、と思うだけです」
「わかるようなわからないような……」
ラスティには働いたんだから素直に受け取ればいい、というのがまず一番にあるのだろう。
とはいえ、分け前が減らないと言うならそれが一番いいのは間違いなく、少しだけうれしそうにしていた。
「じゃあ、せめて今日の晩飯くらいはおごらせてくれ。それと……」
「はい?」
「俺たちが敬語をやめてるんだ。あんたも普通にしゃべってくれていいぞ、モルガン」
そう言うと、彼女は一瞬きょとんとした顔をして、それから、
「……これが私の普通の口調なのですが……?」
と呟いたので、ルルは言った。
「違うな。俺にはわかる……」
そして、モルガンの瞳をじっとのぞき込む。
モルガンもその視線の圧力にしばらくは耐えていたが、ついには根負けしたらしく、首を振って頷いた。
「……はぁ。わかったわ。なぜわかったのかしら? 私、割とうまく神官やってたと思うのよね」
そう、少し蓮っ葉な口調で言った。
これが彼女の普段の口調、というわけなのだろう。
先ほどとは大違いである。
にもかかわらず、ルルにはなぜそれがわかったのか。
それは、ルルには、モルガンのその口調は作っているもののように感じられていたからだと言うほかない。
それにもう一つ、理由はある。
「……昔、あんたと似たような人と話したことがあるんだよ」
「私と? ふーん……恋人とか?」
突然の台詞に何か鳥肌のようなものが立ったルルは慌てて首を振って言った。
「おい、やめろ。そんなんじゃなくてだな……」
しかしそんなルルの言葉に、モルガンが意外な台詞を言う。
「なんだ、残念。あんた、割と私の好みなんだけど」
先ほどまでの清浄な空のようなだったその瞳は今、なぜかいたずら好きの猫のように光っている。
これが彼女の本来の姿、ということなのだろうか。
意外にもやっかいそうなその人格に、ルルは少し後ずさる。
そんなルルの反応に、モルガンは笑い、
「ふふふ……。意外と初? まぁいいわ。よろしくね……ルル」
そう言って手を差し出してきたのだった。




