第81話 色々な戦いと、偶然
勝者を褒め称える歓声と拍手の中、ただ一人、顔を青くして闘技場アリーナを走り出した人物がいた。
彼の頭の中にあるのは、先ほど目の前で繰り広げられた光景によって引き起こされているであろう大問題にどう対処するか、ということに他ならない。
グランとルルの剣がぶつかり合った瞬間に起きた轟音、そしてその後に続いた何かの割れるような音は、明らかに絶対障壁が崩壊した音色であった。
あれによって、闘技場の裏において絶対障壁発生装置を管理しているだろう古族の若者たちがどれだけ恐慌に陥っているか想像する。
彼らがそんな中でも適切に対処できているならそれで構わないし、そもそも連れてきたのは誰もが優秀な技師たちなのでおそらくは大丈夫だろうとは思うのだが……。
しかし、拭いきれない不安を感じ、エルフ族族長ロットスは、装置のある闘技場裏へと急いだのだった。
◇◆◇◆◇
「おい、そっちはどうなってる!?」
「……あぁ、これはもうだめだ。魔力変換炉が焼き付いてる……二番機で補填できるか!?」
「こっちもだめだ! 同じく変換炉がだめになってる! それに肝の魔力壁発生装置も形が歪んでる……無理矢理使えば爆発が……」
ロットスが現場に辿り着いてみれば、そこに広がっていたのはまさに技師にとって地獄絵図と言ってもいいような忙しさに、若い古族技師たちが必死に抵抗している様子だった。
断片的な言葉を拾って頭の中でまとめてみると、いくつか持ってきた絶対障壁発生装置のうち、魔石に充填された魔力を変換する部分と、変換された魔力を使って絶対障壁の実体を作り出す部分とがどうにかなってしまっているらしいことが分かる。
そのほかの部分については何とか無事なようだが、それにしてももっとも重要と言うべきその二つの部分が壊れてしまったとなると、この忙しさも理解できる。
次に試合が控えているため、どうにか間に合わせようと今まで五台ほどの絶対障壁発生装置で埋めていた部分を、未だ壊れていない装置だけでなんとか埋めて乗り越えようとしているようだが、聞いている限り五台中四台はもはや使えそうもなさそうな報告が飛び交っていた。
これは……ダメじゃな。
ロットスはそう思った。
せめて二台、もしくは三台あればなんとかなったはずだ。
そのつもりで絶対障壁発生装置を五台持ってきていたのだから、何台か不具合が生じても乗り切れるはずだった。
しかし、思いも寄らない強力な力のぶつかり合いによって、四台がダメになった。
ここで残りの一台を無理矢理稼働させても、このあとに残っている試合はどれも予選とは比べものにならない強者たちのものばかりなのである。
複数台の結界を複雑に重ね合わせることによって生み出しているのが絶対障壁であるところ、たった一台ではその重要な部分が再現できず、通常の結界より多少強力なものを作れる程度でしかない。
そしてそれでは特級の魔術など受けきれるはずがなく、結果として最後の一台も壊してしまうことになりかねない。
だからこそ、ロットスは慌てる若い技師たちに、言った。
「聞け! 古族の若き技師たちよ!」
その言葉に、その場を動き回って装置しか見えていなかった彼らは、自分たちの長がやってきたことにやっと気づく。
そして縋るような目を向けて、これからどうすればいいのか示してもらえることを祈った。
ロットスはそれを理解し、大らかな表情で頷くと、たった今、自らがした決断について話し出した。
「……どうやら、絶対障壁発生装置が壊れた様子。報告はせずとも、皆の声を耳にし、どんな事態にあるかは察知した。五台中、四台の障壁発生装置が壊れた。そうじゃな?」
聞かれて、技師たちの中でも最も年かさの青年古族がうなずき、言った。
「は、はい……どうにかこの一台で代用できないものか、とか……他のものの修理は出来ないか可能性を探っていたのですが……」
「無理、なのじゃな?」
「……はい。少なくとも、今日中には……」
しゅん、とした様子でがっくりと肩を落とした青年古族に、ロットスは首を振って肩をたたき、それから柔らかな声で言った。
「別に主が悪いわけではない。他の者のせいでもない。正直、今回の事態は儂も想定していなかったでな……たとえ特級であってもあれほどの衝撃を生み出すとは想像の埒外だったのじゃ。だからこそ、今回持ってきた絶対障壁発生装置の数は、五台、じゃった。衝撃による破壊、というよりは何らかの不具合が一台か二台に発生するかもしれない、くらいの予測でな。しかし、グランとルルの二人はやりおった……まさか、我らの技術の粋を集めて作ったこの絶対障壁を、小規模で簡易なものとは言え、個人の力で破壊するとは……これは、もう完全に予想外としか言いようがない。だからだれも気にするでない」
「しかし……!」
納得できなかった、というか自分のふがいなさに打ちひしがれている青年古族の一人が前に出て、何かを言い募ろうとする。
けれどロットスは首を振って続けた。
「なんと言おうと、もはや事態は変わらぬ。こうなった以上、新たな絶対障壁発生装置を本国から取り寄せるか、修理するかしかあるまい。そして、大会をここで中止とすれば間違いなく暴動が起きるのも明らかじゃからな……取り寄せでは数日から数週間かかる以上、技師の意地を見せるしかない……」
「……と言いますと?」
首を傾げる青年技師に、ロットスは言った。
「今日直せないのはどうしようもない。明日も、厳しいかもしれん。しかし明後日までならば何とかなろう。そうなると徹夜では済まんかもしれんが……やってくれるかのう?」
つまりその台詞は死ぬ気で修理しろ、ということに他ならない。
激務になるのは日を見るより明らかで、出来ることならやりたくないことだ。
しかし、技師の意地を、と言われて首を振れる者はここにいなかった。
それに、ロットスは二日延期すると言っているのだ。
これから彼はありとあらゆるところに頭を下げ、根回しをしに行かなければならないということに他ならず、その戦いもまた、技師たちのそれと大差なく、いや、それ以上に厳しいものとなるのは目に見えている。
そして、それを理解していながら、ロットスはそう言っているのだ。
この場にいる技師たちはみな、ロットスに見込まれてここに来た者たちだ。
そうである以上、彼に恩を返すべきは当然のことであると、青年技師たちは決意に満ちた目でロットスを見つめ、強く頷いたのだった。
◇◆◇◆◇
グランとの試合が終わり、ルルは闘技場の選手席へと戻った。
グランはと言えば、完全に気絶していて、しかも魔導剣の使用により体内魔力のほとんどを持って行かれて立つ気力もなさそうで、特級には珍しく担架でもって医務室に運ばれていった。
今は手厚い看護を受けていることだろう。
ルルもグラン同様に力を振り絞って戦ったわけだが、魔力的にはまだまだ余裕があり、それほど大変なことはない。
ただ、正直体に魔力を流しすぎてしまったという感覚はある。
戦えないというほどではないが、手足に多少のしびれを感じるのは、あまりよくない傾向だろう。
魔力の流しすぎによる体への負担は、回復・治癒魔術では治療できないらしく、かけてみてもあまり効果がなかった。
回復・治癒魔術もまた、原理的には体に魔力を流してやる技術であるところ、魔力的な意味で酷使された肉体には効きにくいのかもしれない。
あまりああいうことは連発できないな、と思いつつ、これからは気をつけることを心に決めた。
それからしばらくの間、次の試合が始まるのを待っていたのだが、いつまで経っても始まらないことに気づいたのは周囲の観客たちの不満の声が高まってきてからだった。
先ほどまでなら、長くて十数分のインターバルを取って次の試合が始まっていたはずなのに、今回ばかりはおよそ三十分近く経っても何も始まらない。
さすがに観客たちもおかしいと思い始めたのか、ざわざわと不安の声があがってきたとき、闘技場内にアナウンスの声が響いたのだった。
『会場にいらっしゃった皆様にお知らせします……先ほどのルル選手対グラン選手の試合の衝撃により、障壁に不具合が生じたため、本日これから行われるはずだった試合は、明後日に延期させていただきます』
ルルはその声を聞いたとき、あぁ、やはりな、と思った。
あの何かが割れる音は絶対障壁の壊れる音で間違いなかったのだろう。
ルルとグランとのあのぶつかり合いは、およそ現代の剣士同士のそれから隔絶して大きな衝撃を生み出してしまったために、障壁の限界強度を超えてしまったのだ。
相手がルルでなかったら、またグランが魔導剣を使用していなかったら、結界は保った可能性が高い。
しかし、その両方が古族からすれば運悪く揃ってしまったために、その予測を外れた規模の負担を結界にかけてしまったわけだ。
アナウンスが延期、と言い始めた辺りから闘技場の観客たちは不満を爆発させて怒鳴ったり色々なものを投げたりし始めていて、その元凶であるルルとしては本当に申し訳ない気分に陥った。
ただ、観客としては、グランやルルが悪い、というよりか、障壁を維持しきれなかった古族や運営にいらついているらしく、悪態は大抵彼らに飛んでいる。
それを聞きながら、ルルは、彼らに同情と申し訳なさがいっぱいになった。
古族も大会運営もおそらくは万全であると言っていい準備をしてきたはずで、それを超えてしまったのは、魔王と古代魔族の兵器という本来この時代に揃うはずのない二つが揃ってしまった故の不幸な事故に過ぎないのだから。
誰もそんなことを予測出来るはずが無く、仮に予測できたとしてもどんな対応をとるべきかなど誰にも分からないことだろう。
さらに特級が闘技大会に出場するのは初めて、ということなのだから、そういう意味でも大目に見てもいいのではないか、と思うのだが、観客からすれば目の前にあったごちそうが突然意味なく取り上げられたに近い心境なのだろう。
彼らの怒りはいつまでも収まらずに、その日に闘技場を去った観客たちは、誰もが文句を言いながら家路についたのだった。
◇◆◇◆◇
闘技大会が延期になった、ということは思いも寄らない形で一日半の暇を得たということに他ならない。
ただひたすら家でごろごろしているのも悪くはないが、イリスはその暇を利用して家事をする気であるようだし、キキョウはいつものごとくシフォンに呼び出されてバイトに行ってしまった。
酒場は今日も忙しいらしく、しかも闘技大会延期、という腹立たしい事態になってしまったがために、店にくる客たちで荒れるものも少なくないだろうから用心棒としてのキキョウの腕が必要だ、というわけだ。
本戦まで上ってきているキキョウの名前はもはやかなり有名らしく、酒場にいるだけで抑止力になるらしい。
もしそれをただの噂だと笑って襲いかかってくる奴がいても、キキョウの実力は確かであるところ、即座に沈められて叩き出される、というわけだ。
二人の勤労少女を抱える家において、客観的に見れば、おそらく最も立場が上のルルであったが、しかしだからといって、二人が働いている間にごろごろするだけの度胸というか、図太さはなかった。
「……ちょうどいいし、何か仕事でも……」
そう言いながら、冒険者組合に向かうルル。
闘技大会期間中とは言え、と言うべきか、だからこそ、と言うべきか、冒険者組合はしっかりと営業しており、依頼も通常日と同じく受注可能である。
しかも、多くの冒険者が闘技大会の観戦者や出場者として、この時期は冒険者組合に寄りつかなくなるらしく、依頼料も若干高めに設定されているようだった。
とはいえ、今日は半日で闘技大会は終わってしまったわけだし、ルルのように暇になった冒険者が依頼を受けに来ているのでは、と思って冒険者組合の扉を開けたのだが、意外にも、中にはほとんど人がおらず閑散としていた。
暇そうにしている受付……兎系獣族のアリンに、この有様について訪ねてみると、
「……みんな酒場に行っちゃいましたよ。たぶん管巻いてるんでしょうね。そんなことしてる時間があるなら働けって感じです」
と、いつもとは正反対のやさぐれた顔で言われた。
組合職員も、こんな時期に仕事をしなければならなかったり、そうであるにも関わらずほとんど人は来ないわでいらついているのだろう。
しかし、
「……で、何しに来たんですか?」
と言うので、
「暇だったから依頼を受けに……」
と言うと、あからさまにうれしそうな表情で色々な依頼を紹介してくれた。
本当によっぽど暇だったらしく、やっと来た客というか、冒険者であるルルに喜びを隠しきれないようである。
そうして、色々出された依頼票を見ながら悩んでいると、後ろから声がかかった。
「お、ルル!」
振り返ってみると、そこにはラスティがいた。
しかもその後ろからもう一人の冒険者が入ってきていて、見てみればオルテスである。
タイミング的に二人一緒に来たわけではないのだろうが、ルルは二人に声をかけることにした。
「ラスティ……それにオルテスも。おまえたちも依頼を受けに?」
すると、ラスティが自分の後ろを振り返ってオルテスを認める。
それから、知り合いか、とルルとオルテスに尋ねたので二人が頷くと、軽く挨拶をして、自己紹介を始めたのだった。